「無人レジ」に感じること

日本の各所で「無人レジ」が広がり初めている。なぜ無人レジが必要になったかというと、どのニュースの説明でも、必ず出てくるのが「人手不足」である。日本では単純労働をする人がどんどん減っている、というのがその理由とのことだ。そして、コンピュータも発達し、人間の代わりができるようになってきた、という「技術の発達」も、その理由に使われる。しかし、なにかその理由には足りないものがあるのではないだろうか?

無人レジが成立する、ということは、人間の仕事というものが、機械で置き換えができるほど、劣化した、ということは言えないだろうか?

たとえば、獲物を全速力で追いかけるヒョウやライオンは、ただ食べ物だけを得るためだけに走っていて、それだけだろうか?おそらくその行為自身に、生きる喜びがあるんじゃないだろうか?そういうものが「労働の質」と言われるものにならなかったのは、現代の人間の不幸なんじゃないだろうか?

たとえば、作曲家という仕事は音を繰る技術だけでは成り立たない。それは最低限の「技術」であって、その上に、どんなメロディを作るか?というのは、その作業に喜びがあるものでなければ、その曲を聞いた人の心にも、音楽は響かないだろう。レジ打ちの仕事だって、やっていくうちに熟練していけば、レジを打ちながら、お客様との会話も楽しくなることがあるだろう。人と人が相対してコミュニケーションをすることが、喜びになるだろう。あらゆる仕事というものは、投資効率だけを考える考え方だけでは割り切れないものを持っている。それは人間が生きていく手段であると同時に、仕事そのものに、生きる喜びがある、という、そういうものだ。それを「労働の質」と言ってもよいだろう。

この「労働の質」を問うことが、そろそろぼくらには必要になっているのではないか?

 


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