やっぱり「すべての人に」プログラミング教育は必要?

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以前、ぼくはこういう記事を書いたのだが、相変わらず、プログラミング教育はすべての人に必要だ、という話があちこちにある。まぁ、多勢に無勢だから、ぼくの言ってることは少数意見なんだろうな、とは思うのだが、ぼくも日本の高度経済成長期に大きくなって、「日本人はみんなこうしなければならない」みたいな教育をいっぱい受けてきたから、まぁ、そういうことってあるんでしょうね。でも、日本の公教育でも「落ちこぼれ」の問題がかつてあったんだね。つまり、授業についていけない子供がいっぱいいるんだけど、どうするの?みたいな話ね。

日本の政府が主導して行う公教育ってのは、そのときどきの世界の情勢にあわせて、国というまとまりの価値をいかに最大限にするか、という観点を中心にして行われているのは、言うまでもないわけで、ぼくが子供の頃ってのはまさに工業生産の時代で「高度経済成長期」だったから、要するに工場の工員をいかにたくさん作るか、っていう教育だったんだな。で、ひと握りの優秀な奴は「工員」から昇格して「現場監督」ができるように、っていう程度の教育だった。子供心に「あぁ、ここじゃおれはやっていけんなー」と思って、学校の勉強がつまらなくなったんだな。高校では英語で赤点とったし。それでも、ぼくは韓国で大学教授したんだな(しかも英語で教えていた←信じられん)。人生ってわからないよな、と思うわけですよ。あ、脱線。

でも、出席だけはちゃんとして、学校は大学まで卒業したけどね。当時は同年代の「大卒」って、その年代の1/3はいたんだな。だから、まぁ、こんなもんかいな、でも、世の中変わったら大変だし、その気配もあるよなぁ、と思ったので、まだほとんどの人が手を付けていなかった、コンピュータを始めたんですよ。主に大学出てからだけどね。コンピュータと通信についてはインターネットがまだなかったうちから事業にした。そのうち、インターネットの時代、ネットワークの時代になったから、まぁ、そろそろ最先端はいいや、って気になったこともあったね。ぼくが「もういいよ」って言いはじめると、世の中で流行るんだよ。まったく、最先端を走るって、こういうことだよな、とか自分で納得したりするんだけどね。手前味噌ね。

で、本題の「プログラミング教育」の話だが、「すべての人に」というと、必ず向き不向き、って出るし、それが人間の個性というもんだし、落ちこぼれ(前は意図的に創りだしていたから「おちこぼし」って言い方もあったんだよなby遠山啓先生)も当然出てくる。こういう負の部分を語ってなお、「全員にプログラミング教育を」というのは、なにかしら、他の意図があるんじゃないか、って勘ぐっちゃうわけですよ。かつての公教育のときは「おちこぼれ」と言われる人は意図的に作られた、という面もあったわけですよ。だってさ、全員が成績優秀じゃ困るわけですよ。現場の社会ヒエラルキーが作れない=組織のまとまりを作れない、からね。だから、「わかりやすい、誰にでもわかる教育」って、あまり広まらなかった。これが日本の教育の本音と建前なんだな。

ということでね、「全員にプログラミング教育を」ってのは「プログラミング教育」に力点があるんじゃなくて「全員に」に力点が置かれているんじゃないか、と、ぼくは勘ぐっているのね。つまり、日本の教育における新しい組織の秩序とそのベースになる価値観=序列を作ること、を、本当は意図していて、それを隠しているんじゃないか?ってことね。結果的に必然的に「落ちこぼれ」ができて、「序列」ができて。。。。という、戦前から戦後まで日本人は変わらんねぇ。

とは言うものの、世の中は全体的に価値観多様になったのは日本だけじゃないし、人類の発展も全くパラダイムの違う多様な価値観の中からしか生まれないと思うんだよね。だから、いまさら、組織のヒエラルキーを作っても、それがあまり意味を持たない時代になったんだな。でも、それまでの時代の優等生はそうは言われてもなにしていいかわからないし、自分の信じてきたものを否定されても困るよなぁ、ってことで、「ゆとり教育」って言って、これまたまるで新しいパラダイムシフトなんかわかりようもない現場に丸投げしちゃって、教育現場がワケワカになっちゃったんだね。教育は大切ですねぇ。

ぼくもこれまで人並み以上に多くの人にコンピュータのプログラミングを教えてきたけど、人って個性ありますよ。その個性にあわせた教育が日本という地域の発展を作るんじゃないか、と、ぼくは思うけどね。だから、プログラミング教育ごときで、自分の人生を考えないでほしいな、と、ぼくは思うわけですよ。

「おれ、BASICの成績悪かったから、地元の高校進学できないかも?って思ってるんだよ」

なんてのは、やめたい、ってことだね。そうやって若者の自信喪失を誘導しても、日本国、地域にとって、なにもいいことはない、と思うんだよね。Aの道もあるけど、Bの道もあるよ、って示して、本人に自信をつけてあげて、生きる力を沸き立たせるのが、本来の教育ってもんだと思うんだけどね。ぼくはね。