韓国のいま

南浦ロッテデパートエントランス

南浦ロッテデパートエントランス

韓国・釜山の南浦のロッテデパートのエントランスは広い。日本語のアナウンスもあって、日本人としてはとても買い物がし易い空間になっていると言える。エントランスの円形の噴水を囲んだ広い吹き抜けのスペースには周辺に椅子が並び、ときどき時間を決めて音楽が鳴り、噴水ショーをやる。その周辺で子どもたちが駆け回る。どこにでもある、休日の家族連れの風景だ。

今の韓国はバブル時代の日本に似ている。大資本の企業群が元気で、まるでこの先100年もその企業が元気であるかのように振る舞う。みな自国人であることに無意識にプライドをもっていて、遊びに行ける小金が苦労せずに手に入り、仕事もそこそこある。企業の営業成績は落ちてきているがみんなに危機感がなく、危機を感じているのは海外との接触の多い大企業のトップだけだ。みんな今日と言う日がそのまま明日に続くとなんとなく思っている。豊かであまり苦労がない。

人は親切だが自分のことが一番と考えている。テレビではくだらないバラエティ番組を毎日やっている。そこが楽園であるのに楽園であるという自覚はない。従ってこれから訪れる下り坂が想像できないひとがほとんどだ。企業も人も上り坂だけが自分の目の前に敷かれているものと思って疑わない。おそらく韓国の未来から来たであろう日本人のぼくがなにか言っても無視されるだけだろう。

あのとき日本でできなかったことを、今の韓国でやろうとしてもキチガイ扱いされるだけにちがいない。人はほとんど未来を予測し考えることはしない。未来に備えることを実行する人は迫害される。冬の備えは温かいうちにやれ、と昔から人はいう。暖かな日差しに囲まれたひとは冬への想像力を失う。その姿をいま、ぼくは目の前に見ている。つい最近、夏から冬へと変わった、未来の韓国から来た日本人の私は、この国では一人で踊るピエロだ。目の前に広がる青々とした韓国の水田が悲しい色に変わるのはもうすぐだろう。

人の世は結局このくりかえしなのかもしれない。人とは愚かなものだな、と、その愚かな人の一人である自分は、ため息を漏らす。周りの人たちにわからないように、小さく。小さく。