最近のスマホとかPCとかは「電池を自分で取り替えられない」。

最近のスマホやPCは、良く見ると電池を、自分で、工具なしで、取り外しができるモデルが非常に少なくなった。PCやスマホの出来を昔から眺めて来ているのだが、これは主に以下の理由による。

  1. 薄く軽いモデルが好まれているので、電池の取り外しの機構などは薄型化の邪魔になる。
  2. できるだけ製造原価を抑えるため、電池の取り外しのための機構を省略する。
  3. 電池を利用者が取り替えられる「消耗品」ではなく、利用者が取り替えられない「部品」と位置付けることによって、保守代金をメーカーが公然と取ることができる。

要するに「電池の部品化」が始まっているのだ。主に、最初の理由が大きいのだろうとは思うが、「電池の部品化」は、利用者にとって以下の問題を起こす。

  1. 電池の寿命が来ただけで「修理」に出さなければならない。
    「修理」となれば、高額な修理費用が必要になる。
  2. 複数の電池を持って歩き、交換しつつ、運用することができない。
    →一日外に出ている営業マンなどは途中で電池がなくなったら、あらかじめ充電しておいたもう1つの電池と交換したい、ということができなくなった。

さらに、この裏には以下の事情がある。

  1. 電池の耐久性や単位体積あたりの容量が大きくなったので、電池がなくなったので取り替える、という需要が減った。
  2. なによりもコストダウンに貢献する。

私としては、例えばスマホなら、自分で工具なしで取り替えられるほうが良いので、未だに古いモデルのPCやスマホを使っている。最近はそういうスマホが減ってきたので、所有している一部のスマホは電池内蔵のものになってしまったのは、非常に残念だ。

 


 

インターネットの病巣「誹謗中傷」

このところ、というか、かなり前からなんだが、大きな問題になっているのが「ネット上の匿名での誹謗中傷」である。先日もマスコミで名前が売れた大渕愛子弁護士の第三子出産をめぐって、誹謗中傷があったらしく、大淵弁護士は訴訟も考えている、と報道されている

私は日本にインターネットを持ってきた、その一部を担った。「インターネットってなに?」なんて、多くの人に言われていた時代、ITという言葉が出てくる前からこの世界に関わってきたが、インターネット以前の「パソコン通信」と言っていた時代から、この手の「誹謗中傷」は非常に多かった。日本だけでなく、多くの国で「ネット上での匿名の誹謗中傷」は実は多く、ちょっとだけでも、ある世界で名前が世の中に知られると、その発言の一言半句が過大に取り上げられるなどの手法で、誹謗中傷が行われるのは、もはや日常になった、と言っていい。

このバッシングの手法は比較的簡単だ。「鉛筆を芯の側から正面に見ると、黒くて丸い。CDやレコードも黒くて丸い。だからこの2つは同じものだ」というやり方である。そして「鉛筆も尖らせれば凶器になる。だから、包丁と同じだ」という「(他人を傷つける、という)禍々しいイメージ」をこれに乗せて、誹謗中傷の道具にする。ほとんどがこのやり方だ。もちろん、こういう手法だけではなく「ウソ」をこれに混ぜる、ということも、誹謗中傷を行う犯人はやる。匿名なので、やり放題、ということもある。善意の第三者を装ってこれをやるわけだ。

人は多く心に闇を抱えている、と、インターネットの時代のはるか以前のフロイトも言う。その闇、はどこかで「開放」されることによって、その人の心の安定を得る。おそらく、これはあなたも私もみんな、大なり小なり同じである。ちょっとかそれ以上に名前が出る、自分のいる位置から遠い人間を「叩く」のは、そのリアクションを受けにくい、という事情もある。加えて、名前の売れている芸人や有名人を叩くのは、その「効果」によって、その周辺の多くの人も影響を受けやすく、「叩く側」の満足をより大きく誘うからだ。どこのものとも名前も出自も知れない人間を叩くのでは、面白くない、という事情もあるだろう。

インターネット以前の時代では、これは口から口へのローカルな口伝えで終わるため、地域ローカル、あるいは組織ローカルな「噂話」として広められるに過ぎなかった。今でも大学などの組織内では「怪文書」はあるそうだが、今はこれがインターネットで広域に広められるようになった。

そういう意味で、ネット上の誹謗中傷をまともに受け取る人は少なくなってきたものの、「有名でなければ、誹謗中傷を受けることはない」のだから、「誹謗中傷を受ける」のは、「有名になった」という証拠のようなものだ。そして、有名になればなるほど、匿名の誹謗中傷は増えていく。全くバッシングの無い有名人はいない。

「あいつだけいい思いをしやがって」という、嫉妬も、どの社会にもある。そして、嫉妬がきっかけの、こういう誹謗中傷は、ネットがあることによって、増えてきている。ネットも良いことばかりではないのは、普通の社会と同じだ。

ただ、自分がその「犯人」と同じにならないよう、気をつけたほうがいいだろう。ネットでの「匿名」は最初だけであって、実は訴訟などが起きれば、誹謗中傷の犯人の特定は十分に可能な仕組みを、各プロバイダーも整えている。というか、インターネットの仕組みが完全な匿名をできないようにしているからだ。ちょっとした嫉妬や不用意な感情に任せた発言があなたの人生を狂わせることも、これから増えていくだろう。組織の発言にしろ、個人の発言にしろ、ネット上での発言には十分に気をつけよう。


 

人のいない街

※本記事はフィクションであり、実在の団体、組織、人間とは一切の関わりはありません。

茶色いお洒落な少し天井の広い空間。ソファも座りやすい。気がつくと疲れもあって10分ほど寝込んでしまった。ここは喫茶店でもないし、居酒屋でもない。コンビニのイートイン空間。隣のコンビニで食べものや飲み物を買ってきて、ここで飲み食いができる。見れば、いつもは見かけない老夫婦が楽しそうに食事をしている。

家の中の老夫婦。夫は退職している。妻は専業主婦だ。

「あなた。暑いし、なにか食べたいから、あそこのコンビニに行きましょう。家の冷房の電気代も、もったいないわ」
「あそこ、冷房はあるけど、レストランじゃないからな。食べる場所は無いと思うよ」
「この前、改装で大きなイートインができたのよ。店員さんもいない、セルフレジ、っていうのになったのね」
「しかし、外は40度の猛暑だ、って天気予報も言ってた。暑くて外には出たくない。宅配してもらえばいいんじゃないか?」
「そうね。宅配って手もあったわね。でも私たち、まだ身体が大丈夫だし、行くのに不便はないでしょ?気晴らしに行きましょうよ」
「気晴らしか。そうだね。行ってみるか」

老夫婦が向かったのは、マンションから数分のコンビニだ。そこはセルフレジ導入済み。

「このところ、野菜が少ないから、サラダが欲しいわ。あ、この春雨のサラダにしましょう。それと飲み物は。。。。」
「なんだか、パッ、パッ、と買っていくねぇ」
「もうすぐお昼だから、並んじゃうでしょ。急がないと」
「なるほど。。。お、ビールもあるのか。ビールも頼もう。安いな。100円。居酒屋だったら350円とか言う値段だ」

老夫婦は、昼ごはんに買ったものをレジに持っていき、カウンターに置くと、レジに金額の表示がされた。その金額をカードで払うと、商品は勝手にロボットに袋に入れられ、夫婦の前に出てきた。

「簡単だなぁ」

今度は、「お父さん」が声をあげた。

「じゃ、隣のイートインスペースに行きましょう」
「ここか。すごく落ち着いていてきれいだ。まるでレストランみたいな作りだね。人も誰もいない」
「ここに座りましょう」

老夫婦が向かい合って座ったソファの席の間には、もちろんテーブルがある。夫婦はそこに今買ったものが入っている白いポリ袋を置いた。


気がつけば「人生100年時代」と言われる。日本は豊かな国でもなくなった。

老夫婦は、食事を食べ終わると、コンビニを出て、自宅に向かった。


「いつものクリーニング屋も雰囲気が変わったね。あ、あそこも人がいない。セルフレジになったのか」
「そうよ。一昨日行ったら、レジに洗濯ものを並べると、ロボットの手がにゅーっと伸びてきて、目の前であっという間に選別するの。シミ抜きが必要なものも、その場で広げてスキャナーが調べるんですよ。そして、料金が表示されて、カードで払って終わりなの。便利な世の中になったわ」
「俺がよく飲みに行く近所の居酒屋もみんなロボットになったんだ。夕方行くと、どこからともなく、いらっしゃいませ、だよ。そして、注文すると、数分で調理されたものが出てくる。最後に支払い。人の特定も、顔認識でするらしい」

二人とも、身振り手振りで、それぞれが経験した様子を楽しそうに語り合う。話は尽きない。イートインのスペースは「あまり長居しないように」という注意書きがあるが、この老夫婦を含め、多くの人たちが2時間以上そこにいた。


気がつけば、夕日がこの都心の小さな町を赤く染めていた。その夕日を見つめる老夫婦の顔も、夕日が赤く染めた。夕日の手前に東京タワーが見える。そして、なにかにハッと気がついて、夫が言った。

「なぁ、一緒にいて、もう何年になるかな。40年くらいかな。もっとかもしれないな。気がつけば、この住んでいる街は俺達と同じ老人ばかりだ。幸い、うちは介護の必要は今のところないが、必要になれば、ケアセンターに頼んで、部屋にロボットを設置してロボットケアをしてもらうことになる。お隣さんみたいにね。そして、スーパー、コンビニ、クリーニング、居酒屋。どこにも人間はいない。ぼくら老人だけがこの街で生きている人間だ。夫婦水入らず、ってのは、このことかな?しかし、若い人も子供も、若い夫婦も、この街には誰もいない。この先、この国はどうなるんだろう?」
「いくら考えてもわかりません。私達はそうするしかなかった、としか言えないわ。あぁ、でも今週の週末は介護ロボット製造会社で仕事をしている息子の夫婦が子どもたちを連れて来るって。久しぶりに休みが取れたから、って。誰もいない、ってわけじゃありませんよ」

老夫婦の顔が、夕日の中で、一瞬、緩んだ。

そんな会話をする老夫婦の前を、葬儀の自動運転車がやってきた。介護ロボットが、隣の家の老人の死を感知して呼んだのだ。介護ロボットを取り外す係員が数人、やってきて、介護ロボットを部屋の定位置から取り外し、どこかに運んで行くために、トラックに載せた。亡くなったお隣さんには、身寄りがない、と聞いている。ロボット以外、見送る者はない。そのロボットも、電源を切られ、いつもの定位置から外され、業者のトラックの上でじっとしている。悲しんでいるようにも見える。そうでないようにも見える。動かない。

「お隣の介護をされていたおじいちゃんね。亡くなったのね」

ポツリと、妻が言う。

「そのようだな。。。。明日はご近所に葬儀のお知らせが来るだろう。俺の喪服を用意しておいておくれ。ちょっとコンビニに戻って、香典袋を買ってこなきゃ。明日の葬儀には君も一緒に来るかい?」
「私は留守番をしているわ。だって。。。」
「だって、なんだい?」
「誰もいなくなる、って、寂しいことじゃない?」

その時、その街で生きている人間は、この老夫婦だけだった。

 

「巨大災害」にはLPWAが活躍する

大阪をはじめとした関西では、なんと6月18日に発生した震度5の地震の記憶も鮮やかな7月6日からの豪雨で、多くの地域の河の堤防が決壊するなど、多大な被害を出している。私は東京に住んでいるから、2011年の東日本大震災の記憶がある。これらの「大災害被災地」の地域一帯では、「交通の遮断や遅滞(公共交通機関は使えなくなる)」「インターネットなどの通信回線の切断等」「電源の喪失」は明らかに起こる。そのため、これらの地域と外部とのコミュニケーション手段は限られる。

しかしながら、時代はITの時代であり、メッセージングなどの手段がインフラともに生きていることが前提ですべてが動いているのが現代である。しかしながらその「通信手段」が断たれるのが「巨大災害」である。

こんなとき、「数kmの距離のデータ通信ができる」「消費電力が低く電池で駆動する」などの特徴を持った「LPWA(Low Power Wide Area)」は、非常に有効な通信手段となる

しかしながら、現状では日本ではLPWA網の構築は遅れており、全国レベルでの防災網はまだできていない。既に韓国ではSKテレコム社などが中心となって、韓国全土をカバーするLPWA網ができているのだが。。。。ということで、自分にもできることはないか?と考え、LPWAのハードウエアでプログラムを書く本を上梓したのだが。。。

 


 

 

「無敵の人」の増殖は避けられないのか?

最近、駅やコーヒーショップのトイレに入ると「トイレットペーパーを持っていかないでください」とか「トイレットペーパーをまるごと便器に入れて流さないでください」などの「いたずら」についての張り紙を見ることが多くなった。日本の世の中が荒んでいる感じがするし、見ていて気持ちが良いものではない。

一方で「仕事がない」「仕事に着くのが大変」という現代のアラフォー世代「ロスジェネ」は、景気の良いときは「働き盛り」と言われた年代だが、今日の日本では、いまだに仕事がない、という人が多い。中年、そして近い将来には老年になるこの世代だけでなく、日本の社会ではさらに景気の悪化とともにリストラが進み、そこに、テロをも辞さない、と言われている「無敵の人」ができる、という警告がされている。「もう自分の人生に失うものはない」と思うと、法律、世間体、自分の命までかなぐり捨てて、自分を虐げてきた社会への「復讐」を目指す集団さえできてくる可能性がある。いや、その可能性は非常に高い。

公共の場のトイレのトイレットペーパーのスペアまで全部を便器につっこみ、水を流す、というような「匿名となる迷惑行為」をすることで、今はそういう人は「無敵の人」の一歩手前ではあるものの、無敵の人、にはまだなっていない。しかし、そこから、「無敵の人・匿名ではないテロ集団」へはほんの一歩であるように見える。

新幹線の中で「誰でも良かった」と凶行を行った男がいる。そして、ITがなければ動かないこの現代の都市部では、間違いなく、匿名性が高い「サイバー犯罪」が増えて来るだろう。現在のところ日本では「無敵の人」のサイバー犯罪はあまり見えていない。むしろ、仮想通貨の横取りなどの「利益を得るための犯罪」がまだ多い。しかし、そういったサイバー犯罪でも利益が得られなくなった場合、明らかに「全く無目的・社会への復讐だけを目的にしたサイバー犯罪」もまた、これから出てくることだろう。なぜならば、IT技術者でも、それが始まる可能性が高いからだ。いま、その萌芽をあちこちに見る。

「社会福祉」「社会保障」とはそういう「無敵の人」を作らないためのものであって、それは社会全体の安定のためでもある。決して「施し」ではないのだ。昔の人は良く言ったものだ。

「情けは人のためならず」

それは、自分が利益を得られるからするのではなく、自分の経験に照らして、それを必要としている人に、それを必要としているものを持っている人が、当然のように行う必要がある、ということを言っているだけだ。それは「社会的動物」と言われる「人」の当然の義務であって、責務であって、そして、人が人として生きていくために、必要な基本であり、心の底から沸き上がってくる感情であって、それ以上でも以下でもない。

ただ、私達は人間である。だから、それを知性によって「自覚」できる。そこに、人間の人間たる基本がある。人が人としての基本を忘れ、自覚もなくなったとき、人の社会は根底から崩壊していくだろう。

 


 

商社の記録

※本記事はフィクションであり、実在の団体、組織、人間とは一切の関わりはありません。

「あ、ありがとう。そのプレゼン資料はそこに置いておいてくれ」
「ここでいいですか?」
「いつものように、後でメールでもPDFでいいから、送っておいてくれな」
「わかりました。では、これからA社に行きますので、席にはいません」
「おお、そうか。お客様とだからな、少しは良いものを食べてきてくれ」
「とりあえず鰻の予定です」
「。。。。あまり接待費多く使うなよ」
「わかってます。ネットで安いのを探したうえに、割安クーポンをゲットしてきましたから、通常価格の半額なんで、値段的にはいつもの昼食とあまり変わりません」
「頼んだよ」

大迫部長は、その一言で、佐川を接待に送り出した。それから1時間後。

佐川がA社を接待中の昼。佐川のメールに着信があった。

●メールの文面:
—–
佐川幸教 さま
青鞜商事 人事部

本年6月10日13:00付けで以下辞令を貴君に発令します。

現職 :A社担当営業部課長 佐川幸教
異動先:なし

※なお、本メールで「異動先」に「なし」とある場合は、会社都合解雇となりますので、7月10日までに、本社事務に連絡をしたうえ、退職金納付先の銀行口座番号などをお伝ええいただくなど、手続きが必要です。また、出張等で社外にいてこのメールを受け取った場合は、その場での解雇となりますので、帰社の必要はありません。

※疑問な点などございましたら、人事部までご相談ください。

青鞜商事 人事部
—-

客の前だが、メールを見ている佐川の顔が青くなった。数分、固まっていたら、A社のお客様が怪訝な顔をしている。この事態、目の前の担当者の高橋さんに、どう説明しようか。。。。そう思っていると、佐川の携帯が鳴った。

「おい、メール行ったか?」
「大迫部長、来ましたよ。なんなんですか、これは」
「どうやら部署ごと、突然のお取り潰しだ。俺のところにもメールが来て、俺も一緒に解雇だそうだ。A社とは既にある電子商取引システムに加えて、人工知能の取引システムが加わって、営業部そのものが必要なくなった、ってことらしい。隣の人事部の部長に聞いたら、そういうことだった」

大迫部長はそこまで一気に言うと、一息ついて言葉を継いだ。

「君の机になにか大切な私物はあるか?家族の写真とか」
「いや、特にはありません。まだ経理に申告していない、この前壊れたので自費で買ったホチキスがあるくらいです」
「なにか私物で大切なものを思い出したら、言ってくれ。君の自宅に送っておく」
「ありがとうございます。わかりました。しかし、なんてことに。。。」
「銀行でも大量のリストラがある世の中だ。こういうこともあるんだろうとは思ったが、まさか自分が。。。こんなときに。。。。」

部長の言葉が途切れたところで、電話の向こうで、取締役の一人が叫ぶ声が聞こえている。どうやら、部署の使っている部屋の立ち退きが今日の夕方に迫っているので、早く立ち退きを済ませるように、と叫んでいるらしい。大迫部長は電話を続けた。

「まぁ、そういうわけだ。君はそのまま自宅に戻って、奥さんにでもゆっくり話すといい」

「奥さんに”でも”」という言葉に、佐川はカチンときた。家族になんて言えばいいのだ?「でも」とは何事だ。人をなんだと思っているのだ?家庭をなんだと思っているのだ?壊れたら取り替える電子機器の部品のような扱いじゃないか。佐川は怒りがこみ上げてくるのをおさえて、部長の電話に答えて言った。

「わかりました。そのようにするしかないようですね」

いささか怒りがこもっている言い方ではあったが、ここに至っては、感情は全部を抑えきれない。言葉に出てしまう。突然のことに、頭は真っ白だ。他のことは考えることはできないが、しばらくしたら、退職後のことを考えることはしなければならない。

接待は2時間に及び、何事もなかったかのようにA社の高橋さんとうなぎ屋を出たのは午後3時近かった。夏の日差しはまだまだ高い。佐川は真っ青な空に一羽で飛ぶ鳩に話しかけた。

「君はどこにいくんだい?。ぼくは。。。。。今から帰るよ。家にね」


それから3日後。佐川は会社に向かった。事前にアポは取った。驚いたことに、アポを取るために会社に電話をしたら、会社は全部の電話が人工知能による受付システムになっていて、音声応答、音声解析が使われていた。人事部ももうICT化・人工知能化されていて、人がいないとのことで、残っている社長と副社長のどちらか、ということでアポを取った。他の役員もみんな辞めたとのことだった。佐川は社長に会うことになった。社長に会うと、話はじめは社長からだった。

「やぁ、佐川くん、大変だったと思うが、これからはこういう世の中だ。我々はどこで食っていくかだね」
「え?社長は会社にいらっしゃるじゃないですか」
「いや、実は来週までしかいない」
「え?社長も?会社が持たないじゃないですか!」
「違うんだ。社長業も人工知能がやるとのことだ。この会社では。大株主から連絡があってね。。。。そういうことだ」
「ということは、この会社完全な。。。。」
「そうだ。無人の会社になるんだ」
「しかし、無人だったら会社じゃないですよそれじゃ。法務省から登録抹消されますよ」
「いや、ぼくら役員は名前だけ残って、実際の仕事はしないでいい、ってことらしい」
「ということは会社というよりも”お金の製造マシン”ってことですか」
「そういうことだ。しかし、我々の人間の組織だって、それを構成しているのが人間である、というだけで、それが機械に置き換えられただけだ、と考えれば。。。」
「じゃ、人間は? 株主になればいい?」
「そういうことだな。いや、それしかお金を得て生きていく術はない。聞けばどこの会社でも日本政府の政策にあわせて同じようなことが始まっている。今の日本の会社の役員や社員はこれから高齢化していく。その対策で、政府が進めているんだ」
「つまり、日本人、ってのは。。。」
「そうだ。ひょっとすると日本人ってのは。。。。」

二人の言葉はなかった。

「どうだ?今午後4時だ。少し早いが飲みにいくか!新しくできたロボットが店員のバーがある。そこに行こう!」

社長は佐川を誘った。

「行きましょう!」

佐川はこたえた。

 


 

「NHKの映らないテレビ」も要らない。テレビは要らないから。

SONYの株主総会で株主がNHKの映らないテレビを売ったら売れるという提案をした、という話があって、それがあちこちで盛り上がっている。実際、SONYは業務用のTVチューナーを持たない「画像モニター」を製品として持っているので、チューナー部分でNHKを見られないようにするだけのことで、製造は難しくない。あとは放送法がどうなっているか?放送法でNHKの映らないテレビの製造がメーカーに許されているか?罰則はあるか?などが問題になるのだろう。

とはいうものの、最近の若い人はテレビをほとんど見ない。地上波に至っては、「なにそれ?」状態である。私も1998年にインターネットの常時接続を自宅に入れたら、新聞は必要ないので、新聞の勧誘が来ると「うちはインターネットでみんな見られるからいりません」と断ったし、PCの前に座る時間がどんどん増えて、とてもじゃないがテレビを見る時間はなくなった。人間には一日は24時間しかないから、情報過多の時代には、どうしても入ってくる情報メディアの取捨選択はせざるを得ない。はっきり言えば、

テレビそのものが必要ない

時代がやってきたのだ。地上波のテレビは、現在60歳以上の人が見るか、YouTuberのコンテンツ作りの素材の草刈り場となっている程度である。日本ではこれから高齢者人口が急激に増えていくので、テレビは高齢者向けの番組しか流さなくなってきており、既に若い世代からは見放されたメディアである、と言って間違いはないだろう。映像コンテンツはインターネットの動画サイトで好きなものを好きなときに見る、そういうことが主流の時代がやってきたのだ。

テレビでも「詳しくはインターネットで」という言葉が増えた。商品を大量に売るためのコマーシャル・フィルムも、既にインターネットの動画サイトでは発表しても、テレビには流さない、というところも増えた。要するに「テレビからネットへ」の流れはもはや止めるべくもない、というところまで来ているのだ。

それでも、先日、私はテレビのスイッチを入れた。モニターとしてだ。チューナーはケーブルTVのもので、米国のドラマを見たかったからだ。それを見て、テレビのスイッチは切った。地上波を見ることは全くない。韓流が好きな人には、KBSの番組をケーブルTV経由で見られるので、それがおすすめだ。

NHKが見られないTVはおそらく売れない。TVそのものが全部なくなっていく時代に入った。残るのはチューナーを外した「モニター」だけだ。ところで、チューナーなしのモニターって商品としていっぱいあったと思うんだけれども、なくなっちゃったのかな?

 


 

「シリコンバレー」は世界に分散を始めた

Stanford Cooper St.

Stanford Cooper St.

シリコンバレーの最盛期でも、上場を果たし大金持ちになった、という会社は1000社のうち3社。シリコンバレーに行けば「必ず」成功するとは限らない。むしろ失敗のほうが多い。それが米国という「投資でお金が回っている社会」なんだね。それでいいんです。そういう社会だから。

日本のサラリーマン社会では「なにかの流れに乗ると、大きな失敗をしない限り成功する」と思われている。しかし、米国の社会はじめ、世界はそうではなく「成功というのは運(であって、保証されているものではない)」なんだな。

「シリコンバレー」という単語に、いまだに「成功幻想」を持っている、という日本人の多くの人の感性は世界では通用しない。そんなに甘くない、ってことです。

ぼくは仕事で最盛期のシリコンバレーにさんざん行ったけれども、その文化の違いは身体に刻み込んできた。だから、常に変化するあの場所でなにが起きているかの本質は少々はわかっているつもり。であれば、現在はこうなっているな、というのは、遠くから見ていても、大方わかる。情報も来るしね。

先日「サイバーセキュリティの専門家」「シリコンバレーで成功した」って言う触れ込みの人物が、日本の政府の中に入り込んでなんかやらかした、というのでクビになったことがあったよね。日本から見て「シリコンバレーで」というのは、なんか「天国に行っていい思いをして帰ってきた」みたいに感じるんだろうが、全く違う。まぁ、その日本人の、シリコンバレーの現実を知らない、というのを利用して日本での栄達をしようとして、失敗したんでしょうね。

ところで、シリコンバレー、ってのは「俗称」でね。「ナニワの地」くらいな感じですよ。実際の行政区画として「シリコンバレー」があるわけじゃない。先日も「シリコンバレーが云々」という話をする人がいたので、「で、シリコンバレーのどこ?」って聞いたら、答えられない。要するに権威付けのキーワードとして「シリコンバレー」を使っていて、それ以上の知識はないんだね。行ったことがないからだね。そこで「あぁ、そう」で話は終わっちゃう。他の話も信用できないからね。

実際のところ、「シリコンバレー」の単語は独り歩きしているので「XXのシリコンバレー」みたいな言い方がされることがけっこうある。ITはインターネット必須だから、世界のどこでなんでもできるので「地域性」はあまりなくなってきている。だいたい「シリコンバレー」という単語そのものが、インターネット以前にできたもので、それは「地域性」が非常に色濃かった時代のものだ。インターネットが空気のように普及した現代では「地域性」は薄れていくのは当たり前だ。テクノロジーもイノベーションも、「地域」の時代ではなくなった。だから今は「シリコンバレー」ははるか米国のことではなく、あなたの机の上のPCだったり、あなたが道端を歩いていて見つけたビジネスアイデアだったりする。そういう時代になったのだ。

「シリコンバレー」は既に「地域」の名前ではない。

 


人工知能は騒ぎすぎ

現代の今、このときは、多くの人がスマートフォンなど身近なIT機器を当たり前に持つ時代になり、その上で通信を前提としたシステムで多くのサービスを便利に受けられる。これは、コンピュータのハードウエアの価格の短期間での劇的低下と、計算速度などの劇的な向上、ストレージなどの記憶部品の価格の劇的低下と劇的性能向上によって、可能になったものだ。例えば、現在、世界をつなぐインターネットの接続はぼくらは毎月数千円、ときには数百円で、道端でもそのサービスを受けられる。遠く離れた米国ホワイトハウスのWebページは、東京の下町の飲み屋の中でも読むことができる。国際データ通信回線は25年前なら毎月数百万円した。「身近になる」ということは「安価になって誰でもそれに接する機会が増える」ことだ。

そして、身近になったスマートフォンやPCで、人間どうしで会話をするみたいに、なにかを無料に近いお金と手間でやってくれるサービスを期待するのは、人情というものだろう。それをぼくらは「人工知能」という言葉で表現しているのであって、「人工知能」という「なにか」がそこにあるわけではない。

事実、私もこの業界に数十年いるのだが、20年以上前から、大手企業ではロボットが人混みの中、広い工場の中を動き回り、資材や工具を運んでいた光景を当たり前に見ている。そして、そういうものを自分でも作ってきた。そのロボットは、目の前に私が突然移動すると、その姿を検知して止まり、私が通り過ぎるまで、待ってくれた。誰ともぶつからず、その役目を果たしていた。工場内の無数のロボットの動きは中央の事務所のディスプレイにリアルタイムで描かれており、ロボットの故障もわかるようになっていた。繰り返すが、これは25年前の日本での光景である。

ただし、今と違うことがある。

「価格」である。当時は、こういうシステムを作るのに、数億円はかかっていた。今はおそらく数千万円でお釣りが来るだろう。毎月のランニングコストも劇的に低下した。私達がスマートフォンなどで受けられるサービスは、毎月数百円、あるいは無料で受けられるが、同じサービスを25年前に受けようとしたら、最低でも毎月数十万円はかかったはずだ。

要するに「シンギュラリティ」の基礎は「コスト」である。お金の話なのだ。人工知能も同じで、昔からこの業界で仕事をしているぼくらにとっては、昔から当たり前のことだった。しかし、今はそれが劇的に安くなり、多くの人の生活の視野に入ってきた、というだけのことだ。

そしていま、人間の組織が行っている「事業」を「ITシステム」が置き代える時代になった。かつてはコストが非常に高かったものが、非常に低いコストで手に入るからだ。

「IT」とはなにか?「人工知能」とはなにか?

それは「便利」「素晴らしい」で語られることが多いが、それは「お金」を無視した話だ。そして、今はお金を無視できるほど、かつてより豊かな時代ではない。

だから、ぼくは言うのだ。

「人工知能は無い。あるのは時代とともに変わるコストだけだ」。

 


 

古い時代と新しい時代

朝一番で、街を歩く。近くのマンションの一階に小さな電球工場があって、朝一番で電球用のガラスを納入するトラックが来ている。電球はもちろん、いまや「形だけ」になって、白熱電球かと思って中を見ると、LEDのチップが入っている。フィラメントではもうない。さらに歩いていると、朝のゴミ集積所。ダンボール箱を潰したものは「Amazon」のロゴマークばかり。

このあたりはかつての町工場街だから、他にも小さな「匠の技」を持つ工場がある。管楽器の「絞り」を作っている工場もある。でも、その技術は今やロボットに置き換わりつつある。

昔は100万部出た本を書いた。当然だが、昔すぎていまは書店に行ってもない。が、さらに驚くのは書店そのものが減っている、ということ。だから、自分でこれから出す本は、電子書籍にした。某有名な出版元の社長も「これから紙の本はなくなる」と、言い始めた。先見の明のある人は、みんなが怖がっていることを、はっきり、堂々と言う。それが自分の生きている場所を崩すものであっても、その現実をしっかり見据え、次の自分の行くべきところを狙う。

数年前、韓国に大学教授でいたことがある。数万人の学生を擁する大学の周辺には、CDショップは一軒もない。学生はダウンロードで音楽を聞いていた。最近はそれをも通り越して、Spotifyなどのストリーミングで音楽を聞く。もう、音楽データは手元のPCやスマートフォンの中にはない。

おそらく、現在は新しいものと古いものが闘争している時代なのだ。世の中の矛盾や不都合の多くは、おそらくそれに起因する。そして、新しい時代には新しいものがやってくる必然が、おそらくある。新しいものが面白いから飛びつくのではない。それは生存競争の一部だ。