引きこもり=仕事がない

40歳から64歳の人の引きこもりがなんと61万人もいる、という。しかし、これは、時代が変わった、という認識が無いための「間違い」であろう。

今回の「引きこもりであるかないかの基準」は「長期間、自分の趣味などの外出以外は外に出ない・人に会わない」ことである、という。

だいたい、 人が意識的に行う行動は、

  1. しなければならないこと
  2. したいと思ったこと

の二つが動機のものしかない。

であれば、ここで言う「広義の引きこもり」は、「(生きていくために)しなければならないこと」が無く「したいことしかやることが無い」ことを意味すると言うことだから、「仕事がない」という事であるのは明白。つまりこの61万人は、統計的な意味で「中高年の失業者」ということだ。そして、この「分け方」「価値観」は「やらなければならないことは、いやいや、やること。それが仕事」という大前提がある。

しかしながら、私とかのように「楽しいことを仕事にする」「どんなことも楽しんでしまう」人間にとっては、自分のどういう行動がお金を産む「仕事」になるか、明確に分かることは、多くない。やりたいことをやっていたら、気がついたら少々は稼げていた、というのが、本当のところだ。

つまりこの「広義の引きこもり」というネガティヴな価値評価を産む定義の前提となる、社会観そのもの(中高年は基本的に仕事があり、稼ぎも良い。でも仕事は義務であって面白いものではない)が、私の場合は当てはまらない。そして、私の周辺にも、多くの同じような人がいる。もしも私と同じような考えの人間が多ければ、この統計基準の前提となる「価値観」「職業観」そのものが、既に古色蒼然とした、今となっては「縄文時代」とも言われる(ぼくが勝手にそう言っている)、「高度経済成長期」のものである、ってことではないかと思うんだな。

実際のところ、この統計のベースとなる価値観は既に多くの場で失われているのが、今の日本の普通の社会だろう。つまり、この統計の基準となる「社会の把握」において、政府は世の中の流れについていけていない、と言われても、反論はできない。あの時代は二度と日本には戻ってこない。

日本人は「働かない」のではなく「仕事がないから働く場がない」のだ。当然、日本という地域でのGDPは下がるに決まっている。しかも、景気の良かった時代は「営業をせずとも仕事が降ってきた」時代である。「面白いこと」を探す暇もなく、多くのビジネスマンは生きてきた。むしろ、自分の好きな事に熱中するのは、仕事の邪魔になるから、良くないことだ、と子供の頃から叩き込まれて育った人も多い。

「そういう日本人」が、この時代になって「仕事がない」「仕事は自分で作るものだ」というところに放り込まれたのだ。当然「(やらなければならない)仕事」なんてものが無い時代なのだから「好きなことを仕事にしろ」と言われても、できるわけもない。そういう訓練をされてきていないからだ。

日本に限らないが、仕事をする人が増えないと、税収も増えず、ときの地域政府は苦境に陥る。しかし、人々が働かないことを、その地域の人に責任を転嫁はできない。もともと、かつては多くの仕事があったのに、今は仕事が無い、という地域なのだ。仕事が溢れていた時期の基準や考え方で、全てを判断するのは、頭の柔軟性を失った、と言われても仕方ないだろう。

30年前のコンピュータ業界って?

もう30年以上も前の話ではあるけれども、ぼくらがいたのは、ITという言葉も無かった黎明期だった。世界中がこの「コンピュータ」という新しい分野で沸きかえっていて、でも、新しいので、古い人の持っている歴史や知見が全く役に立たなくて。だから、コンピュータをはじめた自分たちの前には「先人」「先例」「業界のボス」なんてのはいなかった。

知的な仕事ではあったが、創造性も必要で、なにがなんだかわからないものと、対峙してなんとかものにする、という、現場で生き抜く体力も必要だった。みんながピカソか何かのような、泥にまみれて仕事をするタイプのイキが良くて創造性のある「芸術家」のようなものだった。

だからといって、体力だけでなんとかなるものでもなく、知的な仕事でもあったから、学歴のない人間には、コンプレックスだって普通にあった。でも、学歴が評価の基準にはならない世界だった。なにもかも、自分たちがやっていることが業界では初めてで、その後に続く人たちの扱う標準になっていった。

結果として、先生と生徒の人間関係とか、学校での成績とかがモノを言う世界ではなく、実力だけが評価された社会だったので、若くて頭が柔軟で体力のある人間には、楽しくてしょうがない世界だったんだな。しかも人の役に立つモノを作っていた。こんなところで若い人間が仕事ができる社会は、いま考えてみれば、当時だって、本当に珍しい。

しかも当時の日本は経済的に豊かで、社会には使えるお金があふれていた。新しいものに投資する意欲も、どこにでもあった。時代的な時間軸においても、場所的な意味においても、あの当時の日本という地域は、ITというハイテク世界に関わる若者にとって、ベストポジションの1つではなかったかと思う。

自分として振り返って今思うのは、そういうところに若い時代を生きた機会を持ったのは、本当に幸せなことであり、ラッキーなことだったんだな、と、今さらながらに思う。

ただし、それから20年も経たずに、日本という地域は没落への道に迷い込んだ。ITの世界も時が経ち、古い権威が幅をきかせるようになり、有象無象の儲けたいだけの守銭奴があちこちでこの業界に入ってきて、今に至っている。ITといえばビジネス、という感じの社会になってしまった。結局、今でもぼくはその真ん中や端っこにいて、今はこの業界と墓場までつきあって、その最期を見届ける、そういう役目を天から仰せつかったような気がしている。

30年前は懐かしいが、戻ってくるわけではなく、これからどうするかを、全く先人が考えもしなかったことで、やっていかなければならない世の中になった。自分で考え、自分で道を切り開くことが、嫌でも必要になった。

「ぼくの前に道はない。ぼくの後に道はできる」っていうのがあったけど、気がついて見れば、そして、計らずも、それをこれまで地でやってきた感じがある。


資本主義の静かな裏切りもの

マクロ経済から解き明かしても日本人は何故自分を変えようとしないのか?日本という地域は明治時代以来の西欧化・経済成長化で、経済発展をしてきて、そのゴールたる1960年代から1970年代までは、仕上げとも言える「高度経済成長期」を持ち、石油ショックを皮切りに始まった経済下降の時代にもその時にした「貯金」で食いつないでいる。これは、日本人なりの場当たりな身の施し方であり、それはそれで合理性はある。貧乏になっても食えればいい、それもできなければ、死んでもいい。という考え方である。

日本という地域では、経済成長や生活水準の維持という「積極的な動機」そのものが西欧諸外国に比べて、欠如している。だから「日本は特殊」というのは、当たっている。そして、それは資本主義諸外国の価値観とはやはり一致しにくい。

「成長できるのになぜしないんだ」とこの方は言っている。同じように「厚切りジェイソン」にも同じものを感じる。彼は「日本人の働き方は効率が悪くても平気でいるというのが信じられない」と言っている。日本という地域に住む人は、一方で明治以来の資本主義を目指し、一方で資本主義とは相容れない「滅びの道」の信奉者でもある。前者は明文化され数字で答えを求めるが、後者は前者の社会から見れば「異教徒」となる。

以前流行った、米国から来た、BeYouなどの「自己啓発セミナー」で面白いエピソードがあった。日本のセミナーでは必ず「積極的落伍者」が当たり前に出る、というのだ。数人しか乗れない救命ボートに自分は乗る権利を得たが、どうするのか?という集団思考実験なのだが、自分の命に積極的ではなく、自らその生存の権利を手放し他人に譲り、自分は船に残って死を選ぶ、という人たちが、必ず一定数、日本のセミナーでは出る。究極の場面において「生への積極性」を放棄することによって、自らを犠牲とし、美化もせず、積極的に生きる意志を放棄することによって生きるということで起きる苦難を終わらせ、自らの心の安定を得る、という考え方である。

おそらく、そういう考え方はアジアの他の地域でもある。つまり、考えられないほど貧しく、生きているということ自身が苦痛である、という、そういう生を受けた人が多い、というのがその原因であろう。

この考え方は、西欧的な「生きることは人間の全てである」という考え方とは相容れず、従って人間というものに対する根本的な認識が全く違う。自己啓発セミナーでは、セミナー中にそういう人が認められた時点で、そういう人にはセミナーの会場から出て行ってもらうようにしている。

「あなたの判断はおそらく正しいが、このセミナーでみんなに共感してもらおうとしている認識と、あなたが持って生まれた認識とは、全く違うので、ここでのセミナー参加はあなたのためにならないので、やめましょう」と、中途退場をさせるのだ。これが、西欧から来た「人格改造セミナー(自己啓発セミナー)」の限界であり、おそらく西欧的な生死観と日本的な生死観の根本的違いが顕在化する場面の1つである。

当然ながら、そう言う人の一かたまりがセミナーの進行に良くない影響を与える事も多い。セミナー主催者にとっても、セミナーの最初から最後までセミナー主催者が参加者に対して植え付けようとしているものに対する、地域土着の異分子や積極的アンチテーゼは邪魔でしかない。

もしも、セミナー主催者のそれよりも、日本の土着な思想勢力が強力な力を持つ場面があったら、セミナーそのものが成り立たないことも考えられる。ましてや、その異分子の行動が自然な形で多くの人の共感を誘うようなことになれば、商売としてのこういったセミナーは全く成立しない。セミナービジネスが一瞬にして崩壊することだって、ないわけじゃない。

日本においても「企業」は西欧から入ってきた仕組みであり、その目的は大きく「企業と言う組織の存続繁栄であり、構成員の存続繁栄」である。従って、「生きること」「生を謳歌すること」が、企業存続の根本にどうしてもある。しかしそれに馴染まない社員も日本では多く、それらを「矯正」して、企業の目的に合った人間にするのが、これらのセミナーの目的だが、日本ではそのセミナーでさえ、多くの「落ちこぼれ」が出る、と言うのが、このエピソードの示すところだろう。

いやまぁ、ぼくはと言えば、そう言うセミナーに呼ばれた時は、その辺りはみんなわかっていた上で、さっさと最初の時間だけ見学して、お金も全額払った上、適当に楽しんで出てきただけなんだけどね。ごめんね。セミナーに呼んでくれた人。でも、楽しかったですよ。

日本という地域は、明治から第二次大戦後に至る時代で、西欧的価値観を受け入れて爆発的な経済成長を遂げ、多くの蓄えを得た。西欧的な思想や哲学に乗っかり「バナナ(外は黄色い-[黄色人種]が、内側は白い-[白人])」と言われるまでに自らを変え、東洋の端っこの辺鄙なところにありながら、西欧の一部と言われるまでになった。その後、世界経済が停滞を始める時期に向かっての下り坂には、用済みとなった西欧的価値観をあっさりと切り離し、一人下り坂を黙って緩やかに下っている。おそらく、これは、無意識に行われている、日本という地域に住む人たちの、当たり前のやり方であり、自らが生きていくための、西欧的な価値観への静かな裏切りである。

前のリンク中の「日本の経営者の考え方が変わらない限り。。。」は、正しい。しかし、それに習わない経営者がなぜ多いのか?その答えはきっと、そういうことなんだろう、と、ぼくは思っている。

資本主義を謳っていながら、また、西欧社会の一部とほとんど思われながら、その心根は異教徒である。それが日本という地域だ。そして、資本主義の衰退とともに、裏切りは顕在化していくだろう。

「翔んで埼玉」という「バブルの残り火」

この「翔んで埼玉」という映画の「差別」の相手が「岩手県」であったら、それはおそらく、「田舎者」と言えば東北弁で喋る、というテレビなどで使われるリアルすぎる差別表現となってしまうので、コメディが成立しなくなってしまう。日本における「差別」とは、山本七平がかつて喝破したような「空気」「当たり前にそこにある、崩されざる前提」のことである。「埼玉」のような「コメディとして笑って見ていられる」ものは、「自嘲」で許される程度のものでしかない。

この映画はあくまで商売としてのコメディの成立を前提とした「埼玉ネタ」の扱い以上のものではなく「差別の告発映画」ではないのだから、その程度のものだ。興収10億を短期間に稼いだという意味では、個々のビジネスとして成功と言って良い。昨年の「カメ止め」も、ビジネスとして成功したが、こちらも映像製作者自身の「自嘲」がベースになっている。

いま日本という地域の経済は、下降の真っ最中であり、ごく近くの過去にあった、繁栄の時代の残渣を貪り、その最後の残り滓のサーベイに忙しい。「日本すごい・日本万歳」「バブル時代の懐かしさ礼賛」は下り坂の日本という地域に住む日本人の悲鳴にも聞こえる。

バブル時代に「埼玉」への差別のようなものを戯画化した魔夜峰央という作家の目の付けどころは、バブル時代に都心だけでは都市の住宅需要が追いつかなかった東京という地域において「都市郊外」としてのホワイトカラーの供給基地として発展をはじめた「埼玉」という地域の振興と大きな関係がある。

彼の寄って立つところは、パタリロから始まる一貫したギャグの道具としての、小リッチ層(昔の言葉で言えばプチブル)の成立そのものの振興住民に対する「小差別」の利用だが、この「ギャグの道具」としての「小差別」と「自嘲」は、「ブスは通りを歩くな」というたけしのギャグの成立ににも底通しているものがあると思うのは、私の考えすぎだろうか?。

「成金」を嗤い蔑むことによって、たいして歴史もなかった「日本の明治エスタブリッシュメント」を相対的に永久なものとして「空気」の一部とすることに成功した、戦前の歴史の、それは繰り返しである。

明治から昭和にかけての「発展」が終わりかけているこの時期において、これらはみな、崩れゆく日本という地域の経済の中にある庶民の「ええじゃないか」と同じ現象の現代的表現であるようにも、私には見える。

日本社会の経済的成功からの転落の時代の一コマに「埼玉」は相応しい題材に見える。笑って見ているその観客の笑いのツボがどこから来ているのか?という「内省」などというものは、いつの時代の庶民にも、所詮は無かったものではあるのだが。

斜陽産業は元に戻らない

鎌倉市・川喜田映画記念館に行ってきた。ここの川喜田という名前を知らない人も多いだろうが、戦前からある洋画(映画)の配給会社である「東和」の創業者のご夫妻の、鎌倉の邸宅をそのまま使った映画の記念館だ。昭和の時代、映画館で洋画を見ると「配給・東宝東和」と出ていたのを思い出すが、あの「東和」である。要するに、もとは日本の映画産業の一角に大きな地位を占めた「東和」の創業者の邸宅である。それを「映画の記念館」としたものだ。

とは言うものの、最近は「映画」というと映画館で見るものではなくなり、テレビの「なんとかロードショー」で映画を見る時代も遥かに通り過ぎ、NetflixとかAmazonとかでストリーミングの、メジャーではない、その映像会社のためにオリジナルで作った映画を、カウチポテトとかで、タブレットやスマホなんかで寝転んで見る時代である。隔世の感があるが、映像エンターティンメントというのは要するにそうなっていくのだろう、としか言えない。

古い時代をぼくも知っているし、映画館での上映前のワクワク感なんてのは、それはそれで思い出すと楽しいものだが、映画館で見る映画以上のものが、手元のタブレットで見られる時代であると同時に、スペクタクル映画のようなものも、今やコンピュータグラフィックスで作るものであり、さらに、それが作れるコンピュータもかつてはスーパーコンピュータだったものが、今やネットに散らばるクラウド環境でクラスタリングを行えば、別にカネのかかる環境でなくてもいい。映画製作のためのソフトウエアも低価格のものがたくさんある。

「配給・東宝東和」の時代は、既に縄文時代や石器時代の話になりつつあり、映画製作もITで安価に行うから、人を集めて見てもらうのに多大なカネを集中して掛ける必要もなくなってきた。「映画」のありがたみがあった時代というのは、映画製作の時点から大衆化・ローコスト化できなかったし、そういう資本を集められる、世界そのものが「好景気」な時代であった、というのがよくわかる。

テレビのドラマでも無名の役者を集めた学校ものがヒットする時代である。「スター」がいなくても、ドラマというビジネスがかなり低いコストで成立することがわかってしまった。それは映像エンターティンメントの「大衆化」の一部である。

いま、世界は貧乏になったのであり、それに見合った形でデジタル化・インターネット化が進んだのであり、それだけのことであり、まぁ、懐かしい時代を顧みても、同じ時代は再びやってこないのだ。

そして、ぼくはその時代の変わりの最先端で仕事をしてきたと、今でも思うし、今もそうしている。おそらく、ぼくだけではなくて、世界で同じような仕事をしている人は有名無名含めて何万人もいて、そして次の時代を作るのに、精一杯やっているのだ。

映画は大衆芸能としての役割を終えた。そして、その「懐かしい時代」の残渣がこの記念館にある。それは、時代を超えられなかったエンターティンメントの成れの果てであるのと同時に、そういう時代を超えられたもののなんと少ないことか、ということにも思いをはせずにはおれない。

やがて、テレビもその大衆娯楽の役割を終えるときが来るのだろう。そう思って、滅びゆくものの哀れを思いつつ、同館を後にした。朝から降っている雨はやまない。



ICTと人間のConflict

さる高名な日本の航空工学の先生に直接質問したところ「航空関係でもコンピュータと人間の判断が食い違った場合などの研究を専門にしている研究者はいない」とのこと。

コンピュータと人間のConflictは起こり得る事態であり、現代のシステムでは航空工学に限らず、あらゆる場面で多くの人の命に関わる可能性がある、重要なテーマである。

人工知能で様々な分野の人命に関わるICTが否応なく使われようとしている現代、「ICTの判断と人間の判断のコントロール」は「ICT危機管理」を研究する分野での主要なテーマの1つとなる必要がある。この問題意識そのものが世界的に現在無いのは、ICTが「便利な道具」としてしか認識されていないことによる。

新しい時代のICTは自動運転車なども含め、新たなこの分野を追求することを、組織的にかつ広範に行う必要がある。今後は航空だけでなく、医療関係や自動運転など多くの広範な分野で同じような問題が起きる、とぼくは断言しておこう。