【11/02追記】「日韓請求権協定」の判決とは?

戦前の日本での、朝鮮半島からの強制徴用被害者が日本企業を相手取り、訴えた損害賠償訴訟は、10月30日、13年8カ月のときを経て「原告勝訴」で、韓国の最高裁で判決が出た。今は韓国の政府は困り、日本の政府は激怒している。韓国という国は、現在の体制は完全に三権分立の建前を守っているため、「国の政府」と「判決を出した裁判所」は別の機関であり、それぞれの考え方も違うだけでなく、韓国の国民の考え方もいくつも別れている。つまり、日本で考えるほど、韓国という国は一枚岩ではない、ということを考えて、この判決を見る必要がある。

つまりこの先、韓国の最高裁の判決があって、表向きは韓国の政府は最高裁判決にしたがわなければならない、ということがもちろんあっても、どこかで韓国の政府は「柔軟に対処していかなければならない」というのも、韓国の政府の立場の1つなのだ。

1965年に日韓の両政府間で締結されたいわゆる「請求権協定」では、2つの請求権について規定している。1つは、(1)戦前に不当に低く支払われていた給料などの適正な額での支払い。もう1つは、(2)戦前の日本政府や企業による不当な扱いに対しての損害賠償、だ。日本の政府はこの2つの賠償を1965年の協定で行うと約束し、韓国政府に対して「実質的に」それを履行した、と言う立場だ。お金を払う名目は(1)で払うが、(2)の意味も暗に込めて、(1)の金額を増額した。そして、韓国の政府もそれを了承した。

この協定では「韓国は日本に対する全ての請求権が完全かつ最終的に解決した」と宣言したのだが、この「全ての」というのはどの範囲か?ということが問題になったのだ。日本の政府の解釈では「全部」だから、(1)も(2)も「全ての」の中に入るが、今回の韓国の最高裁の判決では「全ての」とは、あくまで(1)のこと、ということになる。

しかし、韓国の政府はその後、日本の政府からの賠償金を、賠償を直接受けるべき韓国民に払った、ということだ。多かったのか少なかったのか?はわからないが。しかし、これは(1)の名目のお金である。つまり、(2)の名目のお金については、韓国の政府は「暗に」日本政府から受けただけで、正式に(2)の名目でもらっているわけではなかった。そこで、「元徴用工」は、(2)の名目のお金を求めて(また、(2)のお金については、元徴用工に請求権がある、と言うことで)、日本企業に対し、(2)の請求権を使って提訴し、それが認められた、というのが経緯だ。

本来であれば、(1)の名目でこれだけ払いました、(2)の名目でこれだけ払いました、だから、全部払ったよ、というのがおそらく一番平和だったのだが、当時は第二次世界大戦の戦勝国そのものが「植民地」を持っていた「スネに傷持つ身」だったので、この日韓の合意に口をはさみ、(2)の請求はしない、という日韓の約束にした。もし(2)の賠償を公に認めてしまうと、第二次世界大戦の戦勝国だって植民地に対して、ひどいことをしているんだから賠償金を払え、ということになってしまい、植民地を持つ戦勝国にとっても、その後に禍根を残すことになるからだ。

11/01の夜に読んだいくつかの記事によれば、1991年8月27日の参院予算委員会で、当時の柳井俊二・外務省条約局長が「いわゆる個人の請求権そのものを国内法的な意味で消滅させたというものではございません」と、はっきり国会で答弁した、という記録(PDF:当該部分は9ページの下から10ページにかけて)が残っている。つまり、日本も韓国も、国の政府同士ではなんとかなぁなぁで済ませることに合意したが、民間人にそれに従え、とは言えない、ってことを国会で確認したんだな。つまり、民間(企業とか個人とか)は、勝手に訴訟してくれ、国の政府は関知しないから、国の政府同士はちゃんと合意して平和にやるから、喧嘩だったら民間どうしてやってね、って「公式に」言っちゃってるわけですね。まあ実際、そうせざるを得ないわけなんだけれども。

いろいろ細かい経緯はあるものの、なるべくエッセンスの事実だけを簡単に書くと、このようなことで、この判決が出たのだ、ということがわかる。

ということだから、今回一番困っているのは、韓国の最高裁判所と、日本の政府の間でサンドイッチになっている韓国の政府なのだなぁ、ということですね。

それにしても、韓国という国の三権分立の正しいあり方も見せてもらったように思うのが、今回の判決ではある。


 

「デジタル・スノッブ」の景色

今の日本では、既に「ノマド」は死語になった。「ノマド」というと放牧する人というような意味だから、その青い空と白い雲を眺めて、時代の先端を行くかっこよさ&ユルユル感がなんとも「優雅な高等遊民」みたいな感じがしたものだが、実際は「スタバに集まる若年層Apple製品大好きな失業者の集まり」みたいな感じがどうしても拭えず、結局「ノマド」という言葉そのものが廃れていった。

一方で、そうは言うものの、今どきそこのコーヒーが余り美味しいように私は感じないスタバに集う「MacBookとiPhoneで気取ったつもり」の人が未だにいるわけですね。全く機能的ではないその組み合わせのどこがいいんだろう?と、ぼくなどは思ってしまうのだが、要するに中国製のApple製品を高級ブランドだと思いこんでいる「スノッブ」なんだな、というしか、答えはないんだよね。

実際、デジタルに詳しい世界の最先端のPC使いは、一部はUbuntu/Linuxなどの無料のOSと無料のOfficeソフトに移行しているので、特に実害はないんですよね。開発環境にはUbuntu/Linuxはきめ細かいコマンドラインも普通に使えるため、Microsoftでさえ自社OSに「Windows subsystem  for Linux」なんかがリリースされているわけですね。こういうものを使うこともない、くたびれたMac/iPhoneをスタバで使って、アクセスの少ないWordPressなんかをいじってデザイン変えて自慢しちゃう「デジタル・スノッブ」には、まぁ、関係ない世界ではあるんですが。

とは言うものの、20年も前に米国の某偉いITの先生はゲーツのWindowsを批判して「Microsoftはコンピュータ(パソコン)を、(一般の人のおもちゃとして)化粧品かなにかのよう(なブランド品)にしてしまった」と嘆いたこともあったんですけどね。今はWindowsは毎日なんらかのアップデートがバグを作るボロボロのOSみたいな評価も一部ではあるものの、なんとかビジネスシーンでは認知されているものになったんだが、Appleは昔のMicrosoftを真似して「化粧品みたいなブランド」になるのに成功したわけですね。時代の流れってのは速いねぇ。

いずれにしても、志の低いITの世界のスノッブばかりが増えるから、先日の北海道の地震でも「データセンター守ったさくらはすごい!」みたいな話は流れるが、データセンターがあっても、途中の回線がないとインターネットできないでしょ、そのNTTはなんにも称賛しないの?なんで?みたいな話があまりに多くてね。正直なところは、日本全体のITの認識や技術の劇的低下を、かなり憂えているわけですよ。

「デジタル・スノッブ」は、要するに、カッコだけで中身のない「デジタル失業者」で、外国の意欲も気力も技術力も溢れている連中と渡り合うには、まぁ、力不足な人たちばかりだなぁ、と思うばかりです。だから「私はわかりません」とはっきり自覚して言葉に出す完全な素人は特別に免罪するとしても、中途半端な知識であれこれとITを語る「おれ、IT詳しいよ」みたいな人は、正直なところ、世界に持っていくとなにもできなかったりするわけですよね。いいんですよ。そのままで。でもこれから勉強してね。それを放棄すれば、やっぱりダメなんだと思うわけですね。

「デジタル・スノッブ」は、自分の立ち位置が見えない。だから、勉強もまともにできない。毎日、スタバでiPhoneとMacbookで、引退生活を送る。そういう人生も悪いとは思えないんだけれどね。ぼくはしたくないですけれども。

 


 

「通信」と「通信プロダクト」の分離

おそらく、この記事が表に出ている頃には、日本の三大携帯キャリアの冬の新機種があれこれ発表されていることだろう。あそこはこの機種が出て、ここが新しくて。。。。

まぁ、それは良いのだが、既にMVNOなどがかなり浸透してきた日本でも(外国はもっと前からそれが普通のところが多いのだが)、「スマートフォンやタブレット」本体と、それをつなげる通信会社との分離が当たり前になって来ている。とは言うものの、この新しい流れについて行けない人も多いわけで、未だに「通信会社で新機種のスマホを買う」なんて人も多く、かつ、まぁ、普通に見るわけですが。

自分の場合は、2013年に韓国で仕事をする、ということがあったので、既に日本の三大携帯キャリアから離れて、そのときにスマートフォンはSIMフリーの機種と、その地域地域で使えるSIMを調達して使う、というやり方に変えてきた。結果として、韓国に行ったときも、日本で使うときも、同じスマートフォンが使え、非常に便利だった。

なかなか外国にも行かなくなった現在は、その流れが続いていて、国内で使用するスマホやタブレットは基本的にSIMフリーの機種を数台使いまわして、SIMだけ毎日あれこれと入れ替えて使っている。唯一面倒なのは、LINEがSIMカードではなく、スマートフォン本体にIDを求めているので、毎日、LINEが使えるスマートフォンを設定しなおさなければならない、ということだけだ。私の場合はLINEも使っているが、LINEを使うことがなければ、こういう不都合は生じないのだが。

横道に逸れるが、スマートフォンなどで入れられるアプリで、韓国発のLINEやカカオトークの「知財の重要部分」は、スマートフォンの本体確認をSIMカードに寄らない、本体で行うところにあるらしいので、この不便なしくみはなかなかなくならないから、当分はこのままの不便さなんだろうなぁ、と。

日本では「正統神話」というものがあって、例えば、電話回線はNTTでつなげると、電話機やFAXもNTTで、というのが多い。それにこたえて、NTTでも、NTTのマークの製品を用意したりしているが、それは実際には他のメーカーで作っているものだ。

スマートフォンも同じような感じなんだが、携帯電話の時代からスマートフォンの時代になってからは、よりいっそう「通信回線」と「通信プロダクト」の分離が進んできた。現在のMVNOの利用者はスマートフォン全体の20%くらいにまで、やっとなってきた。

もともと、SIMカードという仕組みは、「通信回線」「通信プロダクト」の分離のために作られたものであって、通信プロダクトが回線とがっちりつながっているものであれば、こういう仕組みは必要なかったものだ、と思うんだがなぁ。それに、スマートフォン本体を毎日取り替える、というのは、ファッションを気にする女性にも受けると思うんだけど。

ということで、SIMフリーの端末はこれから、日本でも増えていくことだろう。

 


 

バンクシーの切り刻まれた絵?

記事に書かれている通り、もし今回のこの一件がバンクシーとサザビーズの「共犯」によって行われたとしたら、サザビーズはより高い落札価格が目的だろうね。ついでに、現場で捕捉されたと言われている、シュレッダーのリモコンの操作者もその企みに雇われた人間だろう。であれば、その「操作者」の行方を追うことで真相は明らかになるだろうね。しかし報道では今のところこの操作者が誰で、どういう素性で、どうやってオークション会場まで来たのかは明らかになっていないばかりか、その人間が警察に引き渡されたのかどうかも明らかでは無い。つまりこの一件は「怪しい」のだ。

また、作品とその仕込みのある額が作られたのは数年前とのことだが、電池などはどういうことになっていたのか?電池はどんな電池でも年数を経れば容量が減って行くだけでなく、経年変化で劣化していく。周囲の温度や湿度などの環境にもよるが、乾電池で容量が80パーセント以下になるのはだいたい2年と言われている。

また、シュレッダーに使われているモーターや刃なども、環境にもよるが、劣化するものだ。

さらに額と一緒に刻まれた絵は半分だった。なぜ全部が刻まれなかったのか?電池が切れたのかもしれないが、一方で、刻んだ額と一体の刻まれた絵という全体をより価格の高い「商品」としたかった、という思惑もあったのではないか?

記事中にあるように、オークション出品者は出品前に必ず絵や額の状態を詳細に調べるのが普通であり、シュレッダーのメカニズムにオークションをしている会社の人が気がつかなかったとは思えない。

ということは、今回高額落札した人間も共犯者である可能性は高い。落札者は買った価格以上の価格を「半分切り刻まれた作品と額縁」という作品につけることが可能になるからだ。名前はなにがいいだろう?「風船を持つ子供の絵を含む作品」というのは、現代芸術家としては、面白い「作品」であることも、言うまでもない。

そうであったとしたら、この「事件」そのものが、関係者全員による価格吊り上げも含んだ目的を持った「ヤラセ」であった可能性は高い、ということになる。作品、というよりは「ショー・ビジネス」ですね。まぁ、本当のところはわかりませんがね。

 


人間は間違える!事故は起きる!個人情報を隠せ!

このところ、個人情報に関するネットのサイトのセキュリティ問題が非常に大きく報道されることが多くなった。たとえば、Google+というサービスの終了。この裏では、一部のマニアや専門家の間から「Google+は危ない」という指摘が従来からされている。さらに、先日はFacebookでの個人情報流出も表面化した。こういった「セキュリティ事故」は非常に増えた感じがするのだが、これは、報道が増えただけで、実際には以前から流出を疑われる事象はないではなかったし、海外の専門家も多く様々なネット上のサービスサイトの問題点を取り上げてきていた。

もちろん、サイトの中には「いただいた個人情報は使わせていただきます」とはっきり規約に書いてあるサイトもあるが、サービスを無料で受ける見返りとして、「個人情報」は使う側の人にとっても「割の合う提供物」なので、それは認められている。だから、その契約に双方がOKする。しかしながら、自分が想定した範囲外のところ、契約の範囲外のところに、自分の個人情報が流れる、というのは、契約主体のサービス提供側も、そのサービスを受ける側も、「想定外」ということになる。

これは「事故」だから、ということになると、サービスを使う側はそういう事故を想定して、個人情報を出すことを考え直す必要がある。たとえば、Facebookやtwitterなどのサイトでは、アクセスすると、よく「セキュリティのために電話番号を入れてください」というのが出て来ることがあるが、よく画面を見ると、下の方には「電話番号入力をスキップする」などの表示がうっすらと書いてあることがある。こういうときは電話番号入力をスキップしたほうが良い。特に女性の場合は、電話番号をごく親しい他人以外に知られることは、ストーカー被害に会う可能性も高くなるため、こういった電話番号入力は絶対にしたくないだろう。どうしても電話番号入力をしなければならない、という場面になったら、地元の警察署の電話番号などを入れておく、というのも有効だ。どうしても自分の電話番号を入れなければそのサービスが使えない、というのであれば、そのサービスは使わなければ良いのだ。

こういった個人情報をたくさん溜め込んでいる、巨大サービスでも、プログラムを書くのもチェックするのも、人間である。人間は間違えるのだ。ちょっとした間違いでサイトにあるあなたの電話番号が、外部に漏れる、という事故は「ありえる」のだ。

そのため、サービスを利用するときの「自己防衛」は必ず必要、ということになる。

自己防衛の方法としては「性別を偽る」「名前を仮名にする」「住所を違うところにする」「電話番号は自分の電話番号ではないものを入れておく」などの方策がいいだろう。サイトのバグやオペレーションミスなどでの情報漏えいも考えられる他、最初から個人情報の横取りを目的として、悪意を持ってサービスサイトのエンジニアになりすます、という「犯罪」もないわけではない。要するに利用者側から見たら「うちのサイトは大丈夫です」ということを、決して信用しないで、自分の個人情報は偽りのものを入れておく、ということが、「自己防衛」になるのである。

SNSなどのサイトには、個人情報が、誰も予想もしなかった事故で漏れても問題がないように「偽りの情報を入れておく」のは、今や、現在のネット社会を生き抜く「常識」である。

 


 

忘れられた「インフラ」は崩壊するだろう

さくらインターネットの「データセンターの稼働を守るためによくやった」という記事はよく見るんだが、データセンターと一般の人のスマホとかPCとか会社をつなぐ「NTTとかの人、よくやった」ってのはほとんど聞かない。両方がちゃんと動いていて、ぼくらはインターネット使えるんだけどね。さくら以外のデータセンターについても、なにもない。であれば、最強なのは、データセンターと回線の両方を持っているNTTってことになっちゃうわけですよ。実際そうだしね。

今の世の中のインフラの仕組みは、ぼくらとその前の世代の多くの人が作ってきたんですよ。名もない人でもすごい人も多くいたし、今もいる。でも、そういう人にはスポットは当たらない。いや、本人もそれは望んでいないわけだけれども。

でも、インターネットから道路網、鉄道網、電力、水道網、お金に至るまで、今の世の中のインフラの仕組みってのは、どこかだけが頑張っても全然良い影響も悪い影響もない。みんなが協調して動いて、はじめてインフラとして意味が出てくるものばかりなんで、頭が単純な人にはわかりにくくなっているんです。これは仕方ない。複雑な相互の協調システムがさらに複数重なって、。。。となっているから、後からそのインフラに乗っかる人には、なにがなんだかわからないけど、やり方だけは覚えた、みたいになる。当然、インフラ絡みのトラブルが発生したときは、そういう人は「お手上げ」になるんだな。まぁ、そういうことがないように、ぼくらが頑張っているわけで、ぼくだけが頑張ってもダメなんですよ。

ヒーローはいない。そういう時代なんだが、ヒーローがいるほうがわかりやすいので、そうしているだけなんだな。結局、ヒーローも多くの誰かが支える。そして「わかりやすく見せた世の中」が演出されているわけですね。

でも、今みたいに「インフラの仕組み」が複雑なってくると、後継者をそだてようにも育てられない。それまで蓄積したものを、次の世代に伝えられない。そうやって、インフラは崩壊していくんでしょうね、と、ぼくはペシミスティックになったりしている。

そこのiPhoneでどうでもいいことやってる仕事の無いあんた。あんたは悪くない。その前の世代も、当たり前にやってきただけだ。でも、後継者を育てたところで、後継者を支える給料は十分に払えない。日本は貧しい時代に入ったんだよ。