「無敵の人」の増殖は避けられないのか?

最近、駅やコーヒーショップのトイレに入ると「トイレットペーパーを持っていかないでください」とか「トイレットペーパーをまるごと便器に入れて流さないでください」などの「いたずら」についての張り紙を見ることが多くなった。日本の世の中が荒んでいる感じがするし、見ていて気持ちが良いものではない。

一方で「仕事がない」「仕事に着くのが大変」という現代のアラフォー世代「ロスジェネ」は、景気の良いときは「働き盛り」と言われた年代だが、今日の日本では、いまだに仕事がない、という人が多い。中年、そして近い将来には老年になるこの世代だけでなく、日本の社会ではさらに景気の悪化とともにリストラが進み、そこに、テロをも辞さない、と言われている「無敵の人」ができる、という警告がされている。「もう自分の人生に失うものはない」と思うと、法律、世間体、自分の命までかなぐり捨てて、自分を虐げてきた社会への「復讐」を目指す集団さえできてくる可能性がある。いや、その可能性は非常に高い。

公共の場のトイレのトイレットペーパーのスペアまで全部を便器につっこみ、水を流す、というような「匿名となる迷惑行為」をすることで、今はそういう人は「無敵の人」の一歩手前ではあるものの、無敵の人、にはまだなっていない。しかし、そこから、「無敵の人・匿名ではないテロ集団」へはほんの一歩であるように見える。

新幹線の中で「誰でも良かった」と凶行を行った男がいる。そして、ITがなければ動かないこの現代の都市部では、間違いなく、匿名性が高い「サイバー犯罪」が増えて来るだろう。現在のところ日本では「無敵の人」のサイバー犯罪はあまり見えていない。むしろ、仮想通貨の横取りなどの「利益を得るための犯罪」がまだ多い。しかし、そういったサイバー犯罪でも利益が得られなくなった場合、明らかに「全く無目的・社会への復讐だけを目的にしたサイバー犯罪」もまた、これから出てくることだろう。なぜならば、IT技術者でも、それが始まる可能性が高いからだ。いま、その萌芽をあちこちに見る。

「社会福祉」「社会保障」とはそういう「無敵の人」を作らないためのものであって、それは社会全体の安定のためでもある。決して「施し」ではないのだ。昔の人は良く言ったものだ。

「情けは人のためならず」

それは、自分が利益を得られるからするのではなく、自分の経験に照らして、それを必要としている人に、それを必要としているものを持っている人が、当然のように行う必要がある、ということを言っているだけだ。それは「社会的動物」と言われる「人」の当然の義務であって、責務であって、そして、人が人として生きていくために、必要な基本であり、心の底から沸き上がってくる感情であって、それ以上でも以下でもない。

ただ、私達は人間である。だから、それを知性によって「自覚」できる。そこに、人間の人間たる基本がある。人が人としての基本を忘れ、自覚もなくなったとき、人の社会は根底から崩壊していくだろう。

 


 

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