「Windows10無料アップグレード」をお金に換算してみる

Windows10の1年間の無料アップグレード期間が終了しWindows10の最初の正式なDistributionである「Anniversary Update」が配信されている。これまで無料版で人柱になっていただいた生け贄の方には、さらなる無料配信となる。とは言うものの、生け贄の数はそんなに集まらなかったらしく、Anniversary Updateでも、なぜかバグが多く、カメラが動かなくなった、など、トラブルが非常に多く報告されている。わざとやってるのかな?と思わないこともないが、ここは心優しく、「きっとバグなんだろうな」ということにしておこう。やはり生け贄は多いほどこういうものは良くなっていくわけだが、それが足りない、という事態となった、というのが本当のところだろう、と、ぼくは勝手に思っている。

この1年間、Windows10のUpgradeで多くのユーザーの資源、特に時間という貴重な資源が世界中で失われた。しかし、そのぶん、それらのユーザーには無料でWindows10をもらえる、というメリットがあったわけだが、実際、今の2万円に足りないくらいのWindows10の価格に見合う、あるいはそれ以上のメリットを得た「無料ユーザー」はどれだけいるのだろうか?

ごく大雑把に言うと、Windows10にUpgradeされたために、その人の仕事が1日滞ったとしよう。Windows10無料Upgradeをした人は、だいたい1日の出張などでもらえる日当が4万円くらいだとすると、4万円を失っていることになる。しかし、得られたのは市価2万円前後のWindows10である。差し引き、無料Upgradeしたユーザーは2万円の損をした。一方で、Microsoft社は2万円の得をした、ということにもなる。ここで「無料UpgradeしたユーザーはMicrosoft社に2万円を騙し取られた」などと過激なことは言わないのが、私の奥ゆかしいところである。が、そこまで給与をもらっている人は日本人ではどれくらいいるだろうか?と、日本人の平均年収なるものを調べてみた

これを見ると、日本人の男性の現在の平均年収は約500万円だ。これを月収で見ると、約42万円。毎月20日稼働だとして、一日あたり2万1千円。なるほど、Windows10の価格が約2万円で、それが無料になる、という「Windows10無料Upgrade」は、それなりの値段だった、ということでもある。なお、ここまでの計算は「税別」である。

「お金」で見ると、Windows10無料Upgrade、というのは、つまり、そういうことだったのだ。これを「騙された」と見る人もいるかもしれないが、年収の少ない人にとっては「得をした」ということにもなる。なかなかお金で換算するのは難しい。

「シャイロック!お前もか!」

とか言ってみたくなるわけだが、しかし、ここまでAnniversary Updateでバグや苦情がまだまだ多かったということは、結局、1年間の「無料アップグレード」の成果は思った通りには上がらなかった、ということだろう。無料に飛びついたのは、平均以下の低所得者ばかりであったとしたら、さらに目も当てられない。商売には困難がつきものだ。

 


ITは「Fool Proof」を思い出せ。それが次世代のアプリを作る要になる

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最近のITは、どうも違った方向に行っている、とぼくは個人的に思っている。たとえばスマートフォンだが、スマートフォンは人類が初めて持った「肌身離さず持って動作している端末」である。各種センサーも揃っていて、良く知られている「カメラ」「GPS」のみならず、地磁気を利用して傾きとかを検出するセンサー、揺れを検出するセンサー、などなど、私達が普通知っている以上の多彩なセンサーを搭載している。しかも通信機能も必ずついている。「各種センサー」「通信機能」のほか、住所録のデータベースなども完備している。クラウドで背後には「人工知能」まで備えている。これでなにが不足なのか?というくらい、センサーなどの機能はこれでもかと言う種類が接続されているのが普通だ。

つまり携帯端末の「手足」になる部分は、間違いなく、現在考えられるほとんど完璧なものが揃っている。言い方を変えれば「スマートフォンは自分以上に自分を知っている存在」である、とも言える。

自分以上に自分を知っている「スマートフォン」は、なにかに似ている。深夜に飲み会から帰宅して爆睡しているぼくに、「仕事に行く時間でしょ!」と強引に起こしてくれる、見方を変えれば煩わしい「母親」。危険を事前に察知して、家族を大きく包んでくれている「父親」。人間関係で悩んでいるときに、場末の飲み屋街であれこれとアドバイスをくれる「友人」。スマートフォンとは「母親、父親、友人」になれる。そういう潜在的な能力を持っている。スマートフォンとはそういうものでもあって欲しい、とは思わないだろうか?それは「道具」ではない。人間のようなものだ。

今から20年以上前、人間の身の回りのことを機械にやらせる、ということが流行ったことがあった。これは米国から来た流れである。当時は「オートマトン」などの呼び名でそれは呼ばれていた。一方、今私達が普通に使っている腕時計、これはほとんど「防水」である。「防水」のことを英語では「Water Proof」という。そして、この「Proof」という単語を使って、「サルでも使える」ものを「Fool Proof」と言うのだ。この「Fool Proof」」は多くのところで私達の周囲に広がる気配を見せていた。

しかし、ある時点から「Fool proof」の文字が私達の前から消えた。コンピュータ、特に個人が使えるPCの出現あたりからだ。PCそのものがまだまだの性能であった時代、また、手軽で安価なセンサーも整っていなかった時代、コンピュータは高いお金を使って、金持ち企業が使うものだった。コンピュータやスマートフォンはそれを持つ能力や努力によって、はじめて役に立つものになる、というのが当たり前になった。たとえば、スマートフォンが起動すると、次にFacebookを起動する。Facebookが起動したら、今度はFacebookを使うために、Facebookの使い方を訓練しないといけない。なぜ、こんな便利なものが揃っている世の中になったのに、まだまだ「努力しろ」と、ぼくらは言われなければならないのか?

なにかおかしくないか?

たとえば、あなたが街中で一人、突然の病気で倒れたとしよう。周囲の人はもちろん気がつくだろうが、その周囲の人もいなかったら、どうしようもない。スマートフォンはこんなとき、あなたの身体の動きが全くないことを検知して「大丈夫ですか?」と語りかけてほしい。そこになんの反応もなければ、スマートフォンは自らの通信機能で、あなたになにかが起きたことを、警察や肉親、友人に、自らの持つ電話帳から電話などをしてほしい。だって、スマートフォンはそういうことができる「センサー」「通信機能」「CPU」をみんな持っている。できないわけがない。

そうは思わないだろうか?

今のスマートフォンのままでは、私達は永遠に新しいものが出る度に訓練を重ねていかなければならない。それが「利便性」なのだろうか?

これらの疑問から、私は韓国の大学の教授でいたとき、この2つのスライドをまとめた。

私が考える、これからのスマートフォンとは、こういうものであってほしい、という内容だ。

スマートフォンをショップで買うと、何の設定もなく、あとは胸のポケットにそれを入れておくだけで、必ず役に立つ。自分で成長してあなたを助ける。そういうもので、スマートフォンというのはありたい、と思うのだ。いま、ハードウエアのテクノロジーとしてのそれは準備万端である。あとはそういうソフトウエアを書くだけだ。

ぼくらは再び「Fool Proof」に戻らなければならない。それが人間を助ける存在としてのITのあるべき姿だろう、と、思うからだ。

 


やっぱり「すべての人に」プログラミング教育は必要?

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以前、ぼくはこういう記事を書いたのだが、相変わらず、プログラミング教育はすべての人に必要だ、という話があちこちにある。まぁ、多勢に無勢だから、ぼくの言ってることは少数意見なんだろうな、とは思うのだが、ぼくも日本の高度経済成長期に大きくなって、「日本人はみんなこうしなければならない」みたいな教育をいっぱい受けてきたから、まぁ、そういうことってあるんでしょうね。でも、日本の公教育でも「落ちこぼれ」の問題がかつてあったんだね。つまり、授業についていけない子供がいっぱいいるんだけど、どうするの?みたいな話ね。

日本の政府が主導して行う公教育ってのは、そのときどきの世界の情勢にあわせて、国というまとまりの価値をいかに最大限にするか、という観点を中心にして行われているのは、言うまでもないわけで、ぼくが子供の頃ってのはまさに工業生産の時代で「高度経済成長期」だったから、要するに工場の工員をいかにたくさん作るか、っていう教育だったんだな。で、ひと握りの優秀な奴は「工員」から昇格して「現場監督」ができるように、っていう程度の教育だった。子供心に「あぁ、ここじゃおれはやっていけんなー」と思って、学校の勉強がつまらなくなったんだな。高校では英語で赤点とったし。それでも、ぼくは韓国で大学教授したんだな(しかも英語で教えていた←信じられん)。人生ってわからないよな、と思うわけですよ。あ、脱線。

でも、出席だけはちゃんとして、学校は大学まで卒業したけどね。当時は同年代の「大卒」って、その年代の1/3はいたんだな。だから、まぁ、こんなもんかいな、でも、世の中変わったら大変だし、その気配もあるよなぁ、と思ったので、まだほとんどの人が手を付けていなかった、コンピュータを始めたんですよ。主に大学出てからだけどね。コンピュータと通信についてはインターネットがまだなかったうちから事業にした。そのうち、インターネットの時代、ネットワークの時代になったから、まぁ、そろそろ最先端はいいや、って気になったこともあったね。ぼくが「もういいよ」って言いはじめると、世の中で流行るんだよ。まったく、最先端を走るって、こういうことだよな、とか自分で納得したりするんだけどね。手前味噌ね。

で、本題の「プログラミング教育」の話だが、「すべての人に」というと、必ず向き不向き、って出るし、それが人間の個性というもんだし、落ちこぼれ(前は意図的に創りだしていたから「おちこぼし」って言い方もあったんだよなby遠山啓先生)も当然出てくる。こういう負の部分を語ってなお、「全員にプログラミング教育を」というのは、なにかしら、他の意図があるんじゃないか、って勘ぐっちゃうわけですよ。かつての公教育のときは「おちこぼれ」と言われる人は意図的に作られた、という面もあったわけですよ。だってさ、全員が成績優秀じゃ困るわけですよ。現場の社会ヒエラルキーが作れない=組織のまとまりを作れない、からね。だから、「わかりやすい、誰にでもわかる教育」って、あまり広まらなかった。これが日本の教育の本音と建前なんだな。

ということでね、「全員にプログラミング教育を」ってのは「プログラミング教育」に力点があるんじゃなくて「全員に」に力点が置かれているんじゃないか、と、ぼくは勘ぐっているのね。つまり、日本の教育における新しい組織の秩序とそのベースになる価値観=序列を作ること、を、本当は意図していて、それを隠しているんじゃないか?ってことね。結果的に必然的に「落ちこぼれ」ができて、「序列」ができて。。。。という、戦前から戦後まで日本人は変わらんねぇ。

とは言うものの、世の中は全体的に価値観多様になったのは日本だけじゃないし、人類の発展も全くパラダイムの違う多様な価値観の中からしか生まれないと思うんだよね。だから、いまさら、組織のヒエラルキーを作っても、それがあまり意味を持たない時代になったんだな。でも、それまでの時代の優等生はそうは言われてもなにしていいかわからないし、自分の信じてきたものを否定されても困るよなぁ、ってことで、「ゆとり教育」って言って、これまたまるで新しいパラダイムシフトなんかわかりようもない現場に丸投げしちゃって、教育現場がワケワカになっちゃったんだね。教育は大切ですねぇ。

ぼくもこれまで人並み以上に多くの人にコンピュータのプログラミングを教えてきたけど、人って個性ありますよ。その個性にあわせた教育が日本という地域の発展を作るんじゃないか、と、ぼくは思うけどね。だから、プログラミング教育ごときで、自分の人生を考えないでほしいな、と、ぼくは思うわけですよ。

「おれ、BASICの成績悪かったから、地元の高校進学できないかも?って思ってるんだよ」

なんてのは、やめたい、ってことだね。そうやって若者の自信喪失を誘導しても、日本国、地域にとって、なにもいいことはない、と思うんだよね。Aの道もあるけど、Bの道もあるよ、って示して、本人に自信をつけてあげて、生きる力を沸き立たせるのが、本来の教育ってもんだと思うんだけどね。ぼくはね。

 

IoT機器のセキュリティ対策って?

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最近、IoTの仕事が増えていて、いろいろとセミナーをすることも多いのだが、必ず聞かれるのが「セキュリティはどうなのか?」ということだ。私はこのIoTの仕事を長年やっているし、実際の現場はいくつやったか忘れたくらいやっている。また、2012年から2年間は韓国の大学でITのことを教える教授でいたのだが、そのときの専門はセキュリティだった。ネットワークで接続されたコンピュータのセキュリティは自分の専門の1つといっていいのだが、実は、IoT機器のセキュリティは、なにも専用のネットワークライブラリを使うまでもない、ということが非常に多い。実際、特にセキュリティ関係のライブラリや別システムを使わなくても、実績としてハッキング被害などにはあっていない、という実例はたくさんある。

最近のIoTの要のノードとなる小さなコンピュータには、Linuxなどが動くものを使うことが増えてきたのだが、実際非常に便利だ。マルチタスクは当然なので、動作中にそのコンピュータにログインして、通信前のデータの値などを直接モニタする、などのことが簡単にできる。しかし、それが簡単にできる、ということは、一方ではそのコンピュータはインターネット用のサーバーと同じもの、ということでもあって、セキュリティはしっかりと設定しておく必要がある。不要なポートは開けないとか、sshを使うにしても、22番ポートは使わないとか、データベースなどを使っているときはそのポートは開けて置いても、データがsshなどで暗号化して動くようにしてあるとか、あるいは独自の暗号化システムでガードする、などはごく当たり前に行われている。

加えて、TCP/IP上でのデータのやりとりも、独自のシステムで暗号化して、どういうデータがやりとりされているかを、Snifferなどで、モニタしても意味がないようにするとか、ごく当たり前のことをしていれば、まず問題はないはずだ。むしろ、暗号化の方法が一律であるなどのメーカー製のよく使われるセキュリティシステムやライブラリを使うと、それこそハッキング被害に会いやすくなってしまうと思われる。

要するに、IoTのセキュリティを守る、というのは、こういった機器を作る側としてはごく当たり前のことだ。いまさら、大声で言うのは、そういう仕事を増やして余計なお金にしたい、という意図が大きいのではないか?と、ぼくは疑ってしまう。ネットワークプログラマとして、あるいはシステム管理者として、当たり前のことをしていれば、こういったセキュリティ対策は95%は間違いなく達成される。

「IoTは商売になる」ということで、有象無象がこのキーワードに群がっているが、一番大切なのは、「なにを作ったら世の中の役に立つか」ということを考えることであって、重要なのはそういうことを考える仕事そのものだ。ものを作らないうちから、セキュリティのことを言っても始まらないだろう。まずは「なにを作るか」の目標を設定し、その中で、セキュリティを言うべきなのだが、それだって、通常はプログラマのレベルで充分に対処できることのように思えるのだが。

つまり、IoTのシステムにとって「セキュリティ」とはプログラマレベルでの仕事の「常識」であって、それ以上のものではない。ましてや、実際にコードを触らない人間が云々しても、ほとんどの場合は無意味だ。せいぜいがプログラマに「セキュリティはちゃんと考慮するようにプログラムを書け」というだけで充分なはずである。

特にTCP/IPのソケットライブラリを直に触ることの多いIoTのシステムでは、メールなどでのウィルスやマルウエアの感染経路そのものが通常は存在しないわけで、脅威を受ける入り口そのものが少ないはずだ。そこで、使っていないポートを閉じることや、接続先を限定すること、そして、プロトコルをSnifferなどで見てもわからないように暗号化する、というだけで、ほぼ充分であるように思える。むしろ、良く知られたメーカー製のセキュリティライブラリを利用することによって、ハッカーにも良く研究されているであろうそういうシステムの利用は、むしろセキュリティ的な脅威を増すばかりだろう。


台風の出社

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台風のときだって、地震のときだって、日本の企業はその日は休むことがあったかもしれないが、 何事もなかったかのように、仕事に出ていた。最近はそれをわざわざ取り上げる記事も出てきた。今日も朝9時前後の恵比寿駅前は通勤の人でいっぱいだった。おそらく、晴れているときと人数は変わらないだろう。ただ、あまりの強い雨脚に、お店の庇の下で休んでから仕事場に向かう、という人もいたが、「そういう人もいた」という程度の話だった。2分もたつと、その人達も傘をさして仕事場に向かっていた。

台湾では、台風が多い。なにせ「台湾」の季節の天気だから「台風」と言う、という話もあるくらいだ。その台湾では、こういった極端な荒天のときは、政府が決めて臨時の公休日になるようにしている。これはこれで、こういう地方には合理的な考えではあると思う。日本も熱帯化している、という話もあり、また、昨年などは東京は台北より暑かった、という日もあった、ということだから、日本でも「荒天公休日」は設ける必要があるのかもしれない。

さて、こういう天気のとき、会社を休む、というのも、そろそろ、日本人には必要なのかもしれない、と、私は思っている。なにせ、日本にはどんどん仕事がなくなっており、働くだけ大変なばかりで、実入りは少ない、という、そんな時代になってきたからだ。日本で売れているiPhoneだって防水ではない。水濡れで壊して、修理代がかかって、などというのも避けたい。私はAppleものは持たない主義なので、スマホには防水のものも持っていて、こういう天気のときは防水のスマホを優先して使う。

時代は変わる、というが、このところは天気などの自然現象もこれまで通りとはいかなくなってきた。どんな天変地異があるかわからない。荒天休暇。それはそろそろあってもいいんじゃないか、と思うのだ。

 


IT業界のキーワードはこんなふうに変遷している

鉄腕アトムの頭脳は「電子頭脳」だったわけで、要するに「人工知能」と同じもののことを言っていたんだな。イメージ的にはね。それにしても、ITの業界のこういった「流行語」は、これまでいろいろ変化してきているんだが、その本質をちょっと解説しよう。
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まず、1980年代後半くらいだと、「マルチメディア」とかって流行ったわけですよ。この頃のキーワードはITという言葉もなかった時代なんだが、米国からやってきた横文字のキーワードをそのまま日本のマスコミでありがたがって使っていて、なんの問題もなかったんだね。そして、2000年くらいに「IT(Information Technology)」だよ。つまり、この頃までのキーワードは「名は体を表す」だったから、キーワードを聞けば、とりあえずなんらかのイメージが浮かんだんだな。「マルチ」「メディア」だから、メディアがマルチになるんだな、くらいはわかったわけですね。
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そして、2000年を超えてくるあたりで、IT業界のキーワードがかなり変わってきた。たとえば、「Web2.0」なんてのがその代表だが、こうなると、もうキーワードを聞いただけじゃ、中身がわからない。「Web」の「2.0」。ははぁ、次世代のWebのことだね、まではわかるんだが、それが具体的にどのように変化するかは、キーワードだけでは、全くイメージできない。「すげぇぞ」あるいは「すげぇのが来るぞ」くらいな感じしか受けないわけですよ。もうね、「すげぇ:って言われても、なーんにも驚かないもんね」みたいに構えちゃうよねぇ。なんだか、押し売りのセールストークみたいになってきたわけだ。「このゴムひも、すごいんです」って言われているような、そういう感じ。
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で、現在のIT業界のキーワードは「IoT」「人工知能」かねぇ。ぼくは様々な日本の名だたる大企業の工場のシステムとかをずいぶんやってきた。もちろん、ぼくが全部引き受けたわけでもなく、そういう規模でもないわけで、そのシステムの「部分」をやっただけだけどさ、それでも、今のIoTと全く同じことはその工場の中で動かしていたし、僕らも作ったしね。世界ネットワークも動いていたしね。たとえば、1990年くらいかな、ぼくが仕事でシステムを作りに行った某社の工場では、ロボットが広い工場の敷地をあちこち走り回って、資材や工具を運んでいたわけですよ。人が目の前を横切ると、ロボットのセンサーが人を検知してその人が通りすぎるまで待っている、なんてのは当たり前だった。つまり、今、IT業界で流行っている「IoT」「人工知能」なんてキーワードは、既に一定以上の成果が20年近く前にはできているものばかりでね。ぼくはこれらのキーワードを「リバイバル・キーワード」って言ってるんだが、今はそういう「リバイバル」の時代なんでしょうね。つまり、ちっとも先進的じゃなくて、悪く言えば「蒸し返し」なんだな。
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でも、20年以上前と今が違うこともある。価格だ。最近はコンピュータ機器の価格が劇的に下がっていて、通信料金もまた劇的に下がっているので、そういうものが一般の消費者にも行き渡って来る下地ができた、ってことなんだな。かつては数億円したコンピュータが数千円で手のひらに乗る。かつては毎月数百万円かけた通信料金が今は数千円で済む。もちろんコンピュター機器が食う電気の電力も下がっている。そういう時代の変化が、コンピュータの利用を広げているんだな。かつては大企業しか導入できなかった生産管理システムを、おじいちゃんの町工場でも使えますよ、ってことですね。
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で、にわか仕立てのなんにも知らない「ITジャーナリスト」って、そういう20年以上前のことって知らないんですよ。だから、「世界ではじめて」なんて言って、恥かくわけです。iPhoneに指紋認証がついた、って大騒ぎしたときも、この手の質のあまりよろしくないライターは「業界ではじめて」なんて表現を使って、恥かいたわけだね。iPhoneより先に、スマートフォンに指紋認証をつけたのは富士通でさ、それを知らなかったんだね。で、クレーム受けて「ごめんなさい」したことがあったのね。これは昨年の話だったかな?これは数年のスパンの話であって、20年とかのスパンの話じゃなくてもこうだからね。最近のITライターは「先天性健忘症」を患ってる人が多いのかね。若いのに、病院通いは辛いだろうなぁ。
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ということで、ITの業界のキーワードは、(1)「名は体を表す」の時代から、(2)「抽象化でよくわかんない」に変遷し、今は(3)「古いものを新しいものと錯覚させる」という、そういう本質的な変遷を経てきたんですよね。「騙されるな」とまでは同じ業界の人間として言いたくはないけど、温故知新で歴史を大切にして欲しいよな、とも思うわけです。いや、これは日本のIT教育とかがそういうことを怠ってきた、ということでもあるので、他人のせいじゃなく、ぼくらのせいだ、ということでもあるんでね。困ったことですよ。
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iPhoneは日本で作っているわけではないのだが。。。

Rainbow20160819-2こんな記事があったので、読んだのだが「まだ、製造業に携わっていない人の感覚ってこんなもんなのかなぁ?」なんて思ったりしたのです。というのは、日本の部品メーカーがiPhoneはじめ、多くのスマホとかタブレット、PCの部品を作っている、というのは、昔から非常に良く知られた話だと言う以上に、日本以外の国からも部品なんて調達しているものなんですよね。で、iPhoneの場合はその多くが中国の工場で最終組み立てをする、というわけですね。最終の組み立ては非常に細かい作業があって、どうしても人間の手でやらなければならないので、人件費が安い中国のメーカーに頼んで作ることが多いんですよ。

つまり、iPhoneは規格と設計は米国でやるんだけれども、部品の調達はどこの国からもやる。日本はその一部に過ぎない、ってことです。また、日本で作られたものだけが品質が良い、ってこともありません。部品メーカーはかなり買い叩かれるので、利益率は非常に低い。某所である部品についてお聞きしたところでは、iPhoneなどの部品の利益率は数%くらい。で、iPhoneを売った利益の大きなところは、やはり製品を企画し設計したApple社が持っていくんですよ。

部品の調達だけじゃなく、表面の超硬ガラスの縁のところの丸い加工をする工作機械とかって、これがまた、精密さを要求される高価な工作機械で、これも日本製が主流。そのガラスは米国コーニング社の「ゴリラガラス」が使われている、ってのは有名な話。さらに、できあがった製品を箱詰めして出荷するまで置いておく倉庫はたいていはコンピュータ制御の「自動倉庫」なんだが、これも市場シェアの大きな部分を日本製品が占めているんだね。でも、製品の機能のコアとなるハードウエア、半導体は日本製ってことはもう今の時代はなくて、現在は台湾のTSMCとか韓国サムソンとかで作るわけです。こういう部品の調達とか製造とかって、政治はまず関係しない。あくまで、お金。安くて品質が求めているもの以上であれば、どこの国のどのメーカーの製品でもさっさと調達して中国に運んで、中国の工場で作るんですよ。こういうのを「国際サプライチェーン」と言って、今の製造業では当たり前のことなんだね。

韓国サムソンのPCも、シャープの買収で話題になった台湾が本社の鴻海精密工業の中国工場で作るわけです。実は製造業の世界では、鴻海とサムソンは競合しているライバルどうし、ってこともあるんだが、それぞれの事情が合えば、こうやって簡単に手をつなぐ。これは日本のメーカーでも同じなんだよね。ちなみに、鴻海の中国工場で働く人達は100万人以上いるらしい。鴻海は世界最大の製造業で、その一部ではiPhoneも作っているしね。国際サプライチェーンの中で製造業者が生き残る、ってのはすごく大変なんですよ。

だから、今の時代は「この製品はどこの国製」ってのは、ほとんど意味がない。「iPhoneの部品の重要なものは日本で作ってるんだって。日本の技術はすごいなー」というのは、まあ、素人ならそうやって喜んでいればいいんであって、実情は安くて品質がいいのであれば、日本の企業のものでなくてもどこでもいい、ってことです。それにスマホの製品としてのライフサイクルはせいぜい4年。4年持てばいいわけで、であれば、なにも最高品質のものでなくてもいいわけです。一定以上の品質で4年持てばいい。その中でできるだけ安いものをブランド・メーカーは探すわけです。

普通の消費者の素人はこういう製造業の裏側を知らないから、Appleというと米国製だと思ってるけど、あれは中国製がほとんどだし、サムソンのスマホもSONYのスマホも全部今は中国製です。iPhoneの製造ラインの隣で、Xperia作ってたりします。これは製造業であれば、なにもiPhoneではなくても、服とか食べ物とかでもみんなそうなんですよね。今さら、知らないにもほどがあるよなぁ、とこの記事を読んで思うのが、25年以上、製造業でITの仕事をしてきた僕なんかが言うことなんだけどね。