「科学者冥利」は別のところにあるんだよ。人間社会の中にはないものなのね。それはね。

P1000577この方のBLOGで問題とされていることは、日本のみならず、世界にとって、とても根が深い問題なんですよね。前のSTAP細胞騒ぎのときも本質的には似たような話があちこちにあった。新聞記事での大隅先生の話と、新聞記者の質問が噛み合っていないのがよくわかる。「研究」の世界と一般社会のギャップというものが端的に示されたもののように、ぼくには見えるのですね。

大隅先生のノーベル賞取得時の新聞記事のなかで、大隅先生は、

今、科学が役に立つというのが、数年後に企業化できるということと同義語になっているのが問題

と、語っている。STAP細胞の騒ぎのときもそうだったが、ここにはマスコミ人にかぎらず「研究者ではない人」と「研究者」の大きなギャップがある。

研究というのは、興味があって、面白いからやるものなんだな。それがなにかの役に立つからやっている、というものではない。しかし、今の世の多くの研究者ではない人たちは研究というものはなにかの役に立つからやっているもの、と思っているのが普通だろう。もちろん、研究の中にはそういうものもあるが、大隅先生のやられているような基礎研究分野ではその目的は「世の役に立つものを作ること」ではない。あくまで「興味があるからやっている」ものなんですよね。そして、その研究は人間という種が自然の中で知ることができるフィールドを広げるものになる。人間が生きる場所をこの世に増やしていく、という、そういう意味が研究にはあるんだが、それ以外の意味はない。そして、研究というのは、そういうものなんだね。

一方、マスコミにいる人はそういうことが分かる人が非常に少ない。「科学」と「技術」をいっしょくたにして「科学技術」と言って不思議とも思わない、と言う人がほとんどだろう。「技術」というのは、ときには科学の成果を使って、人間の役に立つことをする、ということだ。例えば医療は技術だが、これは医学という学問の成果を使う。しかし、医学が100%人間の役に立つことを研究している人ばかりであるか、といえばそうではない。命の不思議、自然の不思議。それを探求して、人間が自然と交わる場を増やしていくのが、特に自然科学の研究者の人間という種に対する役割であって、人間社会でのビジネスと、それは直接の関係はない。人間社会のビジネスと直接関係するのは、「技術」ということになるんだな。だから、大隅先生もインタビューに答えて「役に立つのは100年後かなぁ」と言うのだ。役に立つ保証はもちろん「ない」。

そして、研究者ではない人は「技術」しか目に入ってこない。研究者ではない人にとって、「技術」に使われている「研究成果」はその小さな窓からのみ、認識できるに過ぎない。人間社会と人間社会をとりまく「自然」についていつも考え、興味を持ち、自分という人間がいかに自然の中に入っていけるか、という仕事をしているのが「研究」という仕事である。その研究が自然の一部でもある人間自身に向いているものを「人文科学」と呼び、人間以外に向いているものを「自然科学」と呼ぶ。どちらも興味が尽きない、面白い研究になる。なぜならば、人間が知っていることはまだまだ少ないからだ。人間が人間自身について知っていることなんて本当に少ないし、それ以上の大きさの自然について人間が知っていることなんてのは、当然だが、更に少ない。

現代という時代は、人間社会の中の「ビジネス」が多く語られる。しかし、研究というのは、ビジネスではない。大隅先生の言いたかったことは、そういうことだ。しかし、多くの研究というものを知らない人には、このことはまるで理解できないだろう。

 


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