小保方晴子著「あの日」を読んでみた感想は「それって男の嫉妬から始まった醜いゴタゴタなんじゃないの」って感じもするんだけど。

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「STAP細胞騒ぎ」で有名になった小保方晴子さんの、あの「STAP細胞騒ぎ」の顛末を彼女の側から書いた「手記」、「あの日」が出たので、早速恵比寿の本屋に行ったのだが、既に売り切れて無い。秋葉原の書泉グランデにもなかったので、仕方なく、新宿紀伊国屋に行ったら、ありました。店頭でワゴンの上に山になっていたので買ってきて、近くのコーヒーショップで読了。なにせぼくもかつていたことがある「業界」で、しかもちょっと近い研究をしていた研究所にいたこともあって、興味が尽きないところではある。小保方さんの記者会見のライブも、韓国の大学にいたときに、ネットでしっかりと最初から最後まで視聴した。本には白い表紙に薄い黒で本のメインタイトルと小保方さんの名前がある。デザインとしては、最近のWebもそうだけど、この「真っ白」ってのは清潔感があって好きな装丁だ。

で、実際に読んで見ると、最初の4章までは小保方さんの一番良かった時代であろうと思われる、研究者になり、下働きもし、多くの人たちに認められ、ハーバードでの生活もし、という、おそらく今となっては夢の中にいるような充実した研究者人生の話。是非若い人に読んでもらいたい、と思う、そういう部分。エキサイティングで楽しい。この章を読むと、今の若い人も、分子生物学の研究をしたい、と思う人が多くなるだろうな、という、そういう輝きがある。読んでいて本当に楽しい部分だ。分子生物学の知識が無くとも、分からないところは飛ばして読んでも、楽しい。

5章以降、STAP細胞がその名を付けられ、自殺してしまった笹井氏など多くの日本の分子生物学の重鎮に認められ、マスコミも注目し、という部分になる。そして、それが「誰かの」あってはならない情報リークや成果の横取りに近い行為や、誹謗中傷などによって、どんどん事が「違う方向」に行き、最後は、小保方さんから「研究する人生」を奪うところまで行く、その顛末が小保方さんの側で小保方さんが感じたことも一緒に書かれている。「手記」なのだから、客観的事実である、ということではなく、あくまで彼女から見た「騒動」について、書いてある。

細かいことは本書を読めば良いことなので省略するが、おそらく、小保方さんを取り巻く誰かが、小保方さんに嫉妬し、この一件を「騒動」にしてしまった、という、そういう感じがどうしても私はする。結果は嫉妬を抱いた「誰か」自身のこれまでの業績のみならず、将来の業績をも奪ってしまった。それだけではなく、日本どころか世界が必要としていた「新しい発見」をも闇に葬った、ということだろう。嫉妬は人間社会のガンである、と本書を読んで私は強く思った。実際、年若い女性の優れた研究者を目の前にした「優れていると言われているのになかなか業績が残せない男」の嫉妬は、非常に醜い。見ていて醜いだけならなんとか我慢できるが、それがいくばくかであれ、国民の税金で禄を食む研究者である、なんてのは、普通の国民から見たら「許せない」という領域に入ることになるだろう。

小保方晴子さんは、「男の嫉妬」に潰された、と私は思う。「嫉妬」は、実力ある小保方さんの周辺の方々も道連れにし、日本のみならず世界の損失を作った。「男の嫉妬」は醜い。そして陰湿だ。ぼくもそういう「男の嫉妬」には何回も出会ったことがあるが、特に30歳前後という年齢の女性にとって、それは私のとき以上に耐え難いものであったことは想像に難くない。認められることに執着しているのに実力がなく、自分に自信のない男ほど、嫉妬に燃えやすい。

しかし、タイムマシンがあるわけではない。小保方晴子さんのような若く優れた研究者は、おそらく多かれ少なかれ、周囲の「嫉妬」と戦うことを余儀なくされる。成長がなく、いいこともない今のような世の中ではなおさらだろう。小保方さんは「良い経験をした」と、ぼくは思う。それも30歳代という若い時代に、この世の同世代の誰もができなかった経験をしたのだ。時間を元に戻せない以上、そう思って、次の機会を自ら創りだす人生のたたかいに再び戻るために、今は力を貯めておいてほしい、と、私は思う。


台湾・蔡英文民進党政権の今後を予想する

蔡英文民進党は5月に稼働を始めるが、当然のことながらそれまでの3か月ほどは、春節の休みをはさみながら旧政権から新政権への引き継ぎが行われることになる。台湾は世界的に見れば人口数や面積などで欧州のフィンランドなどに近いが、かといって欧州の例をそのまま持ってくることはできない。台湾は台湾である。

フィンランドも目の前に「ロシア」という領土拡大の意思を持つ国と国境を接しており、反対側はバイキングの歴史を持つ国に囲まれている。「フィン人」という単一民族の国であり、極寒の地でありながら森林資源と水に恵まれている。そのため、他の欧州の国に比べ、比較的「国防」に意を注いできた地域でもある。ロシア国境の街、ヨエンスに行ったことがあるが、そこには巨大な「国のために亡くなった人たち」の墓地が雪景色の森の中に広がり、しかしその街にもロシア正教会の教会もあり、風景だけを見るとロシアのようなところもある。なにせサンクトペテルブルグまでクルマで4時間ほどの場所だ。

台湾もあくまで比較上の問題ではあるが、隣の巨大な侵略の意思を持つ国と国境を近く接し、しかもその国は公然と「台湾は自分の領土である」と言ってはばからない。とは言うものの、台湾の経済はかなりその隣の大国に依存しており、民間の交流もはるか昔から非常に多い。対立ばかりではやっていけない。台湾の多くのネイティブの民族は、大陸の福建省から来た「移民」の人たちと、南方から来た海洋少数民族の混血であると言われているが、そうだとしたら、大陸の民族と同一ではないにしろ、共通点も多い別民族である。2008年以前の大陸中国の政府と対立していた、と言われる新政権と同じ民進党政権は、今や国民党政権時にさらに深まった台湾の人々の交流を一気に断ち切れるとは、とても考えられない。国民党政権のときに作られた「親中国」の姿勢でも、中国との最終的融合を目指すとはいっても、それは台湾に住む人たちの多くの意見を大幅に取り入れつつ、緩やかに行われたといっていい。これは、1947年の「2.28事件」が台湾の多くの人の記憶にまだあり、それが国民党政権時でも、急激な大陸中国の政府の進出を拒んだものであろう、と考えることもできる。しかしながら、その骨子は「台湾という地域を13億の大陸中国と資本主義社会のGatewayとする」という政策であって、そこに台湾の存在感があった。そのため、1600基の台北を狙った大陸中国のミサイルはこの8年間、台北に向かうことはなかったし、今回の選挙時や前回や前々回の選挙時も、大規模な紛争につながることもなかった。

今回当選した蔡英文・民進党政権も、基本的には「現状維持」を望む多くの台湾民衆の意思を無下にはできず、基本的には国民党政権時と同じ路線を走りつつ、「国民党とは違う民進党」の看板を降ろすわけにもいかないから、「反中共」の旗をときどきチラチラと見せる、という程度にする他はない。国民党政権とは明らかに違う、ということを見せるパフォーマンスやそれに近い政策は当然出てくるだろうが、大陸中国との関係破綻・両岸断絶の決定的な戦争状態に入ることは、台湾自身の破綻も意味するから、それは無理だろう。2008年以前の民進党の政権時でも、大陸中国に常駐する台湾人ビジネスマンとその家族は100万人はいたと言われている。あのときは、台湾と大陸中国の直接交易が禁止されていたため、多くの両岸の交易は日本の沖縄を通して行われていた。その扱い量は非常に多く、在沖縄で資本主義をよく知る台湾人の華僑団体の勢力が大きな力を持った。そのため、沖縄には早くから台湾の政府の弁事処(領事館扱い)が置かれており、北海道に弁事処が置かれたのは、そのはるか後だ。

また、蔡英文氏個人は客家の出身であり、この出自は馬英九現総統はじめ、大陸中国要人や巨大企業の経済人脈ともつながる。ちなみに、世界に散らばる中華系の人たちの約1/3が客家であり、客家からは多くの優れた人材が排出している、と言われている。

ちなみに、2008年、国民党が政権を民進党から奪取した時点で、台湾は大陸中国に飲み込まれる、という危機感を、国民党政権も抱いたが、それを阻止するための「台湾の存在感」を台湾は示し、自分のポジションの基盤をしっかりとキープする必要があった。国民党の政権奪取時には、その方策は考えられていなかった。しかし、その後、台湾の政府がとった政策が「大陸中国と資本主義世界のGatewayとしての台湾」という政策だったし、それしか台湾が台湾として平和的に世界の中で生き残る道はなかった。そのため、三通、ECFAをはじめとした政策で、必死にこのポジションをキープし、強固にしようとしたのである。一方で対大陸中国に燃えた国民党の台湾の軍はすでに国民全皆兵の方針を変更しており、軍事での対抗よりも、経済での対抗を主眼に置いており、これは世界的な流れでもある。

蔡英文・民進党新政権もその主張がどうあれ、劇的なこの路線の変更はできないだろう。しかも、大陸中国はすでに資本主義世界とのGatewayとして手狭になった台湾を捨てようとし、その役目を朝鮮半島に持って行こうとしている。この試みが失敗すれば、大陸中国の政権はふたたび、台湾にGatewayの役目を負わさなければならないため、大陸中国の現政権も、蔡英文・民進党政権を無視できない状況にある。しかも、この先、必ず来る「不動産バブル崩壊」に備える必要も、当然ある。大陸中国の政府は、これまでの国民党政府よりはるかに柔軟に民進党政権と親和する道を探らざるを得ない状況がかつてよりも進んでいる。

結論を言えば、民進党政権になったからといって、台湾の政府は基本的な台湾の政策を変えることはないだろう。ただし、政治的なパフォーマンスとして、「反大陸中国政権」の旗を降ろすことも、またないだろう。蔡英文・民進党政権の政策は、ドラスティックに大陸中国との関係を覆すことはなく、また、大陸中国の政権と大規模な戦争を起こす、ということもない、というところに落ち着くのではないか、と私は思っている。

【追記】
台湾の「ラジオ・台湾」の報道によれば、台湾最大の発行部数を誇る新聞「自由時報」の蔡英文氏への選挙後のインタビュー記事の内容として「平和と安定を得るための両岸関係の現状維持」を蔡英文氏のメインのメッセージとして掲げている。また、1992年の台湾の政府と北京政府の合意として「合意できる点を探し、できないところは残しておく」というところを強調している。簡単にいえば、現状維持でいくよ、ということである。なんにせよ、「台湾」という地域の政府の名前を「中華民国」という国民党色の濃い名前から「台湾国」とするところに持っていくのは、かなりの困難が伴うことであろうし、そうしたいと考えて、できたとしても、蔡英文氏の代でできるかどうかは不透明であることに、現状はかわりはない。蔡英文・民進党政権を取り巻く状況も、2008年以前の陳水扁・民進党の時代とは様変わりしている。蔡英文氏は、現実的な道を行かざるを得ないだろう。


真夏の夜のLAとEagles/Hotel California

今から10年ちょっと前、ぼくは会社の同僚の運転するクルマでLAのSanDiegoからの海岸沿いを走っていた。真夏の夜のむせ返るような暑さと湿気が顔に当たる。「ここにしましょう」。運転手をしてもらった同僚に言われるままに入った小さな海岸沿いの古いホテルのオープンのバーでマルガリータを注文して、暑いからだを余計暑くしてその高温高湿の空気に海の匂いの混ざったなんともいえないバーのけだるい空気に酔っていた。

音楽は適当なスムーズ系のジャズが流れていた。古いケニー・ロジャースだっただろうか。でもあの空気には、やっぱりイーグルスのホテル・カリフォルニアがあっていた、と、今でもあの空気を思い出す。LAのビーチの真夏の夜の音楽に、それはぴったりだった、と、今も思う。今もLAの夏の夜は、きっとそういう夜に違いない。

EaglesのGlenn Freyが67歳で亡くなった、というニュースを聞いたとき、まず頭に思い浮かんだのはあのカリフォルニアの真夏の夜にSanDiegoの海岸通りをあちこち飲みまわったときの思い出だった。だいたい、ぼくは泳げないのである。しかもクルマの免許もないから、職場の同僚のクルマでなんにもない真っ暗な海岸しか見えないLAの夜に繰り出したのだ。しかも「青い空と青い海」のカリフォルニア/LAではなく、どこかけだるさの漂う暑苦しい空気のあのLAだ。しかも夜だ。真っ暗な海岸には波が打ち寄せる音がする。何人かの人たちがなんだか海岸で騒いでいる。酒に酔って騒いでいるのだろうが、その風景さえ、懐かしい。その大声の合間に聞こえる波の音がぼくのLAの音である。

さらに、その波の音の合間に、EaglesのHotel Californiaが響いている。いつまでも、いつまでも、響いている。

 


TJC StarQ Q5002を使ってみた

Q5002 正面全景

正面から見るとこんな感じ。十分に画面は綺麗。

TJCのSrtarQ Q5002を秋葉原で見つけた。正月特価とかで、12016円(税抜き – ちなみに昨日秋葉原に行ったら、税込みで\13,800-)。基本的にぼくはスマートフォンは高いものを買わない。なぜかというと、かなり使うほうなので、落としたりすることもあって、落としても惜しくないもの、というのが、まず大事だからだ。実際、世界のスマートフォン事情を見ると、インドでは5千円台のものからあったりして、最多価格帯は日本円で1万円~2万円前後、というのが普通だ。この価格帯のスマートフォンは世界の情勢を肌で感じるのにも良い価格帯だ。Q5002はSIMフリー端末の標準機的な存在ではないかな?と思う。スペックはQuadCoreにRAMが1GB/ROMが16GB。外部ストレージのmicroSDは64GBまで対応。画面は5インチでFull HDではないが、1280×720。安価な端末としては標準的スペックだが、一方でSIMが2枚挿せる(1つはGSM専用)とか、電池が自分で工具なしで交換できるとか、小さなところだけどストラップホールがあるとかは気に入っている。加えて、docomo系のMVNOのSIMでは、docomoのWCDMA/HSPA+ (800、2100)MHz、LTE (800、1500、1800、2100)MHzが使えるなど、広範囲の電波に対応している。田舎でdocomoは大丈夫、なんてところでも電波が届く。ちなみにGSMはGSM/GPRS (850、900、1800、1900)MHzに対応しているから、ほとんどの外国で使える。最近の機種はRAMが2GB以上のものが増えてきているが、3Dゲームをガンガンやるとか、常駐アプリを無駄に多く入れてるとか、そういうことでなければ1GBでも全く問題はない。ぼくのように、Facebook、LINE、カメラ、twitter程度でときどき動画、みたいな使い方であれば、全く問題ない、と言っていい。

背面

背面はプラスチック。写真上部に見えるのが電源スイッチ。手前の側面には音量上下ボタンがある。

外装は画面以外は背面もプラスチックで安っぽさはしょうがないが、アルミに比べると落としたときのダメージは少ない。ぼくはスマートフォンには「高級感」は求めないし、この価格だし、と思う。ぼくは「ステータスを持ち歩く」というのは好きではないから、腕時計もしないからね。側面は至ってシンプルで、音量上下、電源、イヤホンジャック、microUSB、マイク穴、そしてストラップホール。背面にはカメラレンズ、フラッシュライト、スピーカーの穴。前面には電話スピーカー、明るさセンサー、フロントカメラ、通知LED、もちろん、タッチパネルディスプレイ。標準的なものが標準的についていて、過不足なし、という感じだ。

中を開けたところ背面

背面の蓋を開けると二段重ねのSIMカードスロットとmicroSDスロット、そして電池。

背面のプラスチックの蓋を開けると、2600mAhのちょっと大きめの電池が出現。その隣には、二段重ねになった2つのSIMスロット。その隣には、microSDカードスロット。この電池で普通の自分の使い方であればほぼ1日は持つ。まぁ、このあたりは人によるわけだけどね。で、電池が交換式で工具なしで自分で抜き差しできる。替えの電池は3千円くらいで純正品を売っている。フレキシブル基板で作ったアンテナも、内部に見える。

上部側面

上部の側面にはmicroUSBとイヤホンジャック。内部にはWi-Fiのアンテナなどがある。

まぁ、こんなもんかな?感もあるが、必要なスペックは十分以上。実はオクタコア+Android5.0のスマホも使っているが、「CPU-Z」アプリで見ると、なんと後半の4つのコアが使われていない。だから、現時点では、QuadCoreでも十分、という感じがする。オーディオの音はいまいち、という評価がネットではあるが、ぼくはBluetoothのノイズキャンセリングイヤホンを普段使っているから、全く問題はない。

使っていてなるほどな、と思ったのは、背面の蓋がプラスチックだと、熱くならないのが良いところ。その分、内部に熱はこもるものの、最近のスマホは熱くなるようなものはまずないから、安心だ。

ネットではこういう「格安」「SIMフリー」の、あまり有名ではないメーカーのものはほとんど情報がなく、自分で買ってきてあれこれと調べて見るしかない。しかし、実際に使ってみると、Xperiaのような派手さとか、ラグジュアリーさ、なんてのとは違う、ちょっと野暮ったいというか質実剛健系の外観は、これはこれでアリだよな、と思う。音楽や映画、写真などをバンバン詰め込む、ということがなければ、外部のmicroSDカードも必要無い感じだ。とは言うものの、秋葉原でいまどき、microSDカードは64GBで2千円くらい。32GBで千円しないから、ちょっと良い昼飯を食べたつもりで、32GBのmicroSDを入れておくのもいいかもしれない。

また、使い勝手もまず普通。すごく速い、ってことはないが、のそのそした雰囲気は全くなく、キビキビと動いてくれる。しばらく使ってみてわかるのだが、プラスチックの裏蓋などの外装も、そんなに安っぽい雰囲気がない。デザインもけっこういい感じだ。ガンガンに3Dのゲームをしないという人にはお勧め。

 


ぼくはよく秋葉原に行く

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ぼくは時間ができると、よく秋葉原に行く。家が近い、ってのもあるが、それ以上に、そこになにかある、という楽しみがあるからだ。しかし、秋葉原が好き、というのでもない。長く仕事で日本を離れていても、日本に戻るとまず秋葉原に行くのだが、行けない時でも禁断症状はない。また、昔PCが流行り始めのときも、よく「PCヲタク」「マニア」と間違われたが、ぼくはPCに触っていれば満足、ということもないし、PCなんてなくてもどうでもよかった。明らかに「マニア」ではない。

あるとき、職場でぼくはラジコンの小さなクルマを走らせたら、そのときの上司に「職場は遊び場ではない」と、怒られたときがあったが、別に遊んでいるわけではなかった。今はとっかえひっかえ使うために、SIMフリーのスマホを5台もっていて、必要に応じてああでもない、こうでもない、といじる。これも別のスマホが好き、ということもなく、必要がなくなればさっさと手放してしまう。

PCもラジコンも、また違うものも、ぼくの場合はそのものに「将来性」を感じるものは、他の人がなんだかわかっていないうちに、自分の手にとって動かしてみて、その「感じ」をつかむ。それがつかめたら、もうその機器などに用はない。捨てるなり、誰かにあげるなりしてきた。つまり、ぼくは「マシンへの愛」というものはない。マシンはしょせんは道具であって、それを私達がいかに使っていくか、ということが問題なのだ、というところに、自分としては徹しているつもりだ。

タブレットもいくつも使った。しかし、今、自分の手元には1台だけしかない。あとは自分には必要がない、ということで、欲しいと思ったときに、必要だと思ったときに、また手にいれれば良い、と考えている。だから機器にシールを貼ってなんか主張する、なんてつもりもなく、スマホでもタブレットでもPCでも、だいたいデフォルトのアプリのまま、というものがとても多く、デスクトップにあれこれ置く、ということや、スクリーンセーバーに凝る、ということもない。「自分のもの」という意識がない。あるいはそういう意識を必要だ、と思っていないのかもしれない。

ぼくはITの業界で長く仕事をしてきたが、その機器に愛着を持ったことはない。機器を「好きだ」と思ったこともない。思い出してみれば、そういう意味で、ぼくはマニア、ってことじゃないんだな、と自覚している。

ぼくはそういう「新しい機器」を通じて、新しい時代とそこに生きる人を想像して楽しくなる。だが、それだけだ。面白いのは、道具を作った人であり、道具を使う人だ。つまり、社会を見る窓として、スマホとかPCとかの機器がある。他の人は知らない。なぜそんなにPCなどを「自分のもの」と思って好きになれるのか、ぼくはいまだにわからないのだ。

 


 

スマホは1万円以下で十分だ

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「SIMフリー」のスマートフォンをこのBLOGでは度々紹介してきたが、最近の流れは、毎月1000円以下、という非常に安い通信費用に加え、初期投資のスマートフォン自身も、日本で買えるものでさえ、1万円前後からという非常に安い本体のものがけっこう出てきて、なかなか売れている、ということがある。

スマートフォンのエキスパート(というか、要するにマニア)なんかで、ゲームをガンガンやる、という人には、当然、3万円以上の高い機種をお勧めする。CPUの性能も高いだけではなく、通信速度やメモリの容量も十分過ぎるくらいある。高度なゲームをするにはやはり高性能な機種が必要だからだ。

しかし、スマートフォンを持つ多くの人は、そこまでの性能は必要ないことが普通だ。たとえば、ゲームは時々するくらい。メールをする、Facebookやtwitterをする。ときどきニュースを見て、YouTubeで動画を見る。観光地や職場などで写真を撮って、ときどきはビデオを撮る。このくらいだったら、1万円前後からある安価なスマートフォンで十分だ。日本でも、Freetelなどが一般向けで十分な性能の機種を扱っている。その他、秋葉原に行っても、家電量販店に行っても、最近は安く買える機種が花盛りである。

1万円前後からの安い機種と、3万円以上の高い機種のどちらを選ぶかは、繰り返すが、あなたがゲームなどのCPUのパワーをたくさん使うアプリをする人であるかどうかで決まってくる。

 


あけましておめでとうございます

2016年、元旦。あけましておめでとうございます。

通りいっぺんの、なんの変哲もない、新年のご挨拶です。でも、毎年、「変わらない」というのは、いつもいつも変わっていく新しいものを求める仕事をしているせいか、すごく大切なことなんじゃないか、と最近は思います。きっと「平和」というのは、今日と同じ明日がある、という、ごく平凡な希望が持てる状態のことなじゃないか、と、思うのです。でも、人間の歴史はいつも動いていて、なかなか動かない時ってのは来ない。今年は大きな変動があるように思います。いいことか、悪いことかは、わかりません。きっとその両方でしょう。ここを読んでくださっている皆様に幸あらんことを。