その昔、ぼくが駆け出しのシステム屋だった時代、インターネットはまだなかった。当時の国土交通省の仕事で、ぼくらは山形の雪深いところのダムに入れるコンピュータシステムを作っていた。工作機械も多く、電気ノイズも半端ではなく、ぼくらがメインのコンピュータにしたNECのPC-9801(最初のやつだったから、後ろの型番はナシ)と、暗いトンネルの中のある機械の間を通信でつながなければならず、当時はまだ発売されたばかりの光ファイバーを通信に使った。しかも数台その工作機械があるから、自分たちでプロトコルを作って、LANを組み、PC-9801のいわゆるCバスの通信ボードを作り、そのハードウエアはぼくが設計してプリントパターンも書いた。当時はまだTCP/IPがなかった。光LANのシステムだったのだ。今から30年以上も前のことだ。
そのCバスの通信ボードは、PC-9801のメインメモリ空間の一部を共有メモリとして動き、ボード上にある通信専用のCPUには、Intelの8748を使った。Erasable/WritableのP-ROMがくっついているCPUで、同じCPUを工作機械側の小さなコンピュータボードにも使った。
人間の背丈の数倍ある深い雪の中。正月1月1日・元日・その日に、設置したシステムのトラブルを調べに行ったことがあった。あまりに雪が深すぎて仕事場近くのスキーロッジは閉まっていたんだが、無理をして開けてもらって、そこに泊まった。そこしか泊まるところがなかったのだ。ロッジに取引先の人のスノータイヤを履いた三菱パジェロで連れていってもらって、除雪されている道はともかく、その道から10mばかりのロッジの玄関まで、かんじきを履いて行った。道端には深い積雪の中に埋もれた電話ボックスがあった。
夜中にロッジに着いたのだが、その道すがら、真っ白い雪の中の除雪された道路のクルマの前を真っ白いうさぎが横切った。夜の真っ白い世界の中でヘッドライトの前を横切る真っ白いうさぎの姿は幻想的でさえあった。
当時のインターネット以前の「システム屋」は、こういった思い出がいくつもあるんじゃないだろうか?
そして、その仕事も終わりに近くなったとき、突然アタマを背後から殴られたようなショックを受けた出来事があった。
そのダムはコンクリートで作る「アーチ型ダム」ではなく、山を積み上げて水を止める「ロックフィルダム」だったのだが、その山を作る予定のその場所の真っ平らな岩盤の上で、たくさんの人達が座ってなにか仕事をしている。ぼくらはそれを、作業が一望できる高い事務所があるところから見ていた。
「あれ、なにしてるんですか?」
ぼくが下を指差して聞いたら、現場のおじさんはこう言った。
「石を拾ってます」
要するに、これから水をせき止める山をそこに築くわけだが、そのとき、「水も漏らさぬ」山にしなければいけないため、粗い石、細かい石、と、計画的に積み上げていく。そのとき、人口的に築く山の下に、計画とは違う大きさの石があると、岩盤の割れ目から水が漏れたりするので、まずは山を築く前に、その底部にころがっている石を取り除く、という作業が必要なのだそうだ。
ショックだった。ぼくらコンピュータの仕事というのは、基本的に一人でやる仕事。一人が一日、ここまで仕事が進んで、明日は、ここまでやって、と計画をする。それをみんながやる。今日一日の仕事は自分のものだ。しかし、この工事現場では「石を拾う」という、ある意味えらく単純な仕事があって、それは一人の人間が一日がんばっても、全然進まない仕事なのだ。だから、大勢の人が一斉に少しずつやって、やっと全体がなんとかなる。そういう仕事が世の中にはあるのだ、ということに、その当時のぼくはえらくショックを受けた。未だにトラウマである。
それまで、光ファイバーがどうしたとか、それが世界でも稀な実用例であったとか、後で考えて見ればLAN作っちゃったんだよな、とか、そういう世界とはまるで違う世界が目の前にあった。一人の人間が一日頑張っても1mmも進まない仕事ってものが、この世にはあるんだ、ってことだ。
夜中の真っ白い世界のヘッドライトの前を横切るうさぎのこの世のものとは思えない静寂と美しさ。それとともに、ぼくの脳裏には当時の「石を拾う人」の姿が、いまだに、目に焼き付いて離れない。