「根本博」について書いた本

2017/03/31

「この命、義に捧ぐ 〜台湾を救った陸軍中将・根本博の奇跡〜」(門田隆将著:角川文庫)を読んだ。台湾の中華民国政府の軍の「正史」からさえ消された、という、旧日本軍の陸軍中将・根本博について書かれた本である。根本博は、敗戦直後、国民党軍の蒋介石総統と親交を結び、根本の守る地域の日本人居住者の内地への帰還を、日本政府の武装解除命令を無視して行った。その後日本に帰ってきた彼は、かつての敵将・蒋介石総統の義を思い出し、国共内戦の最後の激戦と言われた金門島のたたかいに国民党軍側の参謀として参加、地図で見ると大陸中国に張り付いたような「金門島」を当時の共産党軍から守ることに成功する。しかも、日本から行くときは小さな漁船で密航であったというから、まさにその航路も命がけであったということだ。

本のあらすじを書くとそういう感じだが、この根本のエピソードが面白い。なんというか「漢文」の碩学でもあったというから、海軍大将だった及川古志郎なんかと似ているインテリだったんだろうな、というのは想像がつく。暴力で統制を取るという元祖・体育会系みたいなことで有名な旧日本陸軍にあって、この人の配下では「鉄拳制裁」は禁止されていた、というから、なかなかおもしろい人だったらしい。

根本さんは戦争から帰ってきて、もちろん軍を失った日本で貧しい生活を送っていたそうだ(もちろん日本人はその頃みんな貧しかったわけだ)が、ひょんなきっかけで密航して蒋介石に会いに行き、再び戦場に身を置いた。その心情はなんとなくわかる。ぼくに言わせれば、だが、根本さんはおそらく、家族も捨て、自分の命も顧みないほどの「道楽」を一生に二度もやったのだ。幸せ者ですよ、この人は、と、ぼくはあえて言ってしまいたい。

この人が家を出て台湾に行く時も振るっている。釣り竿を持って、釣りの格好で行ったそうだ。そして、3年後、日本に戻ってきたときは、飛行機で羽田空港に帰ってきたわけだが、その飛行機のタラップを降りるときも、釣り竿を持って降りてきたそうだ。「いやね、ちょっと釣りに行ってたんだが、相手が大物で苦労しちゃってね」なんて言う感じである。

「命を的にした道楽」をする、そういう人を今はみんな評価しないだろう。それがどういうものであるかさえ、わからないだろう。そして、それがわからない人は、この本を「台湾と日本人の関係が云々」なんていう話でしか見られないだろう。しかし、この本は、久しぶりに、面白いおっさんの話を読ませてもらったよ、という、そういう感じなんだな。なによりも、根本さんという方のその人間の面白さが行間からにじみ出ている。

しかし、「台湾を守った」というよりもこれは「中華民国を守った」なんじゃないかね?というツッコミもあるだろうな。


最近のITの業界と古いITの業界のギャップ

最近、かなり年齢の行ったIT業界の人とお話をすることがある。一方で、ついこの前までシリコンバレーで仕事していました、という方にもお会いする。一番感じるのは、ITの仕事というものはどういうものであるか?という考え方がかなり違う、ということだ。世代のギャップがあるんでしょうね。

世代が違う。まず「仕事」「ビジネス」に対する考え方や姿勢が違う。そして、それに対する姿勢も当然違う。だから、これらの人たちを混ぜると、一向に話が進まない。お互いに何か違うな?と思っているんだろうが、それがどのように違うのかをお互いに言葉が足らずに時間が過ぎてしまう。

旧世代は。ソフトウエアを書くことが「仕事」、ハードウエアを設計して作ることが「仕事」そして、それに対して対価をもらうことが「ビジネス」だと思っている。しかし、新世代は違う。ハードウエアやソフトウエアは、それにどのくらいの期間でいくらかかるか?ということだけに関心があり、テクノロジーはお金を払えば手に入る、と思っていて、問題はそこにかかるお金以上のお金がもうかるかどうか?という仕組みを考えて動かすことが「ビジネス」であり、そのビジネスを成立させるものが「仕事」である、と思っている。

根本的に考え方、この世の中の捉え方が違う。

昔からコンサルタントと呼ばれる人がやっていることをやるのが、ITの技術者である、というように思っている。そこで、話が噛み合わない。どちらも大切だと思うのだが。

 


「原因」と「結果」の逆転

いろいろな議論がネットではあるんだが、たとえば、この記事を見て見よう。日本で大きな問題となっている「少子高齢化・人口減少」についてだ。日本の中の議論では「少子高齢化・人口減少が解消すれば景気が良くなる」という話が多いのだが、実際にはそれでは景気は良くならない、という話が書かれている。そんなに単純な話ではない、ということだ。

よく考えて見ればわかることだが、「少子高齢化・人口減少」が原因で「不況」になっているのか?それとも「不況」だから「少子高齢化・人口減少」になったのか?どちらだろう、と考え、いろいろな調査の結果を調べて見ると、どうやら後者のほうが的を射ている、ということなのではないか?と思う。であれば、「少子高齢化・人口減少」を解決しても、不況を脱することはできない、ということだ。逆に、収入がないのに子供ばかりたくさんいる家庭のように、貧困に陥ることが充分に考えられる。実際、欧州のシリア難民を見ていればわかるように、欧州では難民が増えすぎ、その行きどころがなくなっている。もしも、好況であれば、そういう人たちでも働く場所がたくさんできていて、貧困に陥ることもないはずだ。

話が逆なのではないか、と、私は思う。

工場に工員がいっぱいいても、工場で作るものが売れなければ会社は潰れてしまう。必要なのは新しい需要を作ることであって、生産はその後からついてくる。そういうものだろう。

もともと、政府の景気刺激策がうまくいった例は過去にそう多くない。つまり、過去に学ぶのではなく、新しい時代の新しいなにかを模索していく必要があるのだ。新しいものにコミットできなければ、人類の未来はないだろう。私はそう思っている。だから、いつも新しいものを探している。

 


「てるみくらぶ」倒産は大きな時代の変わり目の現象の1つに過ぎない

いま、ちまたで問題になっているパッケージ旅行会社「てるみくらぶ」の倒産。同じグループの「自由自在」も同じ経営者で、こちらも同じことになっている。この倒産については、日本独特の「ガラパゴス的旅行会社経営」について、このBLOGで疑義が出され、多くの人の共感を呼んでいる。日本の旅行会社は急激なスピードで変化する世界の旅行シーンについていけていない、という現状が語られている。

実際、てるみくらぶだけではなく、全く業種の違うところでも同じように問題が起きている。重工業でも、製造業でも、ハイテク産業でも。そして、それらの共通点は「すごいスピードで変わる世界の流れに、日本の企業がついていけていない」ということだ。

日本はアジアでも有数の戦後の高度経済成長を遂げた。そして、その成長が頂点に達すると、そのときの現状にあわせて、社会システムを整備し、運用してきた。そのため、その当初はそれなりにあらゆるシステムはちゃんと動いていた。しかし、その制度の作り方は、将来起きうる世界の変化を想定していなかった。結果として、硬直化した、スピードの遅いシステムが今でも動いている。不確定でもどんどん動き出すのが、世界の未完成なシステムだが、日本の完成されたシステムは、どんどん世界に置いて行かれている。そして、言うのだ。「日本のシステムは確実性を重んじるから遅いのだ。だから我慢しろ」と。しかし、JAPAN AS No.1の時代は終わった。世界は誰も日本の会社や役所の言うことを聞くことはない。

世界は日本抜きで動き始めている。

この騒ぎは、そういう日本の姿を象徴している、と、私は思う。たかだかパッケージ旅行会社の倒産が大きな問題に見えるのか?それは日本の社会全体を覆う、大きな問題を象徴しているからだ。

 



サイコパスの研究(2)

「サイコパス」がなぜ問題なのかというと、人間社会の成立の基礎には「情」「他人への共感」というものがあるからだ。「他人への共感」を欠いた人間関係は、人間社会の基礎となるものを失うので、人間社会としてそれが機能しなくなる。それは人間社会を1つにまとめている原理でもある。

なぜ人間社会の基礎にそういうものがあるかというと、人間社会は常に外部の自然とたたかってきた歴史があるからだ。人間は社会を作り、相互に心を通わせ、ひとつの塊となっていないと、自然の中で生きていけなかったからだ。

サイコパスの持つ「競争原理的世界観」は、そういう社会がしっかりとできあがってから後、その社会の中で発生していく。「サイコパス」の人には人間社会の外側にあるものが見えず、人間社会の内側にあるものしか見えないので(あるいはそういう教育を受けてきているので)、自然の中の人間社会、という視点を持つことができない。その狭い世界観から言えば、人間の社会というのは、その社会の内部での競争に勝たねばならない、と思うだろう。しかし、人間社会内での競争が過剰・過激になると、それは競争ではなく、社会内の「闘争」「内乱」となる。人間社会を内部から崩していくのだ。

人間社会の内部での闘争では、社会そのものの秩序が破壊され、人間社会が維持できなくなる。サイコパスはそれでも良いと考える。だから、サイコパスは「反社会的」と言われ、忌避されなければならない性質なのだ。

つまり、人間社会において「情」というのは付加的な要素なのではなく、人間社会を成立させている基礎の1つである、という大前提を、サイコパスの人々は壊して回る。そのため「反社会的」「精神病質」と言われることになるわけだ。

だから、企業経営など人が組織を作るところでは「情」というものが実は非常に大きな組織運営の要になる。だから、「情の無い経営者のところには人が集まらない」「人がすぐやめる」ということが起きるのだ。サイコパシーとは自然の中の人間という視点を欠く人のことであって、それはそれで、人間社会のことしか考えないで生きていられた、という意味において、幸せな人生を送ってきた人だ、とも言えるだろう。

 



Raspberry Pi Zeroでsshで外部からのアクセスをさせるまで

ネット上にRaspberry-Pi Zeroの記事は少ない。Raspberry-Piの記事はたくさんあるから、それを参考にすれば、ほぼな違いなく動くのだが、OSも日々新しいものになっていて、古い記事も多い。ここでは、2017年3月20日現在のRaspbean/JessieのOSのバージョンを使って、sshで外部アクセスができるところまでを自分用のメモ的に書く。写真のように無線LANで接続して、外部からアクセスができるようにするまで、だ。

1.OSのダウンロードと書き込み・立ち上がりまで
OSのダウンロードは、ここから行う。今回は軽いものではなくて、フルセットのRaspbianをこのページの左側からダウンロードした。ダウンロードしたファイルは.zipファイルなので、これを解凍すると、「.img」ファイルができる。このファイルを8GB以上の容量を持つmicroSDメモリカードに書き込む。Linuxでは、rootになって以下のコマンドで書き込む。Windowsの場合は、unetbootinなどのツールを使う。microSDはUSBのアダプタなどでPCと接続するが、ドライブ名が異なることもあるので注意。私の場合は「/dev/sdc」だった。これは、/var/log/syslogなどの記述を参考に、どのドライブ名で接続されたかがわかる。Ubuntuなどでは、USBの認識ができると、そのままパーティションの「/dev/sdc1」などをマウントしてしまうので、umountコマンドでマウントを解除しておいてから、以下のコマンドを叩く。(Windowsの場合は、Unetbootinユーティリティが勝手にドライブを探してくれるので、それに従う)。

# dd if=(ダウンロードして解凍した.imgファイル) of=/dev/sdc

すると、数分から数十分で書き込みが終わる。書き込みが終了したら、(1)microSDをアダプタから外し、電源の入っていないRaspberry-Pi Zeroに差し込み、(2)OTGと書かれているmicroUSBにOTGケーブルを接続し、(3)ハブを接続する。ハブには(4)キーボードと(5)マウスをハブ経由で接続する。さらに、今回は無線LANを使うから、(6)無線LANのUSBドングルも接続しておく。(7)また、miniHDMIコネクタに、ディスプレイを接続する。この状態で、(7)電源用のmicroUSBに5Vの電源を接続する。しばらくすると、GUIの画面が表示されるはずだ。この状態で、「pi」というユーザーでログインできている。ターミナルは画面上部にあるアイコンをシングルクリックすると動き出す。これから後は、このターミナル画面を使って設定する。設定のためには、ターミナル画面が出たら、まずrootになる必要がある。上記の(1)〜(7)がチェックポイントだ。

raspberrypi$ sudo -s
root@raspberrypi#

このコマンドでrootのプロンプトが出てくる。
ついでだから、ユーザー「pi」のパスワードも変更しておこう。

root@raspberrypi# passwd pi
Enter new UNIX password:
Retype new UNIX password:
passwd: password updated successfully
root@raspberrypi#

 

2.LANの設定
OSがRaspbean/Jessieになっているはずなので、まずは無線LANの設定を行う。接続したい無線LANアクセスポイントのSSIDとパスフェーズを得る。そこで、以下のコマンドを叩く。SSIDには接続したいアクセスポイントのSSIDを入れる。すると、パスフレーズ待ちになるので、パスフレーズを入れる。すると、以下のように数行のアクセス用の暗号化したパスフレーズの行が出てくる。この「network」の行から}の行までをクリップボードにコピーしておく。

root@raspberrypi# wpa_passphrase SSID
network={
ssid=”SSID”
#psk=”xxxxxx”
psk=f70e5dc704508c86df4f780f-0459510a9e4240574cf9xcce397de08a508e56ec46694e9e0c
}
root@raspberrypi#

 

次に、/etc/wpa-supplicant/wpa-supplicant.confファイルに、前記でクリップボードにコピーした数行をエディタで加える。今回使うのは無線LAN(wlan0)なので、そこに固定IPアドレスを設定するには、/etc/dhcpcd.confファイルに以下の行を加える。

interface wlan0
static ip_address=192.168.0.29/24
static routers=192.168.0.1
static domain_name_servers=192.168.0.1

見てお分かりの通り、「static ip_address=」はIPアドレスとネットマスク、「static routers=」はGatewayアドレス、「static domain_name_servers=」は、ドメインネームサーバーのIPアドレスだ。これらの値は現在使っている環境にあわせて設定する。

3.sshdの設定
次に外部からアクセスするための、sshdの設定を行う。sshdはもともとインストールされているので、設定だけでOKだ。設定は、「/etc/ssh/sshd_config」を修正する。まず、Portはデフォルトから変更しておくと、ハッカーなどにやられにくくなるので、この設定へ「22」から変更しておくと良いだろう。

PermitRootLogin no

これはしっかり確かめて、「no」になっていることを調べておこう。なっていなければ、noにしておこう。

PasswordAuthentication yes

これでシステムのパスワードを使ってログインできる。sshdがデフォルトで動いていないので、/etc/rc.localファイルに以下の行を加えてブート時にsshdが動くように設定しておこう。

service ssh start

 

4.リブートする
以上で、raspberry-Piの本体の設定はできた。これでリブートし、数分でRaspberry Pi Zeroがsshで外部からアクセスできるようになるはずだ。設定変更後最初のブート時は、書くもののスペルを間違えたりして動かなくなることがあるので、設定変更後の最初のリブート時には、HDMI経由のディスプレイ、キーボード、マウスなどははずさないで置いておくと良い。

root@raspberrypi# shutdown -r now

これでリブートする。最初のリブート終了後、ネットワーク経由で外部からのsshアクセスができることを確かめたら、シャットダウンして、ハードの構成を変更する。

root@raspberrypi# shutdown -h now

電源が落ちたら、HDMIケーブルも、ハブも外し、OTGのmicroUSB端子のOTGケーブルには、無線LANのドングルだけ挿してあればよい(写真)。あとは電源を入れなおして、リブートすると、立派なIoT開発用の極小マシンができあがる。

【追記】
この後、GUIを使ったり、raspi-configなどでのキーボードの設定や時間の設定などがあるが、ここでは詳細は記述しない。

しかし、500円ほどでこういうものができるとは。。。。。

【注意】RaspberryPi Zeroには、「W」が末尾についているものがあって、これは最初から無線LAN付属。値段はちょっと高い。無線LAN接続が前提であれば、こちらのほうが良い。ここでご紹介しているのは、無線LANのUSBドングルで接続して動くもの。ただし、設定のやり方は同じ。残念ながら、無線LANのUSBドングルはRaspberry-Piでは動かないものもあるので注意。

 


「IoTの学習」のやりかた

●電子工作が花盛り
最近、秋葉原に行くと、秋月電子とかマルツパーツとかに多くの人がいる。みな電子工作用のボードコンピュータとかキット、パーツなどを買いに来ているのだ。かつてそれはぼくが高校生くらいからやっていた趣味だったし、秋葉原で秋月電子(当時は信越電気商会)を知る人はそんなに多くなく、また、置いてあるものもマニアックなもの、という感じだった。だいたい、トランジスタやダイオード、抵抗、コンデンサを買うのはそれを使ってなにかが作れるやつだけだったから、要するに「少数派」だった。

●IoTと電子工作は関係ない
しかし、最近は「IoT(Internet of Things)」という言葉が流行っていて、「これぞIoT」といって、「アマチュアの電子工作」がもてはやされ、日本の各地でセミナーなども花盛りだ。講師は日本の産業が華やかだった時代の退職したお年寄りかその弟子、っていう感じの人たちだ。しかし、正直なところ「アマチュアの電子工作」はそのまま「=IoT」ではない。LEDをプログラムで光らせる程度の話は、要するにただのアマチュアの電子工作の域を出るものでもなければその基礎になる、というものでもない。ただのアマチュアの電子工作である。

●アマチュアは楽しめればいい
アマチュアは採算は考えなくていい。楽しめればいい。だから、騙されていても、楽しければいいのだから、それはそれで楽しめばいい。プロの電子機器の制作、IoTの利用は、同じものを使っていても、意味と方向がまるで違うし、どこにお金をかけるかも違う。プロはまず最初に「なにを作れば商品として売れるか?」などを決める。なにを作ったらいいか、を考えるのに大きなお金を使う。アマチュアはセミナーなどに行って「LEDを光らせましょう」なんて言うところから始まる。言われたことをやっていれば、なにやら役に立つように思えて、それで楽しい、から始まるのだ。アマチュアは「何を作ったらいいか」にお金や時間をかけない。しかし、プロの勝負の最初はそこだ。

●プロは半田付けがうまいのはなぜか
次にものを作り始めても、プロはハンダ付け一つでもおろそかにしない。導通があるのだかないのだかわからないイモハンダなんてのはもっての他。たった一箇所の接触不良でそのトラブルシューティングを時間をかけてする余裕はない。一発で動かなければ時間の無駄だ。時間はお金だから、小さなところに手を抜かない。アマチュアはそういう無断な時間を楽しむ、ってこともあるわけで、それはそれでいいんじゃないの?ということになる。動かなくたって、誰も責任を問われない。自分の時間とお金が無駄になるのもまぁ、ご愛嬌だろう。しかし、プロはそうはいかない。投資は他人様にしてもらうのだ。1秒でも無駄にはできない。だから、半田付けの技術はあって当たり前。一発で確実にできなければプロではない。

●しょせんはアマチュアはアマチュア
だから、アマチュアの電子工作はいくら沢山やっても、アマチュアでしかない。AuduinoやRaspberry Piなど、ボードコンピュータの種類は増えた。アマチュアはそのバリエーションを楽しめばいい。しかし、プロはどれを使って試作品を作ればお客さまの望むものが短時間でより安くできるのか?とか量産時には部品供給は大丈夫か?とか、ボードを入れるケースは防水・防塵が必要なものなのか?だとしたら何を使うのか?など、「モノを動かす」以外のところがとても重要であることも多い。同じLEDを光らせるにも、吹雪の中で使えるか?とか、夏の日照りの中でも何時間も大丈夫か?ということも考えるのだ。そのため、本体のコンピュータや通信回線料金などよりも防水ケースにお金がかかる場合もかなりある。プロが提供するのは「商品」であって、個人の満足ではないからだ。

ということは、本格的にIoTの勉強をしたいのであれば、「なにを作れば売れるか?(社会的に価値があるか)」「お金」「時間」が非常に重要なファクターになる、ということだ。プロになるための「訓練」として「アマチュアの電子工作」をするのであれば、そういうプロの置かれている状況に想像力を働かせ、今自分にはなんの技能をつけたらよいか?と考えながら、電子工作をする必要がある。

私は電子工作でこういうものを作ってくれ、と言われれば、ほとんどなんでもできる。だから必要なのは「なにを作ったら時間とお金を無駄にしないか」ということであって、それは結局「なにを作らないか(社会的に価値のないものを作って時間を無断しないか)」ということを常に考えている、ということでもある。そして残ったものだけを作っているのだ。楽しいかどうかは二の次だ。そうでなければプロの仕事ではないからだ。

 


スマホのカメラでプロの写真は撮れるか?

最近は、スマホのカメラが発達していて、ちょっとしたスナップでは非常に重宝する。また、画質も良くなってきている。メーカーの謳い文句では「これでデジタル一眼は必要ない」くらいに言っているところはいっぱいある。とは言うものの、実際に「現在の最高画質」と言われているスマホのカメラをいくつか使ってみてわかるのはやはりスマホのカメラは「アマチュアの道具」ということだ。アマチュアが卒業式の集合写真などを撮影するには、正直言って十分、ということは確かだ。しかし、写真による表現、というものを考えるとき、やはりスマホのカメラでは力不足であることはしょうがない現実だ。

また、プロでも「チェキ」などのインスタントカメラやトイカメラを使った作品を作ることもあるわけで、また、過去にはインスタントカメラを使った作品、というものをやったプロもいるわけだが、要するにそれはそれだけのことだ。普段は油絵を中心として描いている絵画家が、鉛筆で作品を描いてみました、というようなもので「アマチュアの道具を使うとプロはどう使うか」というところに、作品を見る楽しみが出て来る。スマホのカメラで撮った写真の写真展をプロがやるのは、「スマホがプロの道具として認められる程良くなった」ということではない。「ピアニストがおもちゃのピアノを使ってみました」という場面を想像するといい。そのピアニストは道具はなんであれ、プロの作品を作るのであって、子供と同じクォリティのものを作品とするわけではあるまい。また、子供が使うおもちゃのピアノを子供が使っても、子供の叩くピアノの音しか出ない。

スマホのカメラも、しょせんはそういう程度のものだ。ぼくも実際に使っているが、超広角、望遠などで作画し、「これは」という瞬間を捉え、色調を調整しトリミングをし、作品として仕上げる過程は、スマホで撮ろうが何百万円するプロの機材で撮ろうが同じようなものだ。そして出来上がったものはその人の作品となっているのであって、アマチュアの猫のスナップ写真とは一線を画するものになるのは、誰の目にも明らかだ。

私も写真を仕事にしていたときがあって、実際その現場というものはたくさんあるので、一言で「プロの写真現場」といっても多様なものがあるわけだが、プロの機材を持って写真を撮った経験があると、それがスマホであれなんであれ、プロの作品を撮ることができないこともない、ということだ。そしてあるとき、スマホのカメラのほうが面白いものが撮れると、ひらめいたときに、その道具を使う、というそれだけのことだ。

いくら良いカメラを揃えても、アマチュアは所詮アマチュアであって、プロではない。逆に、プロが撮るのでれば、それがチェキだろうがiPhoneだろうが、なんとかする。そういうものだ。高いお金を払って「写真をうまくなりたい」と写真教室に通ってプロの写真家の先生を前にしても、アマチュアはしょせんはアマチュアが撮れるものしか撮れない。逆に、プロはそれがどんな道具であろうと、なんとか作品に仕上げる。プロとはそういうものだ。

 


結局は「訓練」と「才能」。「誰でもできる・わかる」はウソだ。

●アイドルやヒーローは「自分でもできるかも」。実際はできない。
Perfumeといえば、少々古いといえば古いんだが、音だけ聞けば「きゃりぱみゅ」だと言っても違和感はないだろう。現代日本におけるマスコミに乗る「アイドル」「ヒーロー」とは「自分でもそういう環境に置かれたらできるかもしれない」と思わせるものを持っていないといけない。その人の強烈な個性があって、その人に代えがたいもの、というのは忌避される。

きゃりぱみゅはいわゆる「美人」ではない。誰でも歌える歌を歌っているように見え、その声はエフェクトの向こうに隠されているがゆえに、Perfumeでもなんでも同じ声に聞こえる。つまり、その声はあなたにも出せる、と思わせる。そういう「声作り」「音創り」がされている。それが「現代的だ」と言われる。

実際には、厳重な管理の下で作られている声であり音だから、その管理に乗っかることができる訓練が最後までちゃんとできるタレントでなければ、表に出ることはない。万人ができることではない。

●ビジネスでも「あなたも億万長者になれるかも?」っていうけど、ほとんどできない
ビジネスの世界でも「あなたも億万長者になれるかも?」というのはそのまま「あの億万長者とあなたはそんなに違っていない」という、そういう思い込みから来ている。それを植え付けることができれば、それは話題になる。「あなたもスマホとネットで新しいビジネスを考えればいつでも億万長者への道が開く」と思わせる。

実際のところ、目の前にそういう人を見ていても、その人が「そうなる」ことはまずできない。人間には目に見えない、そういう重なり合わない「個性」の部分が非常に大きな差となっているものなのだが、その差を見えないようにする、というそういう「テクニック」が必要になる。それは並の訓練ではできることではないし、その人ひとりでもできることでもない。

カラオケで有名になった曲を上手に歌っても所詮はアマチュアであり、プロになった夢は見させてくれるが、実際にプロにはるのはすごくしんどいことで、並の人間ではできない。しかし、そこに垣根が見えてしまうと、人気がいっぺんになくなる。

●本当は、あなたは絶世の美女ではないし誰もが振り向く美男でもない
タレントにも「絶世の美女」がいた。今はそういう人は流行らない。自分で辿りつけないところにいる人は「自分とは関係ない人」というだけのことになる。それは「無関心」と同義であって、多くの人の耳目を集めることができない。「あこがれ」がなくなった世界が、今だからだ。

夢を見させて、夢で終わらせる。それが今のアイドルやヒーローがやっていることである。そして、それはおそらく現実である。

●「自分でもなれるかも」という希望は希望だけさ
思えば昭和から平成の時代は、「スーパーマン」だったり「ウルトラマン」の時代だったんだな。そういう時代には、人よりも秀でたものを持っていることは、ステータスであったし、音楽で言えば、それはその人以外誰にもついてこられないものを持っていることが人前に出る第一条件だった。

しかし、時代の変化はそういう「ヒーロー」「スーパーマン」ではなく、「自分でもなれるかもしれない」と思わせるものを持つことが、大切になってきた時代に変わった。実際にはその人にはなれないとしても「なれるように見せる」のである。そこには当然ウソがある。

しかし、それがウソであるかどうかではなく、自分がヒーローになった「気持ち」を自分の中に持たせてくれる人、というのが、重要になったのだ。実際、ITの世界でも「自分でもできる」と言い出す人が増えてきた。本当はかなり訓練が必要とされ、才能も必要とされるので、専門家でないと難しいものは、いっぱいあるのだ。しかし、それがあたかも、そういう個性や訓練が無い人でもなんとかなる、と思いたい、という人が増えているのを感じる。実際にはできない。

●「ITは簡単ではない」という現実とウソ
「ITなんて簡単だ」と、思わせてきた仕組みもいっぱいできた。しかし、いざアクシデントがあると、そう簡単にはいかないことのほうが多い。アクシデントがなくても、専門家が必要になる場面は現実には多い。しかし、気分がそういう気分ではないのだ。「専門家」「飛び抜けたなにかを持つ人」は、忌避される時代になったのだ。

しかしながら、そこには「ウソ」が元からあるから、どこかで破綻する。時代が変わる音がまた聞こえている。日々訓練を怠らず、自分の才能を信じ、目の前を通るチャンスに恵まれれば、それが成功につながる。成功とはそういうものだ。そして、成功のときはそんなに長く続かない。そういうものだからだ。

 



最近のiPhoneの充電器事情

つい昨年、iPhone7Plusを使うようになったのだが、もちろん、Androidのスマホもいくつもあって、ローテーションを組んでSIMカードを入れ替えて使っている。こうすると、スマートフォンそのものを取り替えられて、非常に便利だ。問題になるのはLINEの切り替えだけで、あとはSIMを入れ替えただけでなんとかなってしまう。

それはともかく、最近のiPhone7になると、どうも充電の電源を多く食うようなのだ。iPhone7(plus)のスペックを調べて見ると、最大充電電流は書いていない。しかし、ネットのあちこちの情報(いい加減なものもあるようだが)によれば、付属の1A最大の充電器では速い充電はできず、どうやら2A以上のものが良い、ということになりそうだ。

そうなると、最新のUSB3.0の最大供給電流の1Aを超えてしまう。良く使われているUSB2.0だと、最大供給電流が0.5Aまでだから、こちらではスマホの充電でも明らかに足りない。

結局、現代の最新のスマホでは、iPhone7を含めて、充電器には2A以上のものを用意する必要があるんじゃないか?ということになる。「付属の純正品だからOK」では済まない時代になったのかもしれない。