2018年訪日客数

2018年の訪日客数は、国土交通省・観光局の統計資料に出ている。注目の各地からの数字を見て見よう。

総訪日客数は3100万人超。内訳は、大陸中国から838万人(全体の27%)、韓国から754万人(全体の24%)。しかし、観光局の統計では香港が別カウントとなっているので、これを加えると、大陸中国からは1059万人(全体の34%)、と初めて1千万人台となったことがわかる。

米国からは、153万人(全体の5%)。そして、大陸中国(香港含む)+韓国は、1813万人(58%)となり、これだけで訪日客数の60%近くを占める。

しかしながら、全体の数字が大きくなっているので、「大陸中国+韓国」からの訪日客「比率」は、むしろ、少々低くなっている、というのは、面白い。ところで、台湾からの訪日客は、458万人。「大陸中国+韓国+台湾」からの訪日客は、2271万人(73%)。しかし、台湾は人口2300万人だから、単純計算では台湾人の約20%が訪日している、ということになる。韓国の人口は約5200万人なので、韓国では(これも単純計算だが)、人口の約15%が訪日韓国人、ということになる。これもまたすごい数字だ。



進む「量子化」

米国Engadgetのサイトでこのような記事がある。昨年(2018年)の12月の記事だが、日本では注目している人はそんなに多くなかったようだ。一方、2019年のCES(Consumer Electronics Show)では、既に企業の最先端技術関係の会議などでは、一部で「5G」の次の「6G」が語られており、ある企業の講演ではそれは「量子通信になるだろう」という予測も語られている。IBM社は量子コンピュータのインターネット上での公開を行い、2016年には既に通常の無線通信で「量子暗号化」されたデータが中国の通信衛星で実験が始まった。次の時代は既に始まっており、それは現在のITでは想像もつかない「量子(Quantum)」の時代になるのは、確実な勢いである。CESに行って、この事に気が付かなかった人は「なにを見て来たんだ?」ということになるだろう。

量子コンピュータの計算速度は、現在のスーパーコンピュータと言われるコンピュータの約1億倍と言われている。途方もない数字、という感じしか覚えない方も多いと思うが、このコンピューティングパワーの与える影響は非常に大きい。たとえば、現在の「暗号化技術」があることによって、私達は銀行のATMから安心してお金を引き出せるし、クレジットカードも仮想通貨も安心して使えるわけだが、これは「暗号を解くには、スーパーコンピュータで100年かかる」ということがあるからだ。しかし、量子コンピュータの計算速度では、この100年が1分になる。であれば、現在の暗号化の方法では全く役にたたない、ということになる。しかし、希望はある。暗号も量子技術を使う、という選択である。つまり量子技術で作られた暗号は現代の暗号解読計算アルゴリズムでは解けないのだ。そう。ここも「量子」の分野になる。

そして、無線通信も電波ではなく、量子通信で行われることに将来なるという発表もCESの一部であった。であれば、将来は、量子化コンピュータや量子通信、量子暗号化で、量子携帯電話(Quantum Cell Phone – QCP)が当たり前に使われる世の中が来る、と予測されている。であれば、世界のあらゆるデジタル世界は変わっていくことになるだろう。そうであるから、米国の最先端のハイテク技術への投資はこれから量子に向かう。今回の米国政府の量子技術への投資のアナウンスはこの「技術の革命」に端を発している。

電気通信の時代から、光を通り越して、量子の時代へ。このトレンドが世界をどう変えていくか?これからが楽しみである。



         私達はなぜネット情報に頼るのか?

私達は、ネット情報に頼ることが増えて来ているが、それでもまだ従来のマスコミなどのレガシーメディアに頼ることも多い。ネット情報のほうが、マスコミ情報より信頼に足る、という根拠は全く無いわけではなく、やはりあるからこそ、そう言う思考になる。そして「ネット情報に騙された」という人も増えていく。簡単に言えば、かつては情報伝達が地域を超えることがなかったので、噂話や、地域の行政のお知らせなどで様々なことを知り、情報交換の場に行き、情報交換をし、生きていくための情報を共有した。これが「旧旧世代」の「情報交換」であった。

それが世代が変わり、地域をより広域にした一斉の伝達手段であるマスコミが出現した。放送(Broadcast)は「旧世代」の伝達手段の主たるものになり、人々の情報共有がより広域になった。しかしながら、電波も届く範囲が限られており、送信所からの情報伝達範囲には限りがあったが、それを中継所などを使ってなんとか「国家」という広域のレベルにまでしてきたのはご存知の通りだ。これには多大な資本を必要とした。これが「旧世代」である。

現代は、(1)旧旧世代、そして(2)旧世代をさらに超えた次の(3)「新世代」の時代。「世界」を相手にできる情報伝達の時代になった。インターネットが出現したためだ。インターネットというインフラの出現により、国家という「国境ありきの存在」をいつでも越え、かつ低コストな情報伝達手段が台頭しているのが、現代という時代である。結果として「私のところはこんなにいいところですよ」と国家がアピールし、多くの「国民」に国家というショッピングモールに集まってもらわなければ、国家が成り立たない時代になった。国家は「国民(地域にいる人)」「土地」「主権」の3つが基本構成要素である。そのうち「人」が、土地と主権者を自由に選べる時代となった。

早い話、国家が破綻したり頼りがなくなったら、その国家を出るという選択ができるようになった。どこに出ていけばいいか、という情報を得られるようになったからだ。インターネットを扱える機器を経済的に貧しい人たち全員が使えないにしろ、かなり多くの人がスマートフォンやPCで国境を超えた情報を、やりとりができるようになった。その結果、国家を「捨てる」人も多くなる。それが「難民」である。いや、難民がなぜできたか?という、それは「一因」であろう。

私達が住むこの現代社会では、例えば子どもたちは家庭の中で夕食を食べながらスマホをいじり、家庭の外の世界と意思の疎通をしている。目の前にいる親とだけ話をしているわけではない。インターネットは「見える秩序」「見えやすい事象」を裏側から破壊しているように見えるが、そうではなく「見えない事象も含めたものが混ざってきたため、見えないところで行われているものの、人の行動に与える影響力が強くなってきた」のだ。そして旧社会に慣れた人にはその「目に見えない情報のやりとり」が見えず、その大切さも見えない。時代が変わり、大切になったのは「見えない情報伝達」である。それを「見える化」することは技術的に可能だが、それを多くの人が望んでいない。また、見えない情報の「見える化」にかかるコストを誰が負担するのか?という問題もある。

国家の3要素が「人」「土地」「主権」であるのだとしたら、インターネットは「人」「土地」の情報を地球上で全ての人が共有できるので、「主権」の存在感は減っていく。極端な話、主権をいくら持っている政府がいても、「人」がそこからいなくなれば、「主権」の意味はない。これが現代の「民主主義」の姿である。

私達はなぜ「ネット情報」を重要なものと見るのか?おそらく、こういった原理原則に立ち返れば、かつて当たり前だった原理や原則が新しいそれに置き換わっている、ということによるのではないか。私達はいま、その過渡期にいるのだ。

 

 

 


 

 

 

現代のITの姿

たとえば、一般に家庭でも使われている無線ルーターなどでも、その機器単独で動いているわけではないのは、このニュースを見ればわかるだろう。
https://internet.watch.impress.co.jp/docs/news/1163527.html

このニュースを見ればわかるが「製品」は、ネット経由でどこかのサーバーに(それが日本にあるものであるとは限らない)接続され、動作確認をして本動作に入る。逆に言えば、この仕組みを通して、世界中のルーターを意図的に止めることだってできるかもしれないし、止めはしないが、そこを流れるデータが横取りされている可能性もあるし、悪意は誰にもなくても、通信先のサーバーがこのように事故で止まった場合は、その機器そのものが動かなくなる、ということもある。実際、先日のソフトバンクの大規模回線停止騒ぎは、それで起きた。

これが現代の「インターネット」であり「IT」である。相互に世界中が国境を超えてつながっている。このどこが切れても、トラブルになる。

ではインターネットに接続された、どこの機器(サーバーなど)にどういう情報が流れているのか?。実はそれはSniffer(プロトコル・アナライザー)という機器でけっこう簡単に調べることができる。あらゆる通信を、全部丸裸にして調べる機器、ソフトウエアである。現在、それは、無料で、誰でも手に入れることができる。

現代の社会はITで進歩した。お金もその中を通るし、重要な情報もその中を通る。だからこそ、サイバーセキュリティは重要になったのだ。



新年ではあるけれども

新年ではあるんだが、個人的に「喪中」なので、お祝いの言葉は控えているんだが、ここ20年以上の世界を見ると、やはり「時代の変わり」を感じるんだね。たとえば、SNSで「あけまして。。。」を言うじゃないですか。そうすると、それは誰が言っても、世間一般のけっこう多くの人が見るわけで、また、見られるわけでね。今年は特に自分が喪中であるんだが、そこにも「新年のお祝い」のメッセージは来ちゃうわけですよ。こちらとしては「コノヤロー」って思う人もいると思うんだね。ぼくは「まだ新しい仕組みと古い仕組みが齟齬をきたしているから、しょうがないかねぇ」と、思うだけなんだが。

SNSで年賀のお祝いを言うのと、個別に年賀はがきを出す、というのとは全く違うわけですね。自分の発した言葉が、誰が見ているとも限らず、わからない。だから、気軽にSNSで年始の挨拶をするのと、はがきでするのは違うってことなんだが、なかなか旧社会の感覚が抜けないから、ついついやっちゃうわけですね。

つまりさ、このところいろいろな問題が出てきているネット社会のことなんだが、こういう「旧社会のしくみ」と「新社会のしくみ」が、いま、火花をちらしているんだろうな、と思うわけですよ。そういう時代なんだね。

自動運転車が実用になったら、いや実際には実用化しそうだけれども、もう「運転手」という職業はなくなりはしないけれども、まぁ、絶滅危惧種になるわけですね。ガソリン車の常識もEVでは全く必要なくなるし、様変わりをするわけですね。フェラーリとかランボルギーニなんてのは「富の象徴」であるわけだが、これからの社会は「まだそんな骨董品使ってるの?」って言われるようになる。つまり、ウケるのは骨董品趣味の人たちの間だけだな。であれば、次の世代は移動手段はどうなるのか?ってのは、まだよくわかっていないし、一般化もしていない。でも確実に時代が変わることだけはわかる。

クルマも一例だが、宗教、政治、そういったところにも、旧社会と新社会のバトルが現在行われていて、旧社会がそれに勝利すると、その地域や人は世界から隔離された状況に置かれるんだね。ほら、昨年末に、文明を持った探検隊が、未だに外との交流を拒否している社会に入り込もうとして、殺されちゃった、って事件があったでしょ。そういうようになるんだよ。旧社会を守るとは、つまり、そういうことなんだな、というのが、わかりやすく見えるよね。だから、新社会が必ず勝利するわけじゃなく、旧社会もポツポツと社会全体の流れから置いて行かれる、というかたちで忘れられていくわけだね。それがいいことか、悪いことかは、誰もわからないんだけれども。