なぜ若者は「下を向いてスマホばかり」しているのか?

現代の若者は「いつも下を向いて、スマホばかりしている」と嘆くおじいちゃん、おばあちゃんが多いんですよね。「私の若い頃はこんなことはなかった」って言うわけですよ。おじいちゃん、おばあちゃんの視点では「下を向いていないで前を向け」くらいな感じなんでしょうが、実際のところ、目の前にいるおじいちゃん、おばあちゃんよりも、スマホの中のネットで見る世界のほうが信用できそうに見えるから、そうしているだけです。まず、この事実をおじいちゃん、おばあちゃんは受け入れる必要があります。いまのおじいちゃん・おばあちゃんは若者に信用されていない、ということです。

ガラケーと呼ばれることの多い「携帯電話の時代」から、スマホの時代まで、あっという間だったわけですね。で、その時代になると、それを使った詐欺も増えた。SPAMメールなんてしょっちゅうです。新しいこういったデジタルガジェットに弱いおじいちゃん・おばあちゃんにはわからないと思いますが、今はそれで世界中がつながっている。その中で語られるものは、嘘もあるけど、本当のこともある。そして、そういう「嘘と本当が交錯する世界」が本当の世界の姿だ、と言うことがわかってきている。正直で嘘をつかない人ばかりではなく、嘘を平気で言う人もいる。それが本当の世界だ、と。だから、若い人間はすでにテレビや新聞といった「情報の権威」を信じていません。「あぁ、そういうこともあるのか」程度にしか見ていない。そして、その背後にある「地域の政府(国の政府)」も、かつてより信用できなくなっているんですよね。だから、ネットの情報に頼るし、SNSを流れる地域を超えた情報を探すわけです。

だから、信を失いつつあり、愛されもしなくなった人たちが、自分と関わりのある人たちに対して「愛」を強要せざるを得ないところまで来ている、ということですね。本当に愛があり、本当に信じているのであれば、別にそういう言葉を使わなくても良いわけですから。火のないところには煙は立ちません。

若者がなぜ下を向いてスマホばかり見ているのか?

そこには、嘘も本当もみんな出ている「真実」があるからです。そういうことじゃないか、と、ぼくは思います。

 


 

SFは死んだのか?

思うに、SFで「未来」と思っていたものが既に多くは時代遅れの滑稽なものになっている、というのが現代なんだろうね。

おそらく、SFはSR(Science FictionではなくScience Real)になり、SF作家の想像力をリアルが超えようとしているんでしょうね。ただSF作家が力不足ということではなくて、人間の想像力なんてのは、その程度のものだった、というのは、正直なところ、認めざるを得ないところまで来たんだね。

現実は、マクルーハンが夢想した未来も超えて、いまや、マスコミやテレビは時代遅れと言われるくらいになった。未来学という言葉もあったが、いまは死語だ。

民間企業のロケットが宇宙飛行をはじめ、GoProで宇宙からの映像を渋谷のスクランブル交差点の映像を流すがごとくに僕らは見る時代がやってくるんだろうね。すぐにね。

「SF作家?そういう仕事は何十年前に廃れたよ」

そういう時代が来るのだろう。

だから、現代のSF作家は、ある種の男が理想とする女性への憧れを映像にして「SFである」と表現しなければならなくなったんだな。そんな女性はもういません。いないから憧れる。でもいないし、求められもしない。そういう時代に変わったんだよ。

ぼくらはもう、全く違うパラダイムの中で人間という存在の前提を作り直すことが必要な時代に、半分脚を突っ込んだんだよ。どうする、君。どうする?ぼく。

ファンタジーは残るだろうし、フィクションももちろんある。しかし、Scienceはもう、SFにはないんだろう。

 


 

「災害お助け情報」はあてになるか?

西日本の台風や異常気象による水害、北海道の地震など、多くの災害が日本を襲っている。実際のところ、世界的な目で眺めると、日本だけではなく、昨今は多くの地域で自然災害が多い。米国・カリフォルニアの過去最大になった山火事や、ハワイの火山の噴火などもそうだ。

こういった、災害時、人々が緊急避難した体育館などでのサバイバル術などが、あちこちで取り上げられている。たとえば、「単一乾電池や単二乾電池がないとき、単三乾電池で置き換える方法」などだ。しかしながら、現在秋葉原を歩いても、単一乾電池とか単二乾電池がなかなか手に入らない。使われている機器が少ないのだ。家庭でいえば、ガスコンロの着火用の電池などは単一乾電池などが使われているが、かなり減った。ほとんどの機器は「単三乾電池、あるいは単4乾電池」になってきているので、むしろ「単三乾電池が無いときに、単4乾電池で置き換える方法」のほうが知りたい。が、そういう情報はほとんどない。

一見、便利なように見えるが、実際の場面ではまるで役にたたない知識なのだ。

他にも「スマホの電池を長持ちさせる方法」なんかも、災害時のみならず、けっこう出回っている情報だ。しかし、スマホの電池を長持ちさせる方法はズバリ「画面表示の時間をできるだけ短くすること」に尽きる。というのは、スマホの電力消費のうち、一番大きいのがディスプレイの表示にかかる電力だからだ。アプリがどうの通信がどうの、というのは、実はそんなに電力をセーブすることにはらならない。

また「前の3.11の震災のときは、電話は黒電話が通じやすい」という「伝説」もある。実際、そのときはそうだったろうが、現状はそうでもない。その昔(といっても数年以上前)、電話網に接続されている電話機で必要な電気は、電話線を通して供給されていた。そのため、停電時などでも電話局が生きていれば、電話は通じた。しかし、現代の電話は目の前にある受話器が黒電話であっても、それの電力供給などは、会社や組織などの小型の交換器(電話局とは光ファイバーなどでデジタル信号でつながれている – 当然のことながら光ファイバーで電力は供給できない)を経由していることが多く、電力は電話局から供給されていないから、停電とともに、電話は使えなくなる。また、電話網自身も既にIP化(簡単に、なおかつ大雑把に言えばインターネット化)が進んでいて、この電話網のどこかがやられたら、電話は通じなくなる。

5年も時間がたつと、目の前のものは変わらなくても、背後にある複雑で巨大なインフラは全く違う技術に置き換わっており、動作の原理も変わる。であれば、数年前の昔の情報は役に立たなくなるのは、当たり前だ。しかし、私達専門家はそのことを知っているが、多くの人は専門家ではないから、そのことを知らない。数年前の「教訓」がそのまま今も生きていると思っている。

時間とともに、あらゆるものが猛スピードで変わっていくのが現代なのだ。自分で勉強しない限りは、あなたの知らないところで、それは変化している。

 


 

PCの設定は自分でやる時代。困って人に頼むな。困った人は脱落するに任せろ。

現代において、あらゆる会社などの組織のITというものは、基本的に運送会社のトラックのようなものだ。それがなければ仕事が成り立たない。しかし、運送会社はトラックの整備は専門の整備士や会社専属の整備工場にお金を払って任せ、トラックの運転などは社員ができて当たり前であり、社員の必須の能力であることが前提だ。しかし、ITの分野では、そういうことはいまだ認識されていない。

既に米国の大統領でさえ、SNSなどを自分で使う時代である。スマホも自分用のものを 持って使いこなす。マレーシアの新首相であるマハティール氏も90歳を超える高齢ではあっても、自分用のスマホを手放さない。世界はこういう時代になっているのだ。

こういう時代にあって「IT」は「自分がやるもの」であって、他人の手を煩わせるものではなくなっている。メールソフトの設定くらいは、自分でやるべき時代になった。ほんの20年前くらいまでは、日本の経済もまだまだ余裕があったから「無駄な動き」は許されていたが、今はそうはいかない。メールソフトの設定を頼む方も頼まれるほうも「ゆとり」があった。今はない。さらに、ITは当たり前のものになり、ITがなければ仕事は1センチも進まない時代になった。

時代が変わったのだ。

こういう時代にあっては、ITのことで他人の手を煩わせるのであれば、やはり少額でもお金を払うべきだし、やるほうも「ちょっとだから」と「やってあげる」ということはやめるべきだろう。

あなたが新聞配達を仕事にしているとして、自転車がパンクしたら、自転車屋にパンク修理を頼むだろうし、自分でやる場合は、キットを買ってきて自分でできるだろう。

ITの不具合とは、そういうレベルのものになったのだ。