日本は製造業教育には最適

近親者に、大学の工学部に入って、そこで勉強をしている若者がいる。友人、知人に、大学の工学部で教えている人がいる。大学にいるうちは、この「教える側」はおそらく、日本の製造業で最高の環境にいた人たちだから、それなりの教育ができる。教授陣の知識の水準は非常に高く、教える意欲も高い、と、私は感じている。しかし、いっぽうで、教えられる側の学生の立場に立つとどうだろう?教えられる側の学生に高い製造業の技術能力が付いたとして、いま、日本では工学部を出た学生の仕事が豊富であるとは言い難い、という状況がある。

世界の製造業の舞台は、日本から去り、中国やインドを筆頭としたアジア諸国に移っているのが現状だ。であれば、学生たちには、最低でも英語でのコミュニケーションのスキルを一緒に教育し、世界のどこに出ても「稼げる」ようにする必要があるのではないだろうか?英語に加え、できれば中国語のスキルもあるともっと良いとは思うが。

一言で言えば、日本の製造業は既に死んでいる。しかし、まだ生きる道はある、と、私は思う。

それがあたかも昔のように「再興」できるかのような「モノ作り」などという古臭いキーワードで将来のある学生を騙さないようにして欲しい、と、私は思う。

日本の製造業は衰退したが、日本という地域にはおカネはたまった。そして、高度に教育された製造業の人材もいっぱいいる。つまり、高度な製造業の教育と、製造業への投資については、日本は非常に良い環境にある、とも言える。「モノ作り」を教えるのであれば、それはあくまで「投資のため」「海外への教育のため」という目的を持つべきだろう、と私は思っている。日本でモノを作って儲けられない、というのは、日本の製造業が成功したからであって、失敗したからではない。その成功により、人件費が上がり、土地代もあがり、日本という地域ではモノを作る、ということを直接しても、高いものしかできず、売ることができなくなった、というのが真相なのだから。日本人はよくやったし、失敗したわけでもない。全てうまくやったのだ。その結果、製造業が人件費や土地代がもっと安い地域に移って言ったに過ぎない。嘆くことではない。

やり方と、生きるための居場所を変えること。それが、本当に日本人に必要なことなのだ。

「XXができます」という人材を育てるのではなく「XXを作れば売れると思う」という提案ができる人材を育て、「XXに投資しよう」というおカネを用意すること。おそらく、日本に必要なのは、こういった経済原則に沿った、新しい動きなのではないか?

 


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