
いまや、スマホ、PC、ケータイ、スマートスピーカー、と、インターネットにつながらないものはない、という時代である。インターネットが正常に動かない生活はもはや考えられない。私たちの知らない社会の裏側でも、人と人のコミュニケーションだけではなく、さまざまなインフラがインターネットに接続されており、既に、インターネットは「止められないインフラ」となった。「デジタル社会」という「デジタル」を含んだ単語は多いが、「デジタルが社会である」、そういう時代になった。既に、デジタルではないものを探すほうが難しい。そして、「デジタル」はインターネットに即につながる。
私達がインターネットを始めた頃、それは米国で始まっていて、米国にはしょっちゅう行った。円高で日本の景気も良い時代だったから、米国に行くお金とかはあまり気にしなくても良かった、という時代でもある。いまの感覚で「米国に行く」というのとは、ちょっと違う。日本からのノービザ渡航は当たり前にできていたし、私が米国の行き始めたときは、ANAの国際線が始まった時期で、東京からLAに就航したANAの新しい便に乗ったこともあった。
その時代、「インターネットってなに?」とよく聞かれた。今でも思い出すのは、その頃の「IT業界人」の扱いだ。いや、その時代はITという言葉がなかったから「コンピュータ業界人」になる。「なにやら、一人で、多くの人がわからないことを嬉々とした顔でやっていて、わからない言葉を使う、暗い人たち」だった。ネガティブな評価はあってもポジティブな評価は少なかった。SONY、富士通、日立、三菱、シャープもPanasonicもUNIX(今はLinuxになっちゃったけどね)のコンピュータとかを作って売っていた。日本企業が元気な時代でもあって、工場ではインテリジェントなロボットが広大な敷地の工場の中で、工具や資材を運んでいた。そのロボットの前に私の足を出すと、ロボットはさっと止まって、私が通り過ぎるまで待っていた。こんな風景が当たり前だった。
この時代のことは話せば長くなるが、私の会社はコンピュータと通信をやる会社だったのだが、当時はまだそういう会社は少なく、黙って仕事をしているだけで、仕事が向こうからやってきた、という感じだ。
で、なにが言いたいかというと、その時代でも、インターネットが出現したときは、ほとんどの人がそれがどういうものかわからず、社会の片隅で、ぼくらだけが「これはすごいことになるぞ」という予想と信念を持って、なんだかわからないと言われた「それ」と格闘していた、ということだ。
おそらく、今という時代でもそれはあって、迫害され、虐げられ、無視されるものの中に、近い将来に世界を席捲していくものって、きっとあるんじゃないか?誰も理解できないから、誰もが無視した、そのものの中に、時代を切り開く新しいものがあるんだろう、と言うことだね。いやもう、人に認められないことをやる、ってのは、精神的にすごくキツイですよ。
だから、ぼくには「イノベーション」なんて言葉を軽々しく使う人には、正直反発してしまう。「うまくいきそうなものに乗っかってるだけ」が、「イノベーション」の言い換えだからだ。本当の世界を変えるイノベーションは、おそらく、今言われているイノベーションよりももっと深く、そして、多くの人にはわからないところに埋まっている。そして、それを見つけて、目を輝かせて掘り起こす人も、今もまだきっとどこかにいるのだ、と、希望をつなぐ。