サイバー戦争の本、2冊め

サイバー戦争を「ショート・ショート」のフィクションでわかりやすく解説した「サイバー戦争が始まるとあなたの生活はこう変わる」の二冊目を上梓しました。今回は「仮想通貨」「自動運転車」「掃除ロボット」などがサイバー戦争でどう使われるか?などについても、具体的に「このようになるだろう」という物語で、わかりやすく解説しました。

こちらです。


【サイバーセキュリティ】「仕事納め」の前にやっておくこと

今や、PCを使わない職場はない。そんな職場にも年末年始がやってくる。今年は、土曜日が30日、日曜日が31日の大晦日。おそらく、早いところで4日から、遅いところでは5日あたりから仕事始めだろう。そして、年末年始が「かきいれどき」、という少数派の企業以外は、多くの企業は今週いっぱいで休みに入る。

数日でも会社を休みにする、週末の会社を休みにするとき、必ず以下のことをしておこう。休み中にハッキングされて、年明けから大変です、なんてことを防ぐのが重要であることは言うまでもない。

  1. 基本は全てのPCの電源を完全に落としておいたうえ、ACコンセントも抜いておくこと。
    ノートPCの場合は、電池も外しておこう。これで完全に外部から個人が使っているPCへの侵入はなくなる。
    また、ネットワークを有線でやっている場合は、ネットワークケーブルも外しておこう。
    →事務所荒らしなども考慮して、裸にしたPCは、金庫などにまとめて入れておけば更に完璧だ。
  2. 社員や部署で共有している「ファイルサーバー」は電源を落としたうえ、金庫などに入れておこう。
    ファイルサーバーに入っているものは、会社の「財産」である。つまりお金と同じだ。そういう認識が必要だ。
    →電源ケーブルを抜くことも忘れないように。
  3. 社内で使っているルーターなどの外部と接続する機器も同様に電源を落としておこう。
  4. 社内で使っている無線LANアクセスポイントも電源を落としておこう。
  5. 新年に出社したとき、誰がファイルサーバーの電源を入れるか?などの役目を決めておこう。
    休みに入る前の電源を切る日時だけでなく、新年の電源を入れる日時などをみんなに知らせておこう。
  6. 休み中、もしもの時の連絡網を作っておこう。
    A.毎日朝一番で自社のWebサーバーがちゃんと動いているかどうかを調べる役目を決めておく
    Webサーバーの回復をする業者の連絡先を社員に周知しておいて、もしもの時に備えてもらう
    ことを業者にお願いしておこう。
    B.Webサーバーが動いていない場合の社長をはじめとした連絡網を決めておく
    C.休み中のメールの受け取りは新年になるなどの告知を客先にしておこう
  7. 日本と外国の年末年始は違う。外国の取引先などにも会社の休日を周知しておこう

とまぁ、これだけしておけば、休み中に会社のPCがハッキング被害、などということはないだろう。もしあったとしても、これだけのことをしておけば、ほぼ問題はない対処が可能だ。

※次にトラブルが起きやすいのは、新年の仕事始めのときである。このときはトラブルが多発する事例が多い。そこで、仕事始めでは、「ルーター」「ファイルサーバー」「無線LANアクセスポイント」「個人使いのPC」の順序で、5分くらいの間を置いて次々に電源を入れて起動するとトラブルは減る。同時に電源を入れると、トラブルが増えることがあり、無用なストレスを感じることもあるだろう。もしもトラブルが出たときの業者の連絡先なども、社員や部署長がわかるようにしておこう。

 


現代のAIプログラミングのかたち

現代のAIプログラミングは、様々なPython(インタプリタ型コンピュータ言語)のライブラリを駆使して、重回帰分析などのこれまであった解析手法をより手軽にプログラマが使えるようにして、プログラマが現実世界と数学世界の橋渡し役として、より効率的に機能するようなプログラミング環境が整えられた、ということに尽きる。

なぜ人工知能プログラミングにPythonが使われるかと言うと、行列演算とか、この種の分析で使われる様々な数学計算のライブラリを数学者として使う人たちがPythonを多く使っていたからであって、そういうライブラリが揃っているからだ。他にも手軽なものはRとか様々な言語があるが、Pythonはより多くの数学者が使う。

実際、重回帰分析だけではなく、多大なデータの中から「答え」を見つける統計手法は様々あり、その様々なものを実際のデータで検証すると、どの手法が一番よいか?などもわかってくる。コンピュータのハードウエア性能が劇的に上がった結果、インタプリタの行単位コンパイルの時間も一瞬で済むようになり、データを多く扱うにも計算スピードがあがり、巨大なデータもメモリ上ではやいスピードで扱えるようになり、結果として、巨大なデータの計算が短時間でできるようになったため、データを様々な手法で計算し直し、比較することも簡単になった。そういうことが、コタツの上のノートPCで可能になった。要するに、それだけのことである。

「人工知能」というと、魔法のように思う人がいるかもしれないが、実際のところはそんなものだ。なにか画期的な新しいものができたのではなく、これまであったものが超高速・大容量・安価で動くようになった、ということだ。これはこれで、もちろん大きな変化ではある。

ところが、これらの豊富な計算機資源を扱うはずの日本のプログラマは今や白痴(←ひどい言い方でごめん)である。高校の数学では行列演算が教えらないカリキュラムになり、高校生くらいでは、数学ヲタクくらいしか、まともな代数学に触れることもない人が大変に多い。加えて、重回帰分析とはなにか?など、がわからないとか、微分積分を良く知らないで、数式を覚えるだけの受験勉強がある。「微分、ってのは微かにわかった、って言うだろ。積分は、分かった積り、でいいんだよ」などというおおらかな数学の先生も今や絶滅危惧種である。ぼくらのころは、そういうことを言われてから、微分、積分、って本当はどういうものなのか?やってみると面白いなぁ、などと、数学の世界にハマっていったものだが、そういう「楽しみ」をみな知らない。

加えて、Pythonでライブラリを使えるようになるまでの、基本的なCUIの使い方とかが全くわからないGUI世代のコンピュータ屋ばかりが増えて、もうね、日本のコンピュータ教育って、プロからしてこれだ、みたいな感じですからね。レベル低い。

今やブームの「人工知能」。商売になるから、わかりやすいから、と思ったら、大きな間違いである。計算機の計算速度が速くなり、大容量が扱えるようになっても、高等数学の初歩レベルはせめてちゃんと勉強していないと、全く評論もできないよ。

 


「企業主義」の蹉跌



世界における現代の大きな問題は「Corporatism」であろう。日本語に訳せば「企業主義」。それは資本主義でもなければ、社会主義・共産主義でもない。これをあらゆる階層の人が意識することが、人間の生存に重要な時代になったのだ。検索エンジンでも「Corporatisum」で検索すると、多くのトピックや動画が引っかかる。欧米では当たり前に議論されている、大きな問題なのだ。

現代における「企業」は法の上で定義されている「人」、すなわち「法人」である。それは「人」である以上、人としての倫理や文化の保護や、常識を持つ必要がある。なぜならば、それが「人」であれば、「人」は人の社会のメンバーの一員であるし、そうでなければならないからだ。それらのものが、人間社会に新しいメンバーとして入った「新人」である「法人」には、不十分な教育しかされてこなかった、という事情がどうやらある。企業、法人は、人間であると認められながら、人間としての教育を受けてきていないため、人間の歴史を知ることもなく、人間が長い歴史の中で培ってきた文化や倫理なども持っていない。「法人」とは「人工知能」「ロボット」のようなものだ。これから人間が人間としての教育をしていかなければいけない存在である。

「法人」は、人の世の中に生きる「人」である以上、人の世の中にある「明文律」にはもちろん従う必要があるが「不文律」にも従い、人の世の良き発展のために生きる義務が生じる。しかしながら、誕生してまだ200年ほどの歴史しかない「法人」は、短期間に非常に大きく成長したその体躯とパワーに比べ、精神がまだ成熟していない「子供」であり、心身の成長にアンバランスがある。それは別の言い方をすれば「モンスター」ということになるだろう。

大きく力のある企業はしばしば、日本では「ドラえもん」の「ジャイアン」に例えられることがある通り、乱暴を働いても、反省するということがなく、それが人間社会を破壊するものであっても、自我の自覚もなく、それを振り回し、他人の迷惑を省みることもない。加えて、従来の人の世の中をある程度知っており、そのパワーにあかせて、人の世の仕組みに介入し、自らの自我を、その強力なパワーで通そうとする。

人が作った人ではない強力なパワーを持った「人」。それが現代における「法人」である。

人間が意識して作り、人間を部品として作られ、人間の世の中で人間の一人として作られたにもかかわらず、私達人間は「法人」の幼児教育に失敗し、いま、私達はそのツケに悩まされているのだ、というと言い過ぎだろうか?

私達は自分の子供として産み落とした「法人」が、まさかこんな短期間に、人間社会の良き一員としてではなく、人間社会を脅かす「モンスター」として育ったことを、後悔している。しかし、間違った育て方で肥大化したそれは、現実に私達の社会を破壊し始めている。

私達は「法人」を殺し、今いちど、新しい育て方で、新しい「法人」を作るべきだろうか?あるいは、今ある「法人」を、「良きモンスター」として、育て直すべきだろうか?

私達は今、その判断の困難さだけではなく、その判断と実行の結果にも恐れおののき、かつ、実行するとしても、その困難さを考える。そのため、なかなか判断ができずにいる。潰すのか?飼いならすのか?これからの経営学というのは、おそらく、その視点から考えられなければならないのではないか。

それはおそらく「企業倫理」などという言葉に閉じ込められるような小さな問題ではなく、その出自に遡って議論し、これから我々はこの「モンスター」を抱えた人間社会をどうすべきか、という現実の問題として、議論し、答えを出し、実行していかなければならない、そういう問題なのだろう。

 

「隠すこと」はそのまま不利になる社会

インターネットができてこのかた、「隠す」ということは一切できなくなった。マスコミ報道を隠せば、知らない人に余計なことを教えることにはならない、という社会はなくなった。たとえば、Apple社の件がそうだ。

Apple社は、電池の劣化によるリブートを抑えるために、つまりユーザーの利便性を優先して、使い始めて1年たったiPhoneの性能をわざと落として遅くしていた、という。それをユーザーの一人が発見し、発見した事実をApple社に問いただしたところ、それを認めた、とのことだ。さらに、この件は訴訟にも発展した

しかしながら、こういったことが「ユーザーに隠されていた、ということが、まずもって大きな問題であることは言うまでもない。説明書などに「使いはじめて1年以上たったiPhoneは、XXという理由によって、動作が緩慢になることがあります。これが気になる場合は、最寄りのショップに行って、電池を交換すると、元のスピードで快適に使うことができる場合があります」ということが書いてあるのであれば、「そういうことなんだな」と、納得がいく。あるいは、スピードが遅くなるタイミングで、表示が出て「電池が劣化しているので、このままお使いになると、ご利用途中でリブートすることがあります。それでもお使いになりたい場合は、こちらのボタンを押してください。リブートをなるべくしない、低速・低電流モードにするには、こちらのボタンを押してください」など、ユーザーに選択肢を与えてくれる、というのも良いだろう。

問題は、そういう表示も説明も一切なしで、システムの変更が行われた、ということであることは、言うまでもない。何事も、特に広汎な人たちに使われるプロダクトや仕組み、サービスは「公正であること、オープンであること」がより求められる。そして、この流れはネットの存在によって、さらに加速されるであろうことは言うまでもない。

しかし、これまで隠していたものが、隠している人の意思とは関係なく、勝手に暴かれる、ということを快く思わない人もいることだろう。しかし、その秘密を守るだけのために、インターネットを止めることは、もはやできない。インターネットが止まれば、世の中の動きの全てが止まってしまう。OSもソフトも自動運転車もクラウドで動く昨今にあっては、インターネットが止まるということは、人間社会の血流を止めるのと同じことになる。例えて言えば、水道管の破裂を止めるのに、すべての水道を止めるわけにはいかない、というのと同じ、と言ってもいいかもしれない。

インターネットは、政治も経済もビジネスも変えた。「公正に、オープンに」。これが今という時代である。

 


男の前用のシャワートイレ

最近、日本ではどの公共施設、商業施設に入っても「シャワートイレ」が入っている。入っていないと、ろくな施設ではない、というように言われることも増えてきた。しかも、一般家庭にも、もちろんシャワートイレが増えている。しかし、これだけ日本中に普及しているシャワートイレだが、まだ「男の前用」のシャワートイレはない。

「男の前用のシャワートイレ」を作るには、コンピュータ画像処理で、ターゲットに狙いを定め、シャワーの水を噴射する、というやり方をしないと、衣服を水浸しにしたりすることもあるから、けっこう作るのが面倒だが、Raspberry-Piなんか使って、ハッカソンで作ると面白いんじゃないだろうか?いや「どうやって発表するか」という問題はあるかも知れませんが。。。。あ、おもちゃを使う、って手もないわけではないか。。。。

「ピッ!対象を認識しました。そのまま動かないでください。水が出てきます」

とかってアナウンスがあって、両側からシャーッと、水が出て来る、とか。

「ピッ!対象が小さすぎて認識できません」

と、言われると悲しいんだが。。。。

 


政府と国民

韓国で大学教授をしていた2年間で、面白い経験をした。ある日、大学に出勤したら、休みでもないのに、なにやら学校が静かだ。いつも開いている事務室の扉が閉まっている。おかしいな、と思って事務室のドアのノブを回しても、動かない。明らかに鍵がかかっている。やはりおかしい、と思って、現地の友人に電話をした。すると、彼は「あぁ、今年から、今日は公休日になったんです」。はぁ、聞いてないよ、そんなの!という感じだったが、まぁ、しょうがない。宿舎に戻った。夕方のテレビを見ていたら、今日の「休日」にそれを知って休んだ会社や役所がある一方で、休日とは知らず、営業していた会社もあって、国中が大混乱だった、というニュースをやっていたので、ぶっとんだ。日本ではまずこういうことは考えられない。要するに、韓国の国民は政府のことなんか聞いちゃいないのである。日本で生まれ育った私は、日本の政府といえば、非常に強固な存在であって、共産党だって、天皇誕生日は休みになる、というのが「常識」だ。しかし、韓国では違うし、この話をしたら、中国も違うという。どうやら、日本を除いた他の国では「国民が政府の言うことを聞いちゃいない」ってのは、常識なのだ。

ことほど左様に、日本では常識と思っていることが、外国では常識ではない、ということや、その逆のことはいくらでもある。

そういえば、韓国の大学での「教授会」もすごかった。勤務していた大学は学生が1万5千人いる大きな大学だったのだが、教授も600人くらいいて、年に一回、全体の教授会を大学の講堂でやる。これに出ると、これがまたすごい。総長が壇上に上がって、なにやら話す。そして、「ではご質問は」ということになるのだが、そのときの教授席から出る「質問」がすごかった。「おまえは、ソウルばかり行って、この大学にいることが少ない。なんなんだ!」など、ほとんど大声での詰問なのである。かなり激しい教授会なのだ。これを見たとき、しゃんしゃんで終わる日本のこの種の「会」とはかなり違う、ということがよくわかった。最近日本で流行りの「忖度」なんてものは、おそらく、あちこちにあるのだろうが、こういう場には出てこない。日本に比べて「民主主義」がちゃんと機能している、という、そういう感じもした。

お隣の国・地域といえど、これは違うなぁ、と思うことがたくさんあった。しかし、一人ひとりの人と話すと、みんな日本人以上にフレンドリーなのだ。

ということは、日本人の感覚で「韓国は」と表現すること自身の前提が変わってくる。つまり、日本人は「国の政府」と「国民」は日本のように一体になっているように思っているから、「韓国は」と言うと、「韓国の政府と国民が一体化したもの」を指すことになるんだが、実際の韓国では「国民」と「国の政府」は日本のように一体化していない。しかも、その「国民」も様々な考え方を持っている人たちの集まりがたくさんあって、収拾はつかない。だから、日本人が「韓国は」と言う場合、「韓国の政府は」ということなのか?それとも「韓国の国民のこの部分が」ということなのか?は、はっきりしておく必要がどうしてもあるのだ。少なくとも、韓国では「国の政府」と「国民」は「全くの別もの」ということになる。「韓国は」と一言で言い表しても、意味がないのだ。



IT機器には数千万行のプログラムが入っている

ITの業界は、誰でもやれる仕事のように見えるが、そうではない。いや、どんな仕事も似たようなものだろう。人には個性があり、適正があるし、仕事にも、様々な種類があり、一律同じ仕事なんてものはない。その中でもITの仕事、特にソフトウエアの仕事は扱っているものが、外見以上に複雑で、外見以上に多様な知識を必要とするうえ、本質的に「不可視」である。だから、外見からは簡単に見えてしまう。しかし、その外見の下には、膨大で複雑なものがぎっしりと詰まっている。そのすべてを理解することは誰にでも不可能だ。

コンピュータもスマホも、誰もが簡単に使うようになったが、その裏側で動いている膨大なシステムは、全く外側からは見えない。だから、その外見だけで、それを作ることは簡単に見えてしまう。それを「素人」というのだ。

たとえば、5千円くらいの小さなコンピュータに入っているプログラムの行数は、そのOSだけで、2100万行弱である。これは年々増えており、OSの基本部分だけでなく、様々な機能を入れれば、その行数は、少なく見積もっても、おおよそ3千万行を下らない。しかし、スマホやPCを使っている人は、まさかその中にそれだけのプログラムが入っているとは思わないだろう。世界中のソフトウエア技術者が寄ってたかって作っているのだ。

しかし、3千万行のプログラムは実際に入っていて、動いている。だから、スマホやPCの便利な機能が使えるようになっているわけだ。しかし、これ、実際に現場でプログラムを書いている人には「常識」なんだけどね。

ちなみに、3千万行というと、1行のプログラムが5mmくらいのスペースを取るとして、そのプログラムリストは150kmに及ぶ。富士山の高さ40個ぶんになる。

 


もしも相撲をする人工知能つきロボットができたら

最近はなにかと騒がしい「相撲」の界隈だが、もしも、相撲をする人工知能を積んだロボットどうしの試合があるとしたら、どうなんだろう?

そもそも、「戦う」とはなんなのか?「戦いに勝つ」とはなんなのか?「戦いに負ける」とはどういうことか。人工知能は、あの映画「ウォー・ゲーム」みたいに、戦うことそのものが無駄なこと、と、悟ってしまったら、どうするのか?

それでも人間に戦いをけしかけられたら、おそらく、相撲ロボットどうしで通信をして「今回はあなたが勝ったことにしてくれ」なんて、裏で談合した「ショー」をぼくらは見ることになるのかもしれない(え?人間がやっても同じだろう?って?それは言わないお約束でしょ)。

そうなると、ファインプレー以外は見られない完璧な野球とか、持ち回りで価値が決まるプロレスとか、そういうものをぼくらは見させられるわけで、それが面白いものになるとはまるで思えない。「不確実なこと」があるからこそ、こういう「対戦もの」は面白いのであって、そういう要素がなくなれば、勝つのが最初からどこになるかわかっているドンパチのアニメと変わらない。

相撲に限らないが、要するに人間という不完全なものがあるからこそ、こういう「興行」は成り立っているのであって、不完全な人間という存在が排除されたら、その場で「戦い」の意味そのものがなくなっていくだろう。要するにそんなことだったのさ、というように、ね。そして、こういうものは面白くもなんともなくなっていくんででしょうね。

人間。この不完全な面白きもの。

 


OSなどのソフトウエアのアップデートでお金を取ること

最近のスマートフォンやPCなどの情報系電子機器は、ハードウエアとソフトウエアが分離されて物事が考えられている時代から抜け出ていない。しかしながら、最近のこういった機器は、ほとんど「ソフトウエア」によって、その機能が決まり、「ハードウエア」そのものはコモディティ化しており、どこで何を買ってもあまり変わりがない、という状況になっている。つまり「その電子機器が何者であるか?」を決めるのは、ソフトウエアであり、ハードウエアではない。そのため、同じスマートフォンでも、使う人によって「自分のスマートフォンはFacebookしか使っていないからFacebook専用マシンである」と言えてしまったりする。当然、Facebookがそのスマートフォンで動くためには、その裏側で膨大なネットワークなどのインフラやサーバーシステムなどを始め、膨大なものが動いている。しかし「その機器」は、あくまでその人にとっては「Facebook専用マシン」であることに変わりはない。

たとえば、テレビなどは既にソフトウエアの塊であって「ハードウエア」はどのメーカーでも似たようなものだ。今のテレビは、ハードウエアとソフトウエアの融合がなければテレビの番組は見られない。そして、比重はソフトウエアのほうが高い。

スマートフォンでよく問題にされる「電池の爆発」などの問題も、安全な充電を保証するのは、ソフトウエアの仕事であって、ハードウエアではない。当然、こういう問題は、自動運転車などの人間の命がかかっているものも同じことになるのは明確だ。加えて、現代の飛行機なども、様々なソフトウエアが主役であって、ハードウエアはコモディティ化されたものが組み合わされているに過ぎない。

簡単にいえば、「ハードウエア+ソフトウエア=システム」という時代が終わったのだ。主役は、ソフトウエアになった。無線のシステムも、既にソフトウエア無線なども技術としてはあり、ハードウエアも単一のものになるのは、時間の問題だろう。先日、手持ちのiPhoneをiOS11.2にアップデートしたら、ある時突然に全くなにも動かなくなり、電源さえ切れなくなった。こんなことが、自動運転車で起きれば人命にかかわるし、飛行機であれば、その人命は一人や二人の話でもなくなってしまう。電子機器の非常に重要な役割を、ソフトウエアが担う時代になっているのは、誰の目にも明らかだ。

であれば、現在の電気用品の安全などを司る様々な法律も、ソフトウエアにはっきりと切り込むことが必要だろうことは言うまでもない。つまり、OSやアプリのソフトウエアのアップデートには、政府の機関の認証が必要、というようにすべきだろう。そうでないと、人命が失われることもあるかもしれないからだ。一度ハードウエアの認証を取ってしまえば、あとは内部のソフトウエアは欠陥があろうが人を殺そうがどうでも良い、ということにはならない。同時に、こういう許認可は、これまでのように、政府の大きな収入源ともなるかもしれない。

ぼくらのようなソフトウエアを仕事にしてきた人間は、お客様のところでいま、ちゃんと動いているものを、むやみに「こうするといいから」などと改変することはないし、仮にそれをするにしても、かなり膨大な手続きでお客様の許可を得るのが普通だ。そうしないと、今動いているものが、動かなくなる、などの大事故で、お客様のシステムで大きな損失が発生することもあり、もしそういうことが起きれば、作ったぼくら、改変したぼくらに、損害賠償などの責任だって発生する。開発のときの契約書にだって、そのように書いてある。その契約に従って、ぼくらはソフトウエアをを作ってきたのだ。

であれば、スマートフォンのOSのアップデートや、アプリのアップデートには、政府が縛りをかけ、ハードウエアの変更と同じかそれ以上の責任をもたせるのが、現代では望ましい、ということになる。同時に、このアップデート登録料を政府の収入にすることによって、政府の収入増を図ることもできるだろう。