「下町ボブスレー」失敗の次にはなにをすべきか

「下町ボブスレー」は、要するに「下町」と名前は付いているけれども、ある側面では「国家プロジェクト」であって、しかも「工業国家日本」「技術の高い日本」を称揚する「広告宣伝」プロジェクトであったわけですね。

一番うまくいくべきパターンは、「下町ボブスレー」プロジェクトで作ったボブスレーが、(1)日本チームに採用され、日本チームが、(2)オリンピックで優勝する、と言うシナリオだったと思うけれども、実際には、(1)の時点でつまずき、(2)には全くかすりもしなかった。

結果として「広告プロジェクト」としては完全に失敗に終わった。

広告代理店としては、大きな汚点となったプロジェクトであったわけだが、もともと(1)の時点で、広告すべき「技術」がレベルが低いものであったことが発覚したのであるから、「宣伝」という以前の問題として、破綻した。

まずいパンを作って売るパン屋にいかにたくさん広告費をかけて客を呼んでも、その客が多ければ多いほど「逆効果」になり、客が短い期間に大量に離れて行き、短い期間にパン屋が潰れるのは、当たり前だ。

広告が全てではなく、広告は物事の表層を扱っているだけだ、というのが、非常にわかりやすいかたちで、私達の目の前に見えたのが「下町ボブスレー」というプロジェクトだったのではないだろうか?

「すごいドローン」を宣伝したが、実際にはそのドローンは飛べなかった。そういうようなものだ。

このように、広告宣伝、すなわち、広告代理店の仕事というものは、あくまで「商品」の本質的な「強さ」があってこそ、はじめて意味を持つものだ、という「脇役」であることが、わかりやすく示されたのが、今回の「下町ボブスレー」というプロジェクトであったのだろう。脇役がいくらがんばっても、主役(モノ作り)の実力が伴わないのであれば、意味は全くない。主役あっての脇役である。

主役であるところの、日本の「強いモノ作り」への回帰が叫ばれているのであるから、それをするには、この失敗から出発し、「モノ作り」にさらなるお金と労力を注ぎ込み「広告されるに値する主役」を作るところに、このプロジェクト失敗の意味はあるのであろう。

旗振り役、広告宣伝、カッコつけ。そんなものは、脇役であり、その脇役に力を入れても意味はない。主役に主役たる力をつけてこその脇役である。

「下町ボブスレー」の敗戦に、私達日本国民が見たものは、この国の「主役」と信じていたものの脆弱でやせ細った姿である。今の日本は「脇役」のどうでもいい見てくれだけを取り繕って立派に見せることだけに、お金が使われている、この国の実態である。

今回のような「敗戦」を、次の「成功」につなげるために、次の冬期五輪に向けた、主役にしっかりとお金も資源もかけたプロジェクトの再起動が必要なのだ。広告代理店だけを潤し、表面を取り繕うだけの、見てくれだけのハリボテは、もうたくさんである。いま、本当に問題となっているのは「いかに見せるか」ではなく「いかに本物を作るか」である。

 


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