ハロウィンの翌日の月曜日の朝

Busan/KOREA

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昨日の夜、有名な漫画で今度映画で公開される登場キャラクターの「悪魔」の格好で渋谷の交差点で騒いだ君は、昨日よりは少し暖かな朝の日差しに顔を照らされて、歯磨きもせずに着替えて仕事に行くために外に出た。終電も終わった渋谷から酔って歩いて恵比寿に帰った。恵比寿の路地裏の交差点のゴミ置き場に、悪魔のマスクを捨てた。来年同じ格好はできない。流行りはきっと新しいものになってるだろうからね。でも衣装は高かったし、また直して使えるかも知れないから、部屋に記念に置いてきた。

昨日の夜の自分。今日の朝の自分。全然違うけど、世の中が新しくなったようには思えない。テレビで芸能人が「渋谷には集まらないように」って言ったらしいけど、そんなことは普段は仕事のオレは忙しくて聞いちゃいない。そんなこと考える時間があったら、眠りたい。テレビもそんなに見てるわけじゃない。でも、渋谷、楽しかったよ。

結局、昨日の渋谷にはぼくらみたいなのがわんさかいたよ。警官もさすがに昨年よりもいっぱいいた。でも、それだけのことさ。騒ぎたいんだ。誰位迷惑をかける、ってことでもない。そして、月曜日の朝。空は薄曇りでちょっと青空が見える。もう東京は冬だ。そういう寒さになった。にわか作りのきついピンク色のカツラがやっぱり路地に捨てられていた。それをどこの人ともしれないおじちゃんが拾い上げて、ゴミ箱に入れた。

本当のハロウィンは月曜日31日。でも月曜日は仕事だからね。

見上げた空に、真っ黒い小さな影。カラスが一羽飛んでる。

 


なぜ韓国の大統領は晩節を汚すことが多いのか?

 

 

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「先進国になりきれない国・韓国」という記事を、韓国の朝鮮日報記者が書いている。この方の文章を読むと、政治制度などの変遷など、韓国のみならず世界の歴史に対する深い教養を感じさせる。

韓国という地域の政府では歴代の大統領が退任後はほとんど密告されたりして、司直の世話になる。自殺することもある。韓国では漢民族と同じ「同族助け合い」の原理があるので、家族や親戚で成功した「社長」などがいると、他の貧しい親族などを助けるのが義務なのだ。大きなお金を持っていて他人を助けられる財を築いたものは、同族の他の人たちを助けるべき、という「規範」がある。これはこれで、ある意味「美しい不文律」と見る向きもあることだろう。

当然、「大統領」ともなれば、韓国という地域の朝鮮民族の頂点に上り詰めた「国の社長」である。少なくとも同族の人たちには、それなりのことをしなければならない。たとえば、大企業の社長に抜擢するとか、なんとかの官庁の長官にするとか。その人の生活を助けることは同族としての「義務」である。

とは言うものの、韓国の国の政府は「近代国家」の仕組みを持っている。近代国家を目指し、「豊かな国」になるべく、韓国の国の政府を西欧と同じ近代のかたちにしたのは、韓国民その人たちだ。当然のことながら「韓国的な同族助け合い社会の仕組み」と「近代国家の仕組み」は矛盾する。後者にとって、前者は「汚職」などになる場合も多い。ここに齟齬が生まれ、近代国家・韓国の大統領は「国のシャチョー」として同族のしがらみの中に沈み、それに従って近代国家にあらざることが行われ、大統領の人気が終わるころには、その矛盾が一気に大統領その人に襲いかかる。結果は「失脚」や、退任後の惨状となる。

世界を見渡すと、韓国だけが「先進国になりきれない国」じゃないんだけどさ、とは思うのだけれども。

 


GalaxyNote7発火事件でサムソンの世界シェアはどうなったか

p1130718韓国の朝鮮日報(日本語版)が伝えたところによれば、最近のGalaxyNote7の発火事件で、大量のリコール、販売停止などが行われたが、世界でのサムソンのシェアトップは、そのままで、現在世界シェア20%超を維持している、ということだ。この米国の調査会社の調査によれば、Appleはシェアをぐいぐいと落とし、その減ったぶんを中国のHuaweiが持っていった、という感じだという。

世界のスマートフォン市場はそのほとんどが日本円にして数千円からせいぜい1万円台の「低価格機種」であり、数万円の高級機種は当然「その他」扱いだ。Appleの凋落の元はこの「低価格機種」の市場を拡大できなかったことにあるのは明らかなのではないか、と私は思う。サムソンはたしかに韓国に本社を持つ優良企業だが、既に株の半分以上を外資が持つ「世界企業」であり「韓国」はその出自だけ、と言う感じだ。だから、グローバルな投資家を相手にするためにより効率の高い投資を行う必要があり、どの価格帯の機種をどの市場に投入するか?ということは非常に大きなテーマであることはいうまでもない。今回のこの「結果」は「世界ではスマホ購入の決め手は価格である」ということが、図らずも証明された、ということだろう。サムソンは早くから「低価格機種」に多くの力を集中してきた。同時に、日本ブランドがこの世界の競争についていけなくなったのも、「価格」が主な原因だろう、と私は思う。

ところで、最近のサムソンのスマートフォンを裏返すと「MADE IN CHINA」ばかりだ。同社の中国工場が主力だからだ。実はサムソンのスマートフォンにかぎらず、最近のこういったハイテク電子製品の部品は日本製、中国製、メキシコ製、など「多国籍」はあたりまえ。加えて製造ロットごとに部品が変わるのも当たり前だ。

よくアマチュア崩れのIT業界ライターなんかの記事で「新製品のXXを分解してみたら日本製部品が。。。」みたいな記事があるが、それはそのとき分解したものがそうであるだけで、その部品が日本製であるかどうかはどんどん時間とともに変わっていく。iPhoneのカメラ部分はここしばらく日本のSONY製だったが、既に台湾企業二社の中国工場のものがiPhone7の多くのものに使われており、日本SONY製のカメラはその一部に使われている、という情報が聞こえてきている。これもまた、時間の経過とともに、他の企業の作った「部品」に変わっていく(変わらないかもしれないが、それはコストによる)。これが当たり前の今の製造業なのだ。

もしも、「新製品のXXを分解したらXX製のXXが使われていました」なんて記事を書くとすると、同じ製品の製造ロットの違うものを時期を変えて購入し続け、さらに販売地域も一箇所ではなく、世界中の地域で買いまくって、そのすべてで分解を常にしていないと、全く実情はつかめない、単一機種でもそうしなければならないだろう。今の製造業は部品や工作機械などの世界的なサプライチェーンの上に成り立っている、というのは具体的にそういうことだ。アマチュアのハイテク記者はしょせんアマチュアなのだ。

 


「死ぬくらいなら辞めればいい」がなぜできないかというと。。。。

090807_062851組織で仕事をする、その組織の有形無形の規範の中で仕事をする、というのはその組織の支配者のものを考える枠の中で仕事をする、ということだから、その構成員はそれが自分の心身に害を及ぼすものであっても、組織の支配者の思想や哲学の枠の中でものを考えさせられているものだ。

別の言い方をすればその組織には支配者の「ワールド」があるのだ。ディズニーランドではディズニーキャラになりきっていないとその世界が楽しめないが、それと同じようなものだ。ディズニーの世界を冷ややかに斜めから見るようだと、ディズニーランドは楽しめない。だから、その「支配者ワールド」の広さや深さが組織の規模や仕事の質を規定する。

「ブラック企業」というのは、そういう支配者の世界の奥が浅く広さも狭い場所のことである。だから、その世界に適応して生きることは自分の視野を狭くしてしまう。結果として、自殺に至ったり体を壊したりする。かといって、その「ワールド」に適応した人間はそこでしか生きる道を知らない。組織の長から見れば、これは「素晴らしい人材」に見える。

しかしそうやって組織の長の枠の中で組織に染め上げられた人材は、組織に自分をあわせることに多くのエネルギーを使っていることを忘れてはならない。なぜならば、人間には個性というものがあり、組織に属する人間は、普通はその自分の個性を曲げて組織に適応しているからだ。

だから組織の長の作る「ワールド」が奥深く広いものであれば、組織人は自殺などするようなことや体調を壊すこともなく、業績もあがり、人数も増え、組織も安泰となる。組織の長の持つ他人の個性を包み込む奥深さが組織を安定させる。

「ブラック企業」というのは、この組織の長に広さも奥深さもないがゆえに、構成員本人の本来持つ「個性」を抑圧してしか生きていけない組織のことである。組織の長というのは常に教養を高め、奥深い人間洞察を持つ必要がある、というのはそういうことだ。

金解禁の時代の日本の財務大臣であった井上順之助は、まさに「本の虫」と言われるほとすごい読書家で有名であったが、彼は本を読む理由を「人をリードするため」と言っていた。この「リード」とは、不遇な時代に米国留学などが長かった井上にとって、本来の英語の意味での「リード」である。つまり「他人に勝つ」という意味ではなく「巨大組織の長として多くの人を引っ張っていく」という意味である、と、私は思っている。彼は巨大組織を引っ張っていく役割にあたり、それが不可欠だと感じたのであろう。

井上は財務大臣になってからでさえ、自分の人間としての教養や広さ、奥深さを求めて読書をしていたのは、単なる習い性ではなく、巨大組織を「リード」しなければならない、という重責を自覚し自分の人間性をより大きく深くしなければならない、ということを考えていたからだったのだ、と、私は思う。

日本には集団主義で個人主義をねじふせて組織を維持する、という伝統がある。日本はもともと貧しい国だったから、組織の長に無能で無教養な人間を持ってこなければならないことが多かったからだ。「ブラック組織」は、そうやって生まれた。日本は高度経済成長期を経験し、ブラックではない、大きな優れた組織の長たるにふさわしい人材を多く出したが、その時代の記憶がまだあるため、ブラック組織を「当たり前」と思えず「ブラックである」と意識できる感性が残ったのだ。これは、私達日本人にとって、未来を拓く大きな財産である、と、私は思っている。

「死ぬくらいならやめれば」ということがなぜできないか。その現象を客観的に見て「なぜそうなるのか」を意識し考えたこういったマンガの存在は未来の日本人の頭の中に記憶されていくことだろう。私達日本人は無教養で粗暴で奥の浅い昔には、もう戻れないし、戻ることもない。それが日本という地域の高度経済成長というものが産んだおおきな未来の日本への遺産である。

それがいくら、ある人たちにとって「懐かしいもの」であったとしても、私達はそこには戻れないのだ。

 


今こそ「フリーOS」「フリーOffice」の時代かもしれない。クローズな世界にオープンソース。

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この20年、PCではOSにWindows、OfficeスイートにはMicrosoft-Officeという時代だったし、今もそう信じている人は多い。ところが、OSのWindowsは強制に近いかたちでWindows10にアップデートされそうになる事件が昨年起きた。さらにMicrosoft-Officeは、どのバージョンもオンラインでの販売のみで、クラウドを使うのが当たり前になった。ライセンス料金は年間利用だと安くなるものの、パッケージの時代のように、一度買えばあとはずっと使って安心、という時代ではなくなった。しかも、最近のこういったオンライン製品では、最初の設定で、作った文書ファイルなどをMicrosoft社のクラウド上に置くことになっていて、それ以外のところに(たとえば自分のPCのHDDに)それを置こうとすると、ちょっと違うオペレーションが必要になる。

当然のことながら、セキュリティの問題が出て来る。最近は大企業ユーザーでなくとも、こういったセキュリティには十分注意していて、特にクラウドが盛んになってからは、クラウド上に自社の社外秘以上の秘密が含まれているファイルは置かないように、という通達が出ている組織もある。

こういった時代に、一昔前の「パッケージソフトウエア」の時代のようなスタンドアロンで動くOSやOfficeソフトウエアスイートが求められる場面が多くなった。自分のデータを他人にこっそり見られてはたまらない、という、当たり前の動機によるものだ。そこで、かなり大きな組織でも、WindowsやMacなどのポピュラーなOSは使わないように、とか、Officeソフトウエアはフリー(無料)でネットから取ってこられるパッケージソフトを使うように、という通達が出て来る組織も増えてきた。

私が普段使っているのはOSにUbuntu、そして、Windowsでも動く「Libre Office」をOfficeスイートに使っている。私の周辺ではこれが標準になってきた。どちらもオープンソースで出来ており、ソースコードを調べてバックドアがないかどうか、なども専門家が調べることができる。そのため、欧州では国の政府がそれを使うところも出てきた。

ちょっと前までは「無料だから」という理由でこれらのソフトウエアが使われてきていたのだが、昨今は事情が変わり「セキュリティのため」に、これらのフリーソフトが使われる場面が多くなったのだ。

リーマンショック以上と言われる世界的な不況期に入り、国の政府や地方自治体、企業はハリネズミのように自組織の守りを固める必要が出てきた。この流れがITで行き着く先は、周辺との「コネクティビティ」の危険性をできるだけ減らすことだ。そのためには、インターネット接続を切ったり、限ってもかまわない、という考え方である。

本来は「オープンな環境のために」作られたオープンソースソフトウエアがクローズな環境を作るために使われる。これがこの時代の皮肉でなくてなんだろう。

MicrosoftのOSやOfficeスイートのプロダクト、Apple社のMacOSなども、クラウド化&オンライン化のために、インストール時も利用時も常時インターネット接続は必須である。しかし、UbuntuやLibreOfficeといったオープンソースソフトウエアはインストール時のみインターネット接続が必須で、利用時にはインターネット接続は必要ない。どちらがより安全かは、言わずもがなだ。

オープンソースソフトウエア。それはいま、セキュリティのために、クローズな環境を守るために使われだした。時代の変化というのは、こういったものなのだ、と思わざるをえない。

クローズな世界にオープンソース。

 


ボブ・ディランのノーベル賞騒ぎって古い時代の権威の失墜が目に見えた感じがするよね。でもこれ、演出かもしれないね。

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WAIKIKI/WAWAI

ディランのノーベル症騒ぎ。結局、ノーベル症委員会はいま、もっとも嫌われる、その権威的な態度を最も嫌われる形で表出し(おそらくマスコミの記者にひっかけられたんじゃないかとぼくは思うけれども)、今後はもっと権威を失墜していくことだろうね。結果として、ノーベル症委員会はディランに手玉にとられたんだね。

【ここ追記】と、言う話はみんな好きだから、どうやらこの話は記者がそういうことをノーベル症委員が言うように、話を持っていってインタビューして、委員もそれにのっかった、という話みたいだね。「記者にノーベル症委員がはめられた(ことにしよう)」って話らしいね。実際のインタビューではその委員は「彼らしくていいんじゃない?」と、この状況を楽しんでいる。まぁ、ノーベル症の価値も下がってきたことだし、ここは一つ、こういう「事件」でも起こして、世間の注目を集める「炎上ビジネス」にして盛り上げよう、って気持ちがあって、記者の人に対して「そういう記事にしやすいように」、老獪な委員の人は話をしたんでしょうね。いわゆる「魚心に水心」ってやつですね。どっちもやるねぇ。

ここまでしなきゃならん、ってことはだ、これはオリンピックも同じ。オリンピックももう世界には必要ないんでしょうね。このところ、オリンピック後の国家財政がいかに大変か、とか、オリンピック後の競技場の廃墟の写真ばっか見せられてるよね。あのネガキャンもそっちの方向を向いているんでしょうね。

でまぁ、私に近いところでは、PCのMicrosoft。このところ、毎回Windows7にWindowsUpdateのお知らせが来るんだが、みんなUpdateに失敗してる。もう数十回やったよ。「PCといえばOSが必須。そのOSのシェア一番だから、なにをユーザーにしてもOK」と思っているとしたら、それも権威の失墜の大きなきっかけになる。なにせ、WindowsUpdateの時間がかりすぎ、結果として「失敗しました」が繰り返されるが、客が欲しいのは時間の節約であって、時間の無駄使いではない。OSを使いたいのではなく、OSの上に載っているアプリケーションソフトウエアが使いたいのである。一部のトシのいったマニアだけが、古い時代のOSサマサマの時代を引きずっているだけなんだな。

Microsoft社自身の売上を見ても、ほとんどがOfficeソフトウエアであって、OSではないわけでね。その意味をちゃんと考えていないんでしょうね。

自動車で言えばさ、みんなエンジンが欲しいんじゃないわけですよ。自動車で速く楽にどこかに人やモノを運んでくれればいいわけですね。あと、乗り心地がいい、とか、ドライブが楽しい、とかってのもあるとうれしいわけで。でも作る側は「良いエンジンでしょう!すごいでしょう!」ってやりたくなる。そりゃマニアは気にしますよ。「オレのPCのCPUすごいだろー」みたいなもんだね。でもそういうのに喜ぶ人、がっかりする人はごく少数。「普通の人」は自動車が大事なんじゃない。CPUが大事なんじゃない。自動車でなにができるか、それが自分のやりたいことの役に立つか?ってことのほうがはるかに大切なんだよ。「モノ」中心の時代じゃなくて「ソフト」中心の時代、っていうのはそういう意味だよ。

ノーベル症の権威がなぜできたかといえば、その賞を取った人の業績をすごい、とみんな認めていたからであって、ノーベル症ってのは後から来て、「あんたすごいじゃない」って、褒める、って程度の役目だからさ、「すごい」のはもうみんな知ってるわけ。そこに後付けで「すごいねー」って言いに出て来るのは、コバンザメみたいなもんでなんか「いかがわしい」。それって、ある意味「どうでもいい権威」なんだな。賞が大切なんじゃなく、業績とその効果が大切なんですよ、ってことね。いまはそういうことがみんな裸になって世の中に広まる世界なんだよ。

【追記もう一個】さらに言えば、だ、こういう賞というのは突然決まるんじゃなくて、なにかとその人やその周辺にインタビューに来たりして「予兆」を演出するもんなんですよ。ディランも賞を取ることはおそらく事前にわかっていて、「オレの場合、こういう演出で行こう」なんて考えてるんでしょうね。ショービジネス、っていうのはそういうもんだからね。だから「授賞式に予定しなかったディランが突然ギター片手に現れて云々」なんていう下手な演出もあるんじゃないのかね?だいたいこういうものはみんな事前に予想がついてバレてるもんですよ。

あ、ごめん。「ノーベル症」じゃなくて「ノーベル賞」の間違いだったわ。ごめんね。

 


「タウンWi-Fi」はセブン-イレブンの「7SPOT」に接続できない、という件

pa022675アプリの「タウンWi-Fi」は、日本の各地にあるフリーのWi-Fiスポットに自動的に接続してくれる、という便利なアプリだが、セブン-イレブンの「7SPOT」にはこのアプリでは接続ができない、ということらしい。イタチごっこみたなもんだが、「タウンWi-Fi」だろうがどんな輩だろうが、セブン-イレブンも企業である以上、特定のアプリとかで接続できなくする、というのは、結局はアリなんじゃないだろうか?と思う。

日本では無料Wi-Fiの接続が増えているが、実際には、無料のWi-Fiスポットは、その裏側でなにをしているかわからない。良心的なところでも、必ず「暗号化されていない通信は傍受され思いもかけないところに使われる危険がある」ということを、ちゃんと定款に書いてある。その定款を読まないで接続すつのは危険だ、ということだから、当然、その定款を読まないで接続するユーザーの通信をrejectする、というのは、むしろ良心的なんじゃないか、と私は思うのだが。

「タダで使えるものは使わせろ」というだけの話であれば、むしろセブン-イレブンのような私企業が無料Wi-Fiを運営するのではなく、地方自治体とか国とかがやれば良いことなんではないだろうか、と思うよ。

「無料」のものには、必ず「無料」になる理由があり、それを「定款」には書いてある。

まぁ、世の中というのはそういうものですよ。