スマホの毎月の支払いを思いっきり安くする

HUAWEI IDEOS X5 U8800H

HUAWEI IDEOS X5 U8800 Pro

初期に必要なお金は約1万5千円。毎月の支払いは2千円くらい。
しかも絶賛話題中の携帯販売店での強制オプション加入は一切ない。
1年で10万円以上スマートフォン絡みの出費が減る。
しかもそのすべてが、クレジットカードがあればネットで手に入る。

◆まず安い「SIMフリー・スマートフォン」を探す
先日、秋葉原に行ったときに中国の「HUAWEI」のスマートフォン「IDEOS X5 U8800 Pro(写真)」を安く売っていた(9800円)ので、思わず衝動買いしてしまった。新品だがAndorid2.3、シングルコア1GHz、という一昔前のスペックだが、画面が3.8インチと小さく、持ち運びには非常に便利なうえ、画面サイズが小さいので消費電力も低く、電池も1500mAながら普通に使える。テザリングにも対応しているが、3Gのみで、LTEには対応していない。しかし自分の場合はいくつかの通信関連ソフトとFacebook、twitterとGmail、Googleカレンダーが使えればまず言うことはないので、ほとんどこれで事足りる。32GBのmicroSDカードを購入したので、これで本体とあわせて1万2千円くらい。また、「SIMフリー」で売られているスマートフォンには、iPhoneもあるし、SONYのXperiaなどもあるが、値段は今回購入したIDEOSよりも高い。当然、高いほうが画面も大きく機能も高い。また、iPadやNexus7タブレットにも「SIMフリー」があり、正式に日本で売られている。なによりも、外国での利用にもSIMの差し替えで対応できる「SIMフリー」なのがいい。

◆OCNモバイルONEに加入する
さらに、日本国内での利用には、「OCN モバイルONE」に加入。こちらは初期費用\3,150円と毎月の支払いが980円とちょっと。通信はできるが通話はできない。LTE対応だが、端末はLTEに対応していないから、ちょっと無駄な気もするがこれが一番安い。毎日30MBまでの通信ができ、それを超えると200kbpsに速度が落ちる。しかし、翌日にはまた復活している、というシステムだ。これは支払いがクレジットカードになる。このあとに記す「050plus」だと、通話だけなら、30MBの通信量の範囲で2時間以上通話できる。このパッケージは秋葉原でも最近売るようになった。パッケージにはスマートフォンに挿すSIMの大きさによって「標準SIM版」「マイクロSIM版」「ナノSIM版」があるので、購入したスマートフォンによってどれかを選ぶ必要がある。ちなみに、私が購入した上記のIDEOSは標準SIMだった。「OCNモバイルONE」は、パッケージをAmazonとか販売店で買ってきて、「OCNモバイルONE」のホームページにアクセスし、支払いのクレジットカード情報などを入れると、スマートフォンに設定する数値などを教えてくれるので、それをコピーしてスマートフォンに設定する必要がある。これが一番面倒なところかもしれない。なお、ホームページでの設定が終了してから、実際に使えるようになるまで少し時間がかかる。

【OCN以外の「激安」SIM】 OCN以外にも激安のSIMを扱っている業者が日本にはたくさんある。用途によってこれらを使うと良い。

【IDEOSでSIMの通信設定をするには】 OCNモバイルONEから教えられる大事な値は「接続方式」「APN」「ID」「パスワード」「認証方式」だ。この値をスマホにセットすると、インターネットでの通信ができるようになる。設定は「設定」→「無線とネットワーク」→「モバイルネットワーク」→「アクセスポイント名」として、その画面で画面下の「メニュー」ボタンを押すと、「新しいAPN」というのが出てくるので、これを押すと、上記の値を入れる画面が出てくる。入れた値以外の数値は何もしないで良い。値を正確に入れたことを確認したら、また「メニュー」ボタンを押すと「保存」が出てくるので「保存」ボタンを押す。その後は、スマートフォンを再起動させるが、一度の再起動で動かないこともあるので、その場合はインターネットが使えるようになるまで、何回か再起動させてみる。

◆050plusに加入する
「OCNモバイルONE」に加入したら、インターネット、メールなどはもちろんできるようになる。もちろん、Skypeを入れればSkypeでの通話ができる。しかし、このままでは一般電話との通話ができないので、一般電話からデータ通信で「通話」ができる「IP電話」を使って、通話もできるようにする。私の場合は「050plus」というIP電話サービスに加入した。初期費用はなしで、毎月基本料金が315円かかるが、「050から始まる電話番号」が持てる。つまりおじいちゃんやおばあちゃんからの電話が受けられる。しかも、通話料も安い。スマホにはアプリをインストールして設定しなければならないが、たいした手間ではない。ただし支払いはこれもクレジットカードのみだ。しかも、外国からの通信なども非常に安くなるのが、ぼくにとっての魅力の1つだった。「050plus」以外にもフュージョンコミュニケーションズなどで同様のサービスを行なっている。

◆外国でも使える
外国にいてもWi-Fiのインターネット接続があるところであれば、いつでも日本に気軽に電話できるし、日本からも気軽に電話してもらえる。インターネットのメールも、もちろんOKだし、この環境が外国でも日本でも同じように使える。「SIMフリースマートフォン + OCN Mobile one + 050plus」だと、つまり日本の携帯キャリアに払うお金の半額以下で、電話もインターネットもメールもできる、ということになる。いや、実際私はそうしている。また、Wi-Fi環境が無いところだと現地の携帯電話会社の「SIMカード」を手に入れてそれをスマートフォンに挿せば、現地の携帯電話が使えるようになる。

◆SIMフリースマートフォンは日本でもたくさん売っている
問題は、「SIMフリーのスマートフォンの入手」だが、安いものだと今回ご紹介したIDEOSくらいのものから、高いものではiPhoneのSIMフリー版が10万円くらいまでと、いろいろある。ネットで「SIMフリー」と入れると、選びきれないくらいスマートフォンや携帯電話が出てくる。もちろん、日本で日本語で買えるものばかりだ。さらに中古もあるので、中古だとさらに安くなる。年間10万円以上も通信・通話料が安くなることを考えれば、端末の代金なんて高いものでも1年で元が取れる、ということになる。

◆こうすれば安くなる
まず、順序としては、「SIMフリーのスマートフォン入手」をまず初めて、それができたら、OCN Mobile Oneを販売店やAmazonなどで入手し、そのときのオンラインの申し込み設定で、「050plus」も一緒に申し込みができるので、ここで申し込む、というのをお薦めする。少々手間はかかるが、あちこちで問題になっている「強制オプション加入」などの「副作用」も、この方法だと一切なくなる。

◆ただし。。。。
「ワンセグ」「おサイフ」などの日本独特の機能は使えない。あくまで私の場合は、だが、これらの機能を使うことが数年間無かったので「ワンセグやおサイフはいらない」という判断が容易にできた。どうしても、「ワンセグ」「おサイフ」が必要であれば、従来のキャリアの携帯電話を使うことをお薦めしたい。

◆ここまで安くなるとは。。。。
日本のスマートフォン・携帯電話もここまで安くなる、というのは、実際やってみて初めてわかった。もっとも、今は試験期間ということで、日本のキャリアのスマートフォンも並行して使っている。ただし、強制加入になったオプションはすべて外し、本体も中古のものだけどね。

Amazonには売っていないもの


Amazonにはなくて普通の書店にはあるもの。それは休日に何の目的もなく、書店に行き、書店をブラブラ歩き、全く自分の興味とは違うジャンルの面白そうな本を見つけ、それを立ち読みしてレジに行き、その書店の近くのコーヒー屋でその本を読むこと。書店は「本を売るところ」だけじゃない。その場を楽しむところでもある。

Amazonにはかなえようもない需要がそこにある。いまの書店の存在意義がそこにある。別の言い方をすれば、「無目的」「ブラブラ歩き」「浪費」という価値観が「商売人」には無いのだ。これはその商売人が悪い、というのではなく、「商売人」とはそういうものだからだ。

書店はそういう「無目的のちょっとしたレジャーの場」として生き残る。そのための言い訳のアイテムが「本」だ。書店に無い本を書店で注文する。すると、「お客さまのご注文の本が来ました」「ありがとう。後でとりに行きます」というやりとりがある。そのやりとりが「言い訳」になって、またぼくは書店に足を向け、注文した本を受け取ると同時に、活字だらけの書店の中を楽しく、無目的に歩きまわって、また新しい本を探す。それがちょっとした楽しみになる。

いつでも目的持って生きている「正しい人」には、そういう書店の使われかたがわからないだろう。それはそういう「書店」への接し方を知らない人だ。

図書館でもない、街の書店はそういう「無目的」を受け入れてくるちょっとした知的レジャーの場だ。そして、この高齢化社会では、書店に出向く、という行為そのものがちょっとした運動の場にもなる。

PCやタブレットの画面では実現し得ない「一覧性」「雑多」ということ。目的も興味もなかった本が視野の片隅に入ってくることの楽しみ。そこから広がる新しい世界。これはAmazonには無いサービスの提供だ。だから、書店はなかなかなくならない。

ベゾスはこの「休日の無目的の人々へのサービス」が大きな市場になっていることに、まだ気がついていない。「本」のそういう使われ方に気がついていない。これに気がつけば彼も「ツタヤ」を買収する、なんてことを始めるだろう。

「騙されたと思って」は使えません

どんな宣伝でも同じだけど

「騙されたと思って買ってみて」
「騙されたと思って使ってみて」

というのは、もう古いセールストークだと思うのですね。それで振り向く人は誰もない。

なぜかと言うと、今という時代は、「騙される」のは毛の筋ほどもいやがる時代だから。「騙されて」「いい気分にしてもらって」「お金を取られる」ことに、みんなすごく警戒していて、テレビでもなんでも「だまされたらアカン」という情報がすごくあって、「騙される人は人として生きていく資格がない人」とか「喫煙する人」「ストーカーをするような人」「バカの象徴」みたいな扱いになる。いまどき「バカは生きていく資格がない」のだから、これは当然。

けっして「騙される人」を「あの人は人がいいから」と、許容する世の中ではないんですね。そういう余裕のある世の中ではない。大宮デンスケとか寅さんとかの「バカだけど人がいい」キャラクターを許容できるほど、世の中が豊かではないし、余裕もない。バカはバカであって、人ではない。そういう世の中なんですね。だから、逆に姿形が悪くても、スルドイ一発がかませる「頭の良さ」がもてはやされる。マツコ・デラックスみたいな、ね。

「騙される」ことに、1万分の1ほどのポジティブなところさえない。「騙される」のは、御免だし、騙されるのは頭が悪いから、であって、騙されたことがわかれば、社会的な生きていくリテラシーを疑われる。そういう人とみんな付き合わなくなる。つまり「騙された」ことは言い訳の一切きかない完全な「黒歴史」となる。

だから「騙されたと思って」と言われたら、「絶対にだまされないぞ」と警戒するほうが先に立つ。世知辛い世の中、と言えば言えるが、みんな「騙される」ことに敏感になって「賢くなった」と言うほうがいいのじゃないかと思う。

しかも世界的な不況で「騙された分」を取り戻す時間やお金の余裕も、みんななくなってきている。もちろん、そうなれば心の余裕もない。騙されても「まぁいいか」と思えない。訴訟が頻繁に起こされて、なんとか騙された分を取り戻そうとする。

だからセールストークとして、

「騙されたと思って」

ということが、ポジティブに聞こえることは全然ない。いかがわしい企業だけがこのセールストークを使う、ということになってしまう。それを聞く人にとってそのコトバは「オマエを今から騙すからな」と、聞こえる。そうなれば聞くほうは最初から警戒して聞くから、毛の筋ほどの方便も通じない。だいたい「騙されたと思って」のうち、相手に響く単語は「騙された」だけであって「と思って」というところは聞かれていないのだから「おまえはおれを騙す気だな」としか受け取られない。

また、日本人も多様になったし日本の中に外国人も増えた。多様な価値観が当たり前に石ころみたいにころがっているのが今の日本だ。セールストークの「騙されたと思って」は、「説明抜きでぼくがいいと思うからあなたにもいいと思う」であるわけだが、それが万人向けであることはまずない、ということが経験でわかる。だいたい、前提となる均質な「万人」という概念そのものも、崩壊している。「あなた」と「わたし」は同じ日本人であっても、コトバが通じないことがある。それが今の日本人であって、世界である。

今はそういう時代なんですね。きっと。

だから

「騙されたと思って」

というセールストークはやめましょう。いかがわしい企業だけがこのセールストークを使う、ということがみんなにわかってしまっているから。

だから「騙してカネを取る」ことを本気で仕事にしている企業は、逆に「騙されたと思って」とは絶対に言わないで、あなたに近づいてくる。

大きな社会問題となった「携帯電話購入時の強制オプション加入」

このところ、ネット、特にtwitterなどで大きな社会問題となっているのが、携帯電話販売店の「新機種購入」時などの「オプションサービスの強制加入」だ。既にネット上では「大々的な社会問題」になっている、と言っていいだろう。

実は、この携帯電話の「エコシステム」全体から言えば、強制加入し、なかなか解約ができなくて、漫然と毎月数百円~数千円の「必要ないお金」を払ってくれている人がいるおかげで、販売店へのインセンティブが増え、ぼくらが携帯を買うときにそれを安く買う、ということができるところの補填に一部還元されている、という感じがする。そういうシステムなので、この「強制オプション加入」は、簡単に言えば裏に隠れて表に出てくることのなかった「闇」である。そして、この闇が創りだすお金が、ぼくらにも返ってきている、ということだ。

とは言うものの、ここまで社会問題化すると、司直も動き出さなければならず、ぼくらはまた高い携帯やスマホを買うことになるんだろう、と思う。もちろん、問題はこのエコシステム全体が古い携帯電話の時代から続く、社会的な問題であることは言うまでもない。安い携帯やスマホは、本当はぼくらが欲しいとは思っているものではあるが、今後はさらに高くなるだろうし、携帯の売上も一部の安い機種に偏ってくるだろう。

中国のZTEとかXiaomi、そしてlenovoなども1万円前後の格安Android携帯を出していて、これが日本にも雪崩を打ってやってくるのはそう遠い先の話じゃない。そして、そのきっかけは、この「オプションサービス騒ぎ」が引き金になるのではないだろうか。

そして、携帯の販売代理店は儲かるような商売ではなくなり、倒産や撤退も増えるだろう。「痛み」がなければ改革もないのは、しょうがないことではあるんだが、かといってここまで大々的に社会問題化したこの「強制オプション問題」は、消費者に必要のない損失を与えるものとして、今後は糾弾の対象となるだけではなく、強制加入した直後のサービスの解約方法の幅広い告知によって、結局は意味の無いものになっていくことだろう。

どちらに転んだとしても、携帯電話販売店の大量倒産は避けられる状況ではない。それは既に終わってしまった日本のITやハイテク産業が雪崩を打って最後の一撃を食らって崩れていくことのきっかけにさえなる可能性がある。だからといって、対策はない。そして、Appleもまた、日本市場で道連れにされる可能性さえある。とは言ってもAppleの日本で売上は同社の売上全体の7%くらいだそうだから、これが3%くらいになっても、あまり影響はないかもしれない。

 

モバイルで日本は「2度めのガラパゴス」になるか

現在、日本のモバイル市場を見ると、9月11日に発表されたAppleのiPhone5S/Cが爆走を続けているように見える。加えて、日本のIT系メディアはAndroidなど無かったかのうような「Apple礼賛」ばかりだ。あとは「3つのキャリアのどこがいいか」という話ばかり。

ところが世界に目を向けてみると、様子はかなり違う。

9月のアクティベート数の集計では、Androidの勢いは留まることを知らず、既に80%を超え、Appleの勢いは低下するばかりだ。

かつて、日本の携帯電話メーカーは「スマートフォン」の出現(それは主にAppleのiPhoneだったが)で、慌てることもなく、自社開発の「フューチャーホン」を誇り「世界に進出するのだ」と語っていたが3年もしないうちに形勢が逆転。今はスマートフォンだらけの世界に、「日本のガラケー」は取り残された。その結果、日本ではいまだにスマートフォンの普及が世界平均以下となり、まさに「モバイル世界のガラパゴス」になった感が否めない。

そしていま、日本中では「AppleのiPhone」が、「日本のガラケー」以外の市場を独占しようと、IT系のメディアなどに大きなキャンペーンを張っている。そのため、9月の日本の携帯端末売上トップはほとんどiPhoneで埋まった。しかし、iPhoneは「世界標準」をメインに打ち出すため、日本ローカルな機能である「おサイフ」「ワンセグ」などの機能はいまだに標準装備していない。とは言うものの、東京の電車などで見ていると、むしろiPhoneは減っている感じさえある。日本のネットメディアと現実のギャップはかなりあると、私は思っている。

しかし、売上げランキングでは、やはりiPhoneが多いことは確かだ。また、Panasonicなどが一般向けのスマートフォン市場から撤退する、などのニュースも相次いでいる。

となると、日本は最初は「ガラケー」で世界に取り残され、今また「スマホ」でも世界に取り残される、という事態になっているのではないか?それならそれでも構わないが、日本という閉鎖された市場の中で、全く外部との接触を遮断された日本人は、これからどうなるのだろう?

既にAndroidの世界でも、中国の大手が台頭してきており、ベンチャーのXiomiなども創業3年めにして、多くの話題をさらっている。この流れが大挙して日本に流れ込んできて、初めて「私達は遅れていた」と、日本人はほぞを噛むのではないか?今の世界では「鎖国」はそのまま国やその地域の死をさえ意味する。

新しい世界の流れに鈍感でいることはできないのだ。

どの国であるにせよ「マスコミ」は信用に足らないメディアになった

昨日までAPECが開催されていたが、その場の報道が面白い。

◆安倍首相が中国、韓国の首脳と仲がいい – 日本の報道(日本メディア・日本語)
http://news.livedoor.com/article/detail/8136949/

◆安倍首相と韓国の首脳は仲が悪い – 韓国の報道(韓国メディア・日本語)
http://www.chosunonline.com/site/data/html_dir/2013/10/08/2013100800922.html

全く違う印象を与える2つの日本語の記事。どっちがどっちでもかまやしないが、この両方を読んでわかるのは、どの国でもマスコミっていい加減なもの、ってことですな、ということ。「事実を報道する」のではなく「事実を使って自分たちの言いたいことを言う」のがマスコミ。であれば、これはマスコミの報道とは、今や「ノンフィクションの小説」以上のものではない。

WindowsXPの次は「無料のOS」と「無料のOffice」がある

◆Windowsが買えなければ無償のOSが今はある

いま日本のマスコミやネットニュースでは来年早々に控えた「WindowsXPのサポート終了」に伴う「新しい機種への買い替え」が大きな問題となっている。しかし、これだけ経済が悪化している中、なかなか移行が進まない現実がある。そのため、メーカーはあちこちで「早く買い換えろ」という話をネットメディアお抱えのライターなどに書かせ「速く新しいOSにしないとウィルスにやられます」などと、脅迫まがいの記事をあちこちに載せている。しかし、今この時点で一番お金がかからずセキュリティも心配がほとんどなく、また使い勝手もWindowsの現在のものとあまり変わらない、という選択がある。「オープンソース」という無償のソフトウエアを使う手があるのだ。

◆しかもWindowsやMacOSと同じことが同じようにできる

まずベースとなるOSにはLinuxをベースにした「Ubuntu」というシステムがある。日本語化も有志がしており、サポートも世界的に継続されていて、世界シェアも増えている。私も現在職場で日本語化されたUbuntuを使っているが、インストールそのものも非常に簡単になったうえ、Windows7と混在させて使っているがWindowsに戻ることはほとんどなくなった。Windows以上のことが簡単にできるようになっているからだ。15年前のこれらの「無償OS」は正直なところあまり使えるものではなかったが、日々成長し、今ではWindowsでできることは、ほぼ100%できる。加えて、日々のオンラインアップデートもあり、安心して使える。日本語変換も問題なく使える。また、10年前のPCでこれを動かしているが、HDのビデオの編集などをしなければ問題なく使える。さすがに、HDのビデオの編集はOSというよりもCPUそのものが最近の高性能のものでなければかなり辛い。これはWindowsでも他のOSでも同じだ。

◆ブラウザはChromeとFirefoxがお勧め

現在、まずユーザーの触るもっとも利用頻度の高いアプリケーションは、なんといってもブラウザだろう。ブラウザはもちろんWindowsではないのでIEこそ入っていないが、Firefoxがデフォルトで入っている。世界的に大きなシェアを持つChromeもダウンロード一発で使える。当然この2つのブラウザの使い勝手はWindowsのそれと全く同じだ。最近は業務システムがWebブラウザで動いているものがおいと思うが、その場合はブラウザさえ互換性があるならOSはなんでも構わないことになる。

◆Officeも「無償のOffice」で十分。しかもMicrosoft-Officeのファイルの読み書きができる

ビジネスでは不可欠のアプリケーションといえば、ワードプロセッサ、表計算、プレゼンテーションを含めた「Office Suite」がある。現在無料のOffice Suiteは、「Libre Office」「OpenOffice.org」がある。いずれも、日本語が完全にサポートされており、Microsoft-Officeで作られたすべての文章を読み込み、また、Microsoft-Officeの形式の文書を書き出すことができる。使い勝手は多少違う、という程度だ。またWindows版もあるので、OSは新しいWindowsにしたけど、Officeを買うお金を節約する、という使い方もある。ただし、会計ソフトなどがExcelを呼び出して使えるようにする、という「ソフト間の連携機能」は使えないから、一度会計ソフトで編集したいデータをファイルに吐き出して、そのファイルを編集する、というやり方をする必要があることがある。

◆GIMPはPhotoshop並の画像ソフト

そのほか、GIMP2という高度な画像処理ができるソフトウエアも無償でダウンロードして使える。機能としてはPhotoshop並、と言われているものだが、これにはWindows版もある。当然、日本語化もされている。これは後述のソフトウエアのマーケットからも入手できる。

◆ソフトウエアのマーケットもある

また、ソフトウエアのマーケットも用意されており、各種のソフトウエアがクリック一発でインストールし起動する。ほとんどが無償のものだ。とは言うものの、特殊なものは日本語化がされていないものもあるし、これは「どうしても必要な場合だけ」に使うものだろう。

◆OSの中身の構造が違うからウィルスにやられにくい

UbuntuはWindowsとは構造も違う。だからコンピュータ・ウィルスが入り込めない。加えて、もしも入り込んだとしても、Windowsとは勝手が違うので、PCの内部で動くことがない。どうしても心配な方は、Ubuntu用のウィルス対策ソフトも用意されているが、自分が長いあいだこの組み合わせでデスクトップPCを使っている感触では、まず必要ない。大きな声では言えないが、私の友人など、ウィルスやスパイウエアの固まりみたいなアダルトサイト回りにUbuntuを使っている、というヤツもいるくらいである。それくらい「安全」なのだ。

新しいPCにしなければ、新しいOSが使えない。だから、PCを買い換えましょう。そうするとセキュリティの対策にもなりますよ、というのは、PCを売りたい側としての理屈だが、それには嘘はない。しかし、そうは言っても、役所とか企業では「先立つものが無い」という場合が多々ある。そんなとき永遠に無償で使える「オープンソース・ソフトウエア」を検討することをお勧めする。

◆サポートする会社もある

また、現在ではこういったオープンソースのソフトウエアをユーザーに対して正式にサポートする会社もある。公的機関などでの使用には、こういう会社のサポートを入れるのが良いだろう。

山田洋次監督への老害的批判について

いま、twitterで山田洋次監督が「日本は東京オリンピックまでの戦後が良かった」という話をまな板の上に乗せて、佐々木俊尚氏も一緒になって「山田叩き」みたいな感じになっている。「老人は自分の若かった時代が一番良かったというものだ」という話にしているが、その話自身が、実はすごくステレオタイプな「老人性」の話なのではないかな?

というのは、この記事の冒頭にあるのは「最近寅さんの映画が若い人間に人気だ」という言葉だから。そして、山田監督は、日本の「昭和」の時代を、3つに分け、そのうち「戦後から東京オリンピックまで」が一番良かった時代だ、と言っている。これは山田監督自身の感慨でもあると同時に、「若者の寅さん人気」について語っているものでもある。これは直感的な気分を考慮に入れての少々分析的なものが入っている語りではないだろうか?

いま山田監督が82歳ということは、終戦は1945年として68年前。つまり、山田監督は14歳で終戦を迎えている。未成年である。そして、1964年は49年前だから、山田監督は33歳。つまり、1964年になって、やっと監督という職業人として社会的な自立ができたあたりの年齢になっている。監督という仕事からすると、彼の本当の「最盛期」はむしろ1964年以降に始まっていると言っていい。詳細は伺い知れないものの、私が勝手に想像すれば、人生の一番不安定な時期を、彼は「日本人にとって良かった時代」と言っているのである。山田監督は東大法学部出身で卒業は1954年。監督デビューは1961年。東京オリンピック前である。東京オリンピックをはさんだ時代、山田監督は地味な存在で、コメディばかりを撮っていた。山田監督の最盛期といえば、1969年に「男はつらいよ」の最初の作品が出た頃からで東京オリンピックも忘却のかなたに行こうとしていた時代だ。そしてこの歳の山田監督は38歳。もう若いとは言い難い時代でもあった。おそらく、東大法学部の同期の人たちは、キャリア官僚として日本の再生に躍起になって活躍していた時代だろう。その時代、山田監督は「パッとしない地味な監督」であったということになる。

とは言うものの、むしろ、山田監督の「良き時代」は、このあたりから始まっている。記事を良く読むと、自分史だけで「過去は良かった」と言っているわけではない。彼はどういった価値観を持って1945年から1964年までのほぼ20年間を「日本人にとって良き時代」と言っているのか?をもう少しまともに読む必要があるのではないだろうか?

最近は日本よりもむしろ外国で世界的な評価も高い小津安二郎の話が出てくるが、これも日本だけの話であるとか、山田監督だけの話であるとかとしてしまうと、大きく間違えることになるだろう。佐々木俊尚氏もボケがきたのかもしれない、とは思いたくないが、どうもtwitterでの話におかしなところがあることは指摘しておかなければならない。

「寅さん」の静かな笑い。そこにある景色を、いまみなが必要としている。この記事の話はそこから始まっている。「管理されていない状態にいる人間」である寅さんが、意識的にか、無意識的にか、管理されている自分を見つめている。その寅さんの視線が、若い人間をひきつけている。その根底にあるものは、「自由」とはなにか、という問である。

ただ、今の人間に「君たちは不自由なんだよ」と言うことは、あまり意味がない。むしろ寅さんの姿に「かつて日本にあった時代」の「日本的で良いもの、と自分が信じるもの」を見てほしい、と、山田監督は言っているのであって、自分の若い頃は良かった、という単純な話では、それはない。それは山田監督の主観であるが、それには罪はないうえ、多くの人がそれに共感している、という意味では「客観」にもなりつつある現象でもあるだろう。

しかも監督は「オリンピックが終わった後がどんなに悲惨かというのは、ロンドンであり北京であり見えているんじゃないかな。」と、オリンピックを否定している。それは今を見つめているのであって、過去から今を見つめているのでもない。小津監督の作品の話も、「昔は良かった」ではなく「現在、世界的評価を受けているがそれはなぜか」という話であって、それに山田監督の主観による解説を加えているだけだ。そして、それは自覚されている。

山田監督は最後に述べている。

「あまりそういうことを考えたことはない。君にとって新聞記者とは何か。僕の仕事よ、商売よ。僕は映画を作ってそれで生計を立てている。新聞社の試験を通っていれば新聞記者になっていた。そういうものですよ」

この「自らの思い入れ」を切り離した、淡々とした語りの奥深さを無視して「昔は良かったのおじいちゃん」に、山田洋次をしてしまうことに、私は「悪意」さえ感じる。その悪意はどこから来たものか?それこそが、この記事とそれを剽窃した佐々木俊尚氏とtwitterのコメントを書いた人の、一番の問題である、と私は思う。

◆問題となった元記事はこちらだ。
http://sankei.jp.msn.com/entertainments/news/131005/ent13100507000001-n1.htm