「トンデモ電磁波」のお話

ネットでは「電磁波の被害」について書いてあるホームページがけっこうある。健康被害がある、とのことだが、であれば、まずはPCやインターネットをやめることをおすすめしたい。というのは、PCなどは画面からもキーボードからも電磁波は出まくっており、おそらく、私たちの身の回りにある機器のうち、PCは電子レンジの次に電磁波を多く出しているからだ。さらに、スマートフォンやタブレットを使う、などというのは、論外である。これは電磁波の発信源として日常的なものだろう。

掃除機や冷蔵庫なども、電気を使っている以上、電磁波を出しまくる。「電磁波」とは、「電気と磁気の波」である。つまり、電気が変化すると、その変化にともなって、周囲に磁気の変化ができる。その磁気の変化があると、それにつられて、また電気の変化がある。この連なりが「波」になるから「電磁波」というのである。「電波」は「電磁波」を詰めた表現であって、要するに同じものだ。自動車、電車、バスなども、電磁波だらけであるので、電磁波を避けたいのであれば、乗るのは控えて、歩いたほうがいい。また、現代の乗り物だけではなく、建物の中も電磁波だらけであるので、住むのであれば、深い山奥の森林の中で暮らすのが良い。当然だが、送電線や電波塔の近くなどでは特に強力電磁波が出ているので、森林の中といっても、そういうものがないところを選ぼう。また、「宇宙線」という、空から降ってくるものもあるが、これは、宇宙空間を飛び交う高エネルギーの放射線のことである。ちなみに、原子力発電所で使う「放射性物質」は「アルファ線」「ベータ線」「ガンマ線」などの「放射線」を出すが、この放射線と呼ばれているものは全て電磁波の波長がより短くなったもので、元は同じだ。つまり、この世に生きている限り、私達は「電磁波」は常に浴びている。どうしても電磁波の被害をなくしたい、電磁波は浴びたくない、というのであれば、あの世に逃げる以外に、逃げるところはない、ということになる。一度死んでみたらいいのじゃないかと思う。←冗談です。お気になさらぬよう。

人工的に電磁波が無いところは実はある。「電波暗室」という施設がそれだ。これはスマートフォンなどから出る電波を調べるのに、外部から入ってくる電磁波を極力少なくするように作られた施設だ。電波暗室に住む、というのも悪くはないが、かなりお金はかかることは覚悟しておく必要がある。

ことほど左様に、実は現代の生活では「電磁波(電波)」はどこにでもあって、いつでもそれを浴びている。現代どころか、太古の昔から、人類は電磁波を浴び続けているのだ。だから、電子レンジのような超強力な電磁波を避けるなどのことをすることくらいしか、私たちはできない。また、あまり強力ではないが、人体も電磁波を発しているのはよく知られている。電磁波を避けるために、幽体離脱などの術を会得するのも良いかもしれない。←冗談ですってば。

ちなみに、電子レンジがものを温める原理はご存知だろうか?電磁波のことを言うのであれば、そのくらいはわかっていたほうが良いと思うのだが。

「電磁波は体に悪い」というネット言説は非常に多いが、どれもこれもいい加減なものが多く、信用に値しない。

 


「こりゃダメだ」というIoTのお話

なんというか、最近はIoTでなにができるか?ということを考えるときに、開発者が自分で「ああでもない、こうでもない」と考えるのが流行っているのだろうか?実際、ここに使ったら、いいですよ、という提案をするとき、独りよがりなものを多く見る。たとえば、地域の老人向け・買い物難民向けのシステムとかを考えた、というのだが、そのアイデアを考えた元のサンプルとなる例は「うちのおばあちゃん」だけだったりする。そして、自分の考えたことに固執するあまり、他の会社や人が考えたもっと良いシステムに目が行かない。「なんだ、自分の考えたものでなくてもいいや」と感じたとき、そちらにスイッチを切り替えることができない。自分で考えて自分で作って、自分で成功させる、と考えて、その考えから出ないから、当然、ひとりよがりなものになってしまい「成功」からは当然遠ざかる。そして、そういう場所にいる自覚がない。

目的は「高齢者の買い物難民救済」であることが忘れられ、自分のシステムを世に出すことだけが目的になっている。言い換えれば、「買い物難民」は、そのためのダシである。本当の買い物難民その人にとっては、いい迷惑である。そんなシステムは当然、誰にも使われない。いくら良いものだったとしても、その元にある動機がそういうことであれば、「その手に乗るかい」ってことになる。人間ってのは、そういう動物なんですよね。そして、そういうシステムは机上では考えつかない欠陥がどうしても出て来る。現場に行って調べないで自分の頭のなかでだけ作った世界の中で、自分が考えている老人像や買い物像というものばかりで世の中の仕組みを組み立てて考えているからだ。

私が見た例では、介護施設のシステムがある。システムを作った人は、介護施設では身体の動かない人ばかりがいる、というふうに考えてシステムを作る。ところがどっこい、身体は非常に健康だが、認知症で手がつけられない、という人もいるのだ、ということが忘れられ、その健康ゆえに施設から逃亡する、という人もいることが忘れられている。しかし、現場で見たその「事実」には目を向けず、ひたすら自分のシステムを作って「お客様」に渡す。結局、そのシステムは使われない、なんてこともあった。特に、介護施設では食事は非常に健康に気をつけて作られているので、入所したときは健康状態が悪かったが、入所してから急激に改善してしまって、介護施設から出ていく、って人もいたりする。「自分が考えたシステムから外れる人」は、見なかったことにして、システムを作る。結果は無残なものだ。

そういう「施設から逃亡する入所者」は、やはり自分勝手な人も多く、けっこうよくものごとを知っている。よく「その人がどこにいるかわかるようにするために、首から無線で位置情報が取れるカード機器をつけるといいんじゃないか?」なんて提案する人もいるが、そういう人に限って、「こんなものいらない」と、首から下げているものや手首や足首についている、GPSの無線通信機は勝手に取り外す。それが着ている服について外せないものであれば、その服を脱いで別の服を着て逃亡の実行に及ぶ人もいる。これが現実だ。

物事をお金と機能だけ、システムだけで考えると、うまくいかない。人間には感情があり、その感情が「見える」ものなのだ。そして人間は意外な行動するものだ。そして、自分が想定した意外なシステム利用者の行動を見たとき、その現実を受け入れる柔軟な頭がないと、いつまでたっても、そういう場所で使ってくれるシステムが出来上がらない。そういうものなのだ。

世の中がおかしいのだ、というのは簡単だ。必要なのは、そういう世の中にあって、自分をいかに変えていけるか、だ。システム開発というのは、そういう仕事なのである。

これはどんなシステムにも言えるのではないだろうか?