「デジタル」なもの

最近のネットを見ていると「デジタル」という言葉がたくさん出てくる。「デジタル」に対するものは「アナログ」である。時代が「アナログ」から「デジタル」に変わったのは、既に20年以上前の話なので、いまさら「デジタル」っていうのは、その、なんというか、それ自身が非常に古い感じがする。ある記事では、銀行の基幹システムを「デジタルではない」システムと言っていて、最近のWebでの顧客インターフェイスなんかを作るのは「デジタルな仕事」って言ってるのを聞いて、ぶっとんだ。

20年以上前に作られたとはいえ、銀行の基幹システムは「デジタル」の「コンピュータ」である。今どき、アナログのコンピュータを使っているところなんて見たことがない。それに、アナログコンピュータはあることはあるが、科学技術計算などで使うものであって、大量の顧客データとか銀行の業務のトランザクションをするのとはコンピュータの種類が違う。そして、今は全く使われていない。現在であれば、自動車のダッシュボードの計器類だってデジタル表示だし、今やデジタルではないものを探しても、まず見つからない。しかしながら、よくこういう記事を読んでみると、「デジタル」というのは「新しい世代のなにか」を言うときに、「感覚的に」使われていることばなんだな。厳密な意味ではない。だから、ぼくは「デジタルってのはそもそも。。。」なんて知ってはいるが、言わないようにしようと思う。しかし、それにしても「デジタル」ってのは、それ自身が古い言葉なんで、やっぱ違和感あるよなぁ。

また、メディアとかエンターティンメント関係者は、古い作品を新しいキャストで作り直す、というのを「リブート」って言うんですよね。これにも違和感あるんですよねぇ。もともと、コンピュータのOSなんかを電源を入れた直後の状態から使える状態にするまでのことを「ブート(Boot)」といって、リセットボタンなんかを押して稼動状態から再度立ち上げ直すのを「リブート(reboot)」というわけだが、リブートってことは、リブート前の状態と寸分違わぬ状況にする、ってことなんで、キャストが違ったりすると、感じが違うよなぁ、と思うのですね。

で、「デジタル」の話に戻ると、「新しいもの」を少々かっこ良く言うために「デジタル(的)」と言っているのを、まあ違和感はありつつも「そんなもんだな」と納得するのは良いとして、なぜ新しいものを「デジタル」と表現するのか?と言うことを考えると、そういう言葉の使い方をした「前の世代」がいるんですよね。つまり、もう退職したくらいの世代の文系のおじいちゃん、おばあちゃんが、そういう表現を使っていた。ぼくは工学部で通信工学科を出たから、ハードウエアもソフトウエアも扱える。今もそういう仕事をしている。アナログ技術もデジタル技術もみんな頭の中にきっちりあるから、まぁ、正確な定義は知っている。デジタルだから新しい、とも思わないし、アナログだから古い、とも思わない。

でも技術を知らない多くの人はそういう言葉を「感覚的」に使う。そして、「感覚的に使ったとしても」、やっぱ「デジタル」が新しいもの、の言い換えってのは、前の前くらいの世代がやったことそのままで、その、なんというか、もっと新しい言葉はないの?とか思っちゃうわけですね。感覚的、情緒的表現で、ITの専門用語を使うのは、まぁ、許す。でも、前の前の世代くらいが使っていた古色蒼然とした「デジタル」なんて言葉のホコリを払って、今更使うなんてのは、なんていうか、進歩じゃなくて「退行」だよなぁ、これからどうするの?なんて思っちゃうわけですよ。

 


 

小松左京の時代といま

伊藤穰一が「BIとAI」ということをよく言っている、と聞いている。「Before Internet(インターネット以前)」「After Internet(インターネット以後)」という意味だが、純粋技術的に言うと「Before Digital(デジタル以前)」「After Digital(デジタル以後)」だろう、と、内側から見ている私は思う。実際、インターネットはデジタル技術がベースであり、アナログの時代=Before Digitalの時代には、デジタル技術は「パルス技術」と呼ばれており、私も大学生のときはその名前の教科が必修だったことを覚えている。

デジタルのデータ通信技術、デジタルのデータ蓄積技術、デジタルの高速化技術、デジタルデータのシリアル化などの技術(いや、これらの用語がわからない人はわからないでもいいんだが)、が、デジタル技術の進展に伴って、多くの可能性が出てきた。これらの技術の先には、デジタルデータを使った画像処理、画像表示、動画、音声などの現実世界とのインターフェイス技術が現実化してくる。そうなってはじめて、インターネットという「ネットワーク」という抽象的な概念を現実化できる段階になる。それまでは理論であったものを、実際の技術に落とし込み、現実の世界に適応させる。つまり、多くの技術評論家が話す「夢の未来」は、こういう過程をすっ飛ばして、「こんなことができます」と、見えるところ=表層を撫でて、何らかの解説をした気になっているに過ぎない。

既にデジタル技術の洗礼を受けていた私のような研究者&技術者にとっては「インターネット」は驚きでもなんでもなく「当たり前のこと」でしかなかった。しかし、その一般社会に見えるところのEffectは当然インパクトのあるものになるであろう、と予想できたし、実際、それがあったから、インターネットは面白い、と感じて、誰もがわからなかった時代にそれを扱ったのだ。実際のところ、インターネットの最初の頃は「そんなの当たり前だろ」くらいに考えていたぼくは、周辺の技術者よりも遅く、本格的にインターネットにかかわり「当たり前」の道を歩んだ。研究者&技術者として、社会的インパクトはそりゃ面白かったが、それ以上に面白いものがあった時代でもあったからだ。

それでも、ぼくがインターネットに本格的に関わったのは、世間一般よりも早かったと言っていいだろう。「ああ、そろそろやらないとね」と始めたのだ。だから、インターネットの出現に驚くことはなかったし、それのはるか以前から、インターネットは見ていたから、別に自分にとっては、特別なことでもなんでもなかった。当時、Microsoft社もインターネットには出遅れていたので、まぁ、同じ気分だったのだろう。

日本では「小松左京」が「日本沈没」で大ベストセラーを出したのは、1973年。まだデジタル技術も表には出ず、インターネットもなかった時代だ。Webが世の中に姿を表したのは(ブラウザができたのは)、1993年だから、それから20年たっていたわけだ。つまり、「日本沈没」はデジタル技術が一般的でなく、インターネットさえなかった時代の「空想科学小説」であったわけだ。

デジタルとアナログの技術は実は大変な違いがある。単に表層しかみえていない人にはわからないだろうが、それは技術の革命であり、技術の民主化であり、現代の技術の全ての始まりだった、と言ってもいいくらいだ。この革命のさなか、ぼくは日本にいて、日本の高度経済成長期の終わりの一番栄えた時期にこれらの技術に、自分の人生の一番活発な時代に肌で触れた。おそらく、私の時代以後の技術者や研究者がこういった本当の最先端に触れられる機会はもう日本には訪れないだろう。その時代の頂点が重なった「幸運」は、もう日本には訪れないと、ぼくは思う。それくらいの幸運だった、と、今になって思い出す。

そして思うのは、そういう幸運に恵まれた時代を過ごした自分の義務についてだ。

 


 

失敗するIoTとは?

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あなたのIoTプロジェクトは失敗する可能性が高い。なぜかというと、IoTのシステムは「エンジニアであれば誰でもできる」というものでは、全くないことに気がついていないからだ。私のセミナーを聞いている方にはちゃんとこの辺りの詳細をお話しているんだが、IoTプロジェクトの一番の問題は、それができる技術者の不足がある。これが現実だ。解決策ももちろんあるのだが、現状の日本では少し難しいかもしれない。

まず、現在のIT業界では、IoTで必要な、ハードウエア、ソフトウエア、アナログ電気回路、デジタル電気回路、ネットワーク技術、そのすべてを実際の現場で作ったことがある人材が非常に少ない。アマチュアの遊びの電子工作ではなく、実際にお客様が目の前にいる抜き差しならない現場でこれらの技術を基礎から習得して身につけた技術者は本当に少ない。実際、IoTと一言で言うものの、その製品を作る技術は非常に広範でかつ深い。文学の分野で言えば、法律も経済もシェークスピアもクラシック音楽もロックも、みんななんとかできますよ、仕事でみんなやりましたよ、という人が必要になるのだ、と言えばわかりやすいだろうか?

だから、IoTプロジェクトの成功の大きな鍵は、これらの技術を持ったうえ、さらに現場での経験の豊富な人材にある、ということになる。業務システムを作ったことがあります、程度のエンジニアとかWebをやったことがあります、という程度のエンジニアでは、持っている分野が狭くて、全くものの役に立たないのだが、そんなこととは全く知らず、またそういうエンジニアがどこにいるのか、ということもわからずにIoTを叫んでも、正直なところ、プロジェクトの成否は全く藪の中だ。

コンピュータが出てきたのはおおよそ50年ほど前だが、特にこの20年くらいは、大学や職業訓練校の教育では、「ソフトウエア」「ハードウエア」「ネットワーク」「セキュリティ」などなど、さまざまな分野で専門的なものを教育してきたが、できあがった学生はそれぞれの専門にはなりえても、総合的にシステムを考えられる人材はほとんど育たなかった。ましてやこれに「お金」というコストの問題がかかわると、それを考えられる人は、さらに少なくなる。加えて実際の現場では、たとえば無線LANを使うにしても、ノイズの問題などを考える必要うがあったり、防水の筐体はそうするのか?など、いろいろな現場なりの問題が多々ある。これらのすべてを経験している人材はさらに少なくなる。日本ではおそらく、まともなIoT機器を一人で作れる人間もチームで作れる人間も、50人いるかいないか、という程度のものだろう。

世界的にはIoTの時代がやってきたことに間違いはない。しかし、日本ではそういう人材は非常に少ない。「まともなIoTシステムの作り手」は非常に少なく、かつ貴重だ。Aさんのやっている開発をBさんがすぐに代われる、というものではない。

これから、日本のITはどうなっていくのか?実は私はこのことをすごく憂えている。