マスコミはスピードだ!

つい数時間前までは、北は韓国の核実験場爆破セレモニーに参加できないと発表してもギリギリで参加OKとなる。

トランプさんも米朝首脳会談をやるが一転してやらない、と言い出したが、これも数時間でやらないをやらないかも、みたいにコロコロ変わる。

既に日本のマスコミはこのスピードには全くついていけず、日本のネットメディアも全くついていけていない。新聞なんてのは数日という時間でのメディアであって、数分や数時間は扱えない。朝刊に評論した政局が数時間の間に二転三転し、翌日もまたやっている。この動きの速さは、新聞には全くついていけない速さであることは言うまでもない。テレビもせいぜいが数時間の動きしか追えない。コトは数分で変わることもある。それが現代だ。

特に日本のネットメディアは社会での認知を得てきていているぶん、コンプライアンス重視になってきており、スピードは遅くなっている。逆に言えば、ソースを明らかにしてスピードに全ての重点を置き「ガセかもしれない」ことを前提に報道するメディアがこれからのトレンドになりそうだ。面白い世の中になってきた。

 


 

訪日外国人数を見てみる

日本政府観光局が2018年5月17日に発表した、1-4月の訪日外国人の数は、1000万人を僅かに超え、過去最高となった。実際の数字がここに出ているので、見てみると、主要な国家・地域からはこんな感じだ。

  1. 中国+香港(統計は香港と中国がわけられているので、ここでは合計している)
    334万人(33%)
  2. 韓国
    277万人(28%)
  3. 台湾
    160万人(16%)
  4. 米国
    42万人(4%)

中国+香港+韓国で、訪日客の全体の61%。台湾も加えると、77%。日本に来る外国人客は、中国と韓国が圧倒的に多い、というのがよくわかる。

 


 

電子出版の時代が始まる

昨年の記事が紹介されていたので、読んでみた。この記事にはかなり違和感があった。電子出版というのは、枯れ木に接ぎ木をして枯れ木を延命させるものじゃないよなぁ、ということを感じたから。

実際に著者として電子出版をしてみてわかったことは、電子出版というのは、著者と読者を直接つなぐので、これまであった出版の「業界」を破壊するんだね。つまり編集者とか営業さんとか、取り次ぎさんの給料が出ない。現在そこにある「出版業」というものが成り立たないのが前提なんですね。「現在の出版業」を「ITシステム」で「置き換える」のが「電子出版」なんですね。まぁ、これはあらゆるところで起きていることだけれども。

出版業界という人件費の塊が一瞬にして消えることによって、読者の払うお金を低くしつつ、著者印税を上げる。その「原資」は「出版業界の消滅」による。これが電子出版なんですね。

AmazonKDPで言うと、入稿はWordのファイルのままでOK。レイアウトは読者が端末側で縮小拡大するから崩れて当然。目次を付けてもページ数は空欄にしてしまう。読者側での拡大縮小でページが変わるからだね。

「電子出版」の目指すところは「現状の出版業の消滅」による出版業の徹底した合理化と再編なんですよね。だから、今までの出版業から大きな反発があって当然だと思うのね。多くの人の給料が消滅するんだから、抵抗あって当たり前です。

でも、その「革命」によって、読者はより安い本を手にできる。水は高いところから低いところに流れる。その真理に従えば、同じものが手に入るなら、安い方がいい、と思うのは読者の心理。そして出版業に流れるお金のほとんどの元が読者が払うお金によるのであるから、電子出版への流れは、その変化の速さを抑制はできても止めることはできないんだよね。

この変化の時代を先取りして楽しめ!その力は自分で獲得しろ!ってことです。

 


 

「事業」が「システム」に置き換わっていく

まるで、オセロの白黒が、そのコマの1つを打つことで、全部ひっくり返っていくように、「事業」が「システム」に置き換わっていく。それが今という時代なのだ。

「事業」をするには「人」が集まって「組織」を作り、その組織が「社会的に有意義となることをする」ことによって、社会から「報酬」を受け取り、その組織の人員の糧とする。赤字になる事業はなくなっていき、黒字の事業だけが生き残っていく。

今や銀行はコンピュータのシステムで動いており、「人」はほとんど必要ない。これは他の業種にも言える。例えば出版だ。出版という「事業」は、著者がいて、その著者の「作品」を、出版社が受け取って、多くの人に読まれるように「編集」し、その結果を「印刷」という事業者に持って行き、「本」を作る。できた本は、大量に印刷され、それを「取次店」を通して日本全国の書店に並べる。そして、人はその本を買って読む。今の電子出版になると、この様相が変わる。著者が本を書いたら、そのまま「システム」にアップロードすると、それ以降、人が読むためにダウンロードするまで「人」が必要なくなる。「著者」-「編集者」-「出版社」-「広告」-「印刷」-「配本」-「書店」-「読者」という、この「物流」が一気に「著者」-「システム」-「読者」というように「簡略化」され、それまで間で働いていた人の仕事は必要なくなる。

しかしながら、著者の印税も含めた、この「出版」という「事業」の「原資」は、「読者」の払うお金であり、それが集積したものだ。であるから、「著者」-「読者」が「システム」を通して「直につながる」のは、「出版」という全体の複雑なシステムを簡略にして、人件費をなくし、「著者により高い収入を払い」「読者により安く提供する」という「経済原理」に即したものだから、これを咎め立てることはできない。この変化を止めることもできない。これまでにあった「壮大な無駄」を「システム」がなくすだけのことだ。

電子出版も、銀行のIT化も、要するにそういうことだ。

「事業」は「システム」に置き換わる、ということは、そういうことだ。それがいま、目の前で実際に始まっているのだ。私達人間は、これまで当たり前に続くと思っていた「事業」が「システム」に置き換わったとき、次の時代にはなにをすべきかを、真剣に考えなければいけない時代に生きているのだ。

 


 

スマートフォンの時代

もう20年以上前になるが、その時代はコンピュータでなにかする、というと、コンピュータの前に座る必要があった。モバイルのパーソナルコンピュータも「座れる場所」「電源」も必要だった。要するに、「コンピュータを使う場所は限られていた」ってことね。インターネットは普及を初めていたけれども「会社に戻ってメールします」の時代だったわけだ。

で、1999年末からdocomoが、移動体無線電話のデータ通信である「Dopa(Docomo Packet)」を元に、一般向けに「iモード」を始めて、「携帯電話」という「無線の電話」に、文字情報や絵の情報の通信ができる下地を作った。よく考えて見れば、これが「はじまり」だった。iモードって人間の歴史で初めて「人間が肌身離さず24時間電源を入れて持つコンピュータ」だったんだな。それまで、そういう考え方のものはなかった。ぼくはその頃のiモードの立ち上げの時期に開発の端っこのほうに関わらせていただいた。そして「おそらく、iモードのトラフィックは、Webよりもメールが多くなる」と予言したのだが、それは数年後にその通りになった。都内某所のPC9801の並ぶ「ポケベル」のシステムがその会議室に向かう廊下の途中の部屋で動いていたのを今も覚えている。

実際、メールのトラフィックはどんどん増えていって、Webでのトラフィックを上回ったのだが、最初の頃の携帯電話のメールでは、iモードの携帯電話でメールを受信できる文字数が限られていた。そのため、長いメールだと、後ろのほうが届かなかった。特にビジネスでのメールをすることが多い人にとって、それは不便だ、ということで、メール転送の仕組みを少々複雑にして、長いメールをiモードのメールで読めるように複数のメールに分割して読むことができるシステムを友人の助けも借りて、自宅のサーバーに作って動かした。そのとき、「夜遅く寝ているときにメールが来て起こされるのも辛いよなぁ」ということで、メールの転送時間制限などの仕組みも作って、総合的な「携帯メールお助けシステム」にした。かなり多くのユーザーが集まって、捌ききれなくなって、時々システムが止まったりすることもあって、使っている方には迷惑もかけました。すみません。という思い出も今は懐かしい思い出だ。

iモードはやがてiPhoneの出現によって、よりPCっぽくなった。そして、全てがインターネットに接続される時代が来た。今やインターネットが無い生活は考えられなくなった。今や、インターネットに接続されていないと、なにも動かない、という時代にもなった。

時代は変わって、今はiPhoneから始まるスマートフォンの時代だ。スマートフォンは「人間が24時間持って動かしている端末」の進化系だ。いま、次の変化をしっかりWatchしつつ、次の手を考えているところだ。次の「革命」は始まりつつあるのかもしれない、とだけ言っておこう。


 

電子書籍と紙の書籍・メリットとデメリット

電子書籍と紙の書籍について、あらためて書いておこう。電子書籍には以下のメリットがある。

  1. 書籍そのものを低価格にできる。(紙の本では数千円の本が数百円にできる)
  2. 脱稿から出版までの時間が短い。(現在のAmazonKDPでは約1日以内だった)
  3. 脱稿から出版までにかかるコストが低い(現在のAmazonKDPではゼロ)
  4. 著者印税率を高くできる。
  5. 少ページ数での低価格出版ができる。(通常の紙の本では200ページ以上が基準だが、現在のAmazonKDPでは数十ページからでOK)
  6. ネットの検索で多くひっかかり、衆目に素早くリーチする。
  7. 発行部数を気にしないで出版まで持っていける。
  8. 出版後に、非常に低コストで修正も可
  9. 書店での在庫切れや、地域によって本がすぐに手が入らない、ということがない。

紙の書籍のメリットは以下。

  1. それまでの社会が培ってきた「権威」がある。
  2. 読者の「モノを持つ」という「所有欲」を満たす。
  3. 作成の過程が多くの人の共同作業になるので、組織のまとまりができる。

電子書籍というものができた今、紙の書籍のメリットは電子書籍のデメリットを反対に読めばよく、紙の書籍のデメリットは、電子書籍のメリットを反対に読めば良い。だから、あえて、それぞれのデメリットをここには書かない。

どんな分野でもそうだが、今は古い時代と新しい時代の中間的なところにいて、それぞれの勢力がそれぞれの存亡を賭けて戦っている。しかし、時間は流れる。だから、新しいもののメリットが大きく、数もあるとなれば、新しいものに、みな流れは切り替わっていく。出版という事業は「出版社に頼るな、自分でやれ」という時代に、急激になりつつある。

私も自著を含めて、旧時代の「紙の出版」がすごく好きだ。だから、それがなくなることには、忸怩たる思いがどうしてもある。しかし、その変化は始まったのだ。「出版事業」は「出版システム」に置き換わる。これは、書籍という分野だけで起きていることではない。「出版」に、本を出す側の人間関係は必要なくなってしまったのだ。

 


 

「コピペで行ける!」の意味

「コピペ」で行ける!

「コピペ」で行ける!

「なんで三田さんみたいな人が、原理とか教えずに<コピペでいける>とかって言う本を出すのかなぁ?」と、言われたことがある。たしかに、ぼくはこの業界にはもう30年近くいて、一通りの技術や経営もなんとかなる。新しいものにもとりあえず対応する。でも、さすがにこの年令になってくると、次の世代の日本が心配になってくる。もっと、「作れる人」を増やす必要がある、と思い出した。

ぼくらが学生の頃からしばらく、まだ日本ではITという言葉を誰も知らず、インターネットという単語もなかった時代に、ぼくはコンピュータを始めた。その頃のコンピュータ屋といえば、「若いのに、暗い部屋でキーボード叩いていて。。。それじゃ女性にもモテないよ。なんていう青春を送っているんだ!」なんて言われた時期だった。インターネットの最初の頃の人たちにUCB(University of California Berkeleyとかスタンフォードで会った時代は、もう30年近く昔だが、米国にもしょっちゅう行った。「インターネットのルーツを探るバークレー詣で」だったんだなぁ、と今にして思う。

そして、日本の現状は「マイナス成長」の時代。人口減少はそのベースに大きく横たわるが、周辺の国や地域は、中国もどこもおおむねプラス成長である。「日本のITはどこ行った?」なんて叫んでみても、ベースがなくなっている。世界でのビジネスをするには「英語」「IT」「経営」がわかっていないと全く相手にされない。日本の多くの若い人は「英語」も「IT」も苦手だ。しかも、退職前後という世代の「先輩」は、このいずれもが苦手に育ってきた人たちばかりだ。こういう人たちをあてにすることはできない。

今の若い人と言わず、多くの人が「モノを作る」技術は必要ない、そんなものはどこにでもある、と言っているうちに、日本にはどこにもそれがなくなってしまった。まぁ、自分の本くらいでどうできるものでもないとは思うが、そろそろ、日本人もその「底力」を出すため、勉強を始めることが必要だと思うのだ。まずは勉強する自分自身のためだ。周りを見渡すと、この「失われた20年」では、日本がお金を失っただけではなく「お金を生み出す基礎」も失ったように見える。まずは、目の前のものを「触って」「動かして」「楽しい!」と思って、そして「身につける」「原理を知るため勉強する」という、そういう順序はどうしても必要だと思うのだ。そういうところに、日本という地域の大人や子供は再び立つ必要がある。

老人が自らのいる場所にあぐらをかいているあいだに、教育はおろそかになり、若い人間は育つ場所を失った。しょうがない。最初からだ。まずは基礎から、楽しいと思うことから、始めなくてはいけない。具体的に自分ができること。自分がITの技術を習得したその最初に立ち返って、まずは「うごかして」「楽しいと思ってもらおう」。そして「仲間を作って」「その仲間で生きていこう」と、そう思ったのだ。

人は人として生きるとき「道具」を作って生きてきた。それはいつか人が人として定義されるときに必須のものになった。「道具」を作っていく力はそのまま「人が生きていく力」である。それが目に見えるものであろうが、そうでなかろうが、関係はない。

「学ぶ」とは「まねぶ」である。それは「真似ぶ」であって、「真似すること」である。勉強の最初は真似でいい。勉強をしていないことを恥ずかしいと思う必要はない。今から、少しずつでもやればいいのだ。「コピペ」のキャッチはそこで考えついた。

 


Raspberry-Piの本、3冊目

Raspberry-PiでLPWAの通信をする本を書きました。

これまで、「全くの初心者向け」の「とにかく始める」本と、その続編で「インターネットの通信とセンサーをつける」本を書いたわけなんだけれども、どちらも初心者向け。今回は中級者向け、で、かつ「目的志向」じゃなくて「こういうこともできますよ」という感じ。この3冊を勉強してもらえば、あとはC言語そのものの学習とか、世の中にいくらでもあるそういう本やWebでなんとかなる、というところまで来ました。これで、Raspberry-Pi周りで「できないことはない」という感じになるかな?と思います。「Raspberry-Pi使いになりたい」という方は、この3冊を読んでいただければと。

 

 



 

SIMフリーの経済効果

私は2013年から日本国内でSIMフリーのスマートフォンを使っている。当然、SIMはMVNOの月額料金の安いもの。そして、IP電話を使う。だから、SMSは使えないが、電話には全く問題がない。結果として、それまでキャリアでかかっていた毎月のスマホの料金は、(当時でもかなり抑えていたと思うが)7千円だったものが、2千円くらいになった。月間で5千円のお得。年間で6万円が浮いた、という計算になる。

SIMフリーのスマートフォンは、日本国内でちゃんと許可が取れているものを買っているが、それでも8千円〜2万円くらいのものを使っている。

高く見積もっても、初期費用2万円、毎月の支払い2千円。

まぁ、普通にスマートフォンを使う、という程度であれば、このくらいの経済効果がある。

 


 

 

なぜシンプルな本を出すのか?

【電子出版時代へのプロローグ】
AmazonのKDPでこの半年に4冊の本を出した。私は1980年代終わり、まだインターネットもなかった時代に、C言語の本を出させていただいた。今でもAmazonの中古では出ている。当時はインターネットはなかったから、電子出版そのものが影も形もなかった。本といえば「紙の本」のことだった。編集者は「XXが書ける人」を探していて、ぼくもその波に乗った。その「XX」は、当時、比較的新しい言語だった「C言語」だ。そして、いまでも「C言語」はまだあちこちで使われている、現役の言語だ。もう30年近く使われているのに、と、私は思うけれども、Webで良く使われるPHP、人工知能で使われることの多いPython、Cにオブジェクト志向を入れ拡張したC#やC++、などなど、最近のコンピュータ言語はC言語をルーツとしたもの、と言っても良いのだから、これは正常な進化なのだろう、と思う。

【懐かしき「紙の出版の時代」】
私のC言語の本は、最初アスキーから、次はオーム社から出たのだが、累計では100万部を超えた。「米国の大学の図書館に日本人留学生のための本ということで、置いてあったよ」とか「上海で海賊版が出てきたので、買ってきました」などもあれば、多くの友人の尽力もあって、韓国で「日本人が著者の最初の大学教科書」にもなった。嬉しい限りだ。

【インターネットがすべてを変えた】
しかし、インターネットが軽々と国境を超え、軽々と人の社会階層をも超え、職業も超え、という時代。出版も「紙の出版社はどこも儲からない」という時代になり、やがてレコードがCDに代わったように、本も紙の本から電子出版が主流になっていくだろう、とも感じるようになった。多くの友人知人がKindleなどの電子書籍端末を持ち歩き、アプリやWebでも電子書籍は読めるようになった。それは社会人のみならず大学生や高校生まで使う時代になった。

【電子出版のメリット】
なによりも、電子出版では「版元」「印刷所」を「中抜き」することによって、大幅な書籍のコストダウンが達成されている。当然だが、紙の本にのみ関わる人は仕事を失う。永遠に変わらないものはないのだから、流れを意識したら、流れを乗り換えないと生きて行けない。そういうことに不器用であることは、そのまま死を意味する。残念だが、そういう時代なのだ。以下に、私が体験した「紙の本」に対する「電子書籍」のメリットを掲げる。

  1. 書籍そのものを低価格にできる。(紙の本では数千円の本が数百円にできる)
  2. 脱稿から出版までの時間が短い。(現在のAmazonKDPでは約1日以内だった)
  3. 脱稿から出版までにかかるコストが低い(現在のAmazonKDPではゼロ)
  4. 著者印税率を高くできる。
  5. 少ページ数での低価格出版ができる。(通常の紙の本では200ページ以上が基準だが、現在のAmazonKDPでは数十ページからでOK)
  6. ネットの検索で多くひっかかり、衆目に素早くリーチする。
  7. 発行部数を気にしないで出版まで持っていける。
  8. 本屋での在庫切れなどを気にする必要がない。

【それでも思いは残る。紙の出版の時代】
紙の時代の出版は、「書籍」というのは、著者と編集者、編集者を支える出版社、取次店、そこに働く人、出版社の営業の人、などの「共同作業」だった。著者というのは、そういう人たちの中で生まれて育った。著者とは、そういう人たちを代表して表に名前の出る人のことだった。だから、そこに人間関係も生まれ、豊かな人間関係ができた。毎日、打ち合わせと称しては人と会って話をする。とにかく楽しい世界であっただけでなく、その所作の1つ1つが出版という事業のためであり、お金を生んでいた。一言で言えば「豊かな社会」の1つだった。いつだったか、出版社の営業の方に「三田さん、あの本、あちこちで営業させてもらいました」と、声をかけてくださったことがあった。その方をそれまで個人的に知っていたわけではなかったのだが、その言葉に感謝の気持ちで胸がいっぱいになったのを、今でも思い出す。だから、私も紙の出版の時代に未練がないわけではない。でも、時代は変わった。

皮肉なことに、私の著書で「C言語」を勉強した人たちが、インターネットを作り、普及させ、インターネットが全てのそれまであった出版の秩序を壊した、とも言える。自分で自分の寄って立つところを壊したような、そういう感じもないではない。しかしながら、それは時代の流れの必然であって、自分がやらなければ、誰かがそうしただろう、ということでもある。いや「自分がそうした」などというたいそうなことではない。そういう場に私は呼ばれ、その役目を果たしたのだ。ただ、それだけだ。

【なぜ電子出版を?】
正直なところ、その営業の方の顔や、出版社の部長の顔、編集者の方の顔がちらつかなかったといえば、嘘になる。それまで関わってきた友人知人のみんなが、怒るだろう、悲しむこともあるだろう、とも思った。しかし、時代は変わり、人間社会の知の伝達ということでは、どうあがいても電子出版が主流の世の中にならざるを得ない、というところまで来たように、私には思える。この時代の流れの必然として、この半年に出した本は、電子出版のみにした。しかし、そうは言っても「紙の本」が死んだとは思わない。まだまだ、紙の本を愛する人やそれに慣れ親しんだ人は多く、電子出版を皮切りにしたけれども、同じものを紙の本にするのはやぶさかではないのだが。なにせ今は「過渡期」であって、完全に切り替わるにはまだ時間はかかる。

【紙の本のメリット】
紙の本にもまだメリットはある。

  1. それまでの社会が培ってきた「権威」がある。
  2. 読者の「モノを持つ」という「所有欲」を満たす。

つまり、紙の本のメリットは、これだけしかない、とも言える。しかし、コストは明らかにこのメリットに勝る、という時代が目の前に来ていると、私は思う。世代が変わると、それまでに培ってきた権威などは見向きもされなくなる。むしろ反発さえされることもあるだろう。さらに、「モノ」の「所有欲」そのものが全体的に減退している。レンタルなどが流行る。必要なときだけ、必要なものが目の前にあればいい。できるだけ安価で。そういう時代だ。

私は「前の世代」を知っている。その只中で仕事をしてきた。だから、次の世代への橋渡しの役目も負っている、と自分では思っている。いまここに、次の世代の変わり目を見せることに対しても、そこに意味を見出すのだ。

【電子出版されるものの性質はどうあるべきか?】
紙の本では「ページ数は200ページ以上」などの制約があって、著者としては、書きたいことの中身を語り尽くしてしまったあと、「まだページ数少ないんですけど」などと編集者からダメ出しされることがけっこうあった。著者としては、これ以上のテンションを物書きに費やすことはできなかったりして、適当なコラムなどを挿入したりしたが、そうなると、本そのもののテンションは低くなってしまう。しかし、電子出版では、書きたいことをしっかり書いたら、それで終わり、にできる。ページ数が少ないぶんは、価格を低くして調整できる。

また、ネットで本が検索され表示されるときには「表紙デザイン」「本の表題」が重要だ。本の内容がシンプルでわかりやすくできるのだから、「この本にはたくさん詰め込んでいます」というようなごちゃごちゃした表紙デザインで良いわけがない。だから、私の場合は本の表題をわかりやすくし、表題は長めだが、一気に読めるようにした。加えて、真っ白で余計なものを廃した表紙デザインにした。このほうが、ごちゃごちゃ凝ったデザインよりも「目立つ」のは明らかだ。キャッチーな表題は本の中身を表すのではなく「どういう人に読んでほしいか」「読んでほしい人がピンとくる表題か?」というところに、主題を置いた。表題のキャッチコピーのコピーライターや表紙などのデザイナーも「中抜き」の時代なのかも知れない。

電子書籍の時代。私はその流れを、いま、感じている。

こんな時代の電子出版の著者は、「書いてみんなに知らせたい」という強い意思と、「こういうことを書きたい」というテーマがより重要になる。「本を出すこと」に意味があるのではない。「何を書くか」にこそ、意味がある。そういう時代に変わった。