SIMフリースマホ/MVNO-SIMで初期投資2万5千円+月額2千円が標準か

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ここ1年くらいで、SIMフリーのスマートフォンが非常に増えてきている。しかも、安い。加えて、そのSIMフリー端末に挿して通信を行う「MVNOのSIM」による毎月の通信料金は、通話も含めて、だいたい2千円、というのが、現在の相場のようだ。

たとえば、以前からPCで日本市場に参入していた台湾のASUSの最新のスマートフォンは、新品の価格で2万円を切る。消費税を含めて、だいたい2万円ちょっとだ。初期投資としては、このスマートフォン本体に加え、後述の「MVNOのSIMの初期料金」が高くて3千円ほどかかる。機種を選べば、合計で、税込み2万5千円以内で初期投資はできる

さらに、毎月の通信・通話料金のMVNOのSIMは、LINEなどの利用を考えて通話はついていなくても、SMSつきのもので、だいたい毎月千円前後。それに、IP電話の毎月の基本料金と通話料金をあわせて、毎月の通話・通信料金はだいたい2千円以内、という場合が多いだろう。

外回りの仕事が多くて、電話をかける機会が多い人でも、毎月4千円にもならないくらいの毎月の支払いで済むはずだ。

しかもIP電話なら、インターネットが接続されていれば、世界中で日本の電話への電話が、日本国内にいるのと同じ通話料金でつながる。

時代は1年もすると変わっている。日本人のスマートフォンへの考え方も、変わっていく。

 


「60歳からの就活」の時代

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私はまだ60歳前ではあるのだが、もうすぐ60歳を迎える。かつては60歳というと、「仕事人生の終わりの年代」だったものだが、現在は男性でも平均年齢は80歳近く。60歳で年金を考える年齢、と言われたが、実際には日本政府の持つお金の量がやはり減っており、年金支出は渋くなるばかりで、65歳定年から、既に75歳定年説まで聞こえてきている。要するに「定年はない。一生働け」という時代が到来したのだ

しかし、日本の政府の制度の設計も、日本の社会の制度設計も、一人の人間が高齢になっても一生働く、という制度設計になっていない。しかも、世界的な不況は「報酬を伴う仕事の場」をどんどん減らしている。この日本という地域では、30年くらい前までは「高度経済成長」と言っていたものが、いまや貧困が問題となり、貧困の世代を超えた否応ない継承が当たり前となっている。当然、その対極にはごく一握りの人たちの資産の蓄積の増加があるにはあるが、一般大衆が貧困化してくると、この人たちの資産もなかなかお金にすることもできなくなり、結局は「資産」という名前に値しない価値とならざるをえない。

必然的に労働の価値も下がり、より多くの労働が生きていくために必要になる。ところが、その労働のフィールドとなる「仕事」がなくなってきており、この日本での重要な資産である「人的資産」は「豊かな時代に豊富な資金で培ってきた高齢者の技能」という時代に突入した。結果として、若者の教育の場も狭まり、若者の技能は上がらず、若者の貧困化がいっそう進むだけでなく、若者が職業人として将来自立するための技能の習得の機会も大幅に奪われたままだ。

結果として、この企業体制・国家政府体制の時代にあわせた過渡期では、企業は高齢者の技能を、未熟な若者の将来よりも重要な企業資産である、と考える必要が出てくる。その後の時代は若者の教育を将来のために重要視し重点投資する時代になる必要がある。が、企業の体制も、この時代に沿った、各年代のバランスのとれた仕事の分配ができないでいる。それは誰もが感じているが、不況により組織が自己防衛に走るため組織の硬直化が始まっており、新しい時代への変化が拒まれている。

長期の見通しを持って現在の「仕事が無い時代」をすべての世代が乗り切ることで、次の時代が開けてくるはずだが、そのパスを認識することが、日本人にはできていないのではないか。いや、それが認識できたとしても、それを実行する人もいなくなった。

最初に手を付けるべきは、日本という地域の重要な資産である、かつての豊富な資金をベースにして、今では考えられないような高額な投資によって培ってきた高齢者の技能の利用を考えることだ。この利用によって、雇用と若者の教育の場を生み出し、次の世代につなげていくパスを明確に意識する必要があるだろう。

具体的には高齢者が亡くなる前に、その大きな次世代への資産である「豊富な資金で培った技能」を、次の世代に引き継ぐための活動が必要になる。子どもたちや孫たちの世代に腐らずに残せるものというのは「知」しかないのだ。そして、高齢者の減らされる年金対策としても、この動きは必要になることは言うまでもない。


日本のIoTの質を上げるために

Waikiki BeachIoTはインターネットという通信回線を通して、地球上の各地にあるものが接続される、という概念についた名前だが、日本の東証一部上場企業以上のところでは、既に25年前からこういうことは当たり前にされていた。ただし、インターネットはなかった時代だから、インターネットではなく、毎月数百万円もする国際デジタル専用線を使ったりしていて、要するにそういうお金が出せる企業しか、当時のIoTはその恩恵を受けることができなかった。人件費も今よりはるかに高く、コンピュータ自身も、コンピュータにつなげるセンサーとかモーターのインターフェイスも、かなり値段が高く、とてもじゃないが町工場で使えるようなものでも、家庭で使えるようなものでも、全くなかった。ぼくはその時代の、今で言う「IoT」を仕事にしていた。

今はかつて数億円したコンピュータも数千円で買える時代になり、家庭や小さな町工場でIoTが大きな役割を担うことも、充分に考えられる時代となった。IoTの技術は昔からある。しかし、今起きている「IoT革命」とは、簡単に言えばそれにかかるコストの劇的な低下で、それが特殊でお金のある場所から、一般的な場所に移ってきた、ということだ。

いまは、アマチュアの電子工作でも、小さな数千円のボードコンピュータを買ってきて、それにセンサやディスプレイやモーターをつなげ、それらを相互につなげて、インターネット回線と接続し、地球の裏側の機器のLEDを光らせるとか、地球の裏側の温度や湿度を知る、なんてことが実に容易かつ安価にできる時代になった。しかも、そういうことがアマチュアの電子工作で、数千円のお金でできるようになってきたのだ。これは革命的な進歩である。いまやこのホビーは若い人をも巻き込んで、休日の秋葉原の秋月電子通商などは激混みである。お店を見回して見ると、頭の白くなったおじいちゃんの懐古趣味リハビリ用とか、若い人のちょっと面白い電子工作みたいな、そういう客層が多いのがわかる。

いやもうね、秋月電子といえば、今でも、「え?これすごいじゃん」みたいなものを結構簡単に買えるところではあるんだが、普段の秋月の客を見ていると、そういう「これは今後、要のデバイスになる」なんてものは素通りして、雑誌とかで話題のものをよく買っていく。私なんぞは「これ、面白いよ。あ、誰も買ってないじゃん。しっかり買い占めよ~」とかって、客の誰も見向きもしない最先端デバイスを買い漁るのだが。

アマチュアはしょせんアマチュアである。お金をもらって、システムを作るプロとは同じものを使っていても、全くやることが違うのだ。アマチュアはしょせんアマチュアであり、厳然と違いがある。

たとえば、日本からなにかをブラジルに知らせるために、東京でボタンを押したら、リオデジャネイロでLEDが光る、というシンプルなシステムを考えてみよう。アマチュアは仕組みを作り、目の前で実験し、これでOKとなったら、LEDの光る側のシステムをリオに持っていく。そして、実験して、光ればOK、と、考えるだろう。

しかし、プロの仕事は、「リオでLEDが本当に光っているかどうか東京で知る」必要があるので、そういうシステムを加える。また、もしも通信回線がなんらかの理由で途切れたら、どうやって迅速に東京からリオに知らせるか、ということも考慮に入れなければならない。少なくとも、回線に異常がある、ということが指示側の東京にも、受け側のリオでも、事前にわかる必要がある。つまり、遠隔地のLEDを光らせる、というだけでも、「本当に光ったかどうかわかるようにするシステム」を考え「回線の異常があることがどちらでもわかるシステム」を加え、単にLEDを光らせる、という以上のことをちゃんと考えておかなければ、プロの仕事とは言えないのだ。

日本のIoTの質を、まじめに上げることを考えると、こういう「アマチュアの電子工作」とは次元の違う「プロの仕事」をシステムにする、ということも考えなければならない。また、そういうシステムをいかに低いコストで作るか、ということも考える必要がある。つまり、そういう経験をした技術者や研究者の「経験」がIoTの質を上げるのだ。

日本でもどこでも盛んに「IoT」が言われるようになったが、いま、IoTに必要なのは、プロとアマチュアの分離と本当のIoTのプロを作ることである。まぁ、それができてないところが多いけどね。どことは言わないけど。

 


台風には「防水スマホ」がいい

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今年の日本、東京近辺は、8月の猛暑が終わったと思ったら、突然の台風ご一行様の大挙襲来である。目の前に来ていた台風10号などは、かつてなかった迷走で日本列島の東の外側を西に行ったかと思ったら、すぐに東北に進路を逆転、どうやら東京が暴風域に入るルートを取るという。そして、地上は雨、雨、晴れ、雨、みたいなよくわからない天気である。今週末から来週にかけても、台風の来襲が予定されている。インバウンドは人間だけじゃなく、いろいろ呼んでくるものだ。←違うか。。。

こういう天気のときには、当然スマートフォンを外で使うのはためらわれる。日本で一番売れているAppleのiPhoneシリーズは当然防水ではなく、やっとiPhone7で防水機能がつく、とアナウンスされた。今みんなが使っているのは、iPhone6までだから、雨に濡れると泣きを見ることもけっこうあるだろう。Androidのスマートフォンもほとんどが防水(防滴)機能はついていない。防水機能があれば、スマートフォンはなんと心安らかに使えるのだろう、なんて思う。ついでに言うと、iPhoneの「動作保証温度」は35℃までである。これ以上の外気温のところで使って壊しても、保証の対象外になる。

私はMVNOのSIMでスマートフォンを毎日とっかえひっかえしているのだが、ここしばらくは、1機種だけ持っている防水機能つきのスマートフォンがやはり出番が多くなる。台風の季節には、防水機能がないと、スマートフォンそのものを壊すことだってあるからだ。防水用の密封ケースも売ってはいるのだが、あれはボタンが押しにくいなど、使いにくいものも多く、個人的には、だが、お勧めはしていない。

日本の気候風土では、やはり「防水」のスマートフォンは必須なのではないだろうか?などと、台風の余波で降るゲリラ豪雨の中で考えている。

 


「Windows10無料アップグレード」をお金に換算してみる

Windows10の1年間の無料アップグレード期間が終了しWindows10の最初の正式なDistributionである「Anniversary Update」が配信されている。これまで無料版で人柱になっていただいた生け贄の方には、さらなる無料配信となる。とは言うものの、生け贄の数はそんなに集まらなかったらしく、Anniversary Updateでも、なぜかバグが多く、カメラが動かなくなった、など、トラブルが非常に多く報告されている。わざとやってるのかな?と思わないこともないが、ここは心優しく、「きっとバグなんだろうな」ということにしておこう。やはり生け贄は多いほどこういうものは良くなっていくわけだが、それが足りない、という事態となった、というのが本当のところだろう、と、ぼくは勝手に思っている。

この1年間、Windows10のUpgradeで多くのユーザーの資源、特に時間という貴重な資源が世界中で失われた。しかし、そのぶん、それらのユーザーには無料でWindows10をもらえる、というメリットがあったわけだが、実際、今の2万円に足りないくらいのWindows10の価格に見合う、あるいはそれ以上のメリットを得た「無料ユーザー」はどれだけいるのだろうか?

ごく大雑把に言うと、Windows10にUpgradeされたために、その人の仕事が1日滞ったとしよう。Windows10無料Upgradeをした人は、だいたい1日の出張などでもらえる日当が4万円くらいだとすると、4万円を失っていることになる。しかし、得られたのは市価2万円前後のWindows10である。差し引き、無料Upgradeしたユーザーは2万円の損をした。一方で、Microsoft社は2万円の得をした、ということにもなる。ここで「無料UpgradeしたユーザーはMicrosoft社に2万円を騙し取られた」などと過激なことは言わないのが、私の奥ゆかしいところである。が、そこまで給与をもらっている人は日本人ではどれくらいいるだろうか?と、日本人の平均年収なるものを調べてみた

これを見ると、日本人の男性の現在の平均年収は約500万円だ。これを月収で見ると、約42万円。毎月20日稼働だとして、一日あたり2万1千円。なるほど、Windows10の価格が約2万円で、それが無料になる、という「Windows10無料Upgrade」は、それなりの値段だった、ということでもある。なお、ここまでの計算は「税別」である。

「お金」で見ると、Windows10無料Upgrade、というのは、つまり、そういうことだったのだ。これを「騙された」と見る人もいるかもしれないが、年収の少ない人にとっては「得をした」ということにもなる。なかなかお金で換算するのは難しい。

「シャイロック!お前もか!」

とか言ってみたくなるわけだが、しかし、ここまでAnniversary Updateでバグや苦情がまだまだ多かったということは、結局、1年間の「無料アップグレード」の成果は思った通りには上がらなかった、ということだろう。無料に飛びついたのは、平均以下の低所得者ばかりであったとしたら、さらに目も当てられない。商売には困難がつきものだ。

 


ITは「Fool Proof」を思い出せ。それが次世代のアプリを作る要になる

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最近のITは、どうも違った方向に行っている、とぼくは個人的に思っている。たとえばスマートフォンだが、スマートフォンは人類が初めて持った「肌身離さず持って動作している端末」である。各種センサーも揃っていて、良く知られている「カメラ」「GPS」のみならず、地磁気を利用して傾きとかを検出するセンサー、揺れを検出するセンサー、などなど、私達が普通知っている以上の多彩なセンサーを搭載している。しかも通信機能も必ずついている。「各種センサー」「通信機能」のほか、住所録のデータベースなども完備している。クラウドで背後には「人工知能」まで備えている。これでなにが不足なのか?というくらい、センサーなどの機能はこれでもかと言う種類が接続されているのが普通だ。

つまり携帯端末の「手足」になる部分は、間違いなく、現在考えられるほとんど完璧なものが揃っている。言い方を変えれば「スマートフォンは自分以上に自分を知っている存在」である、とも言える。

自分以上に自分を知っている「スマートフォン」は、なにかに似ている。深夜に飲み会から帰宅して爆睡しているぼくに、「仕事に行く時間でしょ!」と強引に起こしてくれる、見方を変えれば煩わしい「母親」。危険を事前に察知して、家族を大きく包んでくれている「父親」。人間関係で悩んでいるときに、場末の飲み屋街であれこれとアドバイスをくれる「友人」。スマートフォンとは「母親、父親、友人」になれる。そういう潜在的な能力を持っている。スマートフォンとはそういうものでもあって欲しい、とは思わないだろうか?それは「道具」ではない。人間のようなものだ。

今から20年以上前、人間の身の回りのことを機械にやらせる、ということが流行ったことがあった。これは米国から来た流れである。当時は「オートマトン」などの呼び名でそれは呼ばれていた。一方、今私達が普通に使っている腕時計、これはほとんど「防水」である。「防水」のことを英語では「Water Proof」という。そして、この「Proof」という単語を使って、「サルでも使える」ものを「Fool Proof」と言うのだ。この「Fool Proof」」は多くのところで私達の周囲に広がる気配を見せていた。

しかし、ある時点から「Fool proof」の文字が私達の前から消えた。コンピュータ、特に個人が使えるPCの出現あたりからだ。PCそのものがまだまだの性能であった時代、また、手軽で安価なセンサーも整っていなかった時代、コンピュータは高いお金を使って、金持ち企業が使うものだった。コンピュータやスマートフォンはそれを持つ能力や努力によって、はじめて役に立つものになる、というのが当たり前になった。たとえば、スマートフォンが起動すると、次にFacebookを起動する。Facebookが起動したら、今度はFacebookを使うために、Facebookの使い方を訓練しないといけない。なぜ、こんな便利なものが揃っている世の中になったのに、まだまだ「努力しろ」と、ぼくらは言われなければならないのか?

なにかおかしくないか?

たとえば、あなたが街中で一人、突然の病気で倒れたとしよう。周囲の人はもちろん気がつくだろうが、その周囲の人もいなかったら、どうしようもない。スマートフォンはこんなとき、あなたの身体の動きが全くないことを検知して「大丈夫ですか?」と語りかけてほしい。そこになんの反応もなければ、スマートフォンは自らの通信機能で、あなたになにかが起きたことを、警察や肉親、友人に、自らの持つ電話帳から電話などをしてほしい。だって、スマートフォンはそういうことができる「センサー」「通信機能」「CPU」をみんな持っている。できないわけがない。

そうは思わないだろうか?

今のスマートフォンのままでは、私達は永遠に新しいものが出る度に訓練を重ねていかなければならない。それが「利便性」なのだろうか?

これらの疑問から、私は韓国の大学の教授でいたとき、この2つのスライドをまとめた。

私が考える、これからのスマートフォンとは、こういうものであってほしい、という内容だ。

スマートフォンをショップで買うと、何の設定もなく、あとは胸のポケットにそれを入れておくだけで、必ず役に立つ。自分で成長してあなたを助ける。そういうもので、スマートフォンというのはありたい、と思うのだ。いま、ハードウエアのテクノロジーとしてのそれは準備万端である。あとはそういうソフトウエアを書くだけだ。

ぼくらは再び「Fool Proof」に戻らなければならない。それが人間を助ける存在としてのITのあるべき姿だろう、と、思うからだ。

 


やっぱり「すべての人に」プログラミング教育は必要?

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以前、ぼくはこういう記事を書いたのだが、相変わらず、プログラミング教育はすべての人に必要だ、という話があちこちにある。まぁ、多勢に無勢だから、ぼくの言ってることは少数意見なんだろうな、とは思うのだが、ぼくも日本の高度経済成長期に大きくなって、「日本人はみんなこうしなければならない」みたいな教育をいっぱい受けてきたから、まぁ、そういうことってあるんでしょうね。でも、日本の公教育でも「落ちこぼれ」の問題がかつてあったんだね。つまり、授業についていけない子供がいっぱいいるんだけど、どうするの?みたいな話ね。

日本の政府が主導して行う公教育ってのは、そのときどきの世界の情勢にあわせて、国というまとまりの価値をいかに最大限にするか、という観点を中心にして行われているのは、言うまでもないわけで、ぼくが子供の頃ってのはまさに工業生産の時代で「高度経済成長期」だったから、要するに工場の工員をいかにたくさん作るか、っていう教育だったんだな。で、ひと握りの優秀な奴は「工員」から昇格して「現場監督」ができるように、っていう程度の教育だった。子供心に「あぁ、ここじゃおれはやっていけんなー」と思って、学校の勉強がつまらなくなったんだな。高校では英語で赤点とったし。それでも、ぼくは韓国で大学教授したんだな(しかも英語で教えていた←信じられん)。人生ってわからないよな、と思うわけですよ。あ、脱線。

でも、出席だけはちゃんとして、学校は大学まで卒業したけどね。当時は同年代の「大卒」って、その年代の1/3はいたんだな。だから、まぁ、こんなもんかいな、でも、世の中変わったら大変だし、その気配もあるよなぁ、と思ったので、まだほとんどの人が手を付けていなかった、コンピュータを始めたんですよ。主に大学出てからだけどね。コンピュータと通信についてはインターネットがまだなかったうちから事業にした。そのうち、インターネットの時代、ネットワークの時代になったから、まぁ、そろそろ最先端はいいや、って気になったこともあったね。ぼくが「もういいよ」って言いはじめると、世の中で流行るんだよ。まったく、最先端を走るって、こういうことだよな、とか自分で納得したりするんだけどね。手前味噌ね。

で、本題の「プログラミング教育」の話だが、「すべての人に」というと、必ず向き不向き、って出るし、それが人間の個性というもんだし、落ちこぼれ(前は意図的に創りだしていたから「おちこぼし」って言い方もあったんだよなby遠山啓先生)も当然出てくる。こういう負の部分を語ってなお、「全員にプログラミング教育を」というのは、なにかしら、他の意図があるんじゃないか、って勘ぐっちゃうわけですよ。かつての公教育のときは「おちこぼれ」と言われる人は意図的に作られた、という面もあったわけですよ。だってさ、全員が成績優秀じゃ困るわけですよ。現場の社会ヒエラルキーが作れない=組織のまとまりを作れない、からね。だから、「わかりやすい、誰にでもわかる教育」って、あまり広まらなかった。これが日本の教育の本音と建前なんだな。

ということでね、「全員にプログラミング教育を」ってのは「プログラミング教育」に力点があるんじゃなくて「全員に」に力点が置かれているんじゃないか、と、ぼくは勘ぐっているのね。つまり、日本の教育における新しい組織の秩序とそのベースになる価値観=序列を作ること、を、本当は意図していて、それを隠しているんじゃないか?ってことね。結果的に必然的に「落ちこぼれ」ができて、「序列」ができて。。。。という、戦前から戦後まで日本人は変わらんねぇ。

とは言うものの、世の中は全体的に価値観多様になったのは日本だけじゃないし、人類の発展も全くパラダイムの違う多様な価値観の中からしか生まれないと思うんだよね。だから、いまさら、組織のヒエラルキーを作っても、それがあまり意味を持たない時代になったんだな。でも、それまでの時代の優等生はそうは言われてもなにしていいかわからないし、自分の信じてきたものを否定されても困るよなぁ、ってことで、「ゆとり教育」って言って、これまたまるで新しいパラダイムシフトなんかわかりようもない現場に丸投げしちゃって、教育現場がワケワカになっちゃったんだね。教育は大切ですねぇ。

ぼくもこれまで人並み以上に多くの人にコンピュータのプログラミングを教えてきたけど、人って個性ありますよ。その個性にあわせた教育が日本という地域の発展を作るんじゃないか、と、ぼくは思うけどね。だから、プログラミング教育ごときで、自分の人生を考えないでほしいな、と、ぼくは思うわけですよ。

「おれ、BASICの成績悪かったから、地元の高校進学できないかも?って思ってるんだよ」

なんてのは、やめたい、ってことだね。そうやって若者の自信喪失を誘導しても、日本国、地域にとって、なにもいいことはない、と思うんだよね。Aの道もあるけど、Bの道もあるよ、って示して、本人に自信をつけてあげて、生きる力を沸き立たせるのが、本来の教育ってもんだと思うんだけどね。ぼくはね。