IoTってだいたい25年前には基本的なものは確立していたんですよね。今は大企業じゃなくて弱小零細企業がそれを使う番だよね。

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こりゃ「ダメダメ記事」の見本、とはぼくは思うのね。「当時、IoTは依然として概念段階にあり、センサーはようやくほんの一握りの機器に組み込まれ始めたところだった。」ってあなた、それ、あんたが知らないだけ。ドイツのSIEMENS、日本の三菱やPanasonic、米国のRockwellはもうこの時代にほとんどの工作機器の世界ネットワーク化を完了してます。当時は、日本のKEYENCEなんかも元気だったしね。ぼくはそういう仕事したもの。当時はIoTって言う言葉がなかっただけ。いまだにそれをやってないのは弱小零細企業とか開発途上国でね。先進国の大企業はそういう「ICT化」ってほとんど終わってる。ただし、そんなことは普通は社外秘だからね。取材に来た学者とか業界紙の記者なんかにはポロポロしゃべるわけもない。ましてやインターネットにその詳細を書くわけもないし、第一その時代はインターネット以前の時代だからね。たとえ公表できたとしても、一番大事なところはやっぱ隠すわけだよ。

日本を筆頭にした世界の大企業では既に20年以上前に世界的ネットワークの上で工作機械とかロボット自動倉庫とかって動いていたんだよ。当時の国際データ通信回線の値段は今のインターネットとは比べてもにならないくらい高かったんだけどさ。なんかねぇ、「おとといおいで」とか言いたくなっちゃう記事。だいたい、1993年にインターネット上でブラウザできたわけでしょ。その時期から今何年たってると思ってんのさ。工場の労働をロボットや自動機械でコンピュータ使ってやったほうが安い!っていうのも、原価計算すればすぐにわかること。こういう記事に騙されちゃいけないよ。とは言うものの「限界費用ゼロ社会」ってのは、まぁ、当たり前に来るわな。それはかつで隆盛を誇った「国」という単位が限りなくゼロになりつつある社会、って言い換えてもいい。まぁ、これは世の流れだわな。

当時ね、某大企業の広大な某工場では、たくさんの自律型ロボットがすごい勢いで働いていて、敷地の中を資材や工具をせっせと運んでいたんだよ。運搬中のロボットの直前に手をかざしたら、ロボットはさっと、止まって、ぼくらが彼の前を通り過ぎるまで、じっと待っていた。20年以上前からそういうのは動いてるのね。でも、ぼくも外注だからね。守秘義務があるわけで、それがどこの会社のどこの工場だとは言えないわけですよ。やっと最近、守秘義務の例外規定としての「公知の情報」になりつつあるものだけ、こういうところで書いてるわけです。

 


IoT技術の最前線

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「IoT技術の最戦前」という記事をここに書こうと思ったんだが、あと2か月くらい速い感じがして、今はやめた。

しかし、ここまで来たのか、世の中ががくんと変わる。それによって、利益を得る人も、大変な不利益を被る人もいる。この流れは止めることができないな、という感じだ。これはインターネットが始まったとき以上のインパクトがあるかもしれない。すごい世の中になったものだ。あの、インターネットを知ったときのワクワク感が、戻ってきている。

IoTとかなんとかいうものの、最近の「電子工作遊び」ってのには、どこか虚しさが漂うのですよ。

RaspberryPi2

最近は「IoT」という単語があちこちで聞かれる。これからのITのトレンドはこれだ、という。いや、それ、ぼくはとても嬉しいんですよ。自分が20年以上前からやってきた専門だからね。え?小さなボードコンピューター?Linux?それも嬉しいな。ぼくがずっとやってきたものだから、それの上でなにか作る、ってのも、全然苦じゃない。ということで、このところ流行っていた幾つものボードコンピュータを端から使った。みんな基本はLinuxですからね。全然難しいこともない。おまけに、たいていの外部とのインターフェイスは最初からデバイスドライバが用意されていて当たり前。全然難しくない。

しかし、20年以上前からこういうことをやってきた自分としては、今ひとつ「新しさ」がない。「なにを作れるか」ということが問われた時代じゃなくて、今は「なにを作ったら儲かるか」が大切な時代になったんですよね。だから、秋葉原とかに来て、秋葉原の電子工作のパーツとか売っているお店に来ても、なんだか「虚しい」感じがする。今の電子工作って、ぼくみたいな年齢の人間の「昔を思い出す趣味」か、「学生の趣味」とか、そういうものでしかないように思うのですよ。日本ではね。20年以上前のそれは、もっと希望に満ちていて、日本や世界の将来を支える、という、そういう大きな夢があった小さな工作だったんだな。だから、ハンダゴテの使い方1つでも、自然と力が入ったし、その一挙手がそのまま未来につながる、って希望に満ちていた。製造業が全盛で、製造業が日本の富を産んでいて、学生は医者とか弁護士になれなければ、エンジニアになる、それでも大きな希望が将来に開けていた、という、そんな感じだったんですよ。今はその時代に比べると「電子工作」ってのは「趣味の工作」で、それ以上の広がりがあまりない。ちょっと恥ずかしくてアニメヲタクになってコミケで変な格好を晒したら彼女に怒られると思うから、代わりに秋葉原のお店で買ってきた電子工作キットでコンピュータをつなげてLED光らせて「あ、光った、すげー(←ちっともすごくない。当たり前)」とかって、動かして遊ぼう、という、いじましい今の学生の精一杯の趣味。あるいはおじちゃんの昔語りのネタ。その程度でどうすんねん、と思うけれども。でも、そういうほうが人口多いんだろうねぇ。

コンピュータもそうだしね。みんなその世界で閉じていて、他の世界と繋がることなく、今はあちこちがコンピュータ。だから、IoTってのは、その「ITの世界が他の世界とつながる窓」みたいなもんだが、そういう名前がつく前から、ぼくらいっぱいやってたわけでね。で、ぼくらの世代以下の世代の人は「IoT」というと、元気のいい若い人間にあれこれと作ってもらって、面白いものができてたくさん売れればいいよな、それが経済の起爆剤にならんかな?昔の夢よもう一度、とか思ってるわけだが、世界的に製造業は衰退しつつあって、今はなにを作ったら売れるのかわからないから、あれこれ若い人間に特攻攻撃させてみよう、みたいなのが「IoT系ハッカソン」みたいなもんだよね。ぼくが見るにね。

だから、ハッカソンではその成果の「知財」についてほとんど触れられていないから、ハッカソン主催者がわずかなお金で若い人間にあれこれやらせて、売れそうなものの知財は横取り、みたいな、そういう感じがなきにしもあらずなんだよね。そりゃ、やるほうも面白くありませんね。そうじゃなくて、もっとフェアにできないもんですかね?とは思うんだけど、日本では古くから若い労働力をいかに搾取するか、ということが産業の要諦と思われているからね。本当に質のいい「知財」を作る人は、これだから、逃げちゃうわけですよ。その場所からね。そういうもんだね。日本って社会でものを作る、ってのは、要するにそういうことでね。

で、秋葉原の街を最近歩いても面白くないのは、そういう若い人間に示せる新しい未来がないくせに、それを若い人間に作ってもらえばいいんでないかい?という横着な大人がふえたためなんだろうね。自分でやれよ、と思うよ。年齢は関係ないよ。その後ろ姿で若い人間の教育ができない、不良の大人が増えたんでしょうね。

街をエラソーに歩いてるおじちゃん、だから若い人に嫌われるんだよ。わかってる?。


「重力波通信」の可能性って、それ、新しい無線通信だよね。どうなるんだろう?

 

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本当に「最先端の技術」ってのは、それを持っている人はこの社会の中ではごくわずかで、決して多くの人には知られない場所に置いてある。それは多くの人はそれを見聞きしてもわからないし、理解ももちろんできない。いや、世の中の多くの人は、普通は「理解」などしていない。「名前を聞いているだけ」であり、名前を聞いて理解していると思い込んでいるだけ、という人がほとんどなのだ。だから、本当の最先端の技術は、多くの人に受け入れられない、というところがどうしてもある。それが大衆化し「最先端技術」として大々的に紹介される頃には、それはもう「最先端」でもなんでもない。

本当の最先端とは大衆の目に見えない場所にあり、名前もなく、形もなく、概念だけだったりする。それが突然製品としてこの世に出たとしても、「鳩が豆鉄砲を食らう」って感じだから、多くの人が「それがこの世にあるもの」とは認められない。多くの人が「それはこの世にあるもの」と認める要素は「それがその世に存在すること」だけではなく「それに名前がついていること」なのだが、最先端のものはその後者がまだない。だから、なかなか「認知」されないのである。

この前、「重力波」がはじめて観測できた、という話が世界中のニュースになった。アインシュタインはこの重力波の存在を予言しており、その重力波で通信ができる、ということも言っていた。この「重力波通信」が安価な機器でできると、現行の電波法は全く意味がなくなる。「電波ではない電波」ができるわけだから、その通信は従来の通信機では傍受(盗聴)できず、また妨害もできなくなる。当然だが、混信もなく、その存在さえあるのかどうかがまるでわからない。重力波の実用への研究が進むとしたら、それはアインシュタインの予言の中で語られている「電波ではない通信」になるのは確実だ。

この「重力波通信」は、普通の電波での通信よりもはるかに秘匿性が高く、それが出ていることさえわからなくなるだろう。であれば、やがて出てくるであろう重力波通信のモジュールが秋葉原の秋月電子あたりでワンチップのICとして数千円で売られることになれば、現在の携帯電話網とか電話網だって、全く必要なく、世界中が無料の通信で接続される時代が来る可能性が出てくる。つまり、NTTさえ消滅する可能性がある。

私たち人間は100年前には、飛行機なんて全く及びもつかず、それを最初に研究した人たちはキチガイ扱いされた。まさか100年の時間を経たいま、私達が日常でそれを使って地球上のあちこちを短い時間と少ないエネルギーで飛び回る、なんてことは、当時はほとんどの人には想像もつかなかった。しかし、100年後にその世界はやってきた。

電波の通信だって、ヘルツが「理論だけ」でその存在と利用を予言したのは1888年、今から128年前でしかない。今、私たちの生活は、電波なしではやっていけず、かつ非常に安価になり、世界中の誰もがそれを使うようになった。

重力波通信だって、それがすぐにやってくる可能性はある。今はキチガイ扱いされている最先端のその技術には、おそらく違う名前がつけられるだろう。最先端の技術というものは、そういうものだ。いま、目の前にない。見えない。名前もない。しかし、それは確かに存在し、私たちの生活を全く変えていく。法律も、もちろん変えなければならないし、法律の前提となる「物事の定義」も変えていかざるを得ない。「最先端」とはそういうものなのである。

ぼくは「最先端」の仕事ばかりしてきた。これからもそうだろう。だから最先端のものがどのように世の中に生まれ、どのように世の中で扱われ、どのように世の中で迫害され、どのように認知され使われるようになってきたか、ということを、この目で見ている。既に次の時代の最先端の萌芽が目の前にいくつかある。ぼくらの仕事はこれを実用性のある製品にすることと、名前をつけて世の中に認知させることだ。そう、それにはまだ名前がないのだ。

世界の製造業は中国を中心にこれから分散されていくんでしょうね、とは思うのだが、日本も少しは製造業残ってるよ。まだまだ。少しだけど。

このBLOGを書いているのは2月5日の夜だが、今日、鴻海精密工業が経営再建中のシャープと優先的な交渉をする、という文章を取り交わした、とのことだ。(台湾新聞記事)

昨日の4日のニュースでは、シャープの株主総会で余裕をかましていた高橋社長は、そのとき「鴻海」「日本政府」という2枚のカードを手に入れていたんだが、今日、そのうちの大きなほうの一枚である鴻海のカードがさらに強力になった、という段取りがあったのですね。こうなると、ここから日本政府が再生機構で出てくるのはちょっと難しくはなったものの、実際のところは、どちらも考えられる、という意味においては現状は同じことになりそうだね。こういう交渉事は「蹴る」のは簡単だからね。

土壇場でのどんでん返しとして、日本の政府の機構のほうにシャープの役員が寝返ることもなくもないが、それでも鴻海の郭会長は「一枚取った!」という感じにもなるだろう。シャープがどっちに転んでも、鴻海の郭会長の優位がより明確になるだけ、という感じがする。ここで鴻海がこのシャープ獲得レースに負けたとしても、次回は当然鴻海の側に軍配を上げざるをえなくなる。「柿は熟してから食うと美味しい」の例えもある通り、鴻海の郭会長はおそらくそんなにガツガツはしないはずだ。

「世界の工場」は日本を逃れて中国(現在4万7千社の日本企業がいる)や韓国、その他の国に逃げているところだ。そして、その投資へのリターンがある程度確定するまで、その日本企業は帰ってくるこができない。財務上、それは仕方がない。そうして、時代は変わっていくのだ。

さて、このシャープ騒動、この先はどうなるのか?興味は尽きない。

 


経営学の無力

P1000577台湾ベースの企業「鴻海精密工業」が、シャープを買収する、というニュースが今日の一番大きなニュースだろう。結局、日本の政府側はシャープ支援に3千億円しか用意できなかったが、鴻海は7千億円を用意したうえに、従業員の削減はしない、役員はそのまま、などの条件をつけた。当然のことながら、シャープの首脳陣は鴻海に傾いた。とはいうものの、土壇場で日本の政府と日本の銀行連合がそれをかっさらう可能性もまだ残っている。

直近の状況はそんなところだが、実際のところ、周囲を見渡すと、世界の製造業のほとんどは日本企業の出る幕ではないし、中国企業や台湾企業、そして、ベトナムなどの企業が製造業の中核になっていることはいうまでもなく、その世界的な流れからいえば、これも自然な流れなんでしょうね、というしかない。

もっとも、「従業員を解雇しない」とか「役員は残す」とか言ってるけれども、営利企業である以上、不採算部門は切り捨てるのは当たり前だろう。それが買収直後ではなく、数ヶ月先かもしれない。いまどき、どこも雇用を守ることを前提にできる会社は世界を見渡してもほとんどない。ましてや生き馬の目を抜くような競争の激しい製造業でのことだ。簡単には答えは出ないだろう。終身雇用が当たり前であった時代も違えば、台湾や中国の製造業の文化と日本の製造業の文化は大違いだし、日本の製造業は衰退している。

日本という地域から発祥した製造業の大手は、このシャープの買収をきっかけに、雪崩をうって外国企業の傘下になる可能性はあるだろう。すでに「東京スター銀行」だって、中国信託総合銀行(これも台湾ベース)の傘下である。業種は違うが、前例がないわけではないのだ。当然だが、いま話題の東芝も例外ではないし、同社はドル箱の半導体部門も売りに出している以上、どこかが買うことになるだろう。

世界は国という単位がベースでは動いていない。企業という単位がベースで動いている以上、こういった国や地域をまたいだ資本のあり方というのは、当たり前になる。その流れを国という単位でも、FTAとかTPPで後押ししているではないか。当然、資本の流通は当たり前に国境を超えていく。こういう時代の企業は、国が作った法律やモラルはあまり関係ないし、ドラッカーなどが語られた牧歌的な資本主義の安定というベースはもうない、というところで、企業は勝負をかけていかなければならなくなる。

日本発の企業でも、トヨタはすでに中国はじめ世界各国数百箇所の製造拠点を持ち、韓国へのトヨタ車の輸入は、米国のトヨタの工場から行われている。米韓FTAがあるから、関税なしで貿易が可能になるからだ。Panasonicは台湾の台南に巨大な工場を持っているし、トヨタの子会社であるDENSOも、韓国に大きな工場をいくつも作っている。これは韓国企業と思われているサムソンも同様で、サムソンのスマートフォンはほとんど中国工場で作られている。韓国の現代自動車も、売上は世界第二位だが、世界130箇所に生産拠点を持っている。もうドラッカーの言っていた「経営」「企業」はないのかもしれない。企業は国がベースではなく、企業のいうことを国が聞かなければならない時代がきたのだ。

製造業の現場で多くの企業を見てきたが、とにかくこの10年くらいで企業のかたちが大幅に変わった、と、感じる。しかも、大企業ほどドラスティックに変わっている。企業倫理という言葉はもうない。そこには仁義なき企業と企業の戦いがあるだけである。企業の社会的役割とか、経営者のありかた、なんてのを尊んだ精神から見ると、今の経営はウェットなところが何一つない「荒野」と呼ぶ他はないが、それが現実ではないだろうか。ということは、現代の「経営学」というのは、本当の経営とはまるで関係のない「絵空事」「空想の世界」における「経営」というものを研究している学問であって、本当の経営とはまるで関係ない。言い換えればSFのアニメみたいなモンにならざるを得ないんでしょうね。っていうと言い過ぎか。いや、そう言ったほうがあたってる気がするんだけど。

 


「ヒエラルキー」ではなく「ホラクラシー」

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「ホラクラシー」というのはウソつきの毎日を表現した「ホラ吹きの暮らし」のことではなく、ましてや「洞で原始人のように暮らす」という意味でもない。「ヒエラルキー」の反対語みたいにして使われる言葉だが、会社などの組織をフラットにする、という試みのことなんだな。なんか既視感があるんだが、昔、会社の中で社長でもなんでも役職名で呼ばずに「さん」付けで呼びましょう、なんてことをやった時代があったよね。あれと似たようなもんだよね、というと、ホラクラシー推進者の人には怒られるとは思うけど、要するに、社内の役職というのを廃止して、組織の内部はみんな平等にしましょう、ってことだね。たしかに、それ、面白い。

ホラクラシーを実際にやってみた、というホラなんだか本当なんだかわからないBLOGエントリーもいくつかネット上で散見するようになった。とはいうものの、例えば会社というのは、みんなの給与が支払われるからその会社にみんないるんだよね。その給与の元は、会社という集団で仕事をしてその対価としてもらったお金だよね。だとすると、そのお金の社内での配分、って、すごく大切なんだよね。ホラクラシーになると、社長の給与と新入社員の給与を同じにするのかね?経理担当者はどうするの?経験者と未経験者で仕事をする量も質も儲ける金額も変わると思うけど、それはどうするの?みたいな、いろいろな問題があるよね。だから、今までのヒエラルキーがいい、ってんじゃないくてさ、そういうことをするときには、かなりの労力を使って会社の組織を変えないといけないわけでね。そのあいだ、会社は開店休業するの?そのときのみんなの給与はどうするの?誰が決めるの?っていう問題もあるよね。

ホラクラシーで組織を運営できるのは、おそらく、中小企業に限られる。というのは、大組織になると、退職するまで社長の顔も知らない社員、なんて山ほどいるわけでさ、組織そのものがヒエラルキーで固まって長いから、その組織以外の組織は考えようもないからね。「さっき、エレベーターの中で掃除してた人な、あれ社長だぜ」「こういうところにこういう格好で出てくるなんて、イヤミな社長だよなぁ」なんてことも、大組織ではあるわけです。中小企業であれば、社員と社長が危機感を共有して、一致団結で事に当たる、ってことはできるわけさ。つまり、ネットベンチャーみたいなところだと、なにも言葉でホラクラシーなんて言わなくても、社長より給与のいい社員だっていておかしくないし、まぁ、これまでもそれでなんとかしてきたし、これからもなんとかなるだろうね、で、その名前が「ホラクラシー」であろうとなかろうと、なんとかなっちゃうんでないかい?ってことだね。

人数の多い大組織はそうはいかない。いろいろな考えやいろいろな種類の人がいるし、会社としての統一感なんてものもハナっからないわけでね。そういうところにはホラクラシーって「法螺暮らし」みたいな感じになっちゃうんでしょうね。日本語と英語混ぜてダジャレを言ってる場合ではないんだが、ようするにそういうことね。

ヒエラルキーを前提とした組織ってのは、人間の歴史の必然から生まれたものなんだが、このところホラクラシーと言われるようになってきたのは、人間の社会、特に先進国の社会がそういうものを求めだしてきているから、ってことも大きいんだろうね。でもさ、中華系の社会だとさ、「人に認められて偉くなること」「大組織の長になること」ってすごく重く見られるのですね。そういう価値観があるの。その上で、社会の中の人は自分の行動を決めているし、その行動決定の割合としては、けっこうそういうものが大きい社会なんだよ。だとすると、ホラクラシーは、その前提をすべてナシにするものでね。おそらく、中華系の社会ではホラクラシーは受け入れられないと思うのですよ。

「政治」ってのは、その地域の社会の利益配分のためにできたもので、その必要に応じてヒエラルキー型の組織ができたものなんだよ。だから、ホラクラシーによる秩序ってできない。力関係がすべてでできている社会だから。そういうことも考える必要があるよね。