日本の「都会」と「田舎」の消滅

日本の田舎ってのは、要するに資本主義の経済原理とは文化的に違う。逆に資本主義の経済原理を批判する側に立って見ると、資本主義そのものが、グロテスクな怪物みたいに見えると思う。

田舎でも、「東京に出て来て成功し田舎に凱旋する」と言うモデルがあるでしょ。つまり「成功」は田舎ではなくて、「東京という戦場」でするものなんだな。田舎で何か突飛なことをして成功するのは、真っ平御免ということの裏返しなんですね。つまり「田舎は帰るところ」であり「都会は戦争しに行くところ」なんだな。

つまり「生活の場」と「戦争の場」が地域的に別である、という前提で日本(だけじゃないが)の社会はできて来ているんだね。しかしながら、物流、人流、情報流が非常に低いコストでできるように発達した現代においては、こういった「都会」と「田舎」は、だんだんと境界線を無くして行くんだね。これは人類始まって以来の大きな変化なんだな。文化への影響というものを考えるとね。

沖縄にもコールセンターなんかできちゃうわけですよ。だからさ、インターネットって面白いよねぇ、世の中を変えるよねぇ、と思って、ぼくは始めたんだよ。そういうものにピンときた。ってのかな。ぼくは都会で戦い続けて、田舎を持たない。だから、ぼくはおそらく無意識に田舎を戦場にしようとしている人間に見えるんでしょうね。でも、それは当たり前に始まる、人類全体の変化なんだよ。思い出せば、それはぼくの親子三代にわたる、ぼくの一家のたたかいでもあったんだなって思うよ。しかしね、時代は変わる。繰り返さない。常に変化して行く。

やがて始まるのは「地域」の境界がなくなり、「地域」が消滅する時代だと思うんですよ。ぼくはね。まだぼくらの感覚はそれについていけていないけれども、そういう時代は必ず来る。そうなれば、必ずなくなるのは宗教だったり、文化だったり。一部で始まっているでしょ。どんな「地方」にも巨大なショッピングモールがあり、その中には都会にあるのと同じお店がある。どの国に行っても、空港に到着すると、雰囲気が同じなのは、最近の傾向だ。「それ」は始まっているのだ。それが、いいとか悪いとか、そういうことではなく、始まっている。変化は否応なしに、ぼくらの周辺を包み込む。それについていけるかいけないか。それが大切なことになる。生きていくためにね。


 

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