この国の「技術」は高齢者が抱えたままあの世に持っていく

日本という地域は、かつて製造業の国だった。「技術立国」などと言われた時代もあった。しかしながら、そういう時代は1970年代~2000年代でほぼ終わりを告げた。日本という地域での製造業の歴史はそろそろ終焉のときを迎えようとしているかのように、大手電機メーカーの度重なる外資の買収を私たちは目の前に見る。生き残っているのは、Panasonic、トヨタなど、海外での事業を積極的にしてきたところだけだ。既に日立の役員会は英語で行われている、という話もあった。外資が大きく入ってくると、当然そうなるにきまっている。

「日本発」の製造業はあっても「日本の製造業」はなくなってきている、というのが正直な実感だ。これは製造業だけに限らず、土木・建設業なども含めた「モノ作り」と言われている産業全般に言われていることだ。これらの技術者で優れた技術を身に着けた人たちは、ほとんど定年退職の時期を迎えており、私の周りでも、そういう人たちがぼちぼち出てきている。私の上の世代の人たちはバリバリの現場の技術者だった人ばかりだが、既に退職している人も多い。

こういう人たちは、再就職をするときは海外、特に中国の企業だったりすることが多く、そうでない人は、退職後に退職金で余生を暮らしているが、そういう人は少ない。日本の国の政府自身にお金が少なくなっている現状では「年金」などもどうなるか、まだわからない。「技術の流出」と人は言うが、それぞれが食っていくためであって、それに否を言うことはできない。そして、「必然的に」日本の技術は海外で生き延びていくだろう。「技術」は会社というゆりかごの中で作られ、それは結果として「人」につく。そういうものだからだ。そして、人は食って生きていかなければならないし、人は年老いていくし、やがて死んでいく。そういうものだからだ。

日本は「モノ作り」の時代を終えた。モノ作りを必要としている他の国に、「技術」を抱えた「人」は行く。食うために。それは農地を求めて広い土地を転々とする焼畑農業に似ているかも知れないし、牧草地を求めて広い土地をこれまた転々とする、牧畜に似ているかもしれない。

結果として、技術とそれを持つ人、それを職業にする人は地域に縛られる生き方はできない。

この重要な点を抜きにして「日本という地域の再生」はありえないだろう。逆に言えば、この国の「モノ作り」の再生は、ここに肝がある、とも言える。

 


台湾と日本とのつながり


 

思い出したので、書いておくけれども、台湾と日本とのつながりというのは、非常に深い。お隣の韓国とは「大陸つながり」であって、こちらも深いのだが、少々意味が違う。まず、日本人というのは、大陸から来たモンゴル系の人と、南方から来た太平洋の海洋人の混血だ。台湾人も、朝鮮半島を介していない代わりに、非常に大陸から近い狭い海峡を渡ってきている人と、南方から来た人種の混血であって、日本人とその始祖が近い、と言われている。日本のアイヌの民族衣装と、台湾の少数民族の民族衣装は、似ているところ、特にカラフルな色使いなどが似ているが、これは同じルーツから来たものだろう、と思わざるを得ない。あくまで、自分の経験にもとずく私見だけれども。

そして、近代になって、「国」の形が次第にできてくると、台湾は大陸を支配していた「中華民国」の一部、どちらかというと「田舎」、というか「僻地」扱いだったわけだが、この中華民国の人たちは「漢民族」ですね。で、「中華」は「中央にある華(花)」という意味。とても誇り高い。でも台湾の先住民は、その昔、清(これは260年続いた「満州族」の国家)の時代にあって、主に福建省の人たちが開拓で台湾に送られ、その人たちが台湾で「混血」となった結果。この人たちが台湾で言うところの「本省人」の元なんですよね。このとき、海流の激しい台湾海峡は海難事故が多くて、台湾に開拓のためにわたってきたのは、男性が多く、現地の女性と結婚する例が多かったんだな。これが本省人の元と言われています。この話は大阪にいらしていた「呉」さんという、「自由時報」の会長から日本語で話を聞いたんだけどね。もう故人になられました。。。。そのときのエピソードはあるけど、ナイショ。

1911年に、中華民国が設立。辛亥革命の後。この革命のための資金調達に世界中奔走したのが「孫文」。彼は世界中回りすぎて、中華料理はほとんど食べていないのだとか。で、彼は日本での支援者も多く、戦前の右翼の巨魁と言われ、伊藤博文にも大声で意見したという「頭山満」、首相になった「犬養毅」なども支援者。早稲田大学の隣の鶴巻町という街に頭山の豪邸があって、そこに孫文が匿われていたこともあったという。つまり「中華民国」人脈というのは、日本の右翼と深いつながりがあった。これは今も続いてるね。孫文は都合10年以上日本にいたとのこと。

1949年に大陸中国を支配していた「中華民国」が、大陸から追い出され、台湾に臨時政府を作ったわけで、この人たちは「中国共産党」に殺されかかったわけだから、「共産党嫌い」なんだな。この人たちが台湾に後でやってきた人、ということで「外省人」と呼ばれるわけです。「本省人」にとっては、「外省人」なんていい迷惑、という面がけっこうあるわけですよ。後から押しかけてきたんだから。しかも2年前の1947年には、「2.28事件」という、本省人の大虐殺を行った政府が来たわけでね。そりゃ、本省人にとったら受け入れ難い。でも、受け入れた。

で、今の民進党の蔡英文さんは、本省人系だし、民進党という政党も本省人系なわけですね。だから、大陸中国の共産党とは仲が悪い。台湾の「外省人」も「本省人」も、まぁ、大陸の共産党とは距離を置いてるわけですよ。でも、同じ北京語でしゃべるしね、外省人にとっては同じ「漢民族」なわけでね。外省人系は大陸とつながりが深い。でも、数から言うと本省人のほうが多くて、完全に1つにしちゃうには無理がある。本省人の人と、外省人の人って、今でも顔つき違いますよ。慣れてくると、ほぼ見分けがつく。全部じゃないけど。

いやもう、台湾を本格的に勉強すると、複雑な話ばかりでね。いろいろな話を聞きましたよ。

日本と台湾の100年以上前からの近代を知ると、台湾というところの歴史の複雑さがわかると同時に、中国とか中国人というものが、台湾を通してもっと明確にわかる。この記事読んでくれた人は、ぜひ、台湾を勉強してみてください。

って、ぼくはIoTとかサイバーセキュリティが専門なんだけど、こういうのも勉強していて、今も勉強している。楽しいよ。

 


サイバー戦争が始まった(26) 総攻撃前夜

※本記事はフィクションであり、事実を書いたものではありません。
※本記事はこの本の続編です。他のエピソードはこちらの本をお読みください。

「ああ、ここがいい」

C国大使館の黒塗りのクルマが、夜闇に潜むようにして、東京・品川の巨大ショッピングセンターが併設されているビルが見える、隣のビルの小さな駐車場に音もなく滑りこんだ。クルマの後部座席から、ぼそぼそともう一人の声が運転手に言った。

「この位置じゃなくて、もう少し奥の位置がいいな。あのあたり」

と、彼が指さしたあたりには、猫の親子がその端にうずくまっているのが見えた。暑い夏の日差しを避けて、駐車場の端っこをねぐらにしていたのだろう。見れば、近所の人がその猫の親子のために、なんらかの食事を与えているようで、アルミ製の銀色の器が鈍くその猫の親子の前に光っていた。近くに寄ってみると、それはアルミ製ではなく、ステンレス製のサラダボールだった。古くなったのを、猫の親子用に餌入れとして使ったのだろう。クルマがその猫の親子のいるあたりに近寄ると、猫の親子は警戒して親子でそこを離れた。

「ここでいいか? 、Leeくん」

運転手はそう言うと、クルマのエンジンを止め、クルマの明かりを消した。話す言葉は日本語だったが、両方ともC国人ではあった。両者とも日本には長く、日本語は堪能だ。Leeは米国に留学後、米国で知り合った日本人の妻がいて、C国の本国の言葉は、国籍があるにもかかわらず、苦手だった。米国にいたころは、もちろん英語だったし、日本に来てからは日本語ばかり使うようになっていたからだ。運転手も日本でのC国大使館生活が長く、日本語はうまい。二人はC国という同郷の2人でありながら、日本語で意思の疎通をしたほうがはやかった。

「OK。ここの電波は最高だ。このままにしていて。だいたい30分もあればOKですよ」

Leeは日本語の会話の中にやたらと「OK」を入れるのがクセだった。

しばらくLeeが作業していると、数分で野良猫の親子がそこに戻ってきた。人懐こい。食べ物が少ないらしく、Leeの居るクルマの後部座席ドアに近寄って、外で鳴いている。食べ物を要求してるようだ。

「運転手さん、なにかあげたら?」
「今日の昼は時間がなくてね。菓子パンを買って食べたんだが、その残りがあると思うんだが」

運転手は、ダッシュボードを開けて言った。

「あ、あった。これをやろう」

運転席のドアを開ける音に、猫の親子は運転席のドアに近寄ってきた。運転手は猫に菓子パンの残りを投げた。猫の親子は、それを持って、自分たちの巣、というか、サラダボールのある背後の植え込みに姿を消した。

それから30分を少し越したところで、Leeは運転手に言った。

「終わった。なにをしたかは、ここでは言ってはいけないことになっているから言わないよ。でも、万事OKだ」

駐車場の前には、大きな20階建ての、日本ではその名を知らない者はいない、鉄鋼メーカーからIT企業に転身した、といわれたH工業の本社ビルがあった。夜遅くまで、煌々と明かりがついている。

黒塗りの大使館のクルマは、静かにエンジンをかけて、また滑るように駐車場を出た。


それから45分後。Leeの乗ったC国大使館のクルマは、大使館に直接向かわず、東京都内のあるホテルの駐車場に入った。Leeも乗ったままだ。Leeは言った。

「ちょっとここで待っていてください。これが、今日最後の私の仕事です。こちらも30分で済む予定ですが、もしも1時間、なにも連絡がなく、私がここに帰ってこなかったら、私を置いて、ここからすぐに立ち去って、大使館に戻って、私の言うとおりにしたことをShinさんに話をしてください」

運転手は黙って頷いた。

Leeはクルマを降りると、ホテルのロビーでPCを開けて、作業をはじめた。上のボールルームの1つでは、大学かなにかのOBの集まりをやっているのだろう。歌を歌う声と乾杯の声が、ロビーにも響いていた。それから、30分、Leeはロビーのソファの上で、小さくひとりごとを言った。

「やった」

すぐにノートPCのフタを閉めて、急いで駐車場に向かった。が、急ぎすぎた。その足早の様子を不審者と思われ、ホテル内の2人の警備員に呼び止められた。身体検査をされ、ノートPCを開かせられ、外国人登録証を見せた。時間がたった。ここで時計を気にするしぐさをしてはいけない、と、Shinさんには聞いていた。そこで、落ち着いて「まぁ、クルマが行っちゃったら、電車で帰ってもいいんだ」と、自分に言い聞かせ、落ち着いた風を装った。あせったところを見せてはいけない。

不審尋問は結局10分くらいで終わった。不審なところは見つからない、ということでもあり、Leeはほっとした。が、そのほっとした表情も見せてはいけない、と、Shinには言われていた。

「お手間をかけさせて申し訳ございません。ありがとうございました」

と、警備員に挨拶をして、Leeはゆっくりとその場を後にして、エレベーターに乗り、さっきの声がしたボールルームの階に行く。その後、エレベーターを乗り換えて、駐車場のある地下に行く。不審に思われないために、こういう気を使う、ということをShinには叩きこまれた。

結局、駐車場に着いたのは予定していた時間の1分前。危ないところだった。運転手はもうエンジンをかけていた。

Leeは大使館のクルマに乗り込み、後部座席に座った。ドアを閉めると、数秒でクルマは駐車場のスロープを上がって、駐車場の支払いを終え、表通りの明かりが見えるところまでやってきた。表通りの流れに乗るため、運転手が左右を注視しているとき、左右から数人の警察官がクルマを取り囲んだ。

「止まれ!ドアを開けろ!」

警察官の鋭い声があたりに響いた。フロントガラスには、警察手帳を広げて見せられた。もう逃げられない。運転手は仕方なく、エンジンを止め、ドアを開けた。


「Leeって男は、米国の大学でハッカーやハッキングのことについて勉強し、非常に深い知識を得た。教授の覚えめでたい優等生だったとのことだ。そして、大学でやはり留学中の日本人の妻と知り合い、米国で結婚。妻の卒業と帰国にあわせて、一緒に日本に来た。その妻は、日本有数の鉄鋼企業からIT企業に転身したH工業の役員の娘だ。その関係で、Leeは日本ではH工業系列の仕事を主にしているシステムハウスに就職した」
「そこまでなら不審なことはないな」
「ところが、先週のことだ。Leeはそれまでビザの更新以外では行ったことのない、C国大使館に行った。C国大使館では、歓待を受け、Shin情報統括部長と会ったそうだ」
「ここからがきな臭い感じがするな」
「取り調べでの供述によれば、Shin部長から直々の電話をもらって、しぶしぶ行ったということだ」
「そこでなにがあったんだい?」
「これから数日だが、毎晩、大使館で行われているShin部長のセミナーに出るように言われたそうだ。報酬は彼の給料の1か月分だったそうだ。そこで、Leeは数日ならいいか、ということで、C国大使館に通った。そして、サイバー戦士としてのにわかの教育を受けたようだ」
「なるほど」
「そして、Shin部長から昨日、今日の計画について告げられた、とのことだ。しかし、C国大使館の外で見張っていたうちの仲間がいてな、どうも最近、見慣れない顔がいくつも大使館に呼ばれていて、なにかしている、という報告があったから、毎晩来ている連中の写真を撮って、調べた。その中にLeeもいた、ってことだ」
「え?じゃ、Lee以外にも同じようなのがいっぱいいるのか?」
「そうだ。もう全て身元は割れているが、今は泳がせてある。最初に動いたのがLeeだった、ということさ」

新聞記者の中尾は、情報犯罪統括部長の鈴木にさらに聞いた。

「で、Leeはなにしていたんだい」
「それも彼は吐いた。H工業の社内ネットワークに外部から入れるバックドアを作れ、というのが彼に与えられたミッションだったらしい」
「やったのか?」
「Leeは天才というほどではないが非常に優秀だ。先週のうちに妻のつてで、H工業の社内を見せてもらって、情報関係のセキュリティ担当者と仲良くなり、彼の家族やペットの名前などを聞いた。犬が好きか、猫が好きか、なども聞いたそうだ。その情報がパスワードの横取りに非常に有効なんだな。担当者は猫好きで、やはり猫好きのLeeと非常に気があった、とのことだ。そして、H工業内部の情報を聞き出した後、パスワードになりそうなキーワードのデータベースを作り、それを持ってH工業本社裏手の駐車場から、H工業内部の無線LANシステムに侵入。その後、社内システムに侵入。そして、バックドアを作った」
「成功したのか!」
「そうだ」
「その後は?」
「離れたところにあるホテルに入って、ホテルの公衆無線LANから、そのバックドアがちゃんと外部から入れるかどうかを確かめたそうだ」
「なんでホテルで?」
「自分の会社からのアクセスなんかしたら、会社が疑われ、自分が疑われる可能性が高くなるだろう?」
「そういうことか」
「しかし、その直後によく逮捕できたね」
「当然、マークしていたからね」
「ちょっと待った。。。」
「なんだ?」

ここまで聞いて、記者の中尾は鈴木に聞いた。

「しかし、重要な情報ではあるんだが、こんなこと、うちのメディアでは書けないよ。もちろん、全部出すわけにいかないだろう」
「とりあえず、社名と個人名は伏せて、ストーリーはそのまま出してほしい。この発表は、C国政府に対する警告でもあるからだ。ただし、世の中に広まっている、<自衛隊関係のシステムを作っていることで有名なH工業>という言い方はなしだ」
「わかった」

中尾が外に出ると、真夏の生暖かい夜風が、彼を包んだ。

「軽くいっぱいやって帰るか」

真夏の夜のメディアの記者の小さなひとりごとは、道の傍らにいた黒と白のぶちの親子の猫が聞いていただけだった。

 


いまの時代には「理系人間であれ」

日本だけではあるが、大学の専門は「理系」「文系」と分けることが多い。実際、理系の学部を出ても文系的な知識を持つ人は多いし、文系の学部を出ても、理系的な感性を持つ人も少なくない。実際のところ、論理的に物事を考える、というのはなにかにつけてい必要なことではあるものの、日本では理系の人間しかそれはできないもの、と考えられていることが多いようだ。

であれば、理系的感性というのは、これからの世の中では当たり前に必要なものではないかと思うのだが、どうだろうか?

自分が大学を出た頃って、もう何十年も前だが、世の中は安定していたから、大学を出たら、博士とかなるといいんじゃない?それとも医者?どっちもだめならエンジニアだねぇ、手に職がつくからね。なんて言われて、エンジニアになたとたんに、時代はアナログからデジタルへの移行期だったわけで、まぁ、泳ぎ切ってきてはいるものの、大変だったよそりゃ、という感じで。

で、デジタルになったらなったで、あらゆるものがコモディティ化して、相互につながって、通信もなにもかもデジタルになって。。。。

「私はアナログなので」なんてのは「時代についていけません」と言うのを、少々気取って言い換えただけなんだが、エンジニアだって、アナログやりますよ。そういう仕事の人はね。ただ、「理系という人」の「文系の人」との違いは、「論理的に物事を考える訓練ができている」ってところで、知識のところでは実はないんだね。論理的に物事がかんがえられなければ、世界では生きていけない。いまそういう時代んだから、要するに、日本で言うなら、「理系でなければ生きられない時代」と言っていいんだな。

理系で行こう。

 


教えられて自分を変えていくこと

良くFacebookに投稿していて、思うことがある。

ちょっと、ネット情報やネット世間とは考え方や見方が違うことを投稿すると、自分が書いたことをちゃんと読んでくれている人であるかどうか?というのがよくわかってしまう。おそらく、私のFBの友人で、私が書いたことをちゃんと読んでくれている人は2割もいないように思っている。人は自分が見たいことだけ見て、読みたいことだけ読む。そういうことがほとんどなんであろうと思う。であれば、読書とか映画で自分が疑似体験をする、ということは、よく言われるけれども、本当はそんなことができる人は少ないんではないか?。体験とか読書で自分を変えて生きていく、ということが、ほとんどの人はできないのでしょうね。

研究者、エンジニアという職業は、常に目の前にある事実に、自分が至らないことをつきつけられ、今までの自分を葬り去り、新しい自分を作っていく、という、そういうことの繰り返しなんだね。だから、思い込みでうまくいかないことは、そのままストレートに「うまくいかない」結果として出てくる。それにあわせて、自分のそれまで考えていたことを破壊し、そこに新しい自分を作っていく。そういう職業なんだな。多くの人は、長年それをすることは、耐えられない苦痛を伴うと思うから、それができない。でも、しなければ、自分の周辺の世の中はこれっぽっちも変えていくことはできない。

必要なのは、自分を変えていくこと。

これはビジネスであれば、みな同じことなんだが、人間相手だと、相手のほうがこちらにあわせて変わることがあって、ややこしい。しかし、研究者やエンジニアは、相手にするものが人間の力の及ばない不動のもの(たとえば、どんな国の大統領でも、1+1=2という数式は変えられない)だから、常に変わっていくことを要求されるんだね。人間は変わることができる。うまくいかなかった体験を身体に取り込んで、自分を変えて、目的を達する。それが研究者とかエンジニアの毎日の人生なんだと思うのですよ。

 


「待つ」は苦痛ではなくなった

最近、コーヒーショップでトイレに入りたいんだが、前に入っている人がいて、それを待つ、とか、なにかの行列に並ぶ、とかってのが、あまり苦痛ではなくなった。「あぁ、こりゃ待たないとだめだな」と思ったら、さっさと手にスマホ。友達からのメールやメッセージに返信したり、この前から気になっている映画を見た人の意見とか、そういうものをあれこれと調べているうちに、時間がたってしまう。時によっては、1時間待つのだって苦痛ではない。

「次があるから、急いでいる」という場合は当然その限りではないんだが、そこまで忙しい人はそんなに数は多くない。約束に遅れそうになったら、約束の人にLINEで「ごめん、トイレが開かないので遅れてる」なんて送ればそれでOK。これで時間も潰れる。

時代が変わった。電車の中で、電車のホームで、トイレの前で、どこでもスマホをみんな見ている。苦痛は減っただろう。しかし、それって効率的なのか?というと、そうでもないような気もする。

 


「リアル」と「バーチャル」がひっくり返った

最近は、どこでもみんなスマホの画面を見ている。電車の中、バスの中、家の中、子供なら夕ご飯を食べているときの親の目の前。そして、恋人の前とか友人の前でも、寝るときはベッドの中で。。。などなど、どこでも手軽に触って、ここにいない人とコミュニケーションがとれる「スマホ」は世界の人の生活を変えた。今、眼の前にいる人以外の人と、全く違う場所にいる人が、容易に繋がってコミュニケーションがとれる。今、目の前にある人の関心が、自分に向いていない、ということもおそらく多々ある。

気がつけば、いまやスマホがない世界は考えられない。一日でも1時間でも、そうだ。そうなると、人と人とのコミュニケーションの「主流」はスマホの中にあって、目の前の人ではない。就活をしている学生は、目の前に親がいても、親の話を聞かず、スマホに見入って、就活サイトから来るメールを見ていたりする。就活生にとっては当然、目の前の親よりも就活のほうが大事にきまっている。それは他のことにも言える。学生ならばアルバイトの連絡。社会人ならば仕事の連絡や、友人との飲み会の連絡。気がつけば、目の前にある「リアル」よりも「スマホの中にあるバーチャル」のほうが、大事な世界になっていたりする。

仕事の打ち合わせをしながら、妻から帰りに買ってくるものを指定する連絡が入る。そのときはなにも返事をしなくても、どこか空いた時間に返事をしなくては、と、仕事に気が入らなくなる。いや、そういうことはないとは言えない、ということなんだけれども。

かつては「リアルとバーチャルの融合」なんてのが、マーケティングで言われたことがあったんだが、今は違う。今は「バーチャルがリアルを超えた」のだ。結果として、多くの人が通勤帰りの電車の中で、ほとんど全員がスマホをいじる風景が当たり前になったりする。よく、スマホばかり見ていて、目の前のことは上の空、というのを「異常」という人がいる。実際には「異常」なのではなく、ごく当たり前にそういう世界が来たのだ。それは「異常」ではなく「前の時代とは違う」というだけのことだ。

先日、電子書籍のみの本を出したのだが、これで十分なのだ。契約もオンライン、編集者と打ち合わせも必要ない。気がつけば原稿と表紙があれば、数十分で「出版」ができてしまう。そして、数時間後にはネットに掲載され、販売される。それでいいのかどうか、ということではなく、それができる。であれば、あとは適材適所で使えばいいが、電子出版となると、非常に高い印税率があるから(つまり出版社の取り分が劇的に減るから)、書籍が安くなる。少々の不便も風流も文化もお金の前には無力である。数千円の本が数百円で読めるとなれば、電子書籍にする。

リアルとバーチャル、というのはもうなくなった。「バーチャルな世界の一部がリアルな世界になったのだ」。