「人工知能」だけではダメな理由

以前、私は国のバイオの研究所にいたことがある。そこで、ノーベル賞を取りそうな方々といろいろな話をした。ぼくの体質がアカデミックなものとは合わなかったこともあって、あまり長くはいなかったのだが、いる間にした勉強は楽しかった。そして、2014年、ぼくが韓国の大学の教授をしていたとき、あの「STAP細胞事件」があった。小保方さんの単独記者会見をオンラインで韓国の大学のPCで見ていた。

遺伝子の研究というのは、その究極のところには「人間を作る」というのがある。コンピュータも、その目的の究極には「人間の頭脳を作る」があることは、まぁ、「大前提」と言っていい。いずれにしても、みな「人間を模倣している」ことには変わりはない。コンピュータで「人工知能ができる」とは言うが、それは「脳」だけの話であって、その「脳」には、人間と同じ様々な経験をさせないと「人間と同じ」にはならない。だから、コンピュータをできるだけ人間に似せようと思えば、人間と同じことを感じるセンサーをつけ、人間と同じ経験をさせるしかない。人間がそうであるように、コンピュータも外部に対しての働きかけもできなければならず、その働きかけに対する結果を取り込んで抽象化しなければならない。となれば「人間そっくり」の人工知能には、明らかに人間と同じ「手足」「感覚」「アクチュエータ」が必要であり、それがついていないうちは、人工知能は人間のようにはならない、ということだ。

つまり、現在の人工知能は不完全だ、ということだ。手足がない。感覚がない。

本当の「シンギュラリティ」とは、そういう「人間そっくり」で「人間の友人になれる存在」ができなければ、完成はしない、ということになる。もしもこの先、シンギュラリティが来るとしても、短い時間ではそれは不完全なものにならざるを得ない。今でもその不完全によって、人間には不利益がたくさん出てきた。一番わかり易いのは、自動運転車の事故などだろう。

さて、そういう困難を克服し、全てが完成し、人間そっくりのコンピュータや人間そっくりの人工生命ができたとして、なんの意味があるだろう?ただでさえ狭い地球をさらに狭くするのか?人間と同じ、ってことは人間と同じくらい間違える、ってことでもあるんじゃないか?など、悩みが尽きることはないだろう。

こういった「人工頭脳」「人工生命」の研究とは、本当は人間が自らの成り立ちを知るためのものであって、仮のゴールとして「そこ」を目指しているに過ぎない。そのゴールに至る過程で、様々な知見を得ることができ、その知見を私たちの生活を豊かにするのに利用するのである。これが本当のこれらの研究の目的なのだ。だから「役に立つ」という観点でこれらの研究を見ると、結局は役に立たないガラクタばかりを作ることになるのだ。

 


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