資本主義の静かな裏切りもの

マクロ経済から解き明かしても日本人は何故自分を変えようとしないのか?日本という地域は明治時代以来の西欧化・経済成長化で、経済発展をしてきて、そのゴールたる1960年代から1970年代までは、仕上げとも言える「高度経済成長期」を持ち、石油ショックを皮切りに始まった経済下降の時代にもその時にした「貯金」で食いつないでいる。これは、日本人なりの場当たりな身の施し方であり、それはそれで合理性はある。貧乏になっても食えればいい、それもできなければ、死んでもいい。という考え方である。

日本という地域では、経済成長や生活水準の維持という「積極的な動機」そのものが西欧諸外国に比べて、欠如している。だから「日本は特殊」というのは、当たっている。そして、それは資本主義諸外国の価値観とはやはり一致しにくい。

「成長できるのになぜしないんだ」とこの方は言っている。同じように「厚切りジェイソン」にも同じものを感じる。彼は「日本人の働き方は効率が悪くても平気でいるというのが信じられない」と言っている。日本という地域に住む人は、一方で明治以来の資本主義を目指し、一方で資本主義とは相容れない「滅びの道」の信奉者でもある。前者は明文化され数字で答えを求めるが、後者は前者の社会から見れば「異教徒」となる。

以前流行った、米国から来た、BeYouなどの「自己啓発セミナー」で面白いエピソードがあった。日本のセミナーでは必ず「積極的落伍者」が当たり前に出る、というのだ。数人しか乗れない救命ボートに自分は乗る権利を得たが、どうするのか?という集団思考実験なのだが、自分の命に積極的ではなく、自らその生存の権利を手放し他人に譲り、自分は船に残って死を選ぶ、という人たちが、必ず一定数、日本のセミナーでは出る。究極の場面において「生への積極性」を放棄することによって、自らを犠牲とし、美化もせず、積極的に生きる意志を放棄することによって生きるということで起きる苦難を終わらせ、自らの心の安定を得る、という考え方である。

おそらく、そういう考え方はアジアの他の地域でもある。つまり、考えられないほど貧しく、生きているということ自身が苦痛である、という、そういう生を受けた人が多い、というのがその原因であろう。

この考え方は、西欧的な「生きることは人間の全てである」という考え方とは相容れず、従って人間というものに対する根本的な認識が全く違う。自己啓発セミナーでは、セミナー中にそういう人が認められた時点で、そういう人にはセミナーの会場から出て行ってもらうようにしている。

「あなたの判断はおそらく正しいが、このセミナーでみんなに共感してもらおうとしている認識と、あなたが持って生まれた認識とは、全く違うので、ここでのセミナー参加はあなたのためにならないので、やめましょう」と、中途退場をさせるのだ。これが、西欧から来た「人格改造セミナー(自己啓発セミナー)」の限界であり、おそらく西欧的な生死観と日本的な生死観の根本的違いが顕在化する場面の1つである。

当然ながら、そう言う人の一かたまりがセミナーの進行に良くない影響を与える事も多い。セミナー主催者にとっても、セミナーの最初から最後までセミナー主催者が参加者に対して植え付けようとしているものに対する、地域土着の異分子や積極的アンチテーゼは邪魔でしかない。

もしも、セミナー主催者のそれよりも、日本の土着な思想勢力が強力な力を持つ場面があったら、セミナーそのものが成り立たないことも考えられる。ましてや、その異分子の行動が自然な形で多くの人の共感を誘うようなことになれば、商売としてのこういったセミナーは全く成立しない。セミナービジネスが一瞬にして崩壊することだって、ないわけじゃない。

日本においても「企業」は西欧から入ってきた仕組みであり、その目的は大きく「企業と言う組織の存続繁栄であり、構成員の存続繁栄」である。従って、「生きること」「生を謳歌すること」が、企業存続の根本にどうしてもある。しかしそれに馴染まない社員も日本では多く、それらを「矯正」して、企業の目的に合った人間にするのが、これらのセミナーの目的だが、日本ではそのセミナーでさえ、多くの「落ちこぼれ」が出る、と言うのが、このエピソードの示すところだろう。

いやまぁ、ぼくはと言えば、そう言うセミナーに呼ばれた時は、その辺りはみんなわかっていた上で、さっさと最初の時間だけ見学して、お金も全額払った上、適当に楽しんで出てきただけなんだけどね。ごめんね。セミナーに呼んでくれた人。でも、楽しかったですよ。

日本という地域は、明治から第二次大戦後に至る時代で、西欧的価値観を受け入れて爆発的な経済成長を遂げ、多くの蓄えを得た。西欧的な思想や哲学に乗っかり「バナナ(外は黄色い-[黄色人種]が、内側は白い-[白人])」と言われるまでに自らを変え、東洋の端っこの辺鄙なところにありながら、西欧の一部と言われるまでになった。その後、世界経済が停滞を始める時期に向かっての下り坂には、用済みとなった西欧的価値観をあっさりと切り離し、一人下り坂を黙って緩やかに下っている。おそらく、これは、無意識に行われている、日本という地域に住む人たちの、当たり前のやり方であり、自らが生きていくための、西欧的な価値観への静かな裏切りである。

前のリンク中の「日本の経営者の考え方が変わらない限り。。。」は、正しい。しかし、それに習わない経営者がなぜ多いのか?その答えはきっと、そういうことなんだろう、と、ぼくは思っている。

資本主義を謳っていながら、また、西欧社会の一部とほとんど思われながら、その心根は異教徒である。それが日本という地域だ。そして、資本主義の衰退とともに、裏切りは顕在化していくだろう。

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