「美味しんぼ」騒動に見るマスコミのやり口

ちまたでは「鼻血が出た」「いや出なかった」という話になってきたが「STAP細胞はあった」「いや無かった」という論争に似てきた。どれも「ある」「無い」の二元論で答えが出せる問題ではないものを、無理をしていまその答えを出して提示しよう、というバカなことをやっている。

答えは間にある「グレー」なところにある。しかし、それをそのまま表現せず、わざとヒステリックな騒ぎにしていくことにより、人に「冷静な判断」をすることをできなくしていき、熱狂を煽る。結果として正確な情報が世間に伝わらなくなる。

これが日本のマスコミのいつものやり方だ。どんな話も「単純化」して「プロレス」みたいにして「見世物」にして稼ぐ、ということだ。

こういう「意味の無い熱狂」にのせられないようにすることが大切なことは言うまでもない。

世の中は複雑なことのほうが、単純なことよりも多いものだ。しかし、こと自分の外の世界についてはついつい「単純」であることを無意識に望んでしまう。そのほうが楽だからだ。しかし、現実は単純ではなく、白黒がはっきりつかないものもとてもたくさんある。しかし、マスコミはそういう「普段は意識していないあなた自身の中にある怠惰」にグイッと入り込んでくる。

そうしなければ、マスコミの「商売」にならないからだ。複雑なものを単純に見せて、あたかもそれが真実であるかのように演出し、結果としてウソを書いたことと同じという副作用があるのを承知で、大衆の耳目を集め、商売として本来は成り立たないものを、無理をして商売にするのである。

だから、白黒付けられない複雑な問題がちゃんと世間に伝わらなくなる。そういう意味では、こういう報道をする日本のマスコミは犯罪的でさえある、と私は思う。

「美味しんぼ」の反応で見る日本

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「美味しんぼ」というたかだかマンガに国の政府の大臣レベルの人間がコメントを出すとは、この国の政府のレベルもかなり低くなったな、と思わざるを得ない。政治家も最近は政策よりもマンガレベルの人気商売に成り下がった、というのがよく見える。実際、マンガみたいな政治家は多いように、私には見える。マンガはいくら取材を重ねたとしてもフィクションでしかない。そのフィクションに対して、なんと大人げない、という感じがどうしても、私はしてしまうのだ。

だいたい、この日本は「民主主義」であり「言論の自由」を保証している憲法を現在持つのだから、それが世の中にどんな影響力を持つものだろうが、政府の見解とは違うものだろうが、それがちゃんと世の中に流通することが大切なのであって、それ以上に「言論」というものにとって大切なものはない。

原発の健康被害について「美味しんぼ」の原作者は「2年間調査した」と言うことだが、ヤブニラミの調査だって、なかったわけではないだろうが、とりあえずその「成果」を「信用するか」「信用しないか」という「わたしの次元」ではなくて、そういう人の発する情報でも世の中に自由に行き渡ることが、この日本という国の「健全性」を示している、というものだろう。

とりあえず、政府の役人がそれを批判する、ということがあったり、それを支持する動きも多いが、いろいろなところで問題になっている、ということはあるものの、この国の「民主主義」は当たり前に、まだ、機能している、と言えるのだろうと思う。

言論は自由でなければいけないし、その言論の自由の下で、政府の動きも、人の動きもあるものだ。この「言論の自由」の問題と、「美味しんぼ」の問題になっている中身が正しいか正しくないか、は全く別の問題だ。

理研の発表に思うこと

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理研の今回の発表の「隠し玉」と言われている「Nature」以外への論文提出は、実はこの研究の業界では当たり前に行われていることで、どれかが当たればいいかな、というやり方を当然しているものと思います。同時期にではなく、時期をずらしても、同じことだと思います。

既に理研のこの発表の後に、小保方さん側からの反論も出ていて、こちらもかなり説得力があります。

いずれにしても、理研は組織としてこれから小保方さんを手放すことになります。STAP細胞関連研究は、研究者としてよりも、役所のサラリーマンとしての保身によって理研ではタブーの1つとなる、という感じがします。おそらく、STAP細胞以外の同種の研究もまた、この研究所では扱うことが忌避される可能性が高い。それが日本のサラリーマンの社会の「空気を読む」ことですから。

現在世界では将来年間50兆円という売上を用意できる、という、iPS細胞、Muse細胞、STAP細胞などの研究を核としているという「再生医療」の研究に、多くの労力とお金が注ぎ込まれています。理研はこの分野で数歩は確実に後退することを余儀なくされるでしょう。しかも、表で私達が聞くこれらの「幹細胞に係る研究」は、これらの他にも、数十から数百以上の研究があると言われています。これらが世界で競争している。そこにはリスクもあるし、足の引っ張り合いも、ウソもきっとあるんじゃないかと思います。

これまでも、理研だけでもいくつか見つかっているように、これまで研究者がこういった「不正すれすれ」あるいは見方を変えれば「不正」とされかねないようなことをした、という事例は実はたくさんあります。これをすべてなくすことは不可能でしょう。なぜならば、そのコストがかかりすぎ、世界的な研究の「競争」に勝てなくなるからです。

細かいところを見れば問題が多いのは、かなりの研究分野でそのとおりであると思いますが、特にバイオ系の研究分野はあらを探せばいくらでも出てきそうだな、というのは、私も同じような研究所にいたから、よくわかります。でも、その研究や社会的混沌の中から、「結果オーライ」のものを引っ張りだす、ということがけっこう多いのがこの研究分野だ、というと言い過ぎでしょうか?でも、私はITの世界から行ったので「こんなことでいいのか?」と思うことはたくさんありました。それでも「結果」を出すことが第一であって、実際結果は出ているのです。

つまり、事実として、そういう混沌の中から、この分野の研究成果はけっこう多く上がっている。クラスタ化された多数のPCをスーパーコンピュータのように使って人間のDNA解読で有名になったクレイグ・ベンターなども「The surfer turned scientist(サーファーあがりの研究者)」と言われていたし(実際にサーファーだった)、もともと変な人だったようです。

両方の社会を知る私にとっては、「役人の世界」と「研究の世界」の「水と油」が喧嘩を始めるとしたら、バイオの分野だろうな、と、前から思っていました。そしてそれは今回の騒動で現実になりました。

そして、小保方さんの「研究ノート」はどうでしょうか?「ノート」はあくまで「ノート」。それは他人のためではなく、もともと自分のための記録。加えて、笹川氏も言っていましたが、「ノートにはすべて書かれているわけではなく、PCにだってもっと情報はあるだろう」ということ。私も、もともとIT関係ですが、自分の研究のときはノートの書き方で研究の内容は決まりませんでした。ようするに「私的記録」であって、そこになにが書かれているか、ということのほうが大きな問題なのですが、それは専門の研究者とか本人にしかわからないことです。かたちだけを見て勝手に解釈は、やはりできないところじゃないかと、個人的には思いますが。

このように「なにが大切か」を忘れた日本の公的な研究所からは、多くのバイオ研究のタネが失われていくことでしょう。と、私はこの騒動を遠くから眺めていて思うのです。日本の役人の世界の細かいところまでの厳格さ。そして、それが普通だと思っている日本の多くの人たち。やがて、精緻なレンガ積みのように厳格なこの「日本の社会」が、こういった「攻撃」で、脆くも崩れていくところを、私達はここ数年で数多く見ることになるのかも知れません。

「神は細部に宿る」。それはこれまでの日本の社会です。日本の社会はそういうものを積み上げてきて発展しました。製造業が中心の世界だったし、役人の組織を大事にしてきた社会だったからです。しかし、これから世界的に「細部に宿る神」のチカラはどんどんなくなっていく、そういう世界になりつつあるのだと、いろいろな国を見て来た私は思っています。それがなぜなのか、ということを書くと長くなるので、ここではそういう世界が日本の周囲を取り巻いているのだ、ということだけを指摘しておきます。

小保方さんは日本から離れて、ハーバードに行く可能性は高いでしょうし、こういう研究は既に「国」を単位として行われているものではないですから、その成果がどこの国に帰属しようと、それはどうでもいいことなのだと思います。日本では役所的な「形式論理」で物事を見ることが当たり前のような「空気」があります。しかし、それは正しいでしょうか?形式論理として正しくても、それが良い結果を産むでしょうか?本当はそこが大切なことなのではないでしょうか?

国境は自然になくなる

最近、ぼくはアジアはこれから国境がなくなっていくよ、って話をしているのだが、それにFacebookでも粘着するような人がいたので、ブロックした。久々の「粘着くん」で、ちょっと嬉しかったけど。

もともとその人は友人ではなかったしね。ぼくの話は「そうなっていくよね」って話であって、だから「こういう社会ではこうやって生きていかないといけないんじゃないかな?」って話であって、「国境をなくしましょう」って運動している、ということじゃないんですけどね。この現状、そしてこれからを「予想」しているだけのことで、ぼくはその「予想」を主張しているだけ。

おそらく、それが気に食わない、って人がいたんじゃないかとは思うけど、ぼくだってどうしようもない。できれば日本に引きこもって、安穏な暮らしをしたいよな、とは思うけど、中国製品に囲まれるとか、パソコンなんて台湾企業の中国製だし、という、地域どうしが緊密に連携した今の経済ではそれはかなわないことで、だから、しょうがなく、そうするしかないんじゃないのか?と言っているだけなんですね。

ぼくだってかっこよく「グローバル化せねばならぬ!」なんて、大前研一みたいに知らない人相手に英語教室とかで威張ってみたいし、「おまえら、仕事できないだろー!」とか言ってみたいけど、そこまでかっこいいわけではなく、根本のところは「そうするしかないからしょうがないよね」ってことを言ってるだけなんですね。好むと好まざるとにかかわらず、ぼくらは洋服を着て、洋食を食べて毎日暮らさなきゃいけないよ、というのと同じレベルのことを言ってるに過ぎないわけなんですが。

まぁ、そういうマイナーでかつ後ろ向きなぼくのささやかな「言論」に、食いついて来る、ってのは、まぁ、よほどお腹が空いていたんですかね?としか思う他はないが、やっぱ食事するなら東京が世界一ですよ。どんなに安物でも不味いものにまず当たったことがないからね。

と、横道にそれてますが、それくらい、今の「ネトウヨくん」「粘着くん」は腹が空いてるらしいから、誰かそいつに牛丼でも食わしてやってくださいな。