古い時代と新しい時代

朝一番で、街を歩く。近くのマンションの一階に小さな電球工場があって、朝一番で電球用のガラスを納入するトラックが来ている。電球はもちろん、いまや「形だけ」になって、白熱電球かと思って中を見ると、LEDのチップが入っている。フィラメントではもうない。さらに歩いていると、朝のゴミ集積所。ダンボール箱を潰したものは「Amazon」のロゴマークばかり。

このあたりはかつての町工場街だから、他にも小さな「匠の技」を持つ工場がある。管楽器の「絞り」を作っている工場もある。でも、その技術は今やロボットに置き換わりつつある。

昔は100万部出た本を書いた。当然だが、昔すぎていまは書店に行ってもない。が、さらに驚くのは書店そのものが減っている、ということ。だから、自分でこれから出す本は、電子書籍にした。某有名な出版元の社長も「これから紙の本はなくなる」と、言い始めた。先見の明のある人は、みんなが怖がっていることを、はっきり、堂々と言う。それが自分の生きている場所を崩すものであっても、その現実をしっかり見据え、次の自分の行くべきところを狙う。

数年前、韓国に大学教授でいたことがある。数万人の学生を擁する大学の周辺には、CDショップは一軒もない。学生はダウンロードで音楽を聞いていた。最近はそれをも通り越して、Spotifyなどのストリーミングで音楽を聞く。もう、音楽データは手元のPCやスマートフォンの中にはない。

おそらく、現在は新しいものと古いものが闘争している時代なのだ。世の中の矛盾や不都合の多くは、おそらくそれに起因する。そして、新しい時代には新しいものがやってくる必然が、おそらくある。新しいものが面白いから飛びつくのではない。それは生存競争の一部だ。

 


 

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