マスコミはスピードだ!

つい数時間前までは、北は韓国の核実験場爆破セレモニーに参加できないと発表してもギリギリで参加OKとなる。

トランプさんも米朝首脳会談をやるが一転してやらない、と言い出したが、これも数時間でやらないをやらないかも、みたいにコロコロ変わる。

既に日本のマスコミはこのスピードには全くついていけず、日本のネットメディアも全くついていけていない。新聞なんてのは数日という時間でのメディアであって、数分や数時間は扱えない。朝刊に評論した政局が数時間の間に二転三転し、翌日もまたやっている。この動きの速さは、新聞には全くついていけない速さであることは言うまでもない。テレビもせいぜいが数時間の動きしか追えない。コトは数分で変わることもある。それが現代だ。

特に日本のネットメディアは社会での認知を得てきていているぶん、コンプライアンス重視になってきており、スピードは遅くなっている。逆に言えば、ソースを明らかにしてスピードに全ての重点を置き「ガセかもしれない」ことを前提に報道するメディアがこれからのトレンドになりそうだ。面白い世の中になってきた。

 


 

「反グローバリズムの時代」になぜなったか

この記事では、世界に渦巻く「反グローバリズム」の流れと「正義とはなにか」という関係が書かれている。なぜアメリカ合衆国の建国の理想というものが捨てられたか?ということについて、内田先生が書かれている「記事」だ。

この記事にあるように、米国、欧州、日本を含むアジアなどの主要地域で、反グローバリズムが台頭してきたのは、内田先生によれば、「(グローバリズムの)理想は高邁なものだったが」「制度設計が間違っていた」という結論を導き出した。いかにも、文系の勉強をされたエリートの片隅にいる方のお話だな、と、私は思っている。

私が思っているのは、ちょっと違う。グローバリズムというのは地域の違いを平均化していく仕組みであって、物理で言うエントロピーの低い状態から高い状態への変化であった、と考える。つまり、人間にとってその変化は自然なものだ、と思う。これは物理として当たり前の動きである。

だから、現在の反グローバリズムへの流れは、その変化への人間の抗議の結果である、と、思う。

本来であれば国境をなくし、地域間の人やモノの流れをもっとスムーズにしていかないと、この変化に人間社会が対応できない。しかし人間の歴史としてその変化が人間の生理を超えて速すぎた。多くの人間は、この変化についていけなかったのではないか?というのが私の結論だ。

人間の生理を超えた非常に速い変化に対応できるエリートと、変化への対応ができない非エリートが、人間社会にはいる。そして、グローバリズムという理想が捨てられたのは、その過剰に速い変化への多くの「非エリートの人」の人間生理のなせる抗議であろう、と私は思う。だから、どこの国でも、「反グローバリズム」の流れを作っているのは「非エリート」であって、「置いてきぼりを食う人」なのだ。日本で言えば「B層の人たち」なのである。

そして、その「スピード」を作ったのは「インターネット」であった、と私は思う。20年ほど前、「インターネットとはなにか?」ということを私はあるところで聞かれたとき、こう答えた。

「インターネットとは、人間社会の変化が化学変化のようなものだとしたら、その変化の速度を速める触媒のようなものだと思ってください」

聞いた人はぽかんとしていたが、要するにそれが私の結論だった。

インターネットが「グローバリズム」の変化を速いものにしたし、それに抗する運動も速く世の中に浸透させた。人間社会の変化するスピードを速めたのだ。人間という種も、やがて他の地球上の種のように絶滅の危機がやってくるとすると、インターネットは人間社会のゴールまでの時間を短く圧縮したのかもしれない。

私は、内田先生の言う「理想は良かったが制度設計を間違えた」という立場は取らない。そうではなく、どちらも正しかったが、その変化が速すぎた、と言う結論を言うことにする。

皮肉なことに、グローバリズムのスピードを作ったインターネットは、反グローバリズムの流れも作るのが速かった。「反グローバリズムの旗手」、アメリカ合衆国のトランプ大統領がインターネットで支持を広げたのは、皮肉という他ない。