「人工知能」の行き着く先

このまま行けば、物流だって、ロボットの自動車が集荷に来て、ロボットの自動車が配送する、というところまで行くだろう。タクシーやバスは無人化が始まっていて、これが完全に稼働を始めれば、運転手さんは必要なくなる。非常時に手動の運転が必要なときに出てくる「非正規」な人がいれば十分だ。もっとも、その「非常時の運転手」だって、ロボットになる可能性は非常に高い。

工場なども、当然、「無人」が当たり前になる。であれば、工場労働の雇用はなくなる。当然だが軍隊というものも、ハイテク化すればするほど、その競争が激しくなればなるほど、「人」がいなくなる。徴兵制ができたとしても、軍隊では人は必要ない。であれば、徴兵制で集めた「人」は、遊ぶ。膨大な人数の人をどうやって食わせていくのか?という問題が当然、持ち上がる。

現代のデジタル化、ハイテク化された軍には、「人」は最小限でいい。数多くの兵隊を教育し、数多くの兵隊を養う意味がないうえ、コストも高い。どうせ高いコストを払うなら、ITに詳しい人材にコストをかけたほうがいい。

であれば、今度は「権力」というものも変わる。現代の「権力」というのは、多くの人の支持があるからこそ、多くの人を使うことができる。それが権力である。この「支配者」の支配する「人」が、支配者自身と同じ「人」であるから、意味があるのだ。であれば、そのどちらかに「人」が必要ない、ということになれば「権力」というのはいったいなのだろう?ということになる。

人は完璧に物事をこなせないから、「差」が生まれる。そこに競争が発生し、勝ち負けができる。しかし、完璧に物事をこなす「機械」が人間の行う勝負をすれば、当然「最強」になる。将棋、囲碁、チェスなどは既にコンピュータのほうが強いことが証明されてしまった。これ以降、勝負事には「白け鳥」が飛ぶ。「不完全な人間同士の勝負には意味がない」そう、機械に言われる。

麻雀をやるロボットはいつも勝つ。相撲やプロレスは、人間の不完全があるからこそ「試合」として成り立っていた。「完全」なロボットができようとしている今、これらの試合には意味もない。であれば、人間の序列にも意味がない。

コンピュータの発達は、人間社会を全く性質の違うものに変えざるを得ない力を、急速に持ちつつある。そして、人間が「完璧」を求める以上、この流れは止まるはずもない。ぼくらが競争だと思っていたものが、蓋を開け、そして当たり前のものになったら、それはこれまでの人間社会そのものの基盤になるあらゆる価値や原理をひっくり返すものになりつつある。

人間はこれから、新しい「生きる意味」をさがさなければならなくなった。

 


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