小松左京の時代といま

伊藤穰一が「BIとAI」ということをよく言っている、と聞いている。「Before Internet(インターネット以前)」「After Internet(インターネット以後)」という意味だが、純粋技術的に言うと「Before Digital(デジタル以前)」「After Digital(デジタル以後)」だろう、と、内側から見ている私は思う。実際、インターネットはデジタル技術がベースであり、アナログの時代=Before Digitalの時代には、デジタル技術は「パルス技術」と呼ばれており、私も大学生のときはその名前の教科が必修だったことを覚えている。

デジタルのデータ通信技術、デジタルのデータ蓄積技術、デジタルの高速化技術、デジタルデータのシリアル化などの技術(いや、これらの用語がわからない人はわからないでもいいんだが)、が、デジタル技術の進展に伴って、多くの可能性が出てきた。これらの技術の先には、デジタルデータを使った画像処理、画像表示、動画、音声などの現実世界とのインターフェイス技術が現実化してくる。そうなってはじめて、インターネットという「ネットワーク」という抽象的な概念を現実化できる段階になる。それまでは理論であったものを、実際の技術に落とし込み、現実の世界に適応させる。つまり、多くの技術評論家が話す「夢の未来」は、こういう過程をすっ飛ばして、「こんなことができます」と、見えるところ=表層を撫でて、何らかの解説をした気になっているに過ぎない。

既にデジタル技術の洗礼を受けていた私のような研究者&技術者にとっては「インターネット」は驚きでもなんでもなく「当たり前のこと」でしかなかった。しかし、その一般社会に見えるところのEffectは当然インパクトのあるものになるであろう、と予想できたし、実際、それがあったから、インターネットは面白い、と感じて、誰もがわからなかった時代にそれを扱ったのだ。実際のところ、インターネットの最初の頃は「そんなの当たり前だろ」くらいに考えていたぼくは、周辺の技術者よりも遅く、本格的にインターネットにかかわり「当たり前」の道を歩んだ。研究者&技術者として、社会的インパクトはそりゃ面白かったが、それ以上に面白いものがあった時代でもあったからだ。

それでも、ぼくがインターネットに本格的に関わったのは、世間一般よりも早かったと言っていいだろう。「ああ、そろそろやらないとね」と始めたのだ。だから、インターネットの出現に驚くことはなかったし、それのはるか以前から、インターネットは見ていたから、別に自分にとっては、特別なことでもなんでもなかった。当時、Microsoft社もインターネットには出遅れていたので、まぁ、同じ気分だったのだろう。

日本では「小松左京」が「日本沈没」で大ベストセラーを出したのは、1973年。まだデジタル技術も表には出ず、インターネットもなかった時代だ。Webが世の中に姿を表したのは(ブラウザができたのは)、1993年だから、それから20年たっていたわけだ。つまり、「日本沈没」はデジタル技術が一般的でなく、インターネットさえなかった時代の「空想科学小説」であったわけだ。

デジタルとアナログの技術は実は大変な違いがある。単に表層しかみえていない人にはわからないだろうが、それは技術の革命であり、技術の民主化であり、現代の技術の全ての始まりだった、と言ってもいいくらいだ。この革命のさなか、ぼくは日本にいて、日本の高度経済成長期の終わりの一番栄えた時期にこれらの技術に、自分の人生の一番活発な時代に肌で触れた。おそらく、私の時代以後の技術者や研究者がこういった本当の最先端に触れられる機会はもう日本には訪れないだろう。その時代の頂点が重なった「幸運」は、もう日本には訪れないと、ぼくは思う。それくらいの幸運だった、と、今になって思い出す。

そして思うのは、そういう幸運に恵まれた時代を過ごした自分の義務についてだ。

 


 

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