私達はなぜネット情報に頼るのか?

私達は、ネット情報に頼ることが増えて来ているが、それでもまだ従来のマスコミなどのレガシーメディアに頼ることも多い。ネット情報のほうが、マスコミ情報より信頼に足る、という根拠は全く無いわけではなく、やはりあるからこそ、そう言う思考になる。そして「ネット情報に騙された」という人も増えていく。簡単に言えば、かつては情報伝達が地域を超えることがなかったので、噂話や、地域の行政のお知らせなどで様々なことを知り、情報交換の場に行き、情報交換をし、生きていくための情報を共有した。これが「旧旧世代」の「情報交換」であった。

それが世代が変わり、地域をより広域にした一斉の伝達手段であるマスコミが出現した。放送(Broadcast)は「旧世代」の伝達手段の主たるものになり、人々の情報共有がより広域になった。しかしながら、電波も届く範囲が限られており、送信所からの情報伝達範囲には限りがあったが、それを中継所などを使ってなんとか「国家」という広域のレベルにまでしてきたのはご存知の通りだ。これには多大な資本を必要とした。これが「旧世代」である。

現代は、(1)旧旧世代、そして(2)旧世代をさらに超えた次の(3)「新世代」の時代。「世界」を相手にできる情報伝達の時代になった。インターネットが出現したためだ。インターネットというインフラの出現により、国家という「国境ありきの存在」をいつでも越え、かつ低コストな情報伝達手段が台頭しているのが、現代という時代である。結果として「私のところはこんなにいいところですよ」と国家がアピールし、多くの「国民」に国家というショッピングモールに集まってもらわなければ、国家が成り立たない時代になった。国家は「国民(地域にいる人)」「土地」「主権」の3つが基本構成要素である。そのうち「人」が、土地と主権者を自由に選べる時代となった。

早い話、国家が破綻したり頼りがなくなったら、その国家を出るという選択ができるようになった。どこに出ていけばいいか、という情報を得られるようになったからだ。インターネットを扱える機器を経済的に貧しい人たち全員が使えないにしろ、かなり多くの人がスマートフォンやPCで国境を超えた情報を、やりとりができるようになった。その結果、国家を「捨てる」人も多くなる。それが「難民」である。いや、難民がなぜできたか?という、それは「一因」であろう。

私達が住むこの現代社会では、例えば子どもたちは家庭の中で夕食を食べながらスマホをいじり、家庭の外の世界と意思の疎通をしている。目の前にいる親とだけ話をしているわけではない。インターネットは「見える秩序」「見えやすい事象」を裏側から破壊しているように見えるが、そうではなく「見えない事象も含めたものが混ざってきたため、見えないところで行われているものの、人の行動に与える影響力が強くなってきた」のだ。そして旧社会に慣れた人にはその「目に見えない情報のやりとり」が見えず、その大切さも見えない。時代が変わり、大切になったのは「見えない情報伝達」である。それを「見える化」することは技術的に可能だが、それを多くの人が望んでいない。また、見えない情報の「見える化」にかかるコストを誰が負担するのか?という問題もある。

国家の3要素が「人」「土地」「主権」であるのだとしたら、インターネットは「人」「土地」の情報を地球上で全ての人が共有できるので、「主権」の存在感は減っていく。極端な話、主権をいくら持っている政府がいても、「人」がそこからいなくなれば、「主権」の意味はない。これが現代の「民主主義」の姿である。

私達はなぜ「ネット情報」を重要なものと見るのか?おそらく、こういった原理原則に立ち返れば、かつて当たり前だった原理や原則が新しいそれに置き換わっている、ということによるのではないか。私達はいま、その過渡期にいるのだ。

 

 

 


 

 

 

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