仕事のメインのコミュニケーションで電話を使う会社は潰れる

このところ、様々な方々とお話をするとき、連絡には電話、ってのはかなり少なくなった。理由は簡単だ。みんな忙しくなってきたから、電話ではコミュニケーションが取れないことが多くなってきて、仕事に支障をきたすのだ。要するに電話が届かない。仕方がないの出かけ直す。その時間がもったいない。

だから、仕事などでのコミュニケーション手段が電話の時代で止まっている人はとても厄介だ。日本では高齢者にはこういう人はとても多い。私も、今はメールや、国を超える場合はFacebookメッセンジャーを主に使っている。電話はそれを受ける人の時間をア・プリオリに奪うので効率が悪い、ということに思いが至らない中高年が多すぎる。今のように世の中全体がそんなに忙しくなかった時代であればそれでも良かったのかもしれないが、電話が取れない状況も多いのが現代という時代だ。相手のことを考えるのであれば、わずかな仕事内のお互いの空いた時間にしっかりとコミュニケーションを取ることができる、メールとかメッセンジャーがいいとぼくは思うんだな。みんなそんなにヒマじゃないんだよ。

電話でのコミュニケーションがいい、というのは、プレイヤー全員が同時に舞台の上にいる必要がある、という牧歌的でスローで豊かだった時代の非効率でも仕事がなんとかなった時代の残渣であろう。今は一人一人が有機的にジグソーパズルのように余裕がなく組み合わさったスケージュールをこなして仕事を構成していかないと、とてもじゃないが食えない時代だ。これを肌で感じている現代のビジネスマンはコミュニケーションでは電話を遠慮する。忙しい相手のことを考えるからだ。

人間的に濃密な関係が仕事を作るというのが真実であるにしても、それは完全には達成できないのも事実だ。であれば、前なら電話を使う場面でこそ、まともに電話をすることは減っていく。電話でないとダメという人は要するに現代のビジネスの現場からはじき出されているのだ

現代の忙しいビジネスマンには電話はつながらない。電話がつながるのは仕事がなくてヒマだからだ

今はそういう時代になったのだね。

 


ぼくらはなぜ「スマホ依存」になるのか?

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スマホ、やりすぎ。じゃ、なぜみんな中毒になるのか、ということを考えたほうがいい。それは「弱い人間ほど他人とのコミュニケーションを求める」からだ。ガラケーの時代も同じことを言われたのを覚えているだろう。

ぼくも高校生のとき、アマチュア無線にハマって、よく近くの同じようなアマチュア無線をしている人とつながっていて、それを楽しんでいた。あまりにハマりすぎて、高校2年のときに英語で赤点をとった。今となっては、それもいい思い出ではあるが。当時は無線機も自分で作ったりした。買ってきたのを使っていても、「自作」の楽しみがあった。アマチュア無線の友達は、社会人だったり、学生だったり多種多様で、高校生のぼくにはそれも新鮮な経験だった。

「それ」をぼくは、世の中に「ケータイ」が流行るはるか前に体験した。その体験があって、体験した自分を見つめた。これは今は名前がついていないが、他人との過剰なコミュニケーションを常に求める、ということだから「コミュニケーション・シンドローム」と命名しても良いだろう。

もともと、人は他人とのコミュニケーションを求め、他人との共感の中に自分の生きる場所を求める動物なのだが、特に社会的な立場として弱い人間(例えば学生)が過剰なコミュニケーションの中毒になりやすい。若い人が夜コンビニでたむろする、というのがそれだ。つまり弱い人間ほど他人とのコミュニケーションを求めるのだ。今はコンビニにたむろしなくてもスマホがある、というだけだ。大人になっても、社会的な存立基盤が脆弱で自立できない大人は、「異業種交流会」にハマる。若い時は社会経験も少なく、立場も弱い。だから友人とのコミュニケーションに頼って自分の力の少なさをカバーしようとする。だから、スマホ依存から脱却するには、若い人間に自分の力を信じて自分の足で立つことに自信が持てる場を提供することだ。それは小さなことでもいい。その場こそが「教育の場」だ。そうすれば、スマホの中毒、などという現象は自然となくなっていく。自分の人生の主人公は自分である、という当たり前のことを教える大人が今はとても少なくなった。自分の周辺にいる人間をいかに利用できるか、ということだけを考える、偏った人間観に大人もまた侵されているからだ。

そういう人間観を持った人間は精神的な自立ができない、未熟で危険な人間である。そういう人間はさらに社会で居場所をなくし、今よりもさらに弱い立場に追い込まれていく。そのため、さらに今以上のコミュニケーションを渇望するようになる。しかしそのコミュニケーションには自立できる実力という核がないから、しょせんはその人は弱い立場のままである。いや、自立のための実力を得る努力をする時間をスマホに取られているのだから、自立はいっそうできなくなる。

スマホ中毒は、こうやって拡大再生産される。昔から言うだろう。しょせんメダカは群れたがる、と。