【客船事故】韓国のテレビで見る「子供の視線」

Namji,Korea

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韓国・釜山から馬山にかけては今日は雨。降ったりやんだり、というはっきりしない天気。テレビのニュースでは延々と客船沈没のニュースが止まらない。まだ止まらない。韓国人にとっては「自分たちが住む韓国という国はどういう国なのか?」という問題になっている感じがする。

法律はあるものの、いざ、あんな事故が起きたら、自分の命を投げ捨てても人を助ける行動が取れるか?それでなくても、あのとき「みんな海に飛び込め、逃げろ!」という叫びだけでも、なんとかなったはず。「動くな」という命令で、その場所から動かなかったために命を落とした学生たち。親とか教師の言うことに従うのは良いことなのか?

韓国中の子どもたちが「いざというとき大人は信用できない」と思い始めるとしたら、それは今後どういうことになるのか?

ニュースが報道すればするほど、子どもたちの視線が、あらゆる子供を取り巻く韓国の大人たちに突き刺さっている。この国では老人は大切にされないが、子供はとても大切にされる。なおのこと、子供の視線が大人には辛いものとなるだろう。政府への批判、マスコミへの批判、現場で潜水をしたかのうようなヤラセが問題になった潜水夫への批判。事故が起きたときの大人の対応、事故の後の大人の右往左往する姿。どれもこれも、子どもたちがじっとその大人の姿を見ている。

韓国という国は、どういう国なのか?子どもたちが大人たちよりも、もっとその絶望を感じているだろう。社会的な力が弱く、声を出せない子どもたちが、この国の親たちに復讐するときが、やがてやってくるのかもしれない。

自分の責任を感じ、自らの死を持ってそのことを償った先生がいた。だからこそ、子どもたちは自分たちの親を教師を、企業の幹部を、じっと見つめている。自分の命と引き換えにするほどのやつらか?こいつらは?と。

今日の韓国のニュースを見ていると、そういうことを感じるのだ。

 

JR福知山線の脱線事故の個人的な記録

2005年4月25日。ぼくは大阪で仕事をしていた。週末はときどき東京の家に帰っていた。月曜日の朝一番の便で羽田空港から伊丹空港へ。伊丹空港から伊丹市の市バスに乗ると、それはJR伊丹駅から阪急伊丹駅を通る。ぼくはいつもどちらかで降りて、大阪市内の職場へ向かうことにしていた。

さて、今日はどちらの駅から市内に向かうかな?と考えていて、「今日はJRから行こう」と決めた。そして、バスに乗ること数十分。眠気が襲ってきて、JRの伊丹駅を乗り越してしまったが、気がついたのが遅く、仕方なく阪急の伊丹駅から職場に向かう他はなかった。

しかし、職場についたら、なんだか騒がしい。聞けば、JRで大きな脱線事故があった、とのこと。

それから仕事に入ったのだが、周囲では脱線事故の死傷者がすごい歴史的な事故だった、ということが語られていた。昼になって、脱線事故の概要がだんだんわかってきたが、それにしても大きな事故だった、と考えたそのとき、自分が東京から大阪に今朝降り立った時間、JR伊丹駅を通り過ぎただろう時間を考えて、「あっ」と思った。

もし、ぼくがバスを眠って、JR伊丹駅を乗り過ごしていなかったとしたら、ぼくはその電車に乗っていたかも知れなかったのだ。

こういうのは、九死に一生を得た、と言ってよいのだろうか?それにしては、実感はもちろん、あまりなかった。

眠気がぼくを救ったのだ。

 

「印象操作」はこのように行われる

Busan/KOREA

Busan/KOREA

「食べ続けたら危ない」という記事があちこちでシェアされています。でも、文章を良く読む、ということを本当にしていますか?ちゃんと読むとこの記事はかなりおかしい。情緒的・感情的な「煽り」はあっても、なにも証拠とか数字が示されていない。間違いばかりではないけれど、全部信用するわけにもいきません。

  1. まず、冒頭にあるこの一言。
    「がんになる原因の大部分を占めるのが食事と言われています」。
    ◆証拠はありますか?統計の数字は?単にそう筆者が思い込んでいるだけ、としかこの記事では読めません。空気は関係ないですか?遺伝は?
  2. ハムとかの項目は昔から言われいて、それでも使われています。
    ◆なぜまだ使われているのでしょうか?
  3. 霜降りステーキはインジェクション技術を使っている。
    ◆これは「安い肉を高く見せる」ものだから、健康とは関係ないのでは?
  4. ねぎとろなどの酸化防止剤について
    ◆酸化防止剤のみを多量に長期間取ればそれは病気にもなると思いますが?
  5. 偽装フカヒレ
    ◆これも、健康問題ではなく「偽装」の問題ですね。なぜ「偽装」と「健康」の違う問題を一緒くたにするのでしょうか?これは印象操作ではよく使われる方法ですが。
  6. 人工イクラ
    ◆これも「偽装」の問題ですが、既に輸入品のイクラが安くて大量に入ってきているので日本では人工イクラは商売にならず、殆ど使われていません。なぜそういう事実を書かないのでしょうか?筆者の悪意を感じます。
  7. ハンバーガー
    ◆ほとんど常識ですが、毎日それだけを食べる、ということのほうが異常であって、食品そのものが「異常」ではありません。このあたりのことはだれでも知っていることです。
  8. マーガリンなどのトランス脂肪酸
    ◆トランス脂肪酸のことばかり書かれていますが、添加物についてはここに書かれていません。ないわけではないのですが。こういう「片手落ち」の記事は、おそらくネットなどの情報を切り貼りして自分で調べていないから、こういう記事になるのでしょう。
  9. いちごジャム
    ◆いちごジャムはその添加物もさることながら、いちごそのものの農薬使用がハンパではありません。非常に害虫に弱いものだからです。このあたりのことはなにも書かれていないのは、やはり片手落ちではないでしょうか?
  10. 醤油風調味料
    ◆作り方が違うだけで、なにが悪いかわからない記事です。グルタミン酸ナトリウムは「味の素」ですから、既にあちこちで使われています。また、醤油風調味料は多量の塩を含むので塩のとりすぎが体に悪いのは当たり前です。加えてこの種の調味料は塩分が多いために保存が効くので添加物は少なめです。
  11. みりん風調味料
    ◆これも「普通のみりんとは作り方が違う」と書いてあるだけで、健康被害があるかどうかについては書いてありません。印象操作のための記事ですね。

以上、いくつか例を挙げましたが、よく読むと「食品偽装」の問題「毒性」「健康被害」の問題がごっちゃに書かれている。おそらく後者の問題だけだと、記事の字数が稼げなかったのか、あるいは筆者の方の能力不足でしょう。「印象操作」というのは、このようにいろいろな問題を混ぜて「すべて悪い」とするやり方です。文章をきちんと読む、という習慣を付けておきましょう。また、感情的に物事を判断しない、ということも必要です。ネット情報とかの情報だけで自分で実際に取材もせずに断定的に書かれた文章があまりにも多くネットには流れています。こういううすっぺらなライターのことをある方は「100円ライター」と呼んでいましたが、まさにそんな感じの方が書いた文章に、私には見えます。

ネットには、こういういい加減な記事がとても多いので、ダマされないようにしましょう。

やがて日本に来る「新・敗戦の時代」

 

日本の産業構造・社会構造は、敗戦後、1950年の朝鮮特需、神武景気などを経て、そのときのままでできており、その後のオイルショック、そして土地バブルとのその崩壊で、「上向き」が「下向き」に変わったときに、その産業構造の変化を作り出すことができなかった。「これまでも大丈夫だったから、これからも大丈夫だろう」としか、役人も庶民も考えることしかできなかった。結果として、イノベーションなどは起きず、緩やかに始まる下り坂に、なんの手も打てないでいる。

突出したリーダーなどは必要なく、そのリーダーでなければなす事のできないイノベーションなど薬にもしたくない、という気持ちが蔓延する中、日本の経済はその基本となる経済成長の再生の処方箋を書けずにいる。

もともとの日本の戦後の景気を作ってきたものは「冷戦構造」であった、という自覚があったのであれば、冷戦構造が終わったそのときに、日本の役所も庶民も危機感を持つべきだった。社会主義・共産主義の崩壊とはつまり、それらのアンチテーゼであった資本主義の崩壊につながらざるを得ない、という当たり前のことをどうするべきか、ということに思いをい致すべきだった。

なぜそれができなかったかを問うことは大切だが、今やその理由がわかったとしても、引き返すことのできない下り坂の途中に、もうぼくらはいるのだ。

この大きな図式の中で考えていけばわかると思うが、原発の推進・再稼働などの世界の流れに逆らう日本政府の狂気は、太平洋戦争に誰の責任をも明確にせずになだれ込んでいった、あの時代を思い起こさざるを得ない。

以前とは違う形ではあるものの、かつての太平洋戦争と同じ狂気がスケジュールにのぼり、そして、日本敗戦のあの悪夢がまた日本にやってくる日はそう遠くない。その新たな時代の敗戦後に、また朝鮮特需のような「神風」が日本に吹くかどうかは、全くわからない。

おそらく、ぼくらはそんな場所にいるのだ。

 

【#STAP細胞】小保方晴子さん記者会見の鳥瞰図

◆全体的に穏やかだった小保方晴子さんの記者会見。全記録は隠された

小保方晴子さんの記者会見が行われた4月9日。2時間36分にわたったそのライブを私は隅から隅まで見たが、既にこの2日後のこの時点で記者会見の様子を編集せずにフルで無料で見られるところはない。マスコミなどがそれぞれの思惑で適当に切り貼りしたものばかりだ。ゆえに、現場のできるだけの再現、ということがネット上ではできない。

◆記者会見の炎上失敗

私が会見の一部始終を見たところで一番目立ったのは、全体として穏やかな会見であったこと、「STAP細胞はあったのかなかったのか」という論点に、質問が集中していたこと。その他は一部のマスコミが騒いで「炎上させよう」として失敗したこと。それだけだ。小保方さんの回答中に大声を張り上げて、回答中の小保方さんの声を威圧的な言葉で遮り、質問の場なのに強硬な意見を叫ぼうとしていた某マスコミのマナーの悪さは特に目立った。が、それも一時のことで、それだけ「炎上」する内容ではなかった記者会見だったし、そういう意味では日本のマスコミが「売れる」ものにはできなかった、という感じだ。

◆マスコミ商売における「商品」の作り方

ただし、翌日になるとマスコミはこの記者会見をなんとか売らねばならぬ、という意気込みが伝わってきた。現場の記者は炎上に失敗して、メディアを売らなければならないデスクに怒られた、という感じかもしれない。そこで、BLOG有名人なども動員して「記者会見場は小保方さんの自腹で35万円」「なぜ最高の弁護士がついたのか」「泣いても化粧が崩れないようにマスカラはしていない」「事前の美容室でかなり作ってきた」などなど、本質とはまるで違うところをあげつらい、果ては「小保方晴子は悪意のある政治家」という物言いまで出てきた。

◆「女性のきめこまやかさ」も「政治」にされる

しかし、この年令の女性に限らず、多くの女性は、多くの人の前に出る、というだけで、美容院にも行く程度のことは当たり前の話だし、他に頼るお金を出してくれる機関もない、ということであれば、記者会見場だって自腹にせざるを得ないだろう。あくまでも私の想像だが、美容室に行けば、美容師さんは精一杯小保方さんのことを気遣うから「今日の会見、泣くかも知れませんね」「ええ」「じゃ、マスカラはやめておきますね」「お願いします」くらいの会話はあって当たり前だろう。ましてや一流どころのホテルの美容室のプロの美容師さんがそういうことを考えなかったとは思えない。

こういう揚げ足をとって「政治家」などと言うようでは、世の女性はみな政治家になってしまう。いや、ぼくも男だからそれに騙されなかったことが全くない、とは言い難いところではあるが。いや、それは別の話だな。

あのライブを最初から終わりまでなんの編集もなく見ていれば、それだけで真実の一端は見える。だから、ライブの映像は消されたのかもしれない、というと勘ぐりすぎなのかもしれないが。

◆「生贄」を作ることによって「組織」を守る

それにしても、小保方晴子さんをなんとか悪人に仕立て上げようとする、その報道やBLOG記事などの役者はもうだいたい決まっている、という感じもする。あえて名前はあげないが、それにしても「怨嗟」とか「こざかしい利益」が間にはいると、化粧一つでも話題にされ「政治家」「役者」というレッテルでなんとかしようとしている姿が痛々しく恥ずかしい。逆に言えば、そういうことさえも動員しなければならないほど「炎上ネタ」に困っている、とも言える。

論文発表までの手続きの話としても、そこに「不正」があったとしたら、そこには理研、ハーバード大学、そしておそらくその他の研究者や研究機関も絡んでいる話で、小保方さん一人の問題ではない。場合によったら「小保方さんが騙されていた」ということだって出てくる可能性もある。つまり、周辺の全部の研究機関を巻き込んで行く話になる。もともと、悪意などが入り込む余地がほとんどない、という論文の査読の過程があり、小保方さん一人ではない研究の過程に関わった世界中の多くの人たちがいる。この人達の責任をすべて小保方さんが一人で負う、ということはまずありえない。当然、理研そのものはその筆頭になるが、それだけのことだ。当然、マスコミは少なくともハーバードまで行ってくるべきだが、この時点ではそれをやった、というマスコミの話は聞かない。

◆50兆円を取り損ねる日本

日本の研究機関は「STAP細胞があったかなかったか」ということ、再生医療の推定将来市場50兆円がかかっていること、それは日本の将来にもかかっていること、という本質的な「大事」を自らの保身、組織の保身などの「小事」で、潰そうとしているように見える。しかもその生贄には小保方晴子さん「だけ」を指名していて他の研究者への「延焼」は防ぎたい、という意図も見える。結論ありきの日本という小さなコップの中での茶番である。

私は日本の国の政府をあまり信用していない、というところがないでもないが、それでも、彼女の「STAP細胞」研究のこの騒ぎによって毀損される国益の大きさを思わずにはいられない。日本政府の大きな赤字を含んだ国家予算92兆円の半分と言われる世界市場の争奪戦の中で、小保方晴子と日本の国、そして日本国民であるあなたと私は、この騒動の喧騒に紛れて、このまま一緒に沈んでいくのかもしれない。

【STAP細胞】小保方晴子さんの会見を見て

4月9日、STAP細胞の研究について、小保方晴子さんの大阪で行われた記者会見をネットの中継でライブで見た。

すぐに、藤沢さんという方のBLOGも拝見した。

STAP細胞の「ない」「ある」は。この時点で「こうだ」と決めつけるのではなく「結果を待つ」で良いと思う。というのは、このBLOGにも書かれている通り「実験には時間がかかる」ものだから。理研のこの前の発表でも、「これから1年かけて実験する」と言っている。また、このBLOGで書かれているものとは違うやりかた、あるいは違うなにかのファクターも実験に使われていたかもしれない。それがこのBLOG主の想像の外のものだったりはしないだろうか?

前にも書いたが、結果が「ある」「ない」のどちらでも良いのだ。間違いがあれば間違いがなぜ起きたのかを追求するのが「科学」だから。

このBLOGの問題は、現時点での「決めつけ」的な表現が果たしてその通りであるかどうか?ということ。かなり「初歩的間違い」について書かれているわけだが、そうであれば他の13人もいる、多くの同種の実験を限りなくしてきたであろうベテランの共同研究者として名を連ねている人だけではなく、実際に現場で研究をしてきた多くの研究員がなぜ気が付かなかったのか?ということも疑問になる。

まぁ、それが理研という場所、ハーバードという場所が「そういうところだった」のであれば、もっと大きな問題がそこにあった、ということでもあるだろう。

加えて、「バカンティ教授は医師だから遺伝子が専門外」と言っているが、これは関係ない。iPS細胞の山中教授だって元医師だ。こういう余計な情報を入れるところを見ると、このBLOGの書き手にもあまり信用が置けない、という感を強くする。

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とまぁ、ここまで書いてから筆者の藤沢さんという方がどういう方か、ということを調べてみたら詳細経歴は「不詳」という人なんですね。名前も本名であるかどうかはわからない。理数系ということで数字をこねくりまわしていた仕事をしている人らしい。バイオとはかなりかけ離れたところにいらっしゃるとしか見えないが、適当に説得力のある記事を書くのは得意みたいです。そうなると、小保方さんのように出自がはっきりしている人とはやはり違う言論のレベルなんだろうな、と思う他はありません。ネットにはこういう人が多いですけどね。自分の分野外のことに口を出すときは、私もすごく慎重です。「私の見るところでは」とか「現在私が持っている情報では」とかを必ずマクラにして書く。あるいは「間違っているかもしれないけど」と、担保を用意して一歩下がる。専門のことならともかく、専門外のことであれば、こういう言い方をするのは、専門外の人間としてマナーのうちですし、それが自分自身を守るものでもある。そういう配慮が必要なんですよね。

 

あなたも「移民」になる時代がやってきた

Facebookとか見ていると、4月だからあわただしい、という記述が多いわけだが、韓国にいると、4月があわただしい、という雰囲気がほとんど無い。学校の新学期は3月1日からだし、むしろこの桜の時期は少しゆったりして桜を楽しむ、という感じだ。

これから日本は外国人の移民を受け入れていくだろうし、日本人も外国で暮らす人が多くなるだろう。異文化は当たり前になっていく。日本人だから、日本の文化を、というよりも、日本人というものがどういうものであるか、がわからなくなっていくだろう。それは時代の流れだし、変えようとしても変えられない。「日本人」である自分の姿をよく見るがいい。日本であなたが着ているのは「洋服」なんじゃないのか?食べているのは、日本食だけか?これから長い時間をかけて、異文化がこんなふうにぼくらの「当たり前」になっていくのだ。

あるときは突然に、あるときはゆっくりと、異文化どうしがこの地球上で融合していく。あるときはその融合がなくなるときもある。こういうダイナミックな動きが、物流などの長距離での交通機関の発達で劇的に安価になり、通信に至っては全く無料で行われることになる。これが、20年前までの世界と今の世界の大きな違いだ。

本気で今の日本文化を守りたい、というのであれば、インターネットも電話も一切を切って、山奥にこもる自給自足の生活をすることだ。そうすれば、そこだけ時間の止まった場所をなんとか作ることができるかもしれない。実際、そういうことをしている人たちが世界には存在する。

日本が住みにくくなり、それに耐えられないのであれば、他のところに行けばいい。他の地域に移動するコストは劇的に安くなっているし、他の地域の情報を別の場所で得るコストはさらに低くなっている。

グローバリズムとは、つまりそういうことだ。移民がいやだ、という言論は、自らもまた生きるために移民とならざるをえなくなったことを想定していない。日本にさらなる大地震が来たら、原発事故はさらにあちこちで起こり、日本は住めない土地となったら、移民しなければならない。その行った先の土地でひどい扱いをあなたは受けたいだろうか?

異文化の衝突もあるだろうし、異文化の融合もあるだろう。グローバリズムとはなにも多国籍企業のものだけではなく、いま、ぼくらの目の前にある現実である。その現実がいやなら、この世に生きることをあきらめたほうがいい。

4月はあわただしい、と言うのは、自分の周辺だけのこと。自分の周辺に、自分と感性を同じくする人だけが住んでいた「心安らかな社会」は、いつでもなくなる。「4月はあわただしい」。この一言を言うのも、自分の周辺の人だけの話だ。世界にはまた違った文化や習慣があり、そういう人があなたの隣に越してくる。あなたもまた、自ら慣れ親しんだ土地を離れ、外国に行くかもしれない。そのときのことを考えて、人に話す何気ない言葉も今から気をつけよう。