9―3÷1/3+1=?

ある部品メーカーで、表題の問題を出したら、正答率が低かった、ということで「嘆かわしい」と、問題になっている

ぼくは思うのだが、この正答率が低かった、というのは、出題者が悪い

9 – 3 ÷ 1 / 3 + 1

という式は、レベルは低いながらも「意地悪な引っかっけ問題」であって、実用にはまるで役に立たない。むしろ有害だ。これは人の能力を見るための試験ではなくて、「いかに意地悪をかいくぐるか」という試験。こんなことばかりやっていては、日本をダメにするのは当たり前だ。そしてダメにする張本人はこういう問題の出題者その人だ。仕事で成果を上げるためには仕事に必要な勉強をしなければならない。しかし、こういう問題は受験者にとって「試験に合格するためにする試験の勉強」、出題者にとっては「合格者を減らすための出題」になっている。はっきり言って仕事とは関係がない。こんな試験そのものが、仕事ではなく、単なる陰湿な出題者のいじめだ。

ぼくらは小学校の低学年で分数を習うとき、

「1÷3」と「1/3」の結果は同じです、と習う。つまり、「1/3」は計算式として習うのが最初だ。後になって、「1/3」は「計算式」ではなくある数値の「表現」である、と習いなおす。つまりぼくらは、最初の計算式を、

9 – 3 ÷ 1 ÷ 3 + 1

と、読みなおして計算することを覚える。四則演算の規則では、

  1. 積・商を求める計算と和と差を求める計算が混在したときは積と商の計算が優先される。
  2. 積と商が重なった計算の場合は左側から計算する。

と言う規則を習う。つまり、この計算の答えは「9」となる。しかし、「1/3」が、1÷3という計算の結果ではなく、1/3と表現される「値」の表現であるとすると、この式は、本当はカッコを使って書き換えられなければならない。「値」は演算ではなく演算の前に「あるもの」だから、演算よりも優先されて値をもとめなければならない。これをあえて計算式に書き直すと、カッコを付けて誤解の無いように書く必要があるから、以下のように書き換え、計算して値を求めることことになる。つまり答えは「1」である。

9 – 3 ÷ (1 ÷ 3) + 1

仕事の現場で、こういう「意地悪」をすることは許されない。仕事の現場では仕事で係る人間にも様々な教育レベルがあることも考慮しなければならず、それでいて、その人の間の情報の受け渡しに誤解があったりしてはいけない。だから、最初の式のように、分数と整数を混ぜた式でわざわざ教育レベルが違う人間を混乱させるような「表現」は、本来はしてはいけない。

だから、正答率が低いのは、こういう仕事になにも役立たないような意地悪なことを出題して得々としているバカな出題者のせいである。本来であれば、ちゃんとカッコを使い、だれでもわかる表現で正答が求められる式をどうやったら書けるか、ということを教育することのほうがはるかに大切だ。仕事場で行われる試験は「仕事をスムーズに行うことに資する試験」でなければならないからだ。この冒頭の試験問題を出した出題者は「試験のための試験」にしか興味がないから、おそらく仕事なんてどうでもいい、と思っている人生の敗残者みたいな人なのだろう、と想像できる。

「なんのための試験か」が忘れられているいい例である。

なぜこういうことになるのか、というと、日本では暗黙のうちに「こう考えるのが正しいのだ」と理屈抜きに教える、というやり方が「勉強」だと思われてきたからだ。正解は先生の言う1つしかなく、生徒が自分の頭で考えて違う答えを出すと、ちゃんとした理屈も言わずに(実は先生自身がわかっていない)「こうだからこうなのだ」と言う。それを当たり前だと思って長い間日本人は「教育」されてきたからだ。自分の頭で考え、自分の正解を持つ、ということは「悪」とさえ考えられてきた。しかし、世の中は変わり、日本の中で外国人を見ない日はなく、外国に行くのも当たり前になった。いま、そんな時代には、日本の常識だけで物事を考えることが非常に危険な時代になった、と思って良い。もしもまだ、日本の常識はこうなのだから、それはそれで良いのだ、と思っているとしたら、それは日本人の死の前兆である。自分の頭で考える、ということは、それほど大事な時代になったのだ、と、私は思っている。

 

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