「アルマーニ標準服」公立小学校のお話

いま、あちこちで話題になっている「銀座の公立小学校の校長の独断で、標準服(実質の制服)に、アルマーニ9万円」のお話はあちこちで議論を呼んでいるようだが、そのあちこちのニュースとかWebとかの情報をまとめると、どうやらいろいろ言われているものの、マスコミに取り上げられたことによって、以下は決まったみたいな感じがする。

  1. 校長の次期の再任はない可能性が高いこと。
  2. アルマーニの担当者も不本意なところに左遷される可能性があること。

こういうことはよくあることだが、おそらく、マスコミが騒いで表面化しなければ、こういう結論もなかったんじゃないかと思うのだが、どこかの誰かがチクったのであろう、と想像するが、それが誰であるかは、この時点ではまるでわかっていない。ぼくも知らん。

実際のところ、小学校は義務教育であり、泰明小学校は、銀座の酔っぱらいが夜にチューハイの缶を投げ入れるなどの蛮行の被害はあるにせよ、希望者が入学する、という「特認校」であって、「義務教育」の中でもまぁ、半分私立、半分公立みたいなビミョーな立場の小学校であるらしく、「いいんじゃないの?これで」みたいな話もあるらしい。

ただ、ぼくが気になるのは、そうではなくて、「標準服」という名前の制服を小学校の子供に着せるのは、親の自己満足だよ、ってことだね。世界を見れば、人種は多様化し、インターネットと高速・安価な物流と人流の影響で、世界は変わりつつあるわけで、まずはその「国際化」の対応、ってのは、なににつけても、日本という地域のちからを強靭にすることを目指さないと、そりゃ没落するよねぇ、ってなるわけですね。だから、日本以外の国籍の子供も大量に受け入れて当たり前の地域にある小学校なんだからさ、標準服という名前の制服廃止、その代わり、IT化とか国際化に、しっかり力を入れて欲しいと思うわけですよ。世界を相手にする未来ある子どもに、日本の中だけの規則や服を受け入れさせて、大人がノスタルジーに浸った自己満足をしている場合ではない、ということね。

たださ、「国際化」って英語のことじゃないからね。どの国に出ていっても、適応可能な柔軟な考え方を持って、自分を成長させていける力を持つことが「国際化」ですわな。言葉のことだけ考えても、今は「英語」に加えて「北京語(Mandarin)」なんてのが当たり前になりつつあるわけですよ。現在世界一の高級取りになったシンガポールでは、金融関係のサラリーマンは、「英語」「北京語」「現地語」の3つが喋れて当たり前なんだから。

っていうことでね。もう古い人の「ムカシハヨカッタ」に付き合っている場合じゃない。せっかく「9万円のアルマーニ」が問題になったんだから、それをきっかけに、こういう「実質的な議論」をして欲しいな、と思うわけですよ。日本の将来がかかってるんだから。