マスコミとネットが山本太郎を「田中正造」にした

「山本太郎騒ぎ」は、結局「山本太郎の周辺でdisってる連中の起こしている騒ぎそのものが」山本太郎をただの人から、田中正造にしている、という感じがする。山本太郎にとって、マスコミはなんにもせずに彼のことを宣伝してくれる、山本太郎にとってとても都合のよいメディアになったかのようだ。

田中正造の「義挙」は、その当時「法律を犯して行われた」ものだった。大日本帝国憲法の下にあった日本では彼の行動は「違法」だったわけだが、いま、その田中を悪く書いている人はどこにもない。その行動が、結果として世の中に認められている証だろう。むしろ、田中正造に責められた日本の政府が、結果として大きな政策転換を余儀なくされた。

山本太郎の「手紙」は、田中正造と同じように、現在の法律を犯しているかといえば、おそらく犯していない。1947年に日本の憲法が変わり、現在の日本国憲法下ではこういった行動も、そしてその手紙の中身も、法律的にはおそらく、全く問題はないだろう。内容は「請願」でさえなかった、というから、騒いだほうが負けるように仕組んである、と言っていい。

であれば、山本のやったことが「違法である」ことにするのは、すごくむずかしいうえ、もし無理やり「違法」とすれば、その周辺に様々な矛盾を引き起こすだろう。

この出来事全体を遠くから見れば、山本太郎のしたこと自身を、あわてて大きな問題にして、これをきっかけに彼を辞職させようと考えた人たちの全体が、山本太郎の手のひらの上で踊った、という感じがする。その効果は当然、狙われていたのだろうと思う。日本の政治とマスコミは非常に硬直化したシステムになってしまったので、逆に言えばこの程度のことで簡単に踊らされたのだ。もしもこの騒ぎで彼が議員辞職したとしても、その手紙の内容や彼の考えていることはどうあれ、彼はその「国会議員」という立場を最大限に使った、ということでは賞賛されていい。

日本の「Fukushima」「原発」「放射能」は、日本だけではなく、世界中から注目されていることなのであり、それは「日本軍の慰安婦問題」といったアジアローカルな問題以上の大きさを持っている。この視点を欠いているから、それがどのように世界から見られるのか、ということがマスコミもわかっていないのだろう。私は山本太郎と意見を同じくするものではないが、今回の「騒ぎ」は、彼の思い通りに、みんな騒いでくれた、ということになる。

山本太郎の今回の行動は、日本の国内ではなく、海外により大きな影響を与えるためのものだ。この山本太郎問題を大きく取り上げれば取り上げるほど、日本の原発問題は盛り上がっていくだけではなく、諸外国からの注目度もさらに上がることだろう。

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