インターネットは「テクノロジー」ではない

インターネットというのは、デジタル・テクノロジーをベースにしているが、テクノロジーそのものではない。デジタル・テクノロジーを使った「革命」だったのだ、というのが、私の見方だ。

その昔、電気の発見があり、電灯ができた。そのテクノロジーの起こしたことは、人間の活動時間を増やす、ということだった。このときは「テクノロジーと人間社会の変化」は直につながっていた。しかし、インターネットが起こした革命は「人間を地域という軛から開放した」ということだ。

現在の人間の社会の秩序は、かなり昔から、基本的に「地域」で区切られてきた行政区画ごとに作られてきた。しかし、良きにつけ、悪しきにつけ、インターネットは地域を超えた人間どうしのコミュニケーションができるようにした。そのため、これまで数百年にわたって人間社会をかたち作ってきた「地域」というものを根本的に否定した。さらに、人の流れ、モノの流れも、飛行機などの地域間を安価で大量にすごいスピードで誰でもが移動できる手段ができて、さらに「地域」というものの重要性が減った。

しかし、人間の社会はここ数百年以上にわたって、宗教なども含め「地域」をベースにしてきたもので成り立ってきた。「地域」が大前提なのだ。「地域」はあらゆる人間社会の基礎だった。しかし、現代においてはその「基礎」そのもの、その前提を否定、あるいは弱体化することができるテクノロジーが出来、それを「地域消滅」に持っていくための、新たな文化が生まれた。それがインターネットだ。

だから「テクノロジーの発達が人間社会を変えた」のは間違いないのだが、それは「テクノロジーを使って人間社会の文化に革命を起こし、人間社会を変えた」のである。人間の社会は今までの旧文化と新文化の過渡期にあり、それぞれが混ざり合い、淘汰のための闘争を始めたのだろう。そして、最後は「新しいもの」が勝たざるを得ない。おそらく、そういうことが、これから始まるのだろう。いや、そうであろう、と思って、ぼくらはインターネットに飛びついた。変化は大きな変化ほど楽しいからだ。

 


 

マーシャル・マクルーハンについて

ぼくがマーシャル・マクルーハンのことを知って興味を持ったのは、高校生のとき、図書室にあった竹村健一氏の本でだった。読めば「内容がメディアを規定するのではなく「メディアが内容を規定する」という、面白いことが書いてあった。今となっては当たり前のことだが、今の言葉で言うと「コンテンツがメディアを選ぶのではなく、メディアがコンテンツを選ぶ」ということだ。内容が外形を規定する、という従来の考え方ではなく「外形が内容を規定する」という考え方は当時は新鮮だった。しかし、あっという間にインターネットの時代になると、「メディア」は「インターネット」というインフラの上で多様化して現れてきており、テクノロジーの様相が随分変わった。

デジタル通信テクノロジーは、そのネットワーク・トポロジーを規定するだけで、その中を通るデータは気にしてない。そのデータが音声であろうが動画であろうが静止画であろうが文章であろうが何でも良いのだ。つまり、マクルーハン流に言えば「メディアがインターネットを選ぶのではなく、インターネットの上では何でも選べる」のだ。そうなると、マクルーハンの時代には「テレビ」というメディアが新しく、それがどう世の中を変えていくか、という議論だったが、今はインターネットがどう世の中を作っていくか、という議論になる。つまり、「時代の流れ、社会の変化」が、かつては(マクルーハンの時代には)「テレビ」というメディアに規定されていたのだが、今は時代とインターネットが渾然一体となって、新しい世の中を作っていく、というモデルに変わりつつある、ということだ。

つまり、インターネットは社会インフラとなり、「人間社会とはインターネットのあるところだ」ということになったのだ。

インターネットの出始めのときに「これは面白い!」と飛びついたのだが、それはテクノロジーではあるのだが、実はテクノロジーと言ってしまうと大きく間違えるところもある。それは「テクノロジーを支える思想」がまさに地上の人間社会に具体的に降臨したものなのだ。ぼくらはその最先端でインターネットそのものを作ってきた。やがてぼくらが作ったものの上に、みんなが社会生活を営みはじめた。ぼくの目から見ると、そんな感じだった。

そのとき、ぼくらは思ったものだ。「ぼくらはマクルーハンを超えた」と。

そして気がついたのは、実はインターネットは「テクノロジー」ではなく、思想であり哲学なんだな、ということ。だから、インフラ足り得たんだが、これを「テクノロジー」という言葉でくくると、大きな間違いを犯すことになる。でも、それはわからない人には永久にわからない。テクノロジーはそれを実現した手段にしか過ぎない。

それが「テレビの時代=アナログ技術の時代」と「インターネットの時代」の大きな違いなんだね。そもそも、なぜアナログではなく、デジタルなのか?この変化は必然的に起きたものだが、なぜそれが必然なのか?そのことを答えられないと、実はマクルーハンとそれより後の世代がどのように変わっているのかが見えない。そもそも、デジタル技術はなぜ生まれ、なぜ普及したのか?それを説明できないうちは、インターネットの本当の意味さえ咀嚼できないだろう。そういう人は時代の変化の表面だけを見ているから「テクノロジー」という言葉しか思い浮かばないし、まぁ、そういう人はそういう人で構わないとは思うんだが。

結論としては、いまどきのメディアは「Broadcast」のみ、ということはなく、インターネットがあることによって、「Broadcast」も「双方向」も「個別同士の通信」もみんなできる。しかも、文字テキスト、音声、静止画、動画、なんでも使える。それは従来からの概念の「メディア」ではない。インターネットはインターネットなのであり、それ以外ではない、という存在となったのだ。このことの理解に「テクノロジー」という言葉は似合わない。むしろ「Revolution」のほうが似合うだろう。

マクルーハンの「古き良きテクノロジーの時代」は終わった、とぼくは思う。

 


 

IoTをやるなら「インターネット」とか「センサーとかを知らないと

IoTのプログラムを組むとき、Raspberry-Piがあればいい、C言語でプログラムが組めればいい、ということだけではない。IoTというのは「Internet of Things」の略だ。ということは、インターネットで通信ができるプログラムを組める必要がある。また、センサーのことについての知識も必要だ。その入口はこの本でわかる。ということで、4冊めのKindle-KDPでの出版です。日本の技術者をIoTで賢くしたい。

 


 

インターネットが始まった頃

いまや、スマホ、PC、ケータイ、スマートスピーカー、と、インターネットにつながらないものはない、という時代である。インターネットが正常に動かない生活はもはや考えられない。私たちの知らない社会の裏側でも、人と人のコミュニケーションだけではなく、さまざまなインフラがインターネットに接続されており、既に、インターネットは「止められないインフラ」となった。「デジタル社会」という「デジタル」を含んだ単語は多いが、「デジタルが社会である」、そういう時代になった。既に、デジタルではないものを探すほうが難しい。そして、「デジタル」はインターネットに即につながる。

私達がインターネットを始めた頃、それは米国で始まっていて、米国にはしょっちゅう行った。円高で日本の景気も良い時代だったから、米国に行くお金とかはあまり気にしなくても良かった、という時代でもある。いまの感覚で「米国に行く」というのとは、ちょっと違う。日本からのノービザ渡航は当たり前にできていたし、私が米国の行き始めたときは、ANAの国際線が始まった時期で、東京からLAに就航したANAの新しい便に乗ったこともあった。

その時代、「インターネットってなに?」とよく聞かれた。今でも思い出すのは、その頃の「IT業界人」の扱いだ。いや、その時代はITという言葉がなかったから「コンピュータ業界人」になる。「なにやら、一人で、多くの人がわからないことを嬉々とした顔でやっていて、わからない言葉を使う、暗い人たち」だった。ネガティブな評価はあってもポジティブな評価は少なかった。SONY、富士通、日立、三菱、シャープもPanasonicもUNIX(今はLinuxになっちゃったけどね)のコンピュータとかを作って売っていた。日本企業が元気な時代でもあって、工場ではインテリジェントなロボットが広大な敷地の工場の中で、工具や資材を運んでいた。そのロボットの前に私の足を出すと、ロボットはさっと止まって、私が通り過ぎるまで待っていた。こんな風景が当たり前だった。

この時代のことは話せば長くなるが、私の会社はコンピュータと通信をやる会社だったのだが、当時はまだそういう会社は少なく、黙って仕事をしているだけで、仕事が向こうからやってきた、という感じだ。

で、なにが言いたいかというと、その時代でも、インターネットが出現したときは、ほとんどの人がそれがどういうものかわからず、社会の片隅で、ぼくらだけが「これはすごいことになるぞ」という予想と信念を持って、なんだかわからないと言われた「それ」と格闘していた、ということだ。

おそらく、今という時代でもそれはあって、迫害され、虐げられ、無視されるものの中に、近い将来に世界を席捲していくものって、きっとあるんじゃないか?誰も理解できないから、誰もが無視した、そのものの中に、時代を切り開く新しいものがあるんだろう、と言うことだね。いやもう、人に認められないことをやる、ってのは、精神的にすごくキツイですよ。

だから、ぼくには「イノベーション」なんて言葉を軽々しく使う人には、正直反発してしまう。「うまくいきそうなものに乗っかってるだけ」が、「イノベーション」の言い換えだからだ。本当の世界を変えるイノベーションは、おそらく、今言われているイノベーションよりももっと深く、そして、多くの人にはわからないところに埋まっている。そして、それを見つけて、目を輝かせて掘り起こす人も、今もまだきっとどこかにいるのだ、と、希望をつなぐ。

 


巨大災害時にはインターネットは使えない

最近、有るハッカソンで「災害時の安否通報システム」が賞をとった。そのシステムの基幹には、なんとインターネットの接続が使われている。インターネットの接続は、私達が3.11で経験したように、巨大災害では全く止まってしまうし、携帯網も実用には耐えないくらい遅くなって、要するに使えないのと同じである。災害時には、インフラの破壊が当たり前に起こる。しかし、そのハッカソンではインターネット網をベースにしたシステムで災害情報を流そう、というシステムが賞を取る。

なんというか、平常時に災害時のことを想像できない、というのは、一言で言って想像力の欠如であって、その程度の想像力で災害時を考えよう、というのがだいたいおかしい、というのは誰でも気がつくことだろう。

その昔、某社の「成功例」としてよく語られていた全国の雨量を集中して監視できるシステムを作った方にお会いしたことがあった。公衆の電話網を使うため、通信費が安く済んでシステムの開発費も維持費も安くできた、というのが、そのシステムの大きな評価されたポイントだった。その開発をした方とお話をしていると「実は、肝心なときに動かなかった」という話をお聞きした。聞けば、集中豪雨などのとき、そこには電話が集中するので、電話網が混んで使えないため、肝心の雨量のデータが取れなかった、というのだ。つまり、一番データが欲しいところからデータが取れなかった。これは致命的な話だ。

今考えれば、なんとも間抜けな話、ということになるが、「平常時」に「非常時」を想像できない、というのは普通のことなのだろう。しかし、だからといって、非常時に使えない非常システムにお金を浪費する、というのは、やはり無駄以外の何者でもない。

非常時の想像力は、単なる想像力からではなく、経験からしか生まれない。経験が無い人間には、あるいは経験してもそれを身に着けられない人間には、いくら話をしても無駄なのだ、というのが、私の経験だ。

 


IoTでのセキュリティがなぜ大きな問題になるのか?

Roppongi Hills / Minato-ku, Tokyo

IoTは「Internet of Things」の略であることは、よくご存知だろう。「インターネット」を使わないと、「IoT」ではない。つまり、測定する結果をどこかに送るにしろ、それを受けるにしろ、あるいは、制御情報を送るにしろ、それを受けるにしろ「インターネット」をデータが通らないと「IoT」とは言わない。つまり、「IoT機器」は全て通信にインターネットを使うことが大前提だ。なぜインターネットを使うかというと、遠隔地でデータのやりとりをするからだ。それにインターネットを使うことにより「専用のデータ線」を使うよりも思い切り低いコストで遠隔地どうしで通信ができるのだ。

また、最近のIoT機器で使われている人工知能システムなど、小さな筐体に入りきらない高性能なソフトウエアや、膨大なデータは、クラウドシステムとのデータのやり取りをインターネット経由で行うことは当たり前になった。であれば、インターネットを使わないIoT機器は全く考えられなくなった、と言っていい。

しかし、インターネットを使う、ということは、インターネットという大海を通して、データがやりとりされるわけで、そうなると、大海にいるのは、サメであったりクジラであったり、つまり、ハッカーなどが常にやってくることを考えて、IoT機器を開発しなくてはならない、ということだ。「IoT機器にはハッカー対策は不可欠」ということは、つまりそういうことだ。

 


明けましておめでとうございます

多くの方に、SNSで「明けましておめでとう」を言いました。このBLOGでもそうしたいと思います。

●昨年は、シリア・アレッポの問題などを見るにつけ、本当の戦争以上に、ネット上の「情報戦争」が激しく戦われている、そういう動きを感じました。結局のところ、インターネットがあるために、世界中、「国境」が関係ある時代ではなくなった、ということを感じます。世の中が変わっていくその音が大きく聞こえています。「時代の歯車」というものがもしあるとすれば、それが大きく動く音が聞こえたのが、2016年というときだったのです。

●その元となったのが、私達が30年前に日本に持ってきた「インターネット」やその周辺の技術であった、というのは、自分にとっては、一つの喜びです。インターネットがあるために、「情報戦争」が本当は第三次世界大戦として始まったのではないか、と、そういうことも考えたりします。つまり、エーテルのような「メデイア」として、私達の周囲に見えないけれども重要な「空気」のような存在として、インターネットは使われはじめました。

●単なる「利便性」の枠を越え、生活の一部となり、道具となり、武器となり、国境を壊し、人々の生きる場を拡げ、また、苦悩も増えたかもしれませんが、人間が生きる選択肢を増やした。それが私達が作ってきたインターネットであった、と、思い出し、U.C.Berkeleyでインターネットやその関連の技術の本を買い漁ったときを、今さらながらに思い出します。そのとき、私達は「これが、なんだかわからないが、世の中を変えていく」という確信に満ちた胸をいっぱいにして、本当にワクワクしながら毎日を過ごしていたことを思い出します。そこでは「技術」は世の中を変えていく道具であり、単なる「技術」ではありませんでした。だから、私だけではなく、多くの人たちの胸を踊らせ、今日まで来たのだと思います。

●今年も、世の中を変えていく。来年も世の中を変えていく。

本年もよろしくお願い申し上げます。

インターネットは今や「バカ発見器」になった

1980年代終わりに初めてインターネットに接し、1990年代前半に初めてWWWと接し、インターネットは急速に広がった。

最初はぼくらのように、その方面の技術を習得した人間だけが「インターネット」を触ることができた。勉強しなければならなかったし、その勉強がとてもおもしろいものだった。面白いから、この方面の勉強をした、と言っていい。その面白さとは「いま自分が手にしているものがエジソンの電球のように世界を変えるかもしれない」というワクワク感だったし、それ以上でも以下でもない。

「つまらないものなんかやりたくない」

簡単に言えばそういうことだったし、今もそうだ。これは自分の人生を考える上での「原点」だったな、と今にしても思う。面白いことがなくなれば、ぼくは死んでしまうかもしれない。人間にはいろいろな「役目」が社会にあると思うが、ぼくの役目は「なにがなだかわからないこと」を、みんなのわかるものにしていって、世の中に新しいものを投入していく役目なんだな、と自覚している。ぼくにとって「面白いもの」とは世の中に劇的な変化を作るものだ。

時代が20年ほどでアッという間に変わって、インターネットは就職に困るような「お金持ちではない」「身寄りさえもない」人たちが、自身の税金の支払いを滞納してまで使うものになった。それは人が生きていく基本としての「人と人とのコミュニケーション」にかかわっており、「水」「食べ物」「安心して寝られる場所」「ある程度以上の清潔さを保つこと」などの基本的な「インフラ」と同じくらい大切なものになった。

そして、インターネットへの参加は、掲示板システムなどのアプリケーションのレベルで大きな影響力を世界に及ぼすことになった。低所得の人たち – これまで社会の底辺にいた、人とのコミュニケーションのマナーも知らない人たちがインターネットを使い始め、遠く離れた不特定多数の人とコミュニケーションをすることができるようになった。「死ね」などの下品で直接的な「不快の表現」はちょっと見ると汚く、取り上げるに値しないものと見えるだろう。でも、それしか言えない人たちがこの世の中にはたくさんいるのだ。

なぜ自分が社会の中でこんな役目を負わされなければならないのか、という、プレッシャーへの怒りの感情をぶつける場所としても、インターネットは機能している。しかもそれが自分のつぶやきだけではなく、多くの人に知れ渡る。共感する人も出てくる。社会の底辺の人たちが自分たちのいる場所に気が付き、やがて「団結」するそのときを、インターネットが触媒のように助けるだろう。

エジソンの電球は世界を明るくし、暗闇の中で「自分がいま、どこにいるのか」を照らしだした。インターネットは人々の心に、この社会の中で「自分がいま、どこにいるのか」という、なんらかの気づきと、次の時代への道をほんのりと見せることができるところまできた。離れた人たちがお互いの「境遇・思っていること」を、共有できる、そんな道具を作った。それがいかに汚い言葉であろうと、そのホンネでのやりとりが、世の中を変えていく、といまだにぼくは思っている。

ぼくはこの世界では「研究者」「技術者」というカテゴリーに入るだろうが、なんのための技術なのか?という「動機」が本当は大切だ。「バカ発見器」の無かった時代は、誰かに「おまえはバカだ」と言われなければ自分のバカがわからなかった。それが本当であるか、ウソであるか自分で判断することはできなかった。そこに地域の権力が絡んだ。でも、いま「自分はいかにバカであるか」を、社会全体から見た自分のいる位置を見据えるための道具ができた。

道のりはまだまだ遠いかも知れないが、これはより多くの人を「知」の世界へと導く細い道ができたのに等しい。下品だ、とか、便所の落書き、と言われるようなその場所を、インターネットが作ったことは、そしてその黎明期に自分の人生のかなり長い時間が関われたことが、自分としては大変な喜びだ。だから、ぼくは言わないのだ。

「こんなはずじゃなかった」

と。