対話型のプログラムでの「日本語訳」はこうする

人間と対話する形式のプログラミングのとき、人間に働きかけるメッセージが必要なときが多々あります。

英語の表現では、

〜の入力は空白ではいけません」とか「〜の入力は数字のみ受け付けます」

といういうのがあるわけですが、これを日本語で表現するときは

「〜を入力してください」、「〜は数字を入れてください」というようにします。

元の表現は、「自分の頭で考えてなんとかしてね」という言い方です。日本人のほとんどは「(小さなことまで)自分の頭で考え、自分が考えたことを自分の責任で実行する」ことが苦手なので、そのままの直訳では、その質問を投げかけられたほうは「戸惑う」のです。

「XXはだめです」→「ではどうしたらいいか(自分で考えて答えを出す)」→「(自分の責任で)実行する」

という思考回路が、米国人などにはあります。その思考回路を誘導するようにメッセージができています。しかし、日本人の多くの人はこういうメッセージを投げられても戸惑うばかりで、「なにを自分はしたらいいのか?」がわかりません。ですから、日本人にとって、「直訳」は「なぞかけ」のように見える。「じゃ、どうしたらいいんだ?」まで書かないと、自分がなにをすればいいかがわからないのです。だから、そういうメッセージは直訳せず、日本人の現状にあわせて、「自分はなにをすべきか」まで書かないといけないのです。つまり日本人のほとんどの人の思考回路にあわせると、こういうシステムからのメッセージの訳し方も変える必要があります。

つまり、

「パスワードは空白は使えません」

という元のメッセージは、

「パスワードを入れてください」

というように日本語訳します。

前者のメッセージでは

「空白のパスワードが使えないから、どうしたらいいか?」→「なにかパスワードを入れなければならない」→「なにかのパスワードを考えて入れる」

という思考回路になります。つまり「自分の頭で考える」思考回路が自然に動くことが前提のメッセージなのです。そのように頭が働かないと先に進みません。これは、そういう訓練が、普段からされている人に対するメッセージです。

後者は、

「パスワードを入れてください」

という「絶対の命令」で、言われないと、自分が何をしたらいいか、が自分で決めらない人に対するメッセージです。

そこに前記のような「ではどうしたらいいか」を自分で考える思考回路が働く余地はありません。自分の頭で物事を考える訓練がされていないことが多い日本人の場合「余地の無い命令」でないと「伝わらない」のです。

たかがプログラムのメッセージです。プログラムのメッセージを変えるのは簡単です。しかし、世の中の文化を変えるのはかなり大変です。だから、この場合は、プログラムのメッセージのほうを日本人にあわせて変えるのです。本当にそれが良いことであるかどうか、は別の問題です。しかし、プログラムを組む人間は、常に「文化の違い」を考えて、プログラムのメッセージを考えることは必要です。繰り返しますが、どちらがより望ましいか、は、別の問題です。

コミュニケーションというのは、文化です。文化が違えば、コミュニケーションのかたちも変わります。対話型のプログラムを組むときとか、英語のプログラムを日本語に直すときときなど、参考にしてください。

 


中国「一帯一路」の未来

やっと最近、日本でも中国の「一帯一路(Belt and Road)」が騒がれ始めているが、現在はすでに台湾や韓国などの中国の周辺地域では大きな期待がバブルになりそうな気配である。米国も日本もこの流れに乗りたい、ということを考えるのは、その経済規模を見ると納得できる。トランプと前後して経団連が中国に行き、日本政府もやっと一帯一路に目を向け始めた。

ここで、周辺国での杞憂は「北朝鮮」であるように見える。「もしも」の話だが、あの地域が「開放」されると、大陸中国とロシアと韓国が米国の傘下にある地域の陸路で接続。韓国がアジアの大きな十字路になる。当然、日本にも大きなメリットが出てくる。しかし、閉じたままであれば、一帯一路の恩恵は日本まで来ない可能性が高い。

とは言うものの、北朝鮮という地域の政府は世界に向かって閉じているわけではない。Wikipediaによれば、北朝鮮の現在の政府は世界の百数十の国と国交を持っている。孤立している、ということがよく言われるが、どうもそういうことではないらしい。むしろ、日本、米国、休戦中の韓国など以外の国の多くが国交を持っている、という感じがある。少なくとも「孤立している」という表現は正しくないのではいか?と思えるのだが。そして、この北朝鮮という地域は、大陸中国、ロシアという大きな地域とも、また、日本ともつながる要衝の1つになり、当然、一帯一路ではそれなりに重要な役目を負う地域となるように見える。

一帯一路とは、簡単に言うと、現在の大陸中国の政府にとって、大陸中国のグローバル経済化の「答え」である。未来の「大中華帝国」の経済を支える背骨と言っていい。それは、100年を超え、1000年の計を考えたものである。

しかしながら、懸念もある。現在の経済指標から考えて、大陸中国の経済の頂点はそろそろ通り過ぎようとしているところにあるため、一帯一路は大陸中国の経済爆発の起爆剤となるか、あるいは、逆に、過去の経済繁栄のモニュメントとしてだけ残るか、という岐路に、大陸中国の経済も立っているのだ。つまり、これは壮大なるアジア・グローバリズムの最後の博打、と言ってもいいかもしれない。でも、そういう評価はおそらく、後世にされるべきものだろう。

大陸中国の政府のみならず、米国、日本、韓国を含めた地域の経済は、この「一帯一路」の将来に「賭けた」のだ。

かつての「シルクロード」は、シルクのみならず、香料や衣類、などなどの様々な「もの」が、その道を通ったが今は廃れてしまった。なぜ廃れたのかというと、当時そこを通って交易の対象となっていた「モノ」が、遠く地域を超えて流通する必然がなくなったからだ。シルクは工業製品として化学工場で作られる化学繊維ものになり、世界にその生産拠点を分散した。香料も様々な物品も同じだ。同じようなものの大量生産・大量消費の時代になり「希少品」の価値を持つものが減った。流通も人の流れも「量」は船、スピードは「飛行機」に取って代わられ、陸路のメリットが大きくなくなった。消費側にとっては、遠隔地のものを高いお金を出して買うメリットが激減したのだ。それがシルクロードの価値を一気に下げた。

もともと、現代の「産業」とは、大量に同じものを作って売る、というしくみで巨大な富を生産者に集中させる、というものである。「富の象徴としての製品」は、大量に作られ大量に消費されるようになると「富の象徴」ではなくなる。どこにでもある当たり前のものになれば、当然そうなる。

遠く地域を超えてモノが流通する必要がなくなる、というのは、よくあることだ。必要を満たすためには「お金」がかかる。だから、必要を満たすためのお金がペイしないものと感じられれば、そういうお金を出す人はいなくなる。もっと安い流通経路があれば、そちらが使われる。そうやって、シルクロードの需要は一つ一つ消えていき、シルクロードは砂漠の中に埋もれていった。

この「旧シルクロードがなぜ廃れたか」を考えることが、「一帯一路」の将来を成功に導く鍵となるだろう。そこを通るものはなにか?それを考えることが必要になる。

 


JUICE-NETを知ってるかい?

普段はあまりしないのだが、昔の話をする。

JUNETとともに、日本のUNIXネットワークを一緒に作ってきた「JUICE-NET」。JUNETが学術の分野でのUNIXネットワークの嚆矢であるとすると、JUICE-NETは民間でのそれであった。私も少しだけだが、会長をしたこともあった。村井純先生には、顧問をお願いした。そのJUICE-NETの初期のメンバーの池田浩隆さんの訃報を知ったのは、不覚にも、さっき届いた「喪中はがき」によって、だった。読めば73歳、とある。まだ若い。まだまだ。いや、事実はしょうがない。あの静かな微笑みで「ぼくは化学屋なんですよね」という、あの言葉が、もう聞けない。真面目で静かな、日本の技術者。そのままの人だった。

当時、村井純先生を中心に、JUNETができた、というのは、ぼくらも聞いていた。学術系の人たちを中心に、TCP/IPのネットワークが標準でUNIXが走るマシンについていなかった時代、uucp(UNIX – UNIX – copy)というファイル転送のシステムを使って、メールなどのやりとりを国をまたいで行うことができた。通信の物理層は電話回線につなげたモデムだ。最初は300bpsという速度がいいところだったが、そのスピードは米国CTSのモデムで2400bpsに上がった。その後、9600bpsのモデムが十万円から数十万円で手に入るようになり、みんなそれを使い出した。私の最初のUNIXマシンは、Tandy RadioShackのTRS-80 model16Bという、I/OプロセッサにZ80、メインのCPUにモトローラの68000を使ったものを使っていた。当時の価格で150万円。小さなクルマが一台買えた。中を開けて見ると、要するにZ80のメインボードに68000のCPUボードが刺さっていた。これに載っていたUNIXはXENIX。これはMicrosoft社のUNIXだった。HDDは数十メガバイトしかなく、メモリは1GBなかった。フロッピーディスクドライブがついていたが、大きさは8インチ。HDDも8インチだった。

その後、あこがれのSunのワークステーション、Sun3/60の白黒画面のモデルを手に入れ、Trail Blazerという9600bpsが出せる音声モデムを購入し、ネットワークに使った。当時、やっとSun4/SPARC Stationが出ていたが、ftpなどの基本ソフトもまともに動かなかったので、仕方なく、Sun3にした覚えがある。Sun3は当時300万円、モデムは30万円近かった。新品をローンで買ったのだが、ローンが終わったその日、しっかり壊れたのを思い出す。Sunの時代が終わると、そろそろ無料のOS、Linuxが出てきた時代になった。Sunは会社もなくなり、時代は変わった。

池田さんも、ぼくと一緒で、XENIXの走るTRS-80 Model 16Bを使っていて、それで仲間になった。ご冥福をお祈りする、というのが通常なのだろうが、いまだに、どこかでひょっこりとお会いするのかもしれない、と、思って、まださよならを言いたくない、自分がいる。

日本のUNIXネットワークを作ってきたのはぼくらである。池田さん、やすらかにお眠りください。

 

この国の「技術」は高齢者が抱えたままあの世に持っていく

日本という地域は、かつて製造業の国だった。「技術立国」などと言われた時代もあった。しかしながら、そういう時代は1970年代~2000年代でほぼ終わりを告げた。日本という地域での製造業の歴史はそろそろ終焉のときを迎えようとしているかのように、大手電機メーカーの度重なる外資の買収を私たちは目の前に見る。生き残っているのは、Panasonic、トヨタなど、海外での事業を積極的にしてきたところだけだ。既に日立の役員会は英語で行われている、という話もあった。外資が大きく入ってくると、当然そうなるにきまっている。

「日本発」の製造業はあっても「日本の製造業」はなくなってきている、というのが正直な実感だ。これは製造業だけに限らず、土木・建設業なども含めた「モノ作り」と言われている産業全般に言われていることだ。これらの技術者で優れた技術を身に着けた人たちは、ほとんど定年退職の時期を迎えており、私の周りでも、そういう人たちがぼちぼち出てきている。私の上の世代の人たちはバリバリの現場の技術者だった人ばかりだが、既に退職している人も多い。

こういう人たちは、再就職をするときは海外、特に中国の企業だったりすることが多く、そうでない人は、退職後に退職金で余生を暮らしているが、そういう人は少ない。日本の国の政府自身にお金が少なくなっている現状では「年金」などもどうなるか、まだわからない。「技術の流出」と人は言うが、それぞれが食っていくためであって、それに否を言うことはできない。そして、「必然的に」日本の技術は海外で生き延びていくだろう。「技術」は会社というゆりかごの中で作られ、それは結果として「人」につく。そういうものだからだ。そして、人は食って生きていかなければならないし、人は年老いていくし、やがて死んでいく。そういうものだからだ。

日本は「モノ作り」の時代を終えた。モノ作りを必要としている他の国に、「技術」を抱えた「人」は行く。食うために。それは農地を求めて広い土地を転々とする焼畑農業に似ているかも知れないし、牧草地を求めて広い土地をこれまた転々とする、牧畜に似ているかもしれない。

結果として、技術とそれを持つ人、それを職業にする人は地域に縛られる生き方はできない。

この重要な点を抜きにして「日本という地域の再生」はありえないだろう。逆に言えば、この国の「モノ作り」の再生は、ここに肝がある、とも言える。

 


台湾と日本とのつながり


 

思い出したので、書いておくけれども、台湾と日本とのつながりというのは、非常に深い。お隣の韓国とは「大陸つながり」であって、こちらも深いのだが、少々意味が違う。まず、日本人というのは、大陸から来たモンゴル系の人と、南方から来た太平洋の海洋人の混血だ。台湾人も、朝鮮半島を介していない代わりに、非常に大陸から近い狭い海峡を渡ってきている人と、南方から来た人種の混血であって、日本人とその始祖が近い、と言われている。日本のアイヌの民族衣装と、台湾の少数民族の民族衣装は、似ているところ、特にカラフルな色使いなどが似ているが、これは同じルーツから来たものだろう、と思わざるを得ない。あくまで、自分の経験にもとずく私見だけれども。

そして、近代になって、「国」の形が次第にできてくると、台湾は大陸を支配していた「中華民国」の一部、どちらかというと「田舎」、というか「僻地」扱いだったわけだが、この中華民国の人たちは「漢民族」ですね。で、「中華」は「中央にある華(花)」という意味。とても誇り高い。でも台湾の先住民は、その昔、清(これは260年続いた「満州族」の国家)の時代にあって、主に福建省の人たちが開拓で台湾に送られ、その人たちが台湾で「混血」となった結果。この人たちが台湾で言うところの「本省人」の元なんですよね。このとき、海流の激しい台湾海峡は海難事故が多くて、台湾に開拓のためにわたってきたのは、男性が多く、現地の女性と結婚する例が多かったんだな。これが本省人の元と言われています。この話は大阪にいらしていた「呉」さんという、「自由時報」の会長から日本語で話を聞いたんだけどね。もう故人になられました。。。。そのときのエピソードはあるけど、ナイショ。

1911年に、中華民国が設立。辛亥革命の後。この革命のための資金調達に世界中奔走したのが「孫文」。彼は世界中回りすぎて、中華料理はほとんど食べていないのだとか。で、彼は日本での支援者も多く、戦前の右翼の巨魁と言われ、伊藤博文にも大声で意見したという「頭山満」、首相になった「犬養毅」なども支援者。早稲田大学の隣の鶴巻町という街に頭山の豪邸があって、そこに孫文が匿われていたこともあったという。つまり「中華民国」人脈というのは、日本の右翼と深いつながりがあった。これは今も続いてるね。孫文は都合10年以上日本にいたとのこと。

1949年に大陸中国を支配していた「中華民国」が、大陸から追い出され、台湾に臨時政府を作ったわけで、この人たちは「中国共産党」に殺されかかったわけだから、「共産党嫌い」なんだな。この人たちが台湾に後でやってきた人、ということで「外省人」と呼ばれるわけです。「本省人」にとっては、「外省人」なんていい迷惑、という面がけっこうあるわけですよ。後から押しかけてきたんだから。しかも2年前の1947年には、「2.28事件」という、本省人の大虐殺を行った政府が来たわけでね。そりゃ、本省人にとったら受け入れ難い。でも、受け入れた。

で、今の民進党の蔡英文さんは、本省人系だし、民進党という政党も本省人系なわけですね。だから、大陸中国の共産党とは仲が悪い。台湾の「外省人」も「本省人」も、まぁ、大陸の共産党とは距離を置いてるわけですよ。でも、同じ北京語でしゃべるしね、外省人にとっては同じ「漢民族」なわけでね。外省人系は大陸とつながりが深い。でも、数から言うと本省人のほうが多くて、完全に1つにしちゃうには無理がある。本省人の人と、外省人の人って、今でも顔つき違いますよ。慣れてくると、ほぼ見分けがつく。全部じゃないけど。

いやもう、台湾を本格的に勉強すると、複雑な話ばかりでね。いろいろな話を聞きましたよ。

日本と台湾の100年以上前からの近代を知ると、台湾というところの歴史の複雑さがわかると同時に、中国とか中国人というものが、台湾を通してもっと明確にわかる。この記事読んでくれた人は、ぜひ、台湾を勉強してみてください。

って、ぼくはIoTとかサイバーセキュリティが専門なんだけど、こういうのも勉強していて、今も勉強している。楽しいよ。

 


いまの時代には「理系人間であれ」

日本だけではあるが、大学の専門は「理系」「文系」と分けることが多い。実際、理系の学部を出ても文系的な知識を持つ人は多いし、文系の学部を出ても、理系的な感性を持つ人も少なくない。実際のところ、論理的に物事を考える、というのはなにかにつけてい必要なことではあるものの、日本では理系の人間しかそれはできないもの、と考えられていることが多いようだ。

であれば、理系的感性というのは、これからの世の中では当たり前に必要なものではないかと思うのだが、どうだろうか?

自分が大学を出た頃って、もう何十年も前だが、世の中は安定していたから、大学を出たら、博士とかなるといいんじゃない?それとも医者?どっちもだめならエンジニアだねぇ、手に職がつくからね。なんて言われて、エンジニアになたとたんに、時代はアナログからデジタルへの移行期だったわけで、まぁ、泳ぎ切ってきてはいるものの、大変だったよそりゃ、という感じで。

で、デジタルになったらなったで、あらゆるものがコモディティ化して、相互につながって、通信もなにもかもデジタルになって。。。。

「私はアナログなので」なんてのは「時代についていけません」と言うのを、少々気取って言い換えただけなんだが、エンジニアだって、アナログやりますよ。そういう仕事の人はね。ただ、「理系という人」の「文系の人」との違いは、「論理的に物事を考える訓練ができている」ってところで、知識のところでは実はないんだね。論理的に物事がかんがえられなければ、世界では生きていけない。いまそういう時代んだから、要するに、日本で言うなら、「理系でなければ生きられない時代」と言っていいんだな。

理系で行こう。

 


教えられて自分を変えていくこと

良くFacebookに投稿していて、思うことがある。

ちょっと、ネット情報やネット世間とは考え方や見方が違うことを投稿すると、自分が書いたことをちゃんと読んでくれている人であるかどうか?というのがよくわかってしまう。おそらく、私のFBの友人で、私が書いたことをちゃんと読んでくれている人は2割もいないように思っている。人は自分が見たいことだけ見て、読みたいことだけ読む。そういうことがほとんどなんであろうと思う。であれば、読書とか映画で自分が疑似体験をする、ということは、よく言われるけれども、本当はそんなことができる人は少ないんではないか?。体験とか読書で自分を変えて生きていく、ということが、ほとんどの人はできないのでしょうね。

研究者、エンジニアという職業は、常に目の前にある事実に、自分が至らないことをつきつけられ、今までの自分を葬り去り、新しい自分を作っていく、という、そういうことの繰り返しなんだね。だから、思い込みでうまくいかないことは、そのままストレートに「うまくいかない」結果として出てくる。それにあわせて、自分のそれまで考えていたことを破壊し、そこに新しい自分を作っていく。そういう職業なんだな。多くの人は、長年それをすることは、耐えられない苦痛を伴うと思うから、それができない。でも、しなければ、自分の周辺の世の中はこれっぽっちも変えていくことはできない。

必要なのは、自分を変えていくこと。

これはビジネスであれば、みな同じことなんだが、人間相手だと、相手のほうがこちらにあわせて変わることがあって、ややこしい。しかし、研究者やエンジニアは、相手にするものが人間の力の及ばない不動のもの(たとえば、どんな国の大統領でも、1+1=2という数式は変えられない)だから、常に変わっていくことを要求されるんだね。人間は変わることができる。うまくいかなかった体験を身体に取り込んで、自分を変えて、目的を達する。それが研究者とかエンジニアの毎日の人生なんだと思うのですよ。

 


「待つ」は苦痛ではなくなった

最近、コーヒーショップでトイレに入りたいんだが、前に入っている人がいて、それを待つ、とか、なにかの行列に並ぶ、とかってのが、あまり苦痛ではなくなった。「あぁ、こりゃ待たないとだめだな」と思ったら、さっさと手にスマホ。友達からのメールやメッセージに返信したり、この前から気になっている映画を見た人の意見とか、そういうものをあれこれと調べているうちに、時間がたってしまう。時によっては、1時間待つのだって苦痛ではない。

「次があるから、急いでいる」という場合は当然その限りではないんだが、そこまで忙しい人はそんなに数は多くない。約束に遅れそうになったら、約束の人にLINEで「ごめん、トイレが開かないので遅れてる」なんて送ればそれでOK。これで時間も潰れる。

時代が変わった。電車の中で、電車のホームで、トイレの前で、どこでもスマホをみんな見ている。苦痛は減っただろう。しかし、それって効率的なのか?というと、そうでもないような気もする。

 


「リアル」と「バーチャル」がひっくり返った

最近は、どこでもみんなスマホの画面を見ている。電車の中、バスの中、家の中、子供なら夕ご飯を食べているときの親の目の前。そして、恋人の前とか友人の前でも、寝るときはベッドの中で。。。などなど、どこでも手軽に触って、ここにいない人とコミュニケーションがとれる「スマホ」は世界の人の生活を変えた。今、眼の前にいる人以外の人と、全く違う場所にいる人が、容易に繋がってコミュニケーションがとれる。今、目の前にある人の関心が、自分に向いていない、ということもおそらく多々ある。

気がつけば、いまやスマホがない世界は考えられない。一日でも1時間でも、そうだ。そうなると、人と人とのコミュニケーションの「主流」はスマホの中にあって、目の前の人ではない。就活をしている学生は、目の前に親がいても、親の話を聞かず、スマホに見入って、就活サイトから来るメールを見ていたりする。就活生にとっては当然、目の前の親よりも就活のほうが大事にきまっている。それは他のことにも言える。学生ならばアルバイトの連絡。社会人ならば仕事の連絡や、友人との飲み会の連絡。気がつけば、目の前にある「リアル」よりも「スマホの中にあるバーチャル」のほうが、大事な世界になっていたりする。

仕事の打ち合わせをしながら、妻から帰りに買ってくるものを指定する連絡が入る。そのときはなにも返事をしなくても、どこか空いた時間に返事をしなくては、と、仕事に気が入らなくなる。いや、そういうことはないとは言えない、ということなんだけれども。

かつては「リアルとバーチャルの融合」なんてのが、マーケティングで言われたことがあったんだが、今は違う。今は「バーチャルがリアルを超えた」のだ。結果として、多くの人が通勤帰りの電車の中で、ほとんど全員がスマホをいじる風景が当たり前になったりする。よく、スマホばかり見ていて、目の前のことは上の空、というのを「異常」という人がいる。実際には「異常」なのではなく、ごく当たり前にそういう世界が来たのだ。それは「異常」ではなく「前の時代とは違う」というだけのことだ。

先日、電子書籍のみの本を出したのだが、これで十分なのだ。契約もオンライン、編集者と打ち合わせも必要ない。気がつけば原稿と表紙があれば、数十分で「出版」ができてしまう。そして、数時間後にはネットに掲載され、販売される。それでいいのかどうか、ということではなく、それができる。であれば、あとは適材適所で使えばいいが、電子出版となると、非常に高い印税率があるから(つまり出版社の取り分が劇的に減るから)、書籍が安くなる。少々の不便も風流も文化もお金の前には無力である。数千円の本が数百円で読めるとなれば、電子書籍にする。

リアルとバーチャル、というのはもうなくなった。「バーチャルな世界の一部がリアルな世界になったのだ」。