「インダストリー4.0」の真実

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インダストリー4.0っていうのは、もうやるべきところではみんなやってて、参考文献もWebも現在山のように存在していて、知らないのは若いIT系アナリスト程度のレベルのひとたちなんだよね。

実際にインダストリーといっても、いろいろな形態のものがあるから、現場現場でちがうわけですね。これはちょっと想像してみるだけでわかるよね。紙を作っている工場と釘を作っている工場じゃやることがまるで違うわけでね。実際に工作機械をネットに接続して、なんていうことは、やったことがある技術者は実は日本にはいっぱいいるのね。ただ、そういう技術が日本で重要であった時代は1980年代から90年代くらいでね。いまはそういうことができるIoT技術者は退職しているか、あるいは、日本以外のところで活躍してるのね。日本にはもう製造業の主な工場が無いからね。日本での一部上場の製造業でも、海外が拠点で、しかも、この円安でもなかなか帰ってこないのは知ってるよね。「帰ってきてます」というポーズは日本の政府のためにするけど、実態はそんなに簡単に帰ってはこれないよね。よくその手の記事を読むとわかるけど「XXの生産の一部を」って書いてあるよ。みんな、帰ってくる、って言ってもその程度。だって、巨額の投資したんだもん、投資がある程度回収されるまではいくら良い立地であろうと、すぐに生産拠点を変更することはできないからね。生産拠点変更を決めたとしても数年以上かかるわけですね。当然、生産拠点変更というそのことにも大きなお金がかかる。それに、いまどき、韓国のサムソン電子だって資本の54%が外資ですからね。日立製作所だって英語で役員会をする。外資の比率が大きいからね。SONYだって白人が社長・会長だったでしょ?企業は国なんて関係ないからね。今の巨大企業はどこも「グローバル企業」であって、国は関係ないのですね。

あれだけ日本国内ではヤンヤ言われている韓国にだって、日本の一部上場企業が続々と投資して、大工場なんかいっぱい作ってますよ。あまり報道されていないけど、2014年の日本からの対韓国投資は過去最大ですからね。

IoTの話に戻ると、あの時代と今が違うのは、IoT機器、特にコンピュータ周辺、ネットワーク周辺のコストなんだけど、あの時代とやってることはほとんど変わらないのね。で、昔はそういう先進的なことをしていても、守秘義務契約があるからね、それをやったぼくらなんかは、誰にも言わないし、当然、IT関係のジャーナリストなんかにしゃべるわけもない。今になって「IoTがぁ」って言い出しているのは、そういう実情を知らない若い業界の人たちだけですね。実際に現場に行けば、そんなこと、もう20年前からやってるよ、おとといおいで、とか、言われるだけですよね。おそらくね。

大体、工場で使う工作機械なんかは、数千万円とか数億円するわけでさ、コンピュータとネットワークつなげて、ソフト書いて、ってのに数百万円かかります、って言っても屁でもない業界なんだからさ。そんな美味しいマーケットには、もう20年以上前から、いっぱい企業がよってたかっていろいろしてるのなんて、ちょっと想像しただけで、わかりそうなもんだけどさ。知らない、ってことはおそろしいことだねぇ。

 


格安スマートフォンの普及はストップか?

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二千円程度、という毎月の通信料+通話料で済んでしまう格安のスマートフォンを推進する一番のベースとなる「MVNO業者のSIM」が、いよいよ底を打ちそうな気配だね。というのは、そのMVNO業者のSIM(というか通信回線)を卸しているNTT-docomoが、今年は毎年下げていた回線の卸しの料金を、凍結に等しい下げ幅にしてきたから。とは言うものの、現在はIP電話などを使えば、MVNOのSIMで毎月2千円を切る料金でスマホが使える場合も出てくる、という非常に格安な料金設定だから、そろそろ他のキャリアからとか、docomoの他の部署からの圧力もあって、しょうがないだろうな、というタイミングではある。なにせ普通の三大キャリアの通信料金は毎月なにも通信しなくても、またオプションの余計なサービスを使わなくても、毎月7千円くらいしたのだから、あまりに価格の差があって、これが普及すると困るだろうな、というのは見えてきたからね。

とは言うものの、客は二千円ほどの毎月の通信+通話料金ならOKと考えている、というところまで、スマホの価格意識が下がって来ていることも確かなこと(これはMVNO業者のパブ記事だが、この前半の数字は大変に参考になる)。これをまた以前の水準に引き上げることは、おそらく不可能だろうね。

かく言う私も、MVNOの利用者で、この1年半くらいで、SIMフリーのスマートフォンを2台取り替えたわけでね。旧機種はメンテしつつ残してあって、自宅のWi-Fiに接続し、通常は寝床用、トイレ用、居間用、などと分けて使っている。そのうち1つはdocomoの中古品を買ってきたものだが、防水仕様なので、雨の日はこちらにSIMを差し替えて外出したりする。

現在のメインは外国との行き来もあるので、freetelpriori2の3Gの機種だ。LTEもこの機種ではあるのだが、とにかく落としても気にならないほどの価格であることと、SIMのスロットが二枚ついていること、画面は大きくないが、軽くて非常に電池が持つことが気に入っている。とにかく軽くて小さいので、シャツの胸のポケットに入れていて違和感がない、というのが一番大きい。でもね、ごめんなさいね、SIMはfreetelじゃなくて、他のNTT系の会社のなんですよ。IP電話とセットで安いからね。

で、日本では総務省もSIMフリーを進めている、ということだから、これからは日本も今までのビジネスモデルを完全に断ち切って、新しいビジネスモデルにしないと生きていけないよね。今までは垂直統合的で、キャリア、機器、サービスなどすべてをキャリア一社で賄う、というやりかただったものを、キャリアは回線だけ、メーカーはボディだけ、サービス業者はサービスだけ、というように分けていかなければならないよね。この数年で日本人の可処分所得もがくんと減ったわけでね。ぼくみたいにみんな半年ごとにSIMだけ差し替えて、新しいメーカーの違う新品や中古の機種に取り替える、という時代が来ると思うのね。業界再編しないとだめだよね。これに成功したところだけが今後の日本のモバイルでも生き残るだろうね。それができないとダメでしょうね。と、個人的には思うな。

で、もう一つ言っちゃうと、LINEとかカカオトークみたいな、端末のキャリア認証を使うようなアプリの仕組みってなんとかならないのかね?ボディとSIMを短期間に変更していくってことは後生大事に1つの端末を使うわけじゃないわけでね。毎日取り替えるかも知れないわけで、端末で認証するとか、SMSや音声で印象するとかって、やめてほしいわけですよ。SIMフリーの時代にはね。まぁ、主な技術者が韓国の人だから、言いたいことはわからないでもない。韓国ではいまだに、携帯やスマホの通信といえば、SMSが中心だからね。でも、ワールドワイドで考えると、SIMとかボディに張り付いたアプリなんて、Identificationの抽象化ができていない時点で、もうダメダメですよ、ってぼくは思うね。やっと最近、おまけみたいにFacebook認証とか入ってきたけどね。グローバル時代には、これじゃ生き残れないでしょ。Googleに負けて終わるね。

 

Faceを思わず見てしまうこと

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Facebookを見ていると、まさに「Face」ばかりの記念写真がすごく多い。ぼくは自分を撮るとか、撮られるのがあまり好きじゃないので、そしてそれを公開されるのも好きではないので、顔をあまり出さない。まぁ、他の人と一緒に撮られるのはしょうがないな、とあきらめているけどね。

でも、自分の顔の写真を自分で見るのとか、偉い人と一緒にいるところの写真とか、って好きな人多いよね。「オレはこんな偉い人と一緒なんだぞ」みたいなね。ぼくが一番嫌いなのがそういう写真なのね。虎の威を借るというかなんというか、自分を実力以上に見せたい、っていうところ、別の方面から言えば、自分に自信が無い人がやることだよな、それは、と思うわけですよ。大人になってそれやってるのって、すごい恥ずかしいことだよね。と、ぼくは思うから、やらないのね。

ついでに言えば、食べ物の写真、宴会の集合写真、ってもう見飽きたよね。そういうのは見ないでさっさとスルー。おれはこんないいもん食ってるんだぜ、みたいなのって、その人の卑しさみたいなのがにじみ出ていて、僕としては「あぁ、この人の醜いところを見ちゃったなぁ、ごめんな」という感じになっちゃうのね。ましてやそれを自分で出す、ってのは、そういう神経が信じられない。毎日の自分のための記録でいいんじゃないのかねぇ、そういうものは他人に見せるもんじゃないよ、と思うわけです。そういうものを他人に見せているとき、本当に他人に見えるのは、普通は、その映像そのものじゃなくて、それを見せたい、というその人の心根なのね。なんのためにそういうことをあんたはしているのか、っていう、そこを見られているのね。

で、そうじゃない食事の写真とか、ってのもある。でもそれは映像を専門にしてきた人が自分の生き様の一部として、言い換えれば作品の一部として見せているものとか、その連続が不思議と芸術というものに対するその人の考え方なんかを表現するものになっているとか、そういうものもあるのね。素人がこんないいもん食べたから見て!というのと、それは全く違うんですよ。自分の生き様、自分の命をかけた表現の、それは一部なのね。自分のいのちの記録が、自分の表現が、そこには込められているのね。それが見えるから、それが普通の食事の写真の連続であっても、共感がそこにできるの。そういうものなんだよ。

Face(book)を見ると、一発でその人がわかる。その写真の撮り方やどの写真を見せるか、という選択、そういうところに、その人の人間性がにじみ出てくるのね。ぼくの好き嫌いで言えば、だけど、自分という人間に自信が持てない人の自撮りと、自分というものに自信のある人のそれは、ぜんぜん違う写真表現なんですよね。で、ぼくはやっぱり自分に自信を持っている人が好きなのね。