「保育園落ちた日本死ね」は「日本死ね」に重点があるんじゃなくて「保育園落ちた」に重点があるんだよね。

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国会でも大きく取り上げられた「保育園落ちた日本死ね」は、いろいろなところで議論があるようだが、気をつけなければならないのは「日本死ね」は、「おまえのかーちゃんでべそっ!」みたいなもので、母親が本当にでべそであるかどうか、を議論するのは、的が外れている、ということだね。重点は「保育園落ちた」であって、そのときの「気持ち」を表現したのが「日本死ね」であって、本当に日本が死んで欲しい、と、この人はまず望んでいないと思うのね。

「保育園落ちた」という裏には、当然日本の子供を育てる環境を作るべき日本の政府の利益配分への怒りがあって、その怒りが過剰とも言える表現の「日本死ね」につながっていると思うのですね。ほら、子供の喧嘩と同じだよ。

まぁ、こんなことをわざわざ言わなければならないほど、日本という地域では「人間の表現」とか「その表現の受け止め方」に大人げないところがいっぱいできたと思うんだな。「たとえ」「パロディ」みたいな微妙な表現を楽しむ、という、そういう文化がなくなってきちゃったんだね。だから、最近はぼくもこういうことを書くときはすごく気をつけている。たとえば、直接的に言えば、「おまえ、頭悪いな」って言いたいところを、相手を傷つけないように、という言い方をするために「問題はそこではなく、こういうところにあるんですが、そのことはおわかりでしょうか?私としては、貴方様にありましては、そういうことを理解されることが、まず必要と思いますが、おそらくそこをわかられていないから、これが理解できない、ということになると思うのですよ。貴方様においては簡単なことで、おそらく、ちょっと忘れてしまった、ということだと思うんですよね。だから、ここを理解して、再度本文をお読みいただければ良いのではないかと思うのです」などと、まわりくどい言い方をする、ってことがよくある。いや、それを楽しむ、ってこともないとは言わないけどさ。

人の言葉での表現というものは、非常に微妙なものだから、こういうことが起きる、ってだけのことなんだけどね。言葉の裏を読む、ってことも、だんだんできない人が増えてきたのかな、と思うわけです。


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