ARMの成長の先にあるもの

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面白い論考ではあるんだが、ARMのコンペティターはIntelだけだろうか?今後、新しいコンペティターは出てこないだろうか?「美味しい市場」には、全く考えもしない人たちが大きな資本を片手にやってくる。そういうものだ。また、IoT市場は調査会社の言うような数字で拡大していくだろうか?現状はそれほどの拡大が見込めるかどうかわからないという面がある。Intelも試験的にIoT市場に自社の開発用の製品を投入しているが、Intel社の規模からして、それほどの予算を割いているようには見えない。加えて、将来への保険として、IntelはARMの分野にもあちこち手を伸ばしている。彼らも次の世代のなりふり構わない模索を初めている。

実はIoTの市場に実際身を置いてみてわかるのは、IoTを使ったシステムを開発していく人員の不足である。ハードウエア、ソフトウエア、ネットワークなどなど、多岐にわたる分野のエキスパートが必要なのだが、そのエキスパートが絶対的に不足している。数年のにわか教育ではそういう人員は作れない。この20年間、IT産業は拡大を続け、大学などの教育機関では分業化も進み学科も「ソフトウエア」と「ハードウエア」「通信(ネットワーク)」を扱う学科に別れ、多くの学生が勉強している。ということは、これらの技術を統合化して扱う「IoT」にはこれらの教育機関で教育された人員は不適なのだ。

なによりもIoTは現状は「バズワード」であって、キーワードだけがなにやらわけもわからないままに先行して語られ、その実態は現状は定まっていない。「だいたいこんなものだろう」というものだけだ。なにを作ったら売れるか、ということもわかっていない。

こういう現状において、IoTがたどるべき次のステップは、(1)なにを作れば良いか、という「製品企画」の重要性を認識すること。(2)ハードもソフトもネットワークもわかる「IoTのエキスパート」の養成、ということに尽きる。このステップなくしてはIoTというキーワードの成長はありえない。

ソフトバンクのARM買収は、これまでリニアに伸びる予測を指数関数的に伸びる予測としたうえ、グッドタイミングで起きたUKのEU離脱による円高ポンド安効果を考えると、50年と言わず、数年で元が取れる買収である、と私は見ている。このソフトバンクの「慧眼」は、たいしたものだ、と思う。しかし、経済予測というのは、未知のリスク・未知の時代の変化による未来は大変に読みにくい。だからこそビジネスは面白い、とも言える。

現在のところ「美味しそうに見える市場」である「IoT」というキーワードはその知の資源の獲得の段階で足踏みしている、と私は見ている。ここに新たな飛躍をもたらすものが、「教育」という長期投資なのだ。

 


POCKEMON GOは反体制かもしれない

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7月21日に日本でリリースされたスマホのゲーム「ポケモンGO」の話題があちこちで聞かれる。マスコミも大騒ぎだし、いろいろな記事も見られる。こういう記事もあった。この記事からすると、田舎では都会に比べてスポット、ステーションの数が少なく、遊んでいても面白くない、というのだ。

ポケモンGOは、この記事の記述に従うと「田舎では遊べないゲーム」ということになる。当然だが、携帯電話各社の基地局の電波が届かないところでは、さらに使えなくなるのは言うまでもない。このゲームは都会人のためのものなのだ。

一方、日本の政府は「地域格差解消」「過疎地域を元気に!」などの「地方創生」の取り組みに非常に力を入れている。であれば、ポケモンGOはその反対を行くものだ。ということは「POKEMON GO」は「反体制」アプリではないのか?ということも言われる可能性がある。と私は思う。

日本のみならず、多くの地域で、都会への一極集中、地方の過疎化というのは大きな問題として取り上げられており、それが国力を削いでいる、とも言われる。これからは「地方を元気にしなければ日本の先行きが危うい」とさえ言われている。

そんな中で出てきた「POKEMON GO」は、今のところ「反体制」アプリである、ということは言えるのではないだろうか?と、私は思っている。将来はどうなるか、見守って行きたいものだ。

 


電池が自分で交換できるスマホが必要だ、という個人的な理由

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一昔まえのスマホは電池を自分で取り出して交換することができた。今売っているスマホは、そういうことができないものが非常に多い。そういう意味では、私はASUSのスマホはけっこういい、と思っている。スペックは現代的なのに、電池が自分で工具なしで取り外せる機種がほとんどだ。最近のスマホは電池が自分で交換できないものが多すぎる。

電池が取り出せるとうれしい点は以下だ。

  1. 初期不良の電池は多い。交換はできるだけ早くしたい。だいたい、電池は初期不良が非常に多く、使い方や電池の品質のばらつきで、1年もすればとりかえなければならないことも多く出てくる。そのとき、電池交換さえすれば良いのに、ショップに本体を修理扱いで預けて、数日から数週間もスマホが使えない、という時期があるのはなんとも悔しい。
    電池交換のための修理の期間、代替え機を貸してもらうにしても、スマホのアプリをあれこれ入れていると、それを復活させるのは面倒だし、電池交換が終わって本体が帰ってきたときには、代替のものの中のデータの消去も非常に面倒だ。また、「修理上がり」になって帰ってきたときには「アプリのアップデートの嵐」で、しばらくスマホが使うに耐えない期間も生じる。スマートフォンにすると、音声での通信はほとんどなくなる。アプリ経由とかが多くなるので、こういう点はスマホのハードウエア設計時点からしっかり考慮して欲しいものだ。
  2. 電池トラブルがあったときにすぐに取り出せる。電池は、化学製品でばらつきも多いので、不良も多いし「電池が爆発した」という事故も世界中で増えている。電池を取り出すことができれば、電池が熱くなってきた、というときにさっと電池だけ取り出して、本体に膨らみ、爆発などのトラブルの被害を受けないようにすることができる。
  3. モバイルバッテリーのような野暮なものは持ち歩きたくない。やはり本体だけで持ち歩いて、長時間使いたい。電池がなくなってきたら、交換すればよい、というのは、モバイルバッテリーよりもスマートな方法だ、と、私は思う。

スマートフォンを使う側としては、電池の交換が自分でできる機種でないと、安心ができない、というのが個人的な感想だ。あくまで個人的な感想だけれども。だから、ぼくはいつも新しいスマホを買うときに、電池交換ができる機種かどうかを非常に気にしている。

ASUSという会社のスマートフォンはすごいな、と思うのは、そういうニーズがしっかり把握されている設計がされているところだ。電池交換ができるスマホの現行機種は現在は限られており、既に3大キャリアにはほとんどなく、MVNOではASUSが目立つ。

 


ARMはこれからどうなるのか?

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ARMの元ライセンスを保有している会社をSoftBankが買収。ってのは、まぁ、そういうこともあるんかいな、面白いことになったなぁ、でも、ポンド安といっても、そんなに劇的に安くなった、ってことでもないんだなぁ、じゃ、EUってなんだったんだろうなぁ、とか思うことしきり。

で、要するに商売ですからね、安い買い物と思えばさっさとお金出して買うだけの話ですからね。いいんじゃないのかい?ってなもんですよ。それが資本主義だからさ。EUのあるなしとか、そういうことは関係ないのね。いい買い物だと思えば買うだけよ。こりゃ高いよ、ってことであれば、買わないだけだからね。EUもイデオロギーも関係ないのですよ。カネの話しなんだからね。

でさ、ARMって、いまやサーバーでも一部使われてるんだけど、この先を考えれば、ARMのライセンス料がSoftbankの方針で高くなったら、各社独自で「ARMコンパチブルを自分で考えました。もうライセンス必要ありません」とかなっちゃって、困っちゃうと思うのね。訴訟になったとしても、訴訟が終わるまでに、売り切っちゃうとか始まると、もうわけわかんなくなっちゃうし。そういうバカはSoftbankはしないとは思うけれども、もししちゃったら、そうなりかねないわな。

ARMってさ、要するにIntelあってのARMだったんですよね。コンペがあったので、そのコンペティターの動きにすごく左右されるわけ。もしもARMのライセンス料値上げなら、Intel&AMDは拡大のチャンスなわけですよ。

そのチャンスをSoftBankがわざわざ作ってくれるかどうか、ってのは、まぁ注目ですよね。つまり、「三すくみ」じゃないけれども、Intel&AMDのアーキテクチュアとARMのアーキテクチュアが今は均衡している状態なんですね。そのバランスが崩れれば、そりゃ、あんた、ARMにワリを食わされてるほうはチャンスだよ。

でさ、この先、本当に注目すべきは「ARMのライセンス料」なんだね。それ、どうなるんかね?値上げやるのかね?ってところが、今後の注目だよね。

 


「未生」を持った韓国社会は強くなれるか?

東釜山・ロッテモール

韓国のマンガを元にしたドラマ「未生(ミセン)」が日本でも大きな話題となったのは昨年のこと。一昨年あたりから韓国ではWeb連載が有名になっていた。

「未生」があることによって、韓国社会の現実を韓国の人たちが客観視する機会を持ったと私は思う。あの作品では、韓国の社会の暮らしにくさが、非常に良く出ていた、と思う。私も韓国と関わって20年ほどになるし、一昨年まで2年間、韓国の大学教授となって韓国の社会を間近に見る小経験をした。日本の社会にも「未生」に描かれたものと似たような暮らしにくさがあるが、韓国のそれは日本のものをさらに凝縮したものに見える。実際、ぼくは少々のあいだ韓国に住んでいたのわけだが、あの暮らしにくさは独特のものがある。

とにかく人間関係があまりにも濃すぎて、今の日本人には耐えられない。日本の20年以上前に近い。それよりも凝縮されている。韓国の社会人、大学生はほとんど「韓国以外で仕事をして生きていたい」と思っている。当然だろう、と思う。そういう人間関係の「濃すぎるもの」があまりに多いのだ。

それが良い方向に向かえば良いが、これから韓国は日本の後を追ってグローバル下の中で下り坂の経済になる。そういう経済状況の中では、こういった窒息しそうな人間関係は、負のエネルギーしか生まないだろう、ということが予想できる。内向きになると、新しいことにチャレンジする気風はどんどんなくなっていく。若い人間はそれを嫌気して、大人の社会に反発し、社会は乱れる。しかもそれを語る言葉も与えられないため、大人はなぜ自分が反発の対象になっているのかがわからない。韓国社会全体がそうやって負のスパイラルに落ち込んで混乱していくかもしれない。

韓国も日本も同じようなものだが、要するに狭い土地に人間が多すぎるのだ。人間関係の煩わしさというのはそれがお金や時間の損失も産むが、利得も産むものだ。しかし、下り坂の社会では、その損失のほうが大きくなっていく。韓国はこれからそういう社会になっていくだろう、と、私は思う。

下り坂にさしかかった韓国社会は、日本と同じように革新的な業績などは無視されていく。旧来の組織や旧来のものを守ることだけが先行され、社会は内側に向かい、外側に向かっては自らを閉じる。そうは言っても、一方でグローバル化された経済から韓国も例外ではなく、日本もまた例外ではない。どこかで真剣にグローバル化を考えざるを得ないのだが、それはますますやりにくくなるだろう。グローバル化の第一歩は、世界の中にいる自分の位置を知ることから始まる。そこから、グローバルなつながりの中の自分がこれからどうすればよいか、がわかってくる。

韓国の社会を照らしだした「未生」は、豊かになった韓国社会がそれ以上の富をグローバル化で得られるかどうか、を判断するために、韓国社会が自らを知る鏡である。自らの醜い姿を映しだした鏡を壊しても、無視しても、醜い自分は変えられない。鏡に写った自分の姿が醜いとわかったとき、自分を変えていく苦しいたたかいに韓国人がでていき、それに勝利できるかどうか?それが「未生」が韓国社会に突きつけた挑戦状に書いてあることだ。はっきり言えば、日本人はそれに失敗した。

ぼくは、韓国の大学の教授をしていたとき、学生たちに「ぼくは君たちの社会の未来から来た。ぼくの話をよく聞いたほうがいい」と言った。「未生」をよく見て、韓国社会のありかたを、今一度見直せるかどうか。それが韓国という地域の社会を変えられなければ、韓国は世界の中でさらに沈んでいくだろう。日本と同じ豊かさを得る前に、沈んでいくのかもしれない。

どんな社会においても、表現をする手段を持ったものには、その人生を賭けて表現していかなければならないものがある。ジャーナリストや芸術家というのは、それが使命だとも言える。「未生」の原作者は、そういう使命を韓国で負った。この作品は韓国という社会の道標である。こいう表現者を持った韓国社会は、幸せな社会だと言っていいだろう。表現されたものをしっかりと噛みしめるのであれば。

 


スマートフォンの「防水」は必要か?

西表島

スマートフォンの機能の1つに「防水・防塵」がある。国産の機種にはかなりの比率で「防水・防塵」機能がある。とは言うものの、どちらかというと、この機能はついていない機種のほうが多く、特に、最近は日本でも中国製などの外国製の端末が多くなり、そのほとんどには防水機能はまずついていない。世界的に見ると、あまり必要とされていない機能のように思えるのだ。日本ではよく売れている「iPhone」も、防水や防塵には対応していない(この記事の最初の執筆時点では対応していなかったが、iPhone7(Plus)は防水となっている)。

ところが、日本という気候風土ははっきりとした四季があり、暑い時期はかなりの高湿度になるだけではなく、最近はゲリラ豪雨なども非常に増えてきて、スマートフォンが雨にうたれたり、高湿度に晒されることが多くなってきている。そのため、特にプールで使ったり、お風呂で使ったり、ということがない場合でも、「水濡れシール」が水に濡れているように染まることも多く在るようだ。私の感触では、特に私が使ったHUAWEIのものは、簡単に高湿度の環境で水濡れシールが染まるように思う。

某タレントは、汗っかきなので、胸のポケットに入れているだけで「水濡れ」と判断されてしまう、と自虐ネタを披露していた。

先日、私の使っている中国HUAWEI製のスマートフォンが壊れた。中国製だからモノが悪い、なんて時期はとうに過ぎて、かなりのクオリティのスマートフォンで、かつ価格が安い。とても満足していた。しかし、そのスマートフォンを製造している土地と日本の気候風土が合わない、ということもあるんだろうな、とそのとき思った。ぼくが修理窓口に持っていったスマホは「水濡れシールが水に濡れたことを示しています」なので、保証期間中でも、かなり高額な修理代を要求され、その金額が新しいスマートフォンを買えるくらいの金額だったので、修理をあきらめて破棄することにした。

とは言うものの、ぼくはそのスマートフォンは半年使っただけだし、そのあいだに、スマートフォンを持って風呂に入ったこともなければ、プールや海に行ったこともなかった。ゲリラ豪雨に一度会ったけれども、その中でずぶ濡れになってスマートフォンを使う、なんてこともなかった。そのときは、スマートフォンをかばんの中から取り出すことさえしなかった。とても大事に使っていたのだが、それでも、「水濡れシール」が湿度を吸って、水濡れした、と判断したらしい。

日本の気候風土では、「高温・多湿」が当たり前の夏が来る。汗かきの人が胸のポケットにスマートフォンを入れておくだけでも、かなりの湿度になるし、近年は日本の「熱帯化」も進んでいる、という話もある。結果として、スマートフォンが高温多湿に晒されることは、けっこう当たり前にあるのではないか?と、思う。結果として、日本で使うスマートフォンにはごく一般的なレベルでの「防水機能」はほぼ必須だろう。しかし、海外で作られているスマートフォンの開発技術者はこの日本の状況を知ることもないのじゃないかと思う。

結論から言えば、日本で使うスマートフォンは、特に日本でも乾燥した土地で使うものでなければ、都市部で使うものでも、防水機能は必須なのではないだろうか?

 


自動運転の自動車は世界を変える

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自動運転車があちこちで話題になっている。

自動運転車が完成した形になるのはおそらく2025年よりも先になるだろう、と言われているが、今でも多くの自動車メーカーがこの「新交通システム」に大きな関心を寄せているばかりでなく、Googleやテスラ、トヨタやNISSANなどの自動車メーカーもそうでない企業も一斉に自動運転車について様々な開発を行っていることが伝わってきている。自動運転車は大きく世の中を変えていく。なによりも大きな影響は、

自動運転車によって自動車産業の市場が一気に広がる。

ということだ。これは新しい産業といってもいいくらい、大きな市場となる。なぜならば、運転免許を持っていない人も自動車産業の顧客になるからだ。この経済効果ははかりしれないほど大きい。ちなみに、日本では昨年の運転免許取得者数は約8200万人。一方、日本国民の総人口は毎年数十万人ずつ減少しているものの、それでも昨年は一億3千万人。自動運転車であれば、例えば老人を一人で乗せて病院に送る、ということもできるわけだから、全国民が対象になる。当然だが日本以外の国では、運転免許を持っている人そのものが少ない地域もまだ多い。世界レベルで見ると、かなり大きな市場拡大になるのだ。

現在の自動運転車ブームとは、この新しく巨大な市場をめぐっての市場争奪戦、という言い方もできるだろう。

さらに、自動運転車は、それを安全に動かすために、地域全体のトラフィックの制御システムという巨大なシステムを必要とする。加えて、自動車保険はどうするのか?とか、様々な市場にこの経済効果が波及していくことは明らかだ。結果として、鉄道を細切れにしたシステムとして、自動車という乗り物は出来上がっていくだろう。ちょうど、電力で「発送電分離」というシステムが出来上がるの同じように「製造・運行分離」が明確になっていくだろう。そして、それが完成したとき、道路にも各種ビーコンが標準で埋め込まれるなどの他産業への波及も大きなものになっていくだろう。

私たちのほとんどは、今日、自動運転車というと「便利なものができるらしい」くらいにしか考えていないと思うが、実はこの変化は社会システムの非常に大きな変化になる。そこに新しい市場が生まれ、新しい仕事ができる。当然、なくなっていく仕事もできてくることだろう。たとえば、タクシーの運転手はもう必要なくなってくるに違いないし、飲酒運転というものもなくなる。であれば、この変化を先取りし、いかについていくか、ということや、完成したシステムができるまでの過渡期にどのようなビジネスが生まれるか、ということを考えることはとても有意義なことではないか、と思われる。

「自動運転車」の大きな秘密とはなにか。この変化がこれまでの市場をつぶし、新しい大きな市場を作っていく、というそのダイナミックで巨大な社会の動きを作る、ということに他ならない。

今の自動車は死ぬしかない。新しいモビリティの世界が広がり、それに塗り替えられるのだ。