
晩秋
◆スマートフォンのある生活
朝、目が覚める。スマートフォンの目覚ましが鳴る。午前6時。
スマートフォンを見ると、今日のスケジュールが書いてある。まず会社に行って、午前9時半にやってくるお客様と打ち合わせて。。。いつものウィークディだが、夕方には大学時代の友人との飲み会が入る。外に出ているのが多いときはスマートフォンの電池を充電するタイミングまで教えてくれる。今日はモバイルバッテリーを持ち歩く必要はなさそうだ。
会社に行く途中、スマートフォンのアラームが鳴った。
「GPSによれば、今朝は通勤ルートを外れているようですが、なにか予定外のことをしていますか?」
スマートフォンの画面には怪訝な表情のアニメの女性の絵が出ている。ぼくはスマートフォンに向かってしゃべる。
「ちょっとお腹の調子が悪い。途中下車して飯田橋駅のトレイに寄る。混んでいなければ10分くらいのロスになると思うけど、その後会社に向かうよ」
スマートフォンはそれにこたえて、
「わかりました。遅刻の可能性があるので、会社にも連絡を入れておきます。課長さんのメールアドレスでいいですね?」
と言うので「OK」とだけ答えておいた。この後、しばらくしてトイレから出たらまたスマートフォンのアラームが鳴る。
「薬屋はここから100m南西に行ったところの門にあります。午前9時過ぎにはそこが開きます。出社予定は9時半なので、今ならぎりぎり間に合うはずですが、会社へは再度連絡を入れません。変更した予定を記録します」
とスマートフォンが答える。
見れば今日のスケジュール表に「腹痛のためXX駅トイレで5分」と記入が済んでいる。さらに、「XX薬局で薬を買う。XX円。ロス5分」と勝手に記入されてもいる。この薬がいい、ということらしい。
会社に着くと、最初の接客のための資料をまとめる。スマートフォンの画面には、揃えるべき資料や、今日来る相手のFacebookでの発言履歴などが勝手にスクロールしている。これを横目で見ていると、PCの中に入っている、これまでに揃えた資料がスマートフォンでも見られるように自動的に転送されている。接客のときはこれをプロジェクタにつなぐだけだ。
接客が終わると、しばらくしてスマートフォンが鳴る。
「今日は午後1時ちょうどにアドバンスト・トーキョーの三宅さんと会議です。まだ11時半で少し早いですが、お昼に行くことをお勧めします」
ああ、そうだったな、と、スマートフォンを持って昼食に出る。またスマートフォンが鳴る。
「昨日はちょっとボリュームがありましたね。今日は量が少なめのものがいいでしょう」
昼食はラーメンにしたが、それをスマートフォンの写真で撮ると、スマートフォンがまたなにか言い出した。
「約200kcalオーバーです。今夜の食事は考えてとったほうがいいと思います。飲み会なのはわかっていますが」
さすがに「余計なお世話だ」と言ってしまった。それもスマートフォンが聞いていたらしく、
「すみません。でもこのところ忙しいですから、体には気をつけたほうがいいです」
と返してきた。まったく、母親がいつも横にいるみたいだ。うるさいのでスマートフォンのセッテングで返答の五月蝿さレベルを少し下げた。
今日の打ち合わせの内容について考えながら食べていると、またスマートフォンが鳴る。
「あと10分で食べ終えてください。そうしないと会議の資料をまとめる時間がとれなくなります」
しょうがないなぁ、と急いで食べ終え、会社に戻り、来客との会議に入ったが、会議中にまたスマートフォンが鳴る。
「あと20分で電池が切れます。充電してください。充電時間は30分で80%、1時間で100%。今日はこれから100%充電できますね」
スマートフォンに充電器をつなぐと、スマートフォンの中のアニメの女性がにっこり微笑んだ。
午後の会議と仕事を終え、今日の会議の結果と雑務をしていると終業の時間。今日はこのあとに大学時代の友人と飲み会が入る。会社は違うが同業種なので、おそらく仕事の話にもなるかも知れない。終業30分前に、またスマートフォンが鳴る。
「そろそろ終業ですが、帰りに社長にお話する件がありましたよね。一言言ってから出たほうが良いと思います」
なるほど、思い出した。来月に迫った海外出張旅費の件だ。少々オーバーしそうだ、という話を同僚としていたのをスマートフォンが聞いていて、その中に「じゃ、社長と相談してみるか」という言葉があったので、それを抽出したのだろう。
社長にその件を話しをして、OKをもらい、そのまま会社を出る。行き先は新宿の居酒屋だ。学生時代によく通った、チェーン店ではない、うらぶれた街角の路地にあるところだが、学生時代を思い出すには絶好の場所だ。ここ数年来ていない。友人も何年も来ていない、と言っていた。
スマートフォンが喋り出す。
「このお店は初めて来たところですね。どういうところですか?」
答える。
「学生時代によく通った店。今日会うのも、学生時代の仲間だ」
スマートフォンが聞いてくる。
「学生時代の、フットサルのクラブの仲間ですか?それとも、クラスメート?」
「いや、両方だ」
「わかりました。お店の情報その他を記録しておきます。お友達の顔写真も撮ってくださいね」
店に入ると、学生時代そのままの顔がぴっちりとした黒いスーツを着て座っていたので、少し笑ってしまった。いや、自分だって彼にはそう見えているはずだ。
「懐かしいなぁ!」「変わらないな!」
学生時代の出会いは、一生の出会いだ、と感じる。したたかに飲んで、お互い家路につく。このあいだ、スマートフォンはぼくらの会話を聞いていて、声の特徴なども記録している。話しが弾みすぎて友人の顔写真を撮り忘れたが、次回会うときは、彼の声の特徴を使って、スマートフォンは彼とぼくが会っていることを認識することだろう。もちろん、彼から電話がかかってきたときでも、「大学時代の友人のXXさんですね」と教えてくれるに違いない。
飲み過ぎたな、と思った。近くの私鉄の電車に飛び乗って、そのまま寝込んでしまった。
降りる駅に近くなると、スマートフォンが鳴る。
「そろそろ降りる駅です。準備をしてください」
その声に目が覚める。フラフラになりながらも、ホームへ。もう時間も遅いので駅からのバスはない。そこからタクシーだ。タクシーへの支払いも、カードと紐付けされたクレジットカードの非接触で行われるから、ここで小銭を出す必要はない。タクシーを降りると、そのまま自宅のアパートのベッドに倒れこむ。また、スマートフォンが鳴る。
「玄関のカギをかけ忘れてます。施錠しておきますか?」
「ああ、やっといてくれ」
カギが自動的に「ガチャ!」と音を立てて閉まる。ぼくはスーツのまま、深い眠りに落ちた。
◆ログアウト
ある日、スマートフォンが鳴る。
「ログアウトしてください」
え? と思った。しばらくそのままにしていると、またスマートフォンがつぶやいた。
「ログアウトしてください。時間です」
言われるままに、画面に出ている「ログアウト」のボタンを押した。
「ご苦労様でした。あなたの人生はここまでです。長い間、ありがとうございました」
ぼくは、死んだ。
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米国の著名な学者が人工知能がさらに発達すると人類は終わる、と予言した。本当に、もうすぐやってくる未来とは、本当はそういうものなのかもしれない、と思った。