「隠すこと」はそのまま不利になる社会

インターネットができてこのかた、「隠す」ということは一切できなくなった。マスコミ報道を隠せば、知らない人に余計なことを教えることにはならない、という社会はなくなった。たとえば、Apple社の件がそうだ。

Apple社は、電池の劣化によるリブートを抑えるために、つまりユーザーの利便性を優先して、使い始めて1年たったiPhoneの性能をわざと落として遅くしていた、という。それをユーザーの一人が発見し、発見した事実をApple社に問いただしたところ、それを認めた、とのことだ。さらに、この件は訴訟にも発展した

しかしながら、こういったことが「ユーザーに隠されていた、ということが、まずもって大きな問題であることは言うまでもない。説明書などに「使いはじめて1年以上たったiPhoneは、XXという理由によって、動作が緩慢になることがあります。これが気になる場合は、最寄りのショップに行って、電池を交換すると、元のスピードで快適に使うことができる場合があります」ということが書いてあるのであれば、「そういうことなんだな」と、納得がいく。あるいは、スピードが遅くなるタイミングで、表示が出て「電池が劣化しているので、このままお使いになると、ご利用途中でリブートすることがあります。それでもお使いになりたい場合は、こちらのボタンを押してください。リブートをなるべくしない、低速・低電流モードにするには、こちらのボタンを押してください」など、ユーザーに選択肢を与えてくれる、というのも良いだろう。

問題は、そういう表示も説明も一切なしで、システムの変更が行われた、ということであることは、言うまでもない。何事も、特に広汎な人たちに使われるプロダクトや仕組み、サービスは「公正であること、オープンであること」がより求められる。そして、この流れはネットの存在によって、さらに加速されるであろうことは言うまでもない。

しかし、これまで隠していたものが、隠している人の意思とは関係なく、勝手に暴かれる、ということを快く思わない人もいることだろう。しかし、その秘密を守るだけのために、インターネットを止めることは、もはやできない。インターネットが止まれば、世の中の動きの全てが止まってしまう。OSもソフトも自動運転車もクラウドで動く昨今にあっては、インターネットが止まるということは、人間社会の血流を止めるのと同じことになる。例えて言えば、水道管の破裂を止めるのに、すべての水道を止めるわけにはいかない、というのと同じ、と言ってもいいかもしれない。

インターネットは、政治も経済もビジネスも変えた。「公正に、オープンに」。これが今という時代である。

 


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