SIMフリーの経済効果

私は2013年から日本国内でSIMフリーのスマートフォンを使っている。当然、SIMはMVNOの月額料金の安いもの。そして、IP電話を使う。だから、SMSは使えないが、電話には全く問題がない。結果として、それまでキャリアでかかっていた毎月のスマホの料金は、(当時でもかなり抑えていたと思うが)7千円だったものが、2千円くらいになった。月間で5千円のお得。年間で6万円が浮いた、という計算になる。

SIMフリーのスマートフォンは、日本国内でちゃんと許可が取れているものを買っているが、それでも8千円〜2万円くらいのものを使っている。

高く見積もっても、初期費用2万円、毎月の支払い2千円。

まぁ、普通にスマートフォンを使う、という程度であれば、このくらいの経済効果がある。

 


 

 

なぜシンプルな本を出すのか?

【電子出版時代へのプロローグ】
AmazonのKDPでこの半年に4冊の本を出した。私は1980年代終わり、まだインターネットもなかった時代に、C言語の本を出させていただいた。今でもAmazonの中古では出ている。当時はインターネットはなかったから、電子出版そのものが影も形もなかった。本といえば「紙の本」のことだった。編集者は「XXが書ける人」を探していて、ぼくもその波に乗った。その「XX」は、当時、比較的新しい言語だった「C言語」だ。そして、いまでも「C言語」はまだあちこちで使われている、現役の言語だ。もう30年近く使われているのに、と、私は思うけれども、Webで良く使われるPHP、人工知能で使われることの多いPython、Cにオブジェクト志向を入れ拡張したC#やC++、などなど、最近のコンピュータ言語はC言語をルーツとしたもの、と言っても良いのだから、これは正常な進化なのだろう、と思う。

【懐かしき「紙の出版の時代」】
私のC言語の本は、最初アスキーから、次はオーム社から出たのだが、累計では100万部を超えた。「米国の大学の図書館に日本人留学生のための本ということで、置いてあったよ」とか「上海で海賊版が出てきたので、買ってきました」などもあれば、多くの友人の尽力もあって、韓国で「日本人が著者の最初の大学教科書」にもなった。嬉しい限りだ。

【インターネットがすべてを変えた】
しかし、インターネットが軽々と国境を超え、軽々と人の社会階層をも超え、職業も超え、という時代。出版も「紙の出版社はどこも儲からない」という時代になり、やがてレコードがCDに代わったように、本も紙の本から電子出版が主流になっていくだろう、とも感じるようになった。多くの友人知人がKindleなどの電子書籍端末を持ち歩き、アプリやWebでも電子書籍は読めるようになった。それは社会人のみならず大学生や高校生まで使う時代になった。

【電子出版のメリット】
なによりも、電子出版では「版元」「印刷所」を「中抜き」することによって、大幅な書籍のコストダウンが達成されている。当然だが、紙の本にのみ関わる人は仕事を失う。永遠に変わらないものはないのだから、流れを意識したら、流れを乗り換えないと生きて行けない。そういうことに不器用であることは、そのまま死を意味する。残念だが、そういう時代なのだ。以下に、私が体験した「紙の本」に対する「電子書籍」のメリットを掲げる。

  1. 書籍そのものを低価格にできる。(紙の本では数千円の本が数百円にできる)
  2. 脱稿から出版までの時間が短い。(現在のAmazonKDPでは約1日以内だった)
  3. 脱稿から出版までにかかるコストが低い(現在のAmazonKDPではゼロ)
  4. 著者印税率を高くできる。
  5. 少ページ数での低価格出版ができる。(通常の紙の本では200ページ以上が基準だが、現在のAmazonKDPでは数十ページからでOK)
  6. ネットの検索で多くひっかかり、衆目に素早くリーチする。
  7. 発行部数を気にしないで出版まで持っていける。
  8. 本屋での在庫切れなどを気にする必要がない。

【それでも思いは残る。紙の出版の時代】
紙の時代の出版は、「書籍」というのは、著者と編集者、編集者を支える出版社、取次店、そこに働く人、出版社の営業の人、などの「共同作業」だった。著者というのは、そういう人たちの中で生まれて育った。著者とは、そういう人たちを代表して表に名前の出る人のことだった。だから、そこに人間関係も生まれ、豊かな人間関係ができた。毎日、打ち合わせと称しては人と会って話をする。とにかく楽しい世界であっただけでなく、その所作の1つ1つが出版という事業のためであり、お金を生んでいた。一言で言えば「豊かな社会」の1つだった。いつだったか、出版社の営業の方に「三田さん、あの本、あちこちで営業させてもらいました」と、声をかけてくださったことがあった。その方をそれまで個人的に知っていたわけではなかったのだが、その言葉に感謝の気持ちで胸がいっぱいになったのを、今でも思い出す。だから、私も紙の出版の時代に未練がないわけではない。でも、時代は変わった。

皮肉なことに、私の著書で「C言語」を勉強した人たちが、インターネットを作り、普及させ、インターネットが全てのそれまであった出版の秩序を壊した、とも言える。自分で自分の寄って立つところを壊したような、そういう感じもないではない。しかしながら、それは時代の流れの必然であって、自分がやらなければ、誰かがそうしただろう、ということでもある。いや「自分がそうした」などというたいそうなことではない。そういう場に私は呼ばれ、その役目を果たしたのだ。ただ、それだけだ。

【なぜ電子出版を?】
正直なところ、その営業の方の顔や、出版社の部長の顔、編集者の方の顔がちらつかなかったといえば、嘘になる。それまで関わってきた友人知人のみんなが、怒るだろう、悲しむこともあるだろう、とも思った。しかし、時代は変わり、人間社会の知の伝達ということでは、どうあがいても電子出版が主流の世の中にならざるを得ない、というところまで来たように、私には思える。この時代の流れの必然として、この半年に出した本は、電子出版のみにした。しかし、そうは言っても「紙の本」が死んだとは思わない。まだまだ、紙の本を愛する人やそれに慣れ親しんだ人は多く、電子出版を皮切りにしたけれども、同じものを紙の本にするのはやぶさかではないのだが。なにせ今は「過渡期」であって、完全に切り替わるにはまだ時間はかかる。

【紙の本のメリット】
紙の本にもまだメリットはある。

  1. それまでの社会が培ってきた「権威」がある。
  2. 読者の「モノを持つ」という「所有欲」を満たす。

つまり、紙の本のメリットは、これだけしかない、とも言える。しかし、コストは明らかにこのメリットに勝る、という時代が目の前に来ていると、私は思う。世代が変わると、それまでに培ってきた権威などは見向きもされなくなる。むしろ反発さえされることもあるだろう。さらに、「モノ」の「所有欲」そのものが全体的に減退している。レンタルなどが流行る。必要なときだけ、必要なものが目の前にあればいい。できるだけ安価で。そういう時代だ。

私は「前の世代」を知っている。その只中で仕事をしてきた。だから、次の世代への橋渡しの役目も負っている、と自分では思っている。いまここに、次の世代の変わり目を見せることに対しても、そこに意味を見出すのだ。

【電子出版されるものの性質はどうあるべきか?】
紙の本では「ページ数は200ページ以上」などの制約があって、著者としては、書きたいことの中身を語り尽くしてしまったあと、「まだページ数少ないんですけど」などと編集者からダメ出しされることがけっこうあった。著者としては、これ以上のテンションを物書きに費やすことはできなかったりして、適当なコラムなどを挿入したりしたが、そうなると、本そのもののテンションは低くなってしまう。しかし、電子出版では、書きたいことをしっかり書いたら、それで終わり、にできる。ページ数が少ないぶんは、価格を低くして調整できる。

また、ネットで本が検索され表示されるときには「表紙デザイン」「本の表題」が重要だ。本の内容がシンプルでわかりやすくできるのだから、「この本にはたくさん詰め込んでいます」というようなごちゃごちゃした表紙デザインで良いわけがない。だから、私の場合は本の表題をわかりやすくし、表題は長めだが、一気に読めるようにした。加えて、真っ白で余計なものを廃した表紙デザインにした。このほうが、ごちゃごちゃ凝ったデザインよりも「目立つ」のは明らかだ。キャッチーな表題は本の中身を表すのではなく「どういう人に読んでほしいか」「読んでほしい人がピンとくる表題か?」というところに、主題を置いた。表題のキャッチコピーのコピーライターや表紙などのデザイナーも「中抜き」の時代なのかも知れない。

電子書籍の時代。私はその流れを、いま、感じている。

こんな時代の電子出版の著者は、「書いてみんなに知らせたい」という強い意思と、「こういうことを書きたい」というテーマがより重要になる。「本を出すこと」に意味があるのではない。「何を書くか」にこそ、意味がある。そういう時代に変わった。


 

「コンピュータ屋」という仕事


現代という時代は、コンピュータなしでは人間社会が成り立たないほどになった。特に都市部ではそうだ。さらに現代ではこれに「インターネット」が加わった。つまり「通信」である。今ほどコンピュータやインターネットが一般的ではなかった時代に、ぼくらはコンピュータの仕事を始めた。そのとき、ぼくが思ったのは、「これからはどんな分野でもコンピュータが必須になる。そういう社会が来る」ということだ。これに加えて、後で「通信」が加わった。実際にぼくが最初のコンピュータに触ったのは、1970年ごろが最初であって、プログラミングをしたのは、大学のコンピュータルームだ。そこでしかコンピュータを触ることができない時代だった。その頃はPCは一般的ではなく、大型コンピュータのタイムシェアリング(Time Share ring System – TSSと言った )が主流だった。大学を出る頃にはPCがマニアの間で使われはじめ、ぼくも当時高いシステムをアルバイトをして買った。

その頃から、コンピュータはあらゆる分野に使われはじめ、2018年のこの時期で見れば、コンピュータを使わないところはなくなった。音楽や映像といった商業デザイン、芸術から、クルマなどの工業製品、製造業のみならず、サービス業、と、あらゆるところで使われており、それぞれが「通信」をしている。そういう世の中に変わった。

大学を卒業するとき、いろいろ悩んで「これからはコンピュータだ」と思って、まずはオーディオメーカーに入った。そのときも、ひと波乱があって、本当は教育雑誌の編集者の道を歩もうと思っていたのを、一夜でオーディオメーカーに変えた。そのときの出版社の社長に言ったことは「これからはコンピュータの世の中になる。そこで生きて行きたい」であって、そこまではっきりとではなかったが、若い自分には軋轢もあったし、惨めでもあったけれども、コンピュータ屋として生きていくことにした。その当時、オーディオメーカーでも、入ればデジタルの世界に切り替わりつつあり、LED表示の音量インジケーターのICなどは普通に使われ始めていた。

会社の先輩にはPCが大好きなマニアの方がいた。そして、どんどん知識を吸収していって、その会社も転職し、本当のコンピュータ屋になった。気がつけば、ハードウエアの設計、ソフトウエアを作り、システムで動かす仕事をしていた。

しかし、そのあたりから社会の動きが変わってきた。コンピュータを核とすると、コンピュータの技術者というのは、他のあらゆる分野の仕事をしなければならないわけなので、そこから先は、今から考えれば、新しい仕事をする度に、別の世界を知る楽しさがあった。ぼくは楽しかったが、他の人ではついていけない、という人も多かっただろう、と今は思う。なにせ、ダムのコンピュータシステムをやったかと思うと、3か月もたつと、医療のコンピュータシステムを作り、という生活だったから、基本的に「世の中のあらゆることに関わった」ということになる。しかも、それぞれの業界のことを短期間に勉強し、専門用語でモノが話せるようにしないと、お客様と意思の疎通ができない。一言で言って「コミュ障」ではできない仕事である。そして、仕事が終わる頃には「三田さん、この業界で働きませんか?」と言われるくらいになる。でもぼくは他の次の仕事の話をもうしていて、そこに行かなければならない。

気がつけば、コンピュータで本を書き、バイオ(遺伝子)の研究所にいたし、キャッシュレジスターの会社のシステムを作ったり、韓国で大学教授をして、。。。いや、自分でも短い人生でめまぐるしく仕事を変えてきたような感じになる。それらの核になるのはやはり「コンピュータ」であり「通信」であった、ということだ。なにか一筋にやってきたかというと、たしかに自分では「IT」で一貫はしている。その後、長じてからは新聞記者もやったし、ビデオを作り、写真も仕事でやった。音楽は趣味にすることにして、など、自分でコントロールを効かせてきた(つもりだった)が、完全に違う分野も、新しいことをするのが楽しくてしょうがない、という自分の性格には合っていた。ぼくはいろいろなことをしていて、なにか一筋、と見えない、ということになるけれども、実は自分の中ではみんな一つのものだが、それは自分以外の人間には理解できないことも多いだろう。特に、日本の社会のように「何か一筋・人生これ1つ」でないと、評価されない社会では、「わからない」と言われるのがオチである。「安定」しようとしても、できなかった、というのが本音だ。

いや、ぼくのやってることは結局は1つなんだがなー、とは思うが、そうは見えないんですよね。どうやら「変化に強い」のはそうなんだと思うのだが。


 


 

「デジタル」なもの

最近のネットを見ていると「デジタル」という言葉がたくさん出てくる。「デジタル」に対するものは「アナログ」である。時代が「アナログ」から「デジタル」に変わったのは、既に20年以上前の話なので、いまさら「デジタル」っていうのは、その、なんというか、それ自身が非常に古い感じがする。ある記事では、銀行の基幹システムを「デジタルではない」システムと言っていて、最近のWebでの顧客インターフェイスなんかを作るのは「デジタルな仕事」って言ってるのを聞いて、ぶっとんだ。

20年以上前に作られたとはいえ、銀行の基幹システムは「デジタル」の「コンピュータ」である。今どき、アナログのコンピュータを使っているところなんて見たことがない。それに、アナログコンピュータはあることはあるが、科学技術計算などで使うものであって、大量の顧客データとか銀行の業務のトランザクションをするのとはコンピュータの種類が違う。そして、今は全く使われていない。現在であれば、自動車のダッシュボードの計器類だってデジタル表示だし、今やデジタルではないものを探しても、まず見つからない。しかしながら、よくこういう記事を読んでみると、「デジタル」というのは「新しい世代のなにか」を言うときに、「感覚的に」使われていることばなんだな。厳密な意味ではない。だから、ぼくは「デジタルってのはそもそも。。。」なんて知ってはいるが、言わないようにしようと思う。しかし、それにしても「デジタル」ってのは、それ自身が古い言葉なんで、やっぱ違和感あるよなぁ。

また、メディアとかエンターティンメント関係者は、古い作品を新しいキャストで作り直す、というのを「リブート」って言うんですよね。これにも違和感あるんですよねぇ。もともと、コンピュータのOSなんかを電源を入れた直後の状態から使える状態にするまでのことを「ブート(Boot)」といって、リセットボタンなんかを押して稼動状態から再度立ち上げ直すのを「リブート(reboot)」というわけだが、リブートってことは、リブート前の状態と寸分違わぬ状況にする、ってことなんで、キャストが違ったりすると、感じが違うよなぁ、と思うのですね。

で、「デジタル」の話に戻ると、「新しいもの」を少々かっこ良く言うために「デジタル(的)」と言っているのを、まあ違和感はありつつも「そんなもんだな」と納得するのは良いとして、なぜ新しいものを「デジタル」と表現するのか?と言うことを考えると、そういう言葉の使い方をした「前の世代」がいるんですよね。つまり、もう退職したくらいの世代の文系のおじいちゃん、おばあちゃんが、そういう表現を使っていた。ぼくは工学部で通信工学科を出たから、ハードウエアもソフトウエアも扱える。今もそういう仕事をしている。アナログ技術もデジタル技術もみんな頭の中にきっちりあるから、まぁ、正確な定義は知っている。デジタルだから新しい、とも思わないし、アナログだから古い、とも思わない。

でも技術を知らない多くの人はそういう言葉を「感覚的」に使う。そして、「感覚的に使ったとしても」、やっぱ「デジタル」が新しいもの、の言い換えってのは、前の前くらいの世代がやったことそのままで、その、なんというか、もっと新しい言葉はないの?とか思っちゃうわけですね。感覚的、情緒的表現で、ITの専門用語を使うのは、まぁ、許す。でも、前の前の世代くらいが使っていた古色蒼然とした「デジタル」なんて言葉のホコリを払って、今更使うなんてのは、なんていうか、進歩じゃなくて「退行」だよなぁ、これからどうするの?なんて思っちゃうわけですよ。

 


 

インターネットは「テクノロジー」ではない

インターネットというのは、デジタル・テクノロジーをベースにしているが、テクノロジーそのものではない。デジタル・テクノロジーを使った「革命」だったのだ、というのが、私の見方だ。

その昔、電気の発見があり、電灯ができた。そのテクノロジーの起こしたことは、人間の活動時間を増やす、ということだった。このときは「テクノロジーと人間社会の変化」は直につながっていた。しかし、インターネットが起こした革命は「人間を地域という軛から開放した」ということだ。

現在の人間の社会の秩序は、かなり昔から、基本的に「地域」で区切られてきた行政区画ごとに作られてきた。しかし、良きにつけ、悪しきにつけ、インターネットは地域を超えた人間どうしのコミュニケーションができるようにした。そのため、これまで数百年にわたって人間社会をかたち作ってきた「地域」というものを根本的に否定した。さらに、人の流れ、モノの流れも、飛行機などの地域間を安価で大量にすごいスピードで誰でもが移動できる手段ができて、さらに「地域」というものの重要性が減った。

しかし、人間の社会はここ数百年以上にわたって、宗教なども含め「地域」をベースにしてきたもので成り立ってきた。「地域」が大前提なのだ。「地域」はあらゆる人間社会の基礎だった。しかし、現代においてはその「基礎」そのもの、その前提を否定、あるいは弱体化することができるテクノロジーが出来、それを「地域消滅」に持っていくための、新たな文化が生まれた。それがインターネットだ。

だから「テクノロジーの発達が人間社会を変えた」のは間違いないのだが、それは「テクノロジーを使って人間社会の文化に革命を起こし、人間社会を変えた」のである。人間の社会は今までの旧文化と新文化の過渡期にあり、それぞれが混ざり合い、淘汰のための闘争を始めたのだろう。そして、最後は「新しいもの」が勝たざるを得ない。おそらく、そういうことが、これから始まるのだろう。いや、そうであろう、と思って、ぼくらはインターネットに飛びついた。変化は大きな変化ほど楽しいからだ。

 


 

映画「フルメタル・ジャケット」の世界はもう来ない?

1987年の米国映画で「フルメタル・ジャケット」がある。スタンリー・キューブリック監督だ。ベトナム戦争のときの米国。そして、その中でひときわ存在感を示してていた「教官役」の「ハートマン軍曹」こと「リー・アーメイ」がこの4月15日に亡くなったことで、この映画が再びあちこちで取り上げられている。

ハートマン軍曹役は最初は他のキャストだったのだが、演技指導をしているリー・アーメイの迫力とその発する言葉が非常にリアルでインパクトがあり、彼がその役に代わったのだ、という。リー・アーメイは、もともと軍人で若い兵士の教育役をしていたのだ。

しかしながらこの「フルメタルジャケット」では、ハートマン軍曹は最後は、おそらく、その教育に反発した誰かによって、殺される。それまでに、ハートマン軍曹の指導についていけない若者が自ら命を絶つ、という場面もある。

人間は、実は簡単に洗脳される。閉空間に閉じ込め、今の自分は取るに足りない小さなものだ、と、思わせて自分を全否定させ、その後に繰り返し同じことを聞かせ、新しい価値観を吹き込む。いわゆる日本語の「洗脳」と英語の「Brain washing」は正確には同じものではないのだが、勉強しておく価値はある。この映画は「洗脳」というものがいかに行われるかを描いた非常に秀逸な映画だと、私は思う。

ベトナム戦争の頃の米国は、平和な米国本土から、殺戮の戦場に若者を送り込む必要があり、もしも洗脳なしで若者を送り込めば、軍隊は大混乱となっただろうし、混乱がなくても、強い軍隊にはなれないわけで、軍にとって「強い若者を作る」必要があり「洗脳」は必要だったのだ。今のように、PCの画面でゲームのように操作できるプレデターのようなロボット兵器はなく、もちろんコンピュータもデジタル通信回線もなかった。そこで「戦争に勝つ」ためには、人間を戦場に送り込まねばならなかったからだ。

現在、この洗脳の技術は商品販売や自己啓発セミナー、新興宗教、新入社員教育などの現場に応用されて使われており、私たちはこれらのものへの警戒感を常に持つ時代となった。現代の「フルメタルジャケット」は軍隊ではなく、日常に潜んでいるのだ。しかしながら、現代の社会ではネットの普及により、また、スマホなどのポータブルな通信機器の普及により、洗脳ができる閉空間を作りにくくなっており、洗脳の技術も広く解明され、公開されるようになったため、洗脳にはあまり力がなくなった。これは喜ばしいことである。「IT革命」はこういうところでも「革命」を起こしているのだ。

ちなみに、現代の兵器は、不確定な人間に頼らずに目的を達する。コンピュータを内蔵した「スマート・ガン」は、デジカメの顔認識のような仕組みで、ターゲットに勝手に、かつ正確に弾が飛んでいくようにできているし、人間も「ターゲットが突然出てきたら反射的に引き金を引く」ように教育される。そこに、喜怒哀楽、哀れみなどの人間の感情が入らないような教育がされている。

デジタル通信技術(IT技術)はすでに不確定な人間を頼らない兵器と軍隊を作っている。私たちは、会社に通うように軍に通い、書類をPCのExcelで作るようにこれらの武器を使って、米国本土の軍内の事務所から、コーヒーをすすってマックのフィレオフィッシュをほうばりながら、PCの画面上の何処とも知らない場所の何処とも知らない人たちに、ミサイルを撃ち込むことができる。もう洗脳は必要ない。毎日のビジネスをするようにゲームをしていればいい。夕方には「戦場」から帰宅して子供たちと一緒に食事をすればいいのだ。「今日の学校はどうだった?」ってね。

 


 

LPWAが変える世界

「LPWA(Low Power Wide Area)」通信が日本のみならず、世界のあちこちで使われ始めている。新しい無線データ通信システムの各国での法整備も整ってきていて、面白い展開になりつつある。

日本では「Sensway社」が三井不動産との提携を発表八王子市ではABIT社との提携で河川の氾濫などの情報をいち早く知らせる防災システムが出来上がっている。また、福岡市もNTTネオメイト社との提携で市内のほとんどの地域をLoRaWANでつないでいる。まだまだ他にもLPWAのシステムを使ったデータ通信システムで地域をつなぎ、防災などに役立てよう、という動きは多く、他にも、「PLWA 防災」のキーワードで検索すると、どれもこれも大変なことが始まっている、ということがよくわかる。

他にもLPWAには日本でよく使われることになるであろうと思われる「LoRa」の他に「SigFox」なども名乗りを上げている。また、諸外国に目をむければ、さらに長距離の通信もできる、強力な電波を使うもの(←これ、Low Powerなの?)っていうものもたくさん発表されており、非常に大きな世界的な流れになっている。世界中のLPWAの規格はおそらく数十はあるだろう。私も全部を把握しているわけではないが。

私の個人的な見方だが、日本のどのシステムも、インターネットなしでは成り立たない、というシステムに問題があると、私は思っている。というのは、大規模災害時、すなわち、こういうシステムが有効に使われることが想定される場面では、インターネットは使えなくなっているのではないか?という危惧があるからだ。実際、東日本大震災の経験では、インターネットも、携帯網もトラフィック規制がかけられたりして、災害発生地域ではほとんど使えなかったのを覚えているだろう。インターネットを使い、携帯網を私達は普段は便利に使っているが、いざ大災害、というところではこれらのインフラはほとんど機能しない。その機能しないインフラをLPWAのシステムに「混ぜる」というのは、やはり問題があるのではないだろうか?と個人的に思う。

また、LPWAのほとんどの規格を調べると、時間あたりに通信できるデータ量に制限があったりすることもあり、動画のデータなどは現状ではまず送ることができない。無線LANと同じ感覚では使えないのだ。これは技術というよりも、法の問題なのだが、大規模災害時には、問題となることもあるかもしれない。

また、災害時などに使われるシステムは、非常時ではないときでも時々使って、いざというときにちゃんと動くことをいつでもテストしている、という機能も必要になる。昨今のシステム構築では「コスト」も重視されることが多く、普段の接続確認や有効活用などがどこまで考えられているか?ということも不安でもある。

いずれにしても、LPWAは始まったばかりである。改良も法整備も本格的に始まるのはこれからだろう。今後が楽しみだ。

 


 

小松左京の時代といま

伊藤穰一が「BIとAI」ということをよく言っている、と聞いている。「Before Internet(インターネット以前)」「After Internet(インターネット以後)」という意味だが、純粋技術的に言うと「Before Digital(デジタル以前)」「After Digital(デジタル以後)」だろう、と、内側から見ている私は思う。実際、インターネットはデジタル技術がベースであり、アナログの時代=Before Digitalの時代には、デジタル技術は「パルス技術」と呼ばれており、私も大学生のときはその名前の教科が必修だったことを覚えている。

デジタルのデータ通信技術、デジタルのデータ蓄積技術、デジタルの高速化技術、デジタルデータのシリアル化などの技術(いや、これらの用語がわからない人はわからないでもいいんだが)、が、デジタル技術の進展に伴って、多くの可能性が出てきた。これらの技術の先には、デジタルデータを使った画像処理、画像表示、動画、音声などの現実世界とのインターフェイス技術が現実化してくる。そうなってはじめて、インターネットという「ネットワーク」という抽象的な概念を現実化できる段階になる。それまでは理論であったものを、実際の技術に落とし込み、現実の世界に適応させる。つまり、多くの技術評論家が話す「夢の未来」は、こういう過程をすっ飛ばして、「こんなことができます」と、見えるところ=表層を撫でて、何らかの解説をした気になっているに過ぎない。

既にデジタル技術の洗礼を受けていた私のような研究者&技術者にとっては「インターネット」は驚きでもなんでもなく「当たり前のこと」でしかなかった。しかし、その一般社会に見えるところのEffectは当然インパクトのあるものになるであろう、と予想できたし、実際、それがあったから、インターネットは面白い、と感じて、誰もがわからなかった時代にそれを扱ったのだ。実際のところ、インターネットの最初の頃は「そんなの当たり前だろ」くらいに考えていたぼくは、周辺の技術者よりも遅く、本格的にインターネットにかかわり「当たり前」の道を歩んだ。研究者&技術者として、社会的インパクトはそりゃ面白かったが、それ以上に面白いものがあった時代でもあったからだ。

それでも、ぼくがインターネットに本格的に関わったのは、世間一般よりも早かったと言っていいだろう。「ああ、そろそろやらないとね」と始めたのだ。だから、インターネットの出現に驚くことはなかったし、それのはるか以前から、インターネットは見ていたから、別に自分にとっては、特別なことでもなんでもなかった。当時、Microsoft社もインターネットには出遅れていたので、まぁ、同じ気分だったのだろう。

日本では「小松左京」が「日本沈没」で大ベストセラーを出したのは、1973年。まだデジタル技術も表には出ず、インターネットもなかった時代だ。Webが世の中に姿を表したのは(ブラウザができたのは)、1993年だから、それから20年たっていたわけだ。つまり、「日本沈没」はデジタル技術が一般的でなく、インターネットさえなかった時代の「空想科学小説」であったわけだ。

デジタルとアナログの技術は実は大変な違いがある。単に表層しかみえていない人にはわからないだろうが、それは技術の革命であり、技術の民主化であり、現代の技術の全ての始まりだった、と言ってもいいくらいだ。この革命のさなか、ぼくは日本にいて、日本の高度経済成長期の終わりの一番栄えた時期にこれらの技術に、自分の人生の一番活発な時代に肌で触れた。おそらく、私の時代以後の技術者や研究者がこういった本当の最先端に触れられる機会はもう日本には訪れないだろう。その時代の頂点が重なった「幸運」は、もう日本には訪れないと、ぼくは思う。それくらいの幸運だった、と、今になって思い出す。

そして思うのは、そういう幸運に恵まれた時代を過ごした自分の義務についてだ。

 


 

マーシャル・マクルーハンについて

ぼくがマーシャル・マクルーハンのことを知って興味を持ったのは、高校生のとき、図書室にあった竹村健一氏の本でだった。読めば「内容がメディアを規定するのではなく「メディアが内容を規定する」という、面白いことが書いてあった。今となっては当たり前のことだが、今の言葉で言うと「コンテンツがメディアを選ぶのではなく、メディアがコンテンツを選ぶ」ということだ。内容が外形を規定する、という従来の考え方ではなく「外形が内容を規定する」という考え方は当時は新鮮だった。しかし、あっという間にインターネットの時代になると、「メディア」は「インターネット」というインフラの上で多様化して現れてきており、テクノロジーの様相が随分変わった。

デジタル通信テクノロジーは、そのネットワーク・トポロジーを規定するだけで、その中を通るデータは気にしてない。そのデータが音声であろうが動画であろうが静止画であろうが文章であろうが何でも良いのだ。つまり、マクルーハン流に言えば「メディアがインターネットを選ぶのではなく、インターネットの上では何でも選べる」のだ。そうなると、マクルーハンの時代には「テレビ」というメディアが新しく、それがどう世の中を変えていくか、という議論だったが、今はインターネットがどう世の中を作っていくか、という議論になる。つまり、「時代の流れ、社会の変化」が、かつては(マクルーハンの時代には)「テレビ」というメディアに規定されていたのだが、今は時代とインターネットが渾然一体となって、新しい世の中を作っていく、というモデルに変わりつつある、ということだ。

つまり、インターネットは社会インフラとなり、「人間社会とはインターネットのあるところだ」ということになったのだ。

インターネットの出始めのときに「これは面白い!」と飛びついたのだが、それはテクノロジーではあるのだが、実はテクノロジーと言ってしまうと大きく間違えるところもある。それは「テクノロジーを支える思想」がまさに地上の人間社会に具体的に降臨したものなのだ。ぼくらはその最先端でインターネットそのものを作ってきた。やがてぼくらが作ったものの上に、みんなが社会生活を営みはじめた。ぼくの目から見ると、そんな感じだった。

そのとき、ぼくらは思ったものだ。「ぼくらはマクルーハンを超えた」と。

そして気がついたのは、実はインターネットは「テクノロジー」ではなく、思想であり哲学なんだな、ということ。だから、インフラ足り得たんだが、これを「テクノロジー」という言葉でくくると、大きな間違いを犯すことになる。でも、それはわからない人には永久にわからない。テクノロジーはそれを実現した手段にしか過ぎない。

それが「テレビの時代=アナログ技術の時代」と「インターネットの時代」の大きな違いなんだね。そもそも、なぜアナログではなく、デジタルなのか?この変化は必然的に起きたものだが、なぜそれが必然なのか?そのことを答えられないと、実はマクルーハンとそれより後の世代がどのように変わっているのかが見えない。そもそも、デジタル技術はなぜ生まれ、なぜ普及したのか?それを説明できないうちは、インターネットの本当の意味さえ咀嚼できないだろう。そういう人は時代の変化の表面だけを見ているから「テクノロジー」という言葉しか思い浮かばないし、まぁ、そういう人はそういう人で構わないとは思うんだが。

結論としては、いまどきのメディアは「Broadcast」のみ、ということはなく、インターネットがあることによって、「Broadcast」も「双方向」も「個別同士の通信」もみんなできる。しかも、文字テキスト、音声、静止画、動画、なんでも使える。それは従来からの概念の「メディア」ではない。インターネットはインターネットなのであり、それ以外ではない、という存在となったのだ。このことの理解に「テクノロジー」という言葉は似合わない。むしろ「Revolution」のほうが似合うだろう。

マクルーハンの「古き良きテクノロジーの時代」は終わった、とぼくは思う。

 


 

「人工知能」だけではダメな理由

以前、私は国のバイオの研究所にいたことがある。そこで、ノーベル賞を取りそうな方々といろいろな話をした。ぼくの体質がアカデミックなものとは合わなかったこともあって、あまり長くはいなかったのだが、いる間にした勉強は楽しかった。そして、2014年、ぼくが韓国の大学の教授をしていたとき、あの「STAP細胞事件」があった。小保方さんの単独記者会見をオンラインで韓国の大学のPCで見ていた。

遺伝子の研究というのは、その究極のところには「人間を作る」というのがある。コンピュータも、その目的の究極には「人間の頭脳を作る」があることは、まぁ、「大前提」と言っていい。いずれにしても、みな「人間を模倣している」ことには変わりはない。コンピュータで「人工知能ができる」とは言うが、それは「脳」だけの話であって、その「脳」には、人間と同じ様々な経験をさせないと「人間と同じ」にはならない。だから、コンピュータをできるだけ人間に似せようと思えば、人間と同じことを感じるセンサーをつけ、人間と同じ経験をさせるしかない。人間がそうであるように、コンピュータも外部に対しての働きかけもできなければならず、その働きかけに対する結果を取り込んで抽象化しなければならない。となれば「人間そっくり」の人工知能には、明らかに人間と同じ「手足」「感覚」「アクチュエータ」が必要であり、それがついていないうちは、人工知能は人間のようにはならない、ということだ。

つまり、現在の人工知能は不完全だ、ということだ。手足がない。感覚がない。

本当の「シンギュラリティ」とは、そういう「人間そっくり」で「人間の友人になれる存在」ができなければ、完成はしない、ということになる。もしもこの先、シンギュラリティが来るとしても、短い時間ではそれは不完全なものにならざるを得ない。今でもその不完全によって、人間には不利益がたくさん出てきた。一番わかり易いのは、自動運転車の事故などだろう。

さて、そういう困難を克服し、全てが完成し、人間そっくりのコンピュータや人間そっくりの人工生命ができたとして、なんの意味があるだろう?ただでさえ狭い地球をさらに狭くするのか?人間と同じ、ってことは人間と同じくらい間違える、ってことでもあるんじゃないか?など、悩みが尽きることはないだろう。

こういった「人工頭脳」「人工生命」の研究とは、本当は人間が自らの成り立ちを知るためのものであって、仮のゴールとして「そこ」を目指しているに過ぎない。そのゴールに至る過程で、様々な知見を得ることができ、その知見を私たちの生活を豊かにするのに利用するのである。これが本当のこれらの研究の目的なのだ。だから「役に立つ」という観点でこれらの研究を見ると、結局は役に立たないガラクタばかりを作ることになるのだ。