JUICE-NETを知ってるかい?

普段はあまりしないのだが、昔の話をする。

JUNETとともに、日本のUNIXネットワークを一緒に作ってきた「JUICE-NET」。JUNETが学術の分野でのUNIXネットワークの嚆矢であるとすると、JUICE-NETは民間でのそれであった。私も少しだけだが、会長をしたこともあった。村井純先生には、顧問をお願いした。そのJUICE-NETの初期のメンバーの池田浩隆さんの訃報を知ったのは、不覚にも、さっき届いた「喪中はがき」によって、だった。読めば73歳、とある。まだ若い。まだまだ。いや、事実はしょうがない。あの静かな微笑みで「ぼくは化学屋なんですよね」という、あの言葉が、もう聞けない。真面目で静かな、日本の技術者。そのままの人だった。

当時、村井純先生を中心に、JUNETができた、というのは、ぼくらも聞いていた。学術系の人たちを中心に、TCP/IPのネットワークが標準でUNIXが走るマシンについていなかった時代、uucp(UNIX – UNIX – copy)というファイル転送のシステムを使って、メールなどのやりとりを国をまたいで行うことができた。通信の物理層は電話回線につなげたモデムだ。最初は300bpsという速度がいいところだったが、そのスピードは米国CTSのモデムで2400bpsに上がった。その後、9600bpsのモデムが十万円から数十万円で手に入るようになり、みんなそれを使い出した。私の最初のUNIXマシンは、Tandy RadioShackのTRS-80 model16Bという、I/OプロセッサにZ80、メインのCPUにモトローラの68000を使ったものを使っていた。当時の価格で150万円。小さなクルマが一台買えた。中を開けて見ると、要するにZ80のメインボードに68000のCPUボードが刺さっていた。これに載っていたUNIXはXENIX。これはMicrosoft社のUNIXだった。HDDは数十メガバイトしかなく、メモリは1GBなかった。フロッピーディスクドライブがついていたが、大きさは8インチ。HDDも8インチだった。

その後、あこがれのSunのワークステーション、Sun3/60の白黒画面のモデルを手に入れ、Trail Blazerという9600bpsが出せる音声モデムを購入し、ネットワークに使った。当時、やっとSun4/SPARC Stationが出ていたが、ftpなどの基本ソフトもまともに動かなかったので、仕方なく、Sun3にした覚えがある。Sun3は当時300万円、モデムは30万円近かった。新品をローンで買ったのだが、ローンが終わったその日、しっかり壊れたのを思い出す。Sunの時代が終わると、そろそろ無料のOS、Linuxが出てきた時代になった。Sunは会社もなくなり、時代は変わった。

池田さんも、ぼくと一緒で、XENIXの走るTRS-80 Model 16Bを使っていて、それで仲間になった。ご冥福をお祈りする、というのが通常なのだろうが、いまだに、どこかでひょっこりとお会いするのかもしれない、と、思って、まださよならを言いたくない、自分がいる。

日本のUNIXネットワークを作ってきたのはぼくらである。池田さん、やすらかにお眠りください。

 

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