塩村都議だけでなく

「セクハラ・ヤジ」の問題だが、当初の「ヤジの真犯人」が名乗りでたことで、今度は逆に塩村都議の過去を暴いて人格攻撃を行う、という段階に入ってきた。ところが、その前に名乗りでた「ヤジの真犯人」は実は替え玉だった、という疑惑も浮上し、事はさらに複雑になってきた。また、塩村都議自身、あるいはヤジを言った真犯人やそれを擁護をする人たちがいるのとは全く別の次元で、日本という国が外国から「性差別という犯罪を許容するならず者国家」というレッテルを貼られる事態になっているのだが、日本の政府もマスコミもそのことは報道しない。実はこちらも予断を許さない状況なのだ。

さて、そうは言うものの、私個人としては塩村都議をいまだに応援している。

所属する「みんなの党」が好きというわけでもない。彼女の過去やそのときどきの発言、証拠写真などなど、多くネットには流れているが、元芸能人の女性となれば、現代の日本においては人生の紆余曲折など当たり前にあるものだ、ということを私は良く知っているからだ。かつてミス・ユニバースのファイナリストの女性の方ともお話をしたことがあるが、彼女たちの「その後」でさえ、その多くは全く安泰、というわけではない、ということも知った。日本の普通の男の人生は大学を出て企業に就職し定年まで安泰で、という「モデル」もかつてあったが、今はそれもほとんど崩壊している。しかし、日本のように性差別を当たり前の社会の風潮としている国では、いくら優れた力のある女性でも、人生を生ききるのは男性以上の苦労が伴う。今はそういう時代だし、そういう中で生きる女性であれば、塩村都議のあれこれ言われるあまり人に知られたくないと思われる過去なども、「がんばったなぁ。大変だったね」と思うだけだ。

私は、仕事柄もあるが、これまで日本の中で多くの並の男性以上の能力もあるし努力もしてきた女性を何人も見てきた。彼女たちはみな日々の糊口をどう凌ぐか、ということを考えつつ、将来を見据え、毎日を差別の中で歯を喰いしばって生きている。ときには男性に逆らい、ときには男性に媚を売り、泣かなくても良い場面でわざと泣いたりすることもある。体力的にも社会的にもスーパーマンではないのだから、いつでも強く美しく、とはいかないから、それはしょうがない、とあきらめているところもある。そのすべてが屈辱と自嘲の中で行われていることそのものが「差別」のありようである、ということに思いが至らなければ、日本の社会のあらゆる差別はなくならない。