豊洲新市場の「79倍汚染」は

築地に代わる豊洲の新市場の移転の公聴会が開催され、そこで配られた資料がどよめきを持って伝えられている、というニュースが流れている。マスコミのニュースに流す、というのは、ある程度各界に根回しが終わって合意が取れたものだから、という前提を考えに入れておくと、このニュースは違った方法で見ることができる。

つまり、豊洲への移転はあったとしてもこの対策が取られた後で、当分先になる、ということが合意された、ということだろう。これは都議会、ひいては国政における自民党分裂の予兆である可能性が高い。また、こういう「駆け引き」は、築地移転問題だけで語ると全体像を見誤る。「江戸の敵を長崎で取る」ということもあるからだ。ということは、東京でのオリンピックの問題なども、おそらく絡んでいるし、それ以外の問題も総合的に絡んでいるのだろう。

私たちは部内者でもないかぎり、こういう問題は「築地の問題だけ」というように報道されるがままに、その報道を見ていることが多いだろう。しかし、実際の世の中は複雑で、「こんな問題が全く別に見えるこの問題に関わっていたのか!」ということが、後でわかることが多い。おそらく、今回の豊洲の移転問題に関するこのことでも、他の問題と密接に裏側で絡みがあって、それが私たちに知らされていない、ということがあるのだろう。

私たちがニュースで見ているもののほとんどには、「サプライズ」はない。それは予定調和の一部なのだ。

 


IoTでなにを作ったら売れるか?

いやもう、こういう質問、すごくたくさんぼくのところに来ます。たくさん、というけれども、他の人には美味しいことは知られたくないことだから、って、こっそりくるんです。「こっそり」「たくさん」。だから、対応も気を使います。いやもう、本当に。同業他社の情報をぼくは知っていることもあるわけだから、そういうときは特に気を使います。でも、誠実にお答えします。「あなたのところと同じように、守秘義務契約交わしているわけで、ぼくは他社の情報をそちらに出すことはできませんから、みんな違う情報とメニューを用意していますよ」って最初に伝えてから、お話を始めます。

同じことを言うのは、最近のIoTをめぐる世間の情勢についてだけ。これは誰に喋っても同じことだからね。実際、今IoTというキーワードをめぐる世界の情勢は沸騰はしているんだけれども、「なにを作ったら儲かるか」ってのは、だーれもわかっていない。今、まぐれで売れたとしても、それが来年も続くとは誰も思っていないし、そこまで爆発的に売れれば、当然真似するところや似たようなことをするところも出てくるわけで、そうなると安泰、ってこともない。一応、他社が付いてこられないように、特許はとっておく、ということはスべきですね、なんていう話はするものの、知財周辺は最近は中国だって今や世界一の特許出願数だからね。つまり国をまたぐわけで、そうなると、PCTだなんだの実務的な知識も必要になる。知財周辺も渾沌とした状況にならざるを得ない。じゃ、国をまたいだ知財戦略はどうするか、ってお話もしなけれりゃならない。

時代が「アジアの製造業では日本一人勝ち」の時代ではなくなったんですよね。だから、他の国ことはちゃんと考えておかないと、いつでも足をすくわれる。知財の戦略にもいろいろな方法があって、正攻法もあれば、そうではないこともある。このあたりが、技術コンサルタントの仕事の範疇に入って来るのが、昨今の状況なんですよね。

ということで、いま、「IoTと知財」の話なんかをしていることが多いです。

 


企業のIoT事始めは「守秘義務契約」から始まる

 

IoTに関する様々な情報が飛び交っている。たとえばこの記事もそうだ。しかし、ネット情報とか書籍、雑誌の記事になっている情報は、もう企業にとっては古くて必要のない「クズ」の情報ばかりだ。本当に業務を改善するようなものは当然のことながら「社外秘」になって、公表できる情報ではないことが普通だからだ。ましてや、「ちょっと取材させてください」なんて来る業界紙や業界のWeb向け記事を書く記者とか、あるいは、どこで喋られるかわからない大学の先生などには、当然社外秘をお話するのは、ごく限られた場合になるのは、しょうがないことだし、話すことはあっても、必ず「口外しないでください」ということになるのは、当たり前のことだからだ。

ということは、業界でインダストリーなんとかとか、あるいはIoTなんとかとか、そういうものが今更流行ったところで、そんなことはかなり以前に、企業の工場はやっていることがとても多いし、それを今さら外部の人に話す、なんてことはさらにない、と思ったほうがいい。話すとしたら、すでに必要のなくなったガラクタのような情報ばかりである、ということだ。しかもそういう情報でさえ、その企業の法務部に行って、お伺いを立てて、OKが出たものだけをお話をすることになる。企業人としては当たり前の対応だと、私は思っている。つまり、業界紙の記者程度の認識の人たちに、会社の秘密は話さない。それが普通だ、ということだ。

ぼくはITの業界に関わってすでに30年はたつ。このあいだ、いろいろな仕事をいろいろな有名企業でやったが、どこも守秘義務をまず交わしてから仕事に入る。当然、ぼくは非常に深いところまでIoTのなんたるかはわかっているのだが、実例なんてとてもじゃないが話せない。人工知能に近い仕組みなど、今までにいくらでも動いているし、ロボットもかなりのレベルのものがすでに20年以上前にあって、その一部を僕らは作った。当然、そのことは関わった企業以外の方にお話することは全くありえない。それが同業他社に漏れたら、今でも大変なことになるものもたくさんあるからだ。それが「トップシークレット」の業務にかかわる人間の当たり前の態度である。

ということは、繰り返すが、世の中にあふれているIoTの情報などは、そういう守秘義務契約を交わす必要のないほど、あまりたいしたことではない情報である、ということだ。ネットも雑誌も同じだ。同じRaspberry-Piを使ったとしても、アマチュアとは使い方がまるで違うし、そのノウハウがないと、厳しい工業用用途には使えない。その部分は「秘密」なのである。当然、どこがどんな特許を持っている、という情報も秘密である。企業によっては特許を取得すると、その情報を開示しなければならないため、重要なノウハウはわざと特許を取らない、という対応をするところもある。

IoTに関する情報は、雑誌や書籍やWebの記事なんてのは、アマチュアの遊びである。それはそれで楽しめるし、いいんじゃないの?という程度のものだが、それでは実用には程遠い。

いま話題のIoTだ、人工知能だ、という分野でさえ、守秘義務契約は当たり前にかわされていて、全ての関係者がその契約の中で仕事をしている。だから、業界紙も雑誌や書籍も、そしてWebも、最初の初歩的なことはあてになることもあるが、さらに踏み込んでいくことはできない。そういうようになっているのである。

このことをわかったうえ、IoTについても人工知能についても、公開されている情報を読むべきである。

それがなんであろうと、仕事とはそういうものだ。これが「現場」というものだ。

 


大きなスマートフォンは日本ではあまり売れていないみたいだ

韓国にしばらくいたときも思ったのだが、韓国では画面の大きさが5.5インチを超える大きなスマートフォンが売れており、それは中国でもそうだ。とりあえず、アジアの国を中心に、大きな画面のスマートフォンが売れている。たしかに、大きなスマートフォンを使うと、それが「ステータス」のようになる。かつては、腕時計とかを見て、その人が経済的に豊かであるかどうかを見たものだが、今はスマートフォンである。そして、それは大きくて目立ち、明らかに値段の高いものであって、できれば品もあるものでないと、「ステータス」にはなかなかならない。

しかし、日本はだんだん変わっては来ているものの、まだ多くの人がどこかの企業に属するサラリーマンであった時代を引きずっており、「人生は目立たないように地味にやっていこう」という価値観がある。「目立つ」のは「品がない」と見られるのである。だから、スマートフォンも、よく見ると高そうではあるけれども、どちらかというと小さな目立たないものが好まれる。

これからは日本人もいやでも外国で仕事や勉強をすることが多くなるだろう。そんなとき、外国に出て行くことが多い日本人は気をつけたほうがいい。目立つことが必要なら、大きなガタイで高そうなiPhoneなんとかプラスを持っていくべきだし、逆に学生の節約旅行などで、強盗などに会いたくないのであれば、質素な目立たない服と、安そうなスマートフォンにしたほうがいい。

今は世界で日本・東京が世界で一番安全なところだろう、と私は思っているが、そういうところに生まれ育った日本人にとって、外国はどこも危ないところだらけだ、と言っていい。であれば、行く目的によって、自分をお金持ちに見せたり、貧乏に見せたりすることは安全上、ビジネス上、必要なことなのだ。今は20年以上前の世界とは違う。テロによる無差別な普通の街なかでのアクシデントも多い。空港は特に狙われやすい。常に安全を考えた行動が必要な時代なのだ。

学生の貧乏旅行なのに、高そうで大きなスマホを持ち歩くのは、強盗などに狙ってください、と言っているようなものだ。反対にビジネスで行くのに、貧相なスマホは持っていかないほうがいい。高そうで大きな目立つスマホを持っていって、ぜひビジネスを成功させていただきたい。

 


今は「古いもの」と「新しいもの」がせめぎあうとき

米国大統領選挙では、大方の予想ではヒラリー・クリントン候補が優勢と伝えられたのに、蓋を開けてみれば勝ったのは暴言ばかりが取りざたされているトランプ候補のほうだった。後で「不正選挙ではないか?」「票の数え方を間違えたのではないか?」とか「ロシアのハッカーが米国のシステムをおかしくした」とか、さまざまな話が流れたものの、現在のところはどれも否定されている。一抹の疑いは無いとは言わないが、それが大勢に影響を与えるとは考えにくい。

トランプ氏が当選後のなんらかのアクシデントで大統領になれなかったとしても、このままであれば、第二、第三のトランプが表に出てくることになるだろうし、まぁ、世の中は良きにつけ、悪しきにつけ、変わって来ている、ということだけは確かなようだ。

シリアのアレッポはシリア政府の手に落ちた。それをシリア政府に反対している人たちは「陥落」と表現し、シリア政府側は「開放」と表現する。反シリア政府勢力のアジトが暴かれ、中から多量の西側で作られた武器が発見されたり、NATOの元幹部が大量に出てきたりして、大騒ぎになっている。

米国政府とは親密だったはずのイスラエル政府は国連で「もうパレスチナはあきらめろ」と印籠を渡され、ネタニヤフ首相は司直のの捜査対象となった。エルサレムではトラックが突っ込んだテロと見られる事件も起きた。この先、なにも疑いの無いことが分かったとしても、ネタニヤフ首相は力を徐々に失う、これがきかっけになるだろうことは想像に難くない。

日本も、旧態依然の大企業もあるし、役人もいるけど、それらのどれもがかなりの比率の外資を受け入れているし、日立なんかは役員会は英語だし、キヤノンは世界に散らばる工場の工場長はもう日本人ではない。これは日本企業ばかりに言えることではなく、韓国のサムソンだって、「出自が韓国である」というだけであって、その資本の半分以上が外資である。どこの大企業も似たようなものだ。変わっているところと、変わっていないところ、そういうものがごっちゃになっているのが、今の世界であり、日本だ。

いまや製造業の中心は中国であり、中国もまた次のプレイヤーに「製造業の中心地」の看板を預ける予定さえある。ベトナムのハノイには日本の大企業の工場が軒を連ねており、日本人街ができている。駐在の人は日本から家族を呼び寄せ、そこに骨を埋めるつもりの人も多い。かつての日本企業も日本には帰らないつもりのところも多いからだ。いまや世界一の給与の高さを誇るのはシンガポールだが、世界の金融センターとしてのシンガポールの地位を中国政府も狙っており、現代のシルクロードと言われている「一帯一路」(Belt and Road)という壮大な計画も進行中である。

エンターティンメントの集客の中心は巨大メディアで行ってもあまり効果はなく、ネットでのプロモーションに切り替わりつつある。さまざまな分野での大きな変化が始まっている。

結果として、今このときというのは、なんとか次の世代に生き残ることを画策する「旧勢力」と、新しい時代に普通に適応する「新勢力」がせめぎあって、ごっちゃになって、世の中に散らばっているのだ。だから、人や組織を見る目も「この組織は新旧どちらかな?」という目で見たり「この仕事は新旧どちらに有利か?」などということを考えながら、仕事をすることになる。そして、ぼくが味方をするのは、当然「新」のほうだ。

 


【釜山・慰安婦像設置問題】おそらく、いろいろあるんでしょうね、というお話

韓国・釜山の日本総領事館前の慰安婦像設置について、日韓両国であれこれと問題が起きていて、いろいろな方々が「日本側から」批判している言説がとても増えた。日本でも韓国でもニュースなどで取り上げられている。

ぼくはついこの前まで2年間、韓国の大学教授をしていて、釜山の近くに住んでいたのだが、そのときは平和なもので、日本人として嫌な思いは全くしたことがなかった。

韓国というところは日本とは違うところがかなりあるのだが、今も日本人としてとても印象に残っている驚いたことってのは「韓国民は韓国の政府のことなんか聞いちゃいない」ってことがまずあるんだね、ということだ。たとえば、ある日、仕事場の大学に行くと、事務室に鍵がかかって閉まっている。なんだか学校も静かだ。しょうがないので、韓国の友人に電話したら「今日は今年から公休日になりました」ということだ。「なんで教えてくれなかったんだ!」と言ったが、実はこういうことは韓国ではよくあるのだ。休みであればしょうがない。と、自分の宿舎に戻ってテレビを付けて見ていたら、夕方のニュースで「今日が新しい公休日であることを知らない企業などと、知っていて休んでいる役所などがまぜこぜになって、国中が大混乱していました」なんてニュースをやっているのだ。その日が新しい公休日になりました、と、政府が決めて広報しても誰も聞いちゃいない、という感じなのだ。日本ではまず考えられないのだが、ビジネスの場でも、なにかと「政府は関係ありませんから」ということを当たり前に聞いた。

要するに、政府が全く国民から信用されていない。そして、韓国民は韓国民で、様々な考えの人がいて、これもまた意見が全員同じ、なんてことはまずない。従軍慰安婦の話についても、話題にする人もいれば、そうでない人もいるし、昔のことだから、記憶には留めておくが、今は関係ない、という人もいる。いろいろな考え方の人がいるのだ。

今回の釜山の日本領事館の前の慰安婦像の問題は、最初、韓国の慰安婦支援グループの人たちが、慰安婦像を置こうとして、韓国の警察に止められた、というところから始まる。韓国の政府としては多額のお金ももらっているだけではなく、この問題はお互いにこれから触れないで置こう、ということで、日本政府と合意していたのだから、ここで蒸し返されると、韓国政府の信用にも傷がつくわけで、慰安婦像の設置には政府は反対の立場でいた。しかし、その後、設置を妨害された韓国の民間団体がネットでこの問題を拡散し、大きな問題となり、政府でもそれに対応せざるをえなくなり、一転して設置許可をした。

ここからは私の想像だが、要するに日本の政府の役人と韓国の政府の役人はここで協議をしたはずである。もともと、それくらい親密なのだから。そして、韓国民の一部の「慰安婦支援過激派」みたいな人たちを黙らせる必要もあるし、日本国内でもあれこれ大きな問題になりそうなので、うるさい民間人にはある程度の日本政府としての「いい顔」を見せて置く必要があるから、日本政府としては韓国政府に対して「制裁措置」を講じ、韓国政府はそれに呼応して「反制裁措置」を講じて、そういう「日韓両国のうるさい人たち」をある程度満足させ、黙らせる、ということが画策されたのではないかな、とか思ってしまう。

事前にいろいろ決まっている、プロレスみたいなもの、というのが正直な私の感想なのだが。だから、こういう「騒ぎ」はまともに受け取らないほうがいいのかもしれない。大人の世界は複雑なのである。


ついでなので、釜山というところについてだが、釜山の地下鉄には全て日本語表示があり、乗換駅に地下鉄が入るときは、日本語のアナウンスもある。釜山の巨大ロッテデパートでは日本語の案内もある。まちなかには日本語の行き先表示もあるし、釜山駅前には東横インもあって、当然だが日本語が使える。非常に日本人の観光客が多く、特に関西、九州からの日本人観光客が多いようだ。カレー屋で「我孫子カレー」なんていうのもあり、とにかく日本人が遊びに行って違和感があまりない。韓国に遊びに行くなら、釜山は日本人にとっても、とてもいいところであることは論を待たない。なにせ屋外の屋台でも、日本語の価格表示がある。大きな施設だけではないのだ。なお、釜山の繁華街でセルフィー棒を500円で日本語堪能のおばさんから私が買わされたのは極秘事項である。絶対に誰にも言ってはいけない。


教育の本来の姿とは


現在のところ、日本のほとんどの子供達が受けているものは「教育」の名に値しない。それは「管理」である。

「管理」は想定内のことしかできないが「教育」は想定外のものを生み出す。いや「管理」ができることは想定内のことでしかないが、教育は「想定外」があることが前提である。

「効率」を追求できるのは想定内だからであって、多様な現実はいつも想定外のものを突きつける。本当は管理不能なものが現実というものだ。教育とは管理不能な現実に立ち向かっていく人間を作ることだ。管理が作る人間は想定内の現実しか相手にできなくなる。管理されて育った大人は管理された中だけでしか生きられないから、想定外のことを目の前にすると想定内の事象に置き換えて現実を見て対処しようとするが、それは物事を正確に捕らえていないので、現実の対処にほとんどの場合、失敗する。結果として教育を受けた人間は成功する確率が高くなるが、管理されて育った人間は成功する確率が低い。

また、管理されて育った人間は想定内の事でしか現実を見ることができないので、想定外が連続する現実との齟齬を埋めるために「うそつき」にならざるをえない。結果、教育を受けた人間は正直で能力が高くなるが、管理の中で育った人間はうそつきで能力も低くなる。想定外を生きて行ける能力を身につけた教育を受けた人間にとっては、想定内しか生きられない管理された人間のしている勉強などたいしたものではない。

たとえば、長いあいだ雨が降らないために水不足になったとしよう。「管理」では水不足を想定していないから「取水制限」などで対処する他はない。要するに今あるシステムの中でしか、答えが出せない。しかし「教育」を受けている人はそんなとき「人工降雨のやりかた」を考える。その違いである。

「管理」と「教育」はそういう違いがある。ゆえに「教育」が人間にとって非常に重要な意味を持つ。それは「管理」より重いのだ。

高度に発達した資本主義社会・管理社会では、社会が管理の網の目で作られている。そして、学校もその一部である。とは言うものの、しょせんは人間の社会であって、人間を取り巻く自然から隔離されたものが、「想定内の現実」である。しかし、ややこしいことに、人間の中にも「自然」がある。だから人間社会の中にありながら、人間自身が一番管理しにくい対象になるのだ。

教育とは自然と人間の対話による折り合いをいかにつけるか、ということを学ぶものである。自然との対話の仕方を子どもたちはそこで大人から学び、身につける。そういう意味で真の教育とは、そのまま人類の未来に直結していく。「自然との対話」というが、その自然がときには自分という人間である。だから、そういうときは「自然との対話」はそのまま「自分との対話」である。

人間と人間社会は長い時間の中で社会の内外にある「自然」と折り合いをつけてきた。その結果として、人間はやっと社会を維持してきたのだ。

だから、「管理」を「教育」である、と間違えることは、そのまま人類の衰退を意味する。

 


Miami 2017の世界になるか


ぼくは昔からのビリー・ジョエルのファンなのだが、彼の曲に「Miami 2017」というのがある。1981年に出た曲だが、歌詞をかいつまんで要約すると、米国の2017年はこんな感じになる、という歌なのだ。2017年にその曲を聞いている。

眼下に見えるブロードウェイの明かりは消えている
摩天楼は荒廃した。。。。

要するにディストピアとしてのニューヨークを歌った歌だ。

この歌が発表された1970,80年代の米国では考えられなかっただろうが、今もまだ人はニューヨークに多いものの、そして夜の街歩きはかなり安全になったものの、この歌に歌われた今日のニューヨーク、そして、世界は似たようなものだ、と思えるところもないではない。この歌はSeptember 11よりもさらに前に作られた曲だ、ということを考えると、まさに「予言の歌」みたいな感じだ。

いま、2017年を迎えた。ビリー・ジョエルの生まれ育ったニューヨークはこの歌ほどひどくはない、と言っていいだろう。しかし、今年、なにがあるかはまだわからない。

 


 

2016年に「Miami 2017」を歌うビリー・ジョエル。歌う前に1976年の歌、って言ってるんだけど。そして、これは東京公演のときのものなので、ニューヨークを東京に置き換えている。

明けましておめでとうございます

多くの方に、SNSで「明けましておめでとう」を言いました。このBLOGでもそうしたいと思います。

●昨年は、シリア・アレッポの問題などを見るにつけ、本当の戦争以上に、ネット上の「情報戦争」が激しく戦われている、そういう動きを感じました。結局のところ、インターネットがあるために、世界中、「国境」が関係ある時代ではなくなった、ということを感じます。世の中が変わっていくその音が大きく聞こえています。「時代の歯車」というものがもしあるとすれば、それが大きく動く音が聞こえたのが、2016年というときだったのです。

●その元となったのが、私達が30年前に日本に持ってきた「インターネット」やその周辺の技術であった、というのは、自分にとっては、一つの喜びです。インターネットがあるために、「情報戦争」が本当は第三次世界大戦として始まったのではないか、と、そういうことも考えたりします。つまり、エーテルのような「メデイア」として、私達の周囲に見えないけれども重要な「空気」のような存在として、インターネットは使われはじめました。

●単なる「利便性」の枠を越え、生活の一部となり、道具となり、武器となり、国境を壊し、人々の生きる場を拡げ、また、苦悩も増えたかもしれませんが、人間が生きる選択肢を増やした。それが私達が作ってきたインターネットであった、と、思い出し、U.C.Berkeleyでインターネットやその関連の技術の本を買い漁ったときを、今さらながらに思い出します。そのとき、私達は「これが、なんだかわからないが、世の中を変えていく」という確信に満ちた胸をいっぱいにして、本当にワクワクしながら毎日を過ごしていたことを思い出します。そこでは「技術」は世の中を変えていく道具であり、単なる「技術」ではありませんでした。だから、私だけではなく、多くの人たちの胸を踊らせ、今日まで来たのだと思います。

●今年も、世の中を変えていく。来年も世の中を変えていく。

本年もよろしくお願い申し上げます。