商社の記録

※本記事はフィクションであり、実在の団体、組織、人間とは一切の関わりはありません。

「あ、ありがとう。そのプレゼン資料はそこに置いておいてくれ」
「ここでいいですか?」
「いつものように、後でメールでもPDFでいいから、送っておいてくれな」
「わかりました。では、これからA社に行きますので、席にはいません」
「おお、そうか。お客様とだからな、少しは良いものを食べてきてくれ」
「とりあえず鰻の予定です」
「。。。。あまり接待費多く使うなよ」
「わかってます。ネットで安いのを探したうえに、割安クーポンをゲットしてきましたから、通常価格の半額なんで、値段的にはいつもの昼食とあまり変わりません」
「頼んだよ」

大迫部長は、その一言で、佐川を接待に送り出した。それから1時間後。

佐川がA社を接待中の昼。佐川のメールに着信があった。

●メールの文面:
—–
佐川幸教 さま
青鞜商事 人事部

本年6月10日13:00付けで以下辞令を貴君に発令します。

現職 :A社担当営業部課長 佐川幸教
異動先:なし

※なお、本メールで「異動先」に「なし」とある場合は、会社都合解雇となりますので、7月10日までに、本社事務に連絡をしたうえ、退職金納付先の銀行口座番号などをお伝ええいただくなど、手続きが必要です。また、出張等で社外にいてこのメールを受け取った場合は、その場での解雇となりますので、帰社の必要はありません。

※疑問な点などございましたら、人事部までご相談ください。

青鞜商事 人事部
—-

客の前だが、メールを見ている佐川の顔が青くなった。数分、固まっていたら、A社のお客様が怪訝な顔をしている。この事態、目の前の担当者の高橋さんに、どう説明しようか。。。。そう思っていると、佐川の携帯が鳴った。

「おい、メール行ったか?」
「大迫部長、来ましたよ。なんなんですか、これは」
「どうやら部署ごと、突然のお取り潰しだ。俺のところにもメールが来て、俺も一緒に解雇だそうだ。A社とは既にある電子商取引システムに加えて、人工知能の取引システムが加わって、営業部そのものが必要なくなった、ってことらしい。隣の人事部の部長に聞いたら、そういうことだった」

大迫部長はそこまで一気に言うと、一息ついて言葉を継いだ。

「君の机になにか大切な私物はあるか?家族の写真とか」
「いや、特にはありません。まだ経理に申告していない、この前壊れたので自費で買ったホチキスがあるくらいです」
「なにか私物で大切なものを思い出したら、言ってくれ。君の自宅に送っておく」
「ありがとうございます。わかりました。しかし、なんてことに。。。」
「銀行でも大量のリストラがある世の中だ。こういうこともあるんだろうとは思ったが、まさか自分が。。。こんなときに。。。。」

部長の言葉が途切れたところで、電話の向こうで、取締役の一人が叫ぶ声が聞こえている。どうやら、部署の使っている部屋の立ち退きが今日の夕方に迫っているので、早く立ち退きを済ませるように、と叫んでいるらしい。大迫部長は電話を続けた。

「まぁ、そういうわけだ。君はそのまま自宅に戻って、奥さんにでもゆっくり話すといい」

「奥さんに”でも”」という言葉に、佐川はカチンときた。家族になんて言えばいいのだ?「でも」とは何事だ。人をなんだと思っているのだ?家庭をなんだと思っているのだ?壊れたら取り替える電子機器の部品のような扱いじゃないか。佐川は怒りがこみ上げてくるのをおさえて、部長の電話に答えて言った。

「わかりました。そのようにするしかないようですね」

いささか怒りがこもっている言い方ではあったが、ここに至っては、感情は全部を抑えきれない。言葉に出てしまう。突然のことに、頭は真っ白だ。他のことは考えることはできないが、しばらくしたら、退職後のことを考えることはしなければならない。

接待は2時間に及び、何事もなかったかのようにA社の高橋さんとうなぎ屋を出たのは午後3時近かった。夏の日差しはまだまだ高い。佐川は真っ青な空に一羽で飛ぶ鳩に話しかけた。

「君はどこにいくんだい?。ぼくは。。。。。今から帰るよ。家にね」


それから3日後。佐川は会社に向かった。事前にアポは取った。驚いたことに、アポを取るために会社に電話をしたら、会社は全部の電話が人工知能による受付システムになっていて、音声応答、音声解析が使われていた。人事部ももうICT化・人工知能化されていて、人がいないとのことで、残っている社長と副社長のどちらか、ということでアポを取った。他の役員もみんな辞めたとのことだった。佐川は社長に会うことになった。社長に会うと、話はじめは社長からだった。

「やぁ、佐川くん、大変だったと思うが、これからはこういう世の中だ。我々はどこで食っていくかだね」
「え?社長は会社にいらっしゃるじゃないですか」
「いや、実は来週までしかいない」
「え?社長も?会社が持たないじゃないですか!」
「違うんだ。社長業も人工知能がやるとのことだ。この会社では。大株主から連絡があってね。。。。そういうことだ」
「ということは、この会社完全な。。。。」
「そうだ。無人の会社になるんだ」
「しかし、無人だったら会社じゃないですよそれじゃ。法務省から登録抹消されますよ」
「いや、ぼくら役員は名前だけ残って、実際の仕事はしないでいい、ってことらしい」
「ということは会社というよりも”お金の製造マシン”ってことですか」
「そういうことだ。しかし、我々の人間の組織だって、それを構成しているのが人間である、というだけで、それが機械に置き換えられただけだ、と考えれば。。。」
「じゃ、人間は? 株主になればいい?」
「そういうことだな。いや、それしかお金を得て生きていく術はない。聞けばどこの会社でも日本政府の政策にあわせて同じようなことが始まっている。今の日本の会社の役員や社員はこれから高齢化していく。その対策で、政府が進めているんだ」
「つまり、日本人、ってのは。。。」
「そうだ。ひょっとすると日本人ってのは。。。。」

二人の言葉はなかった。

「どうだ?今午後4時だ。少し早いが飲みにいくか!新しくできたロボットが店員のバーがある。そこに行こう!」

社長は佐川を誘った。

「行きましょう!」

佐川はこたえた。

 


 

「NHKの映らないテレビ」も要らない。テレビは要らないから。

SONYの株主総会で株主がNHKの映らないテレビを売ったら売れるという提案をした、という話があって、それがあちこちで盛り上がっている。実際、SONYは業務用のTVチューナーを持たない「画像モニター」を製品として持っているので、チューナー部分でNHKを見られないようにするだけのことで、製造は難しくない。あとは放送法がどうなっているか?放送法でNHKの映らないテレビの製造がメーカーに許されているか?罰則はあるか?などが問題になるのだろう。

とはいうものの、最近の若い人はテレビをほとんど見ない。地上波に至っては、「なにそれ?」状態である。私も1998年にインターネットの常時接続を自宅に入れたら、新聞は必要ないので、新聞の勧誘が来ると「うちはインターネットでみんな見られるからいりません」と断ったし、PCの前に座る時間がどんどん増えて、とてもじゃないがテレビを見る時間はなくなった。人間には一日は24時間しかないから、情報過多の時代には、どうしても入ってくる情報メディアの取捨選択はせざるを得ない。はっきり言えば、

テレビそのものが必要ない

時代がやってきたのだ。地上波のテレビは、現在60歳以上の人が見るか、YouTuberのコンテンツ作りの素材の草刈り場となっている程度である。日本ではこれから高齢者人口が急激に増えていくので、テレビは高齢者向けの番組しか流さなくなってきており、既に若い世代からは見放されたメディアである、と言って間違いはないだろう。映像コンテンツはインターネットの動画サイトで好きなものを好きなときに見る、そういうことが主流の時代がやってきたのだ。

テレビでも「詳しくはインターネットで」という言葉が増えた。商品を大量に売るためのコマーシャル・フィルムも、既にインターネットの動画サイトでは発表しても、テレビには流さない、というところも増えた。要するに「テレビからネットへ」の流れはもはや止めるべくもない、というところまで来ているのだ。

それでも、先日、私はテレビのスイッチを入れた。モニターとしてだ。チューナーはケーブルTVのもので、米国のドラマを見たかったからだ。それを見て、テレビのスイッチは切った。地上波を見ることは全くない。韓流が好きな人には、KBSの番組をケーブルTV経由で見られるので、それがおすすめだ。

NHKが見られないTVはおそらく売れない。TVそのものが全部なくなっていく時代に入った。残るのはチューナーを外した「モニター」だけだ。ところで、チューナーなしのモニターって商品としていっぱいあったと思うんだけれども、なくなっちゃったのかな?

 


 

「シリコンバレー」は世界に分散を始めた

Stanford Cooper St.

Stanford Cooper St.

シリコンバレーの最盛期でも、上場を果たし大金持ちになった、という会社は1000社のうち3社。シリコンバレーに行けば「必ず」成功するとは限らない。むしろ失敗のほうが多い。それが米国という「投資でお金が回っている社会」なんだね。それでいいんです。そういう社会だから。

日本のサラリーマン社会では「なにかの流れに乗ると、大きな失敗をしない限り成功する」と思われている。しかし、米国の社会はじめ、世界はそうではなく「成功というのは運(であって、保証されているものではない)」なんだな。

「シリコンバレー」という単語に、いまだに「成功幻想」を持っている、という日本人の多くの人の感性は世界では通用しない。そんなに甘くない、ってことです。

ぼくは仕事で最盛期のシリコンバレーにさんざん行ったけれども、その文化の違いは身体に刻み込んできた。だから、常に変化するあの場所でなにが起きているかの本質は少々はわかっているつもり。であれば、現在はこうなっているな、というのは、遠くから見ていても、大方わかる。情報も来るしね。

先日「サイバーセキュリティの専門家」「シリコンバレーで成功した」って言う触れ込みの人物が、日本の政府の中に入り込んでなんかやらかした、というのでクビになったことがあったよね。日本から見て「シリコンバレーで」というのは、なんか「天国に行っていい思いをして帰ってきた」みたいに感じるんだろうが、全く違う。まぁ、その日本人の、シリコンバレーの現実を知らない、というのを利用して日本での栄達をしようとして、失敗したんでしょうね。

ところで、シリコンバレー、ってのは「俗称」でね。「ナニワの地」くらいな感じですよ。実際の行政区画として「シリコンバレー」があるわけじゃない。先日も「シリコンバレーが云々」という話をする人がいたので、「で、シリコンバレーのどこ?」って聞いたら、答えられない。要するに権威付けのキーワードとして「シリコンバレー」を使っていて、それ以上の知識はないんだね。行ったことがないからだね。そこで「あぁ、そう」で話は終わっちゃう。他の話も信用できないからね。

実際のところ、「シリコンバレー」の単語は独り歩きしているので「XXのシリコンバレー」みたいな言い方がされることがけっこうある。ITはインターネット必須だから、世界のどこでなんでもできるので「地域性」はあまりなくなってきている。だいたい「シリコンバレー」という単語そのものが、インターネット以前にできたもので、それは「地域性」が非常に色濃かった時代のものだ。インターネットが空気のように普及した現代では「地域性」は薄れていくのは当たり前だ。テクノロジーもイノベーションも、「地域」の時代ではなくなった。だから今は「シリコンバレー」ははるか米国のことではなく、あなたの机の上のPCだったり、あなたが道端を歩いていて見つけたビジネスアイデアだったりする。そういう時代になったのだ。

「シリコンバレー」は既に「地域」の名前ではない。

 


人工知能は騒ぎすぎ

現代の今、このときは、多くの人がスマートフォンなど身近なIT機器を当たり前に持つ時代になり、その上で通信を前提としたシステムで多くのサービスを便利に受けられる。これは、コンピュータのハードウエアの価格の短期間での劇的低下と、計算速度などの劇的な向上、ストレージなどの記憶部品の価格の劇的低下と劇的性能向上によって、可能になったものだ。例えば、現在、世界をつなぐインターネットの接続はぼくらは毎月数千円、ときには数百円で、道端でもそのサービスを受けられる。遠く離れた米国ホワイトハウスのWebページは、東京の下町の飲み屋の中でも読むことができる。国際データ通信回線は25年前なら毎月数百万円した。「身近になる」ということは「安価になって誰でもそれに接する機会が増える」ことだ。

そして、身近になったスマートフォンやPCで、人間どうしで会話をするみたいに、なにかを無料に近いお金と手間でやってくれるサービスを期待するのは、人情というものだろう。それをぼくらは「人工知能」という言葉で表現しているのであって、「人工知能」という「なにか」がそこにあるわけではない。

事実、私もこの業界に数十年いるのだが、20年以上前から、大手企業ではロボットが人混みの中、広い工場の中を動き回り、資材や工具を運んでいた光景を当たり前に見ている。そして、そういうものを自分でも作ってきた。そのロボットは、目の前に私が突然移動すると、その姿を検知して止まり、私が通り過ぎるまで、待ってくれた。誰ともぶつからず、その役目を果たしていた。工場内の無数のロボットの動きは中央の事務所のディスプレイにリアルタイムで描かれており、ロボットの故障もわかるようになっていた。繰り返すが、これは25年前の日本での光景である。

ただし、今と違うことがある。

「価格」である。当時は、こういうシステムを作るのに、数億円はかかっていた。今はおそらく数千万円でお釣りが来るだろう。毎月のランニングコストも劇的に低下した。私達がスマートフォンなどで受けられるサービスは、毎月数百円、あるいは無料で受けられるが、同じサービスを25年前に受けようとしたら、最低でも毎月数十万円はかかったはずだ。

要するに「シンギュラリティ」の基礎は「コスト」である。お金の話なのだ。人工知能も同じで、昔からこの業界で仕事をしているぼくらにとっては、昔から当たり前のことだった。しかし、今はそれが劇的に安くなり、多くの人の生活の視野に入ってきた、というだけのことだ。

そしていま、人間の組織が行っている「事業」を「ITシステム」が置き代える時代になった。かつてはコストが非常に高かったものが、非常に低いコストで手に入るからだ。

「IT」とはなにか?「人工知能」とはなにか?

それは「便利」「素晴らしい」で語られることが多いが、それは「お金」を無視した話だ。そして、今はお金を無視できるほど、かつてより豊かな時代ではない。

だから、ぼくは言うのだ。

「人工知能は無い。あるのは時代とともに変わるコストだけだ」。

 


 

古い時代と新しい時代

朝一番で、街を歩く。近くのマンションの一階に小さな電球工場があって、朝一番で電球用のガラスを納入するトラックが来ている。電球はもちろん、いまや「形だけ」になって、白熱電球かと思って中を見ると、LEDのチップが入っている。フィラメントではもうない。さらに歩いていると、朝のゴミ集積所。ダンボール箱を潰したものは「Amazon」のロゴマークばかり。

このあたりはかつての町工場街だから、他にも小さな「匠の技」を持つ工場がある。管楽器の「絞り」を作っている工場もある。でも、その技術は今やロボットに置き換わりつつある。

昔は100万部出た本を書いた。当然だが、昔すぎていまは書店に行ってもない。が、さらに驚くのは書店そのものが減っている、ということ。だから、自分でこれから出す本は、電子書籍にした。某有名な出版元の社長も「これから紙の本はなくなる」と、言い始めた。先見の明のある人は、みんなが怖がっていることを、はっきり、堂々と言う。それが自分の生きている場所を崩すものであっても、その現実をしっかり見据え、次の自分の行くべきところを狙う。

数年前、韓国に大学教授でいたことがある。数万人の学生を擁する大学の周辺には、CDショップは一軒もない。学生はダウンロードで音楽を聞いていた。最近はそれをも通り越して、Spotifyなどのストリーミングで音楽を聞く。もう、音楽データは手元のPCやスマートフォンの中にはない。

おそらく、現在は新しいものと古いものが闘争している時代なのだ。世の中の矛盾や不都合の多くは、おそらくそれに起因する。そして、新しい時代には新しいものがやってくる必然が、おそらくある。新しいものが面白いから飛びつくのではない。それは生存競争の一部だ。