就職は一生を決めない

日本では、就活の失敗や就活のストレスで1000人以上が自殺した、という。

社会経験をある程度積んで、煽られても動じない人であれば、こんなの見てもなんとも思わないのでしょうが、大学生くらいじゃ、こういうのに煽られ続けて神経をすり減らしていくでしょうね。優等生であればあるほど、そうだと思う。

ぼくは大学に入る前に1年浪人した。そして大学卒業間際の4年生のときに、いろいろな事情があって、故意に4年生をもう一年やることにして、中で1年ダブった。その後、大学卒業のときは学校の就職課に頼らず、国内のオーディオメーカーに入社。小さなメーカーだったが、ユニークで面白い商品を出すことで知られていたところだ。

それでも、100社訪問、なんて時代ではなかった。数社を訪問すれば理系であればどこかの会社に入れた。大学を出るとき、数社を回ったが、みんな採用をもらえた。ぼくが蹴った中には、執拗に追いかけてくる人事担当者もいた。まだ製造業が強い時代で、実際に物が作れる技術者は引く手あまただった、という時代だった。

正常なコースからは2年遅れていたとはいえ、20歳代前半でかつモノを作れる技術を実際に大学の中で、大学の授業だけではなく、サークル活動などでも磨いてきていたから、引く手あまた、というのは当たり前だった。そういう読みがあったからこそ、もう1年大学で遊んでもいいよね、と思っていたのだ。

楽しいことをしていれば、それが仕事になり、収入が入ってきた。技術者にとってはそういう時代だった。

今は違う。どんな手に職をつけても、仕事が少ない時代となった。モノを作れる技術はあまり大切ではなくなった。社会全体が「なにをして生きていったらいいかわからない時代」なのだ。

なにをしていいかわからない人には2つの道がある。

1つは、他人の示す価値観に乗ること。もう1つは、自分で価値を創造すること。多くの人はやり方を知らないから、前者を選ぶしかない。そういう若い人間の多くに、単一の価値観を押し付ける。それは管理はしやすいだろうが、社会的な意味は皆無だ。1000人の自殺者を出した、ということは、つまり、そういうことだ。

日本人はもっと自分の頭で考え、他人になんと言われようとも、自分の価値観を創造する、新たな「旅」に出るべきだ。仕事があるんは日本だけじゃないし、優秀であればあるほど、日本から出ていったほうが、たくさん仕事がある。

 

韓国の豊かさと日本の豊かさと「ソフトヤンキー」

韓国ではとにかく「アウトドア」が大流行で、韓国人は小金を持ち始めると、まずは手っ取り早い「アウトドア」に走る。そのため、テレビでもアウトドアウエアのCMが非常に多い。そして、繁華街にはアウトドアウエアのお店がたくさんできていて、繁華街のメインストリートなんか、10軒に1軒はそういうお店だったりする。

韓国人は豊かであることの証として、アウトドアをやるわけですね。韓国は国が狭いので、アウトドアといっても限りがあって、だから、日本、台湾、韓国にいっぱい行く。僕は日本人のどちらかといえばインテリだから、そういうものが豊かの証だとはまるで思わない。でも彼らはそれが「豊かさの証」であると、まず信じているんですね。で、いいクルマに乗ること、海外旅行をすること、というのがその後に続く。「豊かさの表現」が画一的で、実にわかりやすい。わかりやすい、ということはなにか単一の価値観を信じている、ということ。

本当の豊かさというのは、「画一的であること」じゃない、とぼくは思うのですね。地域の社会でも画一的な価値観を持たなくてもいい、それでも生きていけるよ、というのが、本当の豊かさじゃないかと思う。それは社会そのものに余裕があることの証でもあるから。そういう意味において、韓国の社会はまだまだ貧しい社会なんですね。

思えばかつての日本もそうだった。画一的な価値観の「豊かさ」が求められていたけど、今はそれは時代遅れだよね。若い人の価値観も多種多様になってきた、と思う。起業を目指して経済的な豊かさを求める人もいれば、全く違う視点で、今生きていることの豊かさを求める人もいる。日本の若者ってのは、そういう意味でとても多様な価値観を持って、賢くなったと思うよ。

日本が経済的に貧しくなっても、これなら大丈夫、とはまだ言えないところかもしれない。でも、韓国にな長くいて思うのは、日本の本当の豊かさてこういうものだったのだ、という「息苦しくない」社会への扉が開いている、ってことだ。それは、日本が高度経済成長を経ておそらく3代めくらいにやっとなしえた、本当の「文化の幕開き」のようにも思えるんですね。

だから、そういう意味でぼくは日本と日本人をあまり悲観していない。経済的には悲観すべき材料はないわけじゃないけど、おそらくそれを差し引いて余りあるものを、この70年で日本人は手に入れたのじゃないかと思う。

そして、その日本人が手に入れた「本当の豊かさ」から置いて行かれているのが「ソフト・ヤンキー」と言われている人達なんじゃないかと思う。

 

「マスコミは悪くない」論の愉しみ

こんな記事を見かけた。

「テレビ局の方向づけと言論人の質の劣化が組合わさった結果としての現状があるのではないかと。」

この一言のために、長ったらしいこういう文章を売る仕事をしているのが、この方であるのは、ま、あしょうがないところ。私としては否定も肯定もしないけれど、売文屋としての商売としてちゃんと成り立っているのはさすが。これはぼくができないところだしね。あるいは「おれはこの社会では特権階級なんだぞ!すげーだろ!」を言いたかっただけなのかもしれないが、拙文ではそこはつまらないので無視する。

と、褒めてるんだかけなしてるんだかわからないみたいな書き方をするのが好きなので、その辺りはご勘弁を。

で、民放もNHKも昔からテレビの内側にいた人の話を聞いたことがあるけど、民放って要するに「視聴率」以外は関係ない世界。NHKは視聴率もあるけど、まだいい番組を作る、ってところがある。それだけなんですね。だから、視聴率が取れそうかどうか、ということが判断基準になるのは仕方がない。それだけのことなんですね。

「マスコミが悪い」のはそうりゃそうだけど、それはマスコミが大衆にあわせて視聴率を取りたい、ということでやっていること。それに異論はない。マスコミ人だから高い意識を持っていなければならない、ということは無い。というか、ありえない。

それに、「マスコミは社会的に影響が大きいのだからマスコミ人は高い意識をもたなければならない」というのは、あったとしても昔の話であって、今は期待するべきことじゃない。いまでもそう思っている人はマスコミというものに期待しすぎ。マスコミに期待しない、というところからすべて始めるのが、大人ってもんです。そう。やりたいことは自分がやればいい。他人に期待するな、ってこと。

 

韓国の「劣等生」の話

韓国のITはMicrosoftのWindows/IE/Active-Xという世界から抜けない限り、世界水準には全くならない。ゲームではAndroidの市場をなんとかできるだろうが、世界的に使われるデータベース、ビッグデータなどの世界はまだほど遠いだろう。ITの人材も集中力はすごいと思うが「なにをするか」という「アイデア」「コンテンツ」は外国から持ってきたものばかりで、世界では全く用をなさない。人材の育成も、製造業から出ておらず「どうやって作るか」を知っている人材は優秀なのが多数いるのに「なにを作ったらいいか」という一番大事なところには全く人材がいない。結果として、みんな日本をはじめとした外国のまね事で終わってしまう。学生も学校も「就職」ばかりに目が行くから「新しい価値の創造」はできないし、韓国の社会では尖ったものがある学生は、「偏った劣等生」とみなされるから、韓国という閉じた社会の中で成長できない。

今年、そういった「尖った学生」が、日本の大学に行きたい、というので手伝った。彼は首尾よく日本の大学に入った。彼はやがて韓国ではほとんどの技術者も研究者も知らないものを身につけるだろう。しかし、彼は韓国に帰ってきたくない、と行っている。彼は韓国の社会では「劣等生」とみなされる。大学の教授も企業も、彼の世界に通じる価値に見向きもしない。韓国社会での優等生ばかりでは、韓国自身が沈没していくだろう。しかも、彼の周辺にいた人たちはその彼のことを一様に「悪く」言う。人間の評価の基準がまるで世界とは違う。答えのあるものばかりが技術ではない。しかし、韓国の社会は答えのあるものしか認めない。それは韓国の社会の貧しさが作ってきた結果、そのものだ。

米国のダイナミックなグローバリズムとか、日本の、それでも「起業」ということに対して少々緩くなった社会をこれまでぼくは現地でまざまざと見てきたが、韓国の社会とそれを比較すると、そういう意味で韓国には現状では全く先の光明が見いだせない。優等生は無駄な受験勉強をさせられ、外国に出てもほとんど役にも立たないTOEICの点数ばかりを競うのに必死だ。そういう優等生以外は結局「最初からあきらめる」しかなく、韓国の社会の底辺に沈んでいく。「尖った人材」など、この国ではこの社会の中で強くなりようもなく、結局、韓国という地域がまるごと世界から沈没していく可能性が高い。

結果として、NAVERもCaCaoTalkも、韓国社会だけで認知され、大きくなっているが、結局のところそれまでしか拡大の範囲は広がらない。世界のレベルには到底なれない。「考え方」「社会の常識」が世界とかけ離れているためだが、韓国の人たちはほとんどそのことに気がつかない。もちろん、政府も、だ。

誰かの真似をして、なんとかなった時代は世界的に終わった。この時代の変化を受け入れられないならば、また、自分たちの常識が世界に通用しない、ということがわかっていなければ、やがて韓国のITもこのまま没落していくだけだろう。韓国の軍が私がいまいる学校の学科と包括提携契約(MOU)を交わした。その記念講演を聞いたが、韓国の軍の電子防空網などを作った方はさすがに優秀だった。その方は「これからはTechnologyの時代ではなくImaginationの時代だ」と最後に言った。その通りである。大学でもTechnologyを教えてもしょうがない。このままでは韓国の大学は大学ではなく「職業訓練校」だろう。少なくとも、日本では韓国の大学をそう言ったほうが正しい。

これは、韓国の大学のコンピュータ学科に約1年とちょっと教授として在籍した、私の意見だ。そしてそれは、かつて日本が犯した教育の過ちの後をそのまま追っている、と、ぼくは思う。

 

日本人は「2つの生き方」を意識せよ

かつての炭鉱の街、夕張市の現在がニュースになっていた。そして、記事はこれが日本の将来の姿だ、という。日本の人口減少、少子高齢化は止まらないだろう。だから、必要なのは、そのときどうやって、死ぬまでのあいだ、経済的に「コンパクトに生きる」か?ということに、夕張市は舵を切った。市の規模が増えることはない、衰退するだけだ、ということが大前提としてある。誰もそういう将来は望まないだろうが、現実とはそういうものだ、という風景がそこに広がっている。

オリンピックが開催される2020年には、日本の人口の半分以上が65歳以上。この日本では、いま、日本人の目の前には2つの道がある、と、私は考えている。

高度経済成長の時代はとっくの昔に終わった。今日よりも良い明日は座ったままではやってこない。自分で行動を起こすしかない。そして、経済的な豊かさを求めるならば、日本を出るしかない。これが1つめの道だ。

一方で、衰退していく日本の「地域」では、その地域の中にいる限り、その中でどうやって無理なく人生を終えられるかを考える段階に来ている。これが2つめの道だ。

つまり、「日本を捨てて経済的利益を求める」か「日本の中で衰退を肯定しそれに逆らわず無理なく生きる」か、という選択が個人個人に課されている。実際、そうしなければならないところまで、日本人は来ている。

2020年は東京オリンピックだが、この年に日本の人口の半分が65歳以上になる。私の年齢もそのとき63歳となる。これは自分にとっても、人事ではない問題だ。

どちらの道をとるにせよ、日本人は日本国内では、これまでの価値観を変えて生きるしか、生きる道はない。しかし、価値観を変えれば、それはそれで無理なく楽しい人生にもなりえるだろう。そして、どちらの道を取るにせよ、それが「豊かな人生である」と感じられる世の中を作ることが必要だろう。

 

STAP細胞劇場のドロドロ

 

米国のNIH(National Institute of Health)は、日本円にして年間約3兆円の予算を持つ、米国の「バイオ研究の総元締め」。真偽のほどは私は確かめようもないが、これまでも、米国以外の重要で革新的な研究をしてきた研究者を潰してきた実績があって、そういうことをする「別部隊」がいる、という話も聞いた。

論文などでの引用とかパクリって、実は遺伝子の研究分野ではけっこう普通にある。おそらく、もっと精査すればいろいろ出てくるんじゃないかな?なにせそういう論文でも、本人が一人で勝手に出したわけじゃなくて、共同で執筆者がいて、今回のSTAP細胞論文は小保方さん以外にも13人の名前が載っている。しかも、指導者は当然いて、Nature誌へ送る以前にも、論文を精査していたはずだ。パクリがあったと言われた博士論文も一人で書いて一人で出すわけじゃなく、指導者がいて、その指導者の精査の元に出すはずだ。が、なんで今頃になってそれが問題とされるのか?

こういう分野の学術論文は、小説なんかの著作とは違って、同じ分野での流行の研究は世界のあちこちで同時にやるものだから、けっこう似たものがあるんですね。だから、論文の一部を流用しても全体として辻褄があってしまうし、また、そういう論文でも、なんとか通る。画像に関しても、大切なことは「画像を流用したか?」ではなく、その画像がその論文のなにを説明するのに使われ、その論文が言いたいことはなんなのか?、実験そのものがしっかりしたものか?ということなんですね。著作権は無いとは言わないが、少なくとも小説と同じように考えるのも、また違う。

また、世界のレベルで見れば、こういう「流行の分野」では、同じような研究を世界の多くのところで競争してやるわけなので、論文の部分のパクリも日常なら、研究成果のパクリも横行しているので、パクられないためにも、論文にも、実験の方法などを100%正確には、わざと書かない、ってこともけっこうある。

iPS細胞の山中教授のときも、最初の論文発表は2006年。でも、それまでも多くの問題が出ることを恐れて、他の分野からもあれこれ言われないように、脇を固めるのにかなりの時間と労力を使っている。ノーベル賞に至るまではそれからさらに数年かかっているし、論文発表も、こういった「周辺の諸事情」を慎重に考慮し、そこに特許を求めず、「公開する」というやりかたをして、特許の取り方も工夫している。

特にバイオ分野は米国の知財で固められている分野だから、そこに風穴を開けるような研究はいちゃもんをつけられて潰しにかかるやつも多いはずだ。

「リケジョ」「割烹着」などの「意外な」キーワードで彩られた「ストーリー」ばかりが先行するような報道は、どう差し引いてみても、それを報道する報道機関の理系の知識の無さから来る、間に合わせ的な報道以外の何者でもない、と私は思うが、この発表によって、日本の某社の株価がバカ高になり、そこで利益を得た人間も多かったはずだ、などということもあったとかなかったとか。

つまり、「STAP細胞劇場」は、「某国のSTAP細胞潰し・あるいは横取り」という動きと、「日本の某社の株をめぐる動き」、そして、それに呼応した「報道機関の報道」が三つどもえになった、結局は巨額のカネや利権をめぐるドタバタではないのかね?という感じがする。

いずれにしても割烹着を着たうら若き女性研究者だけではなく、ほかにも名だたるこれだけ多くの共同研究者がいて、彼女の業績だけをターゲットにあれこれ言われるのもおかしいし、彼女以外の研究者全員が「嘘つき」というのは、まず考えられない。中には自分の実名で、「STAP細胞研究は問題ない」と言う人もいるわけで、さらにおかしい、という感じがする。

陰謀論ってのは好きではないが、あまりに「不整合」なことが多すぎ、結果として「疑惑」も多すぎる。このドロドロ劇の最終章は彼女一人に責任を負わせて終わりにするのかもしれないが、それだけでは済まない「闇」が、もう、ちらちらと見えている。

可哀想なのは、このドロドロ劇の真ん中でいいように持ち上げられ、いいように突き落とされ、ゆらゆらと激流の中を木の葉のように漂う「彼女」ではないか。

 

それって「日本の技術」なのか?

問題が起きているサムソンのGalaxyのバッテリーは日本製だった、ってことだが、手元にある中国HUAWEI製のスマートフォンの中バッテリーは(中を開けることができないので)どこのかわからないけど、半年くらいの利用でとりあえず問題無く動いている。もともとLi-Ion電池は非常にデリケートなものなので、電池だけではなく、電池の周辺のこと、例えば温度管理とか充電や放電のサイクル管理とかが非常に大切なんですね。

加えて、電池は化学製品で寿命もあるものだから、使えば使うほど電池自身の特性も変化していって、正常なものでも2年くらい使うといくら充電しても最初の半分以下の時間しか持たなくなってきたりするし、充電・放電のときの特性も変化していく。

だから、周辺の電気回路も、この電池の長い期間での「劣化」を考えた作りになっている必要があるんですね。そして、その周辺の回路の要は、充電や放電を司るICチップ。このチップの周辺の回路はチップメーカーから供給されている標準回路を元に作られていて、携帯端末の中に置かれる。

ということは、電池の充放電特性、温度特性なんかと、充放電の回路のミスマッチが起きると、電池の爆発事故が起きたりする。だから、電池だけが「犯人」じゃないかもしれない。周辺回路がそういう電池の経時変化の特殊ケースに対応していない、ということかもしれないんですね。

ボーイング787の電池周辺の出火のときもそうだったけど、報道のために話を単純化して伝えようとすると、現場で把握している事実と報道される事実が異なってしまい、それがひとり歩きすることはよくあって、で、またそれが政治で利用されたりする、というややこしいことが起きたりする。

複雑な事象を正確に伝えるのは難しい。それを読むほうのスキルも要求される。情報を受け取る側も勉強したり、考えたりしないと、実情はわからない。世の中は複雑なもので出来ているから、単純なことには多かれ少なかれ「ウソ」が入り込む場合が増える。

報道ってのは、そういうことを考えつつ読むものなんだな。

で、もう1つ言っておきたいのは、最近は「どこの国で作られたものか」については、ハイテク製品ではあまり関係なくなってきていて、中国製でも良いものがあるし、日本製でもだめなものがある、ということ。強いて言えば「どこのメーカーのものか」はあるかもしれないけど、基本的に「国」で製造の品質のレベルについて言うのは実情にあわなくなってきてきている、ということ。

「日本だから」「中国だから」「韓国だから」は、もう意味がない。特にハイテク製造業は、国をまたいで部品を供給し、国をまたいで工場を持ち、国をまたいで資本のやりとりをして、国をまたいで株のやりとりがされ、国をまたいで人材を確保し、国をまたいで知財を保有する。そういう時代だから、国とは関係ないんですね。

「これは日本の技術だから」という日経新聞の受け売りみたいなものを書いている人は、現代の実際の製造業の現場から疎外されているから、そういうことがわからなくて、前の時代の感覚で現在を語ろうとしている、ということ。其の結果は実情をまるで反映していないおかしな認識を産む。置いて行かれているのは、まともな取材をしていないマスコミも同じだけどね。

だいたいハイテクの最先端ってのは、企業や研究所の一部の中にだけあって、一般消費者の目に触れるところには一切無い。しかもリスキーなものが多いから、ほとんどの場合未来永劫人の目に触れることさえなく消えていくものがけっこうある。ましてや他の競合に見られるかもしれない記事に書くことが前提の新聞記者なんかに語るわけもない。本当のハイテクの最先端ってのは、そういうものです。